Ⅲ174.貿易王子は尋ねる。
「ジャンヌ達思ったより遅いね。まだラルクが目を覚まさないのかな」
「んなもん叩き起こせば一発じゃねぇか」
オリウィエルのいる団長テント。
個人テントの中でも広く豪華なテントだが、もともと酷く散らかっていたことと今は人口密度が多い為全体的にぎっしりしていた。
騎士がいくらか掃除したとはいえ、簡単には床に座ることもできない。彼女の空けたままのベッドの上にはセフェクとケメトが腰掛けていた。
ずっとベッドの上だった彼女も今は猛獣三匹に囲まれたまま床から動けない。騎士のエリックとジェイル、マートが彼女を見張る中、レオンはセドリックと共に今はヴァルの佇むベッド際に並んでいた。倒れたままの棚をヴァル一人が椅子の代わりにして腰を下ろし、レオンとセドリックは騎士達により持ち運ばれた椅子に腰掛ける。テーブル用の椅子と机用の椅子それぞれは、幸い倒されてはいたが足は一本も壊れていなかった。
すぐに戻ってくるとは思っていなかったレオン達だが、それにしても時間が経過したと亀裂の入った時計を見つめながら思う。
心なしか気温が下がってきたような感覚を覚えれば、テント全体も薄暗くなっていることに気付く。ずっとテントの中だったから気付かなかったが、もう夕暮れにはさしかかっているのだろうと考える。
エリックも気付き、ジェイルと共に吊り下げられていたランプへ明かりを付けだした。ぽわりぽわりと外よりもテントの中の方が明るくなる。
「ならばラルクとアレスとの話が込み入っているのかもしれません。特にラルクは長い期間操られていた為、無理もないことかと」
「ンなもん勝手にやらせとけばいいじゃねぇか。こっちには関係ねぇ」
「まぁ、関係ないと言えば最初から無関係だから」
セドリックからの提案にヴァルも暇潰し混じりに悪態吐く。いっそ寝ていたいが、セフェクとケメトと一緒に猛獣やオリウィエルもいる中で仮眠する気にもなれなかった。
レオンからの正論に、チッ!と舌打ちを鳴らしながら棚の上であぐらをかく。正論だからこそさっさと帰りたい。
オリウィエルがプライドの予知の元凶となるならば、彼女が今後調子に乗ってサーカス団でやりたい放題するんだろうとヴァルは端的に思う。フリージア王国の人間が奴隷となるならば、アレスがそうなると考えれば一番わかりやすく枠にも嵌めやすい。もしくはいっそオリウィエルも被害者として団長を捕まえるか、このサーカス団自体をフリージアの王族の権利で解体してしまえば良いだろと思う。
そして、そんな簡単な手段で済ませたがらないプライドのこともわかっていれば、今から面倒でたまらない。
「……でぇ?あのガキはさっきから何してやがる」
考えるまま視線を猛獣の群れへと向ければ、その中心から動けないままでいるオリウィエルはずっと同じ動作を繰り返していた。
ライオンを一回撫でては放し撫でては放し、狼を撫でては放し撫でては放し、虎を撫でては放し撫でては放し、そしてまたライオンと。手の届く猛獣三匹を少ない回数で順番に撫で繰り返す。
最初は単に動物を撫でているだけかと気にも留めなかったヴァルだが、あまりにも同じ動き過ぎる為目についた。見張っているエリック達もただ黙して眺めるその動きに、警戒を緩めない。
「多分特殊能力の制御を試しているんじゃないかな。さっきも操る数で効果が薄れているように見えたし、動物相手ならそこまで自分の置かれている状況に驚くこともないからね」
特殊能力の効果が薄い三匹の状態を維持しながらならば、特殊能力が解かれても差異は少なく混乱する心配もない。解けてもすぐ掛け直せば襲われない。他の二匹が味方であれば、安全も確保される。
ラルクとアレスも手元から無事解放した今、次の必要が制御であることはオリウィエルも理解しているのだろうとレオンは考える。単純に特殊能力を解く掛けるの感覚を覚えようとしたならば良いが、ここで猛獣達や自分達の誰かを懐柔し暴れようとしていた場合も念頭に置く。
レオンの予想に、セドリックも「私もそう思います」と声を低めた。視界の隅で彼女が何回それぞれ猛獣に触れたかも記憶するセドリックには、余計彼女の行動には意図があるようにしか思えない。
「特殊能力は感覚も掴んでからは身に付けるのも難しくないと専門書にも記載がありました。むしろ困難なのは特殊能力の自覚や、その条件や限界の見極めの方だと……」
「本当に君、フリージアで生まれ育った民よりも詳しいよね」
全て文献の知識だけです、と。レオンからの感心にも驕らずセドリックは即答する。本人にとっては、一時期特殊能力に関しての書物を読み漁った結果についてきただけの話だ。
真っ直ぐな眼差しで見つめ返され、レオンも少し肩を竦めてしまう。セドリックの覚えの良さをある程度は知っている自分だが、まだフリージア王国と関わって二年程度で専門家と同じ域の知識が彼にはあることは完璧な王子であるレオンにも脅威的だった。
もし今、セドリックと自分がプライドの婚約者候補で競うことになれば恐らく知識量でセドリックに負けるだろうと客観的に思う。自分も当時、フリージアにもプライドにも失礼がないようにある程度予備知識は学んだが、それでもやはりプライドに教えてもらうことが圧倒的に多かった。
セドリックの意見も得て、自分だけでなくヴァルも気になっていたことも含めやはり彼女が何らかの感覚を得ているのだろうと根拠が増す。彼女を怯えさせないように仮面の位置を指で軽く確かめてから「それで」と穏やかな声をいつもより更に意識する。
「オリウィエル、君は一体これからどうしたいんだい?」
突然レオンに呼びかけられ、オリウィエルの肩が大きく上下した。
慌てるように直前に触れた狼を撫で直しながら、丸い目で見返す。声だけ聞けば柔らかな男性だが、彼女の目に映るのはどちらかといえば目付きの鋭い男性だ。
それでも仮面で隠されている分緩和され、人と話す緊張感で胸をバクつかせながら口を開く。すぐには言葉にならず「あ」「う」と一音を分けて溢してから返した。
「わ、私は……もう、人に会い……たくなくて……だっ、だから、迷惑かけないから、このまま……」
「衣食住を見返りなく確保させることをそう言うのであれば、現状維持は君の中で確かに得策なのだろうけれど」
うーん、と。悪気なく首を捻るレオンのあまりにも歯に絹着せない言葉にエリックは口がヒクついたまま少し強張った。まさかそれを王族であるレオンから一番に出るとは思わなかった。
実際、同じ王族であるセドリックの方はレオンの発言にもすぐにはピンとこない。ただ何もせず大人しくしてくれるつもりなら確かに実害はないがとすら最初は考えた。
そして、レオンの言う通りだとヴァルは言動には出さず眉間を狭め同意する。ただでさえ経営難のサーカスで、金銭どころか労働力も何も提供せずにそれは都合が良過ぎる。裏稼業で使われている浮浪児でも食事や棲家に居させてやる代わりに雑用や都合良く使い捨てられるのだから。
元奴隷女がなにを王族みたいな要求をと、そこまで思考し、止めた。レオンが庶民や貧民層の生活に理解を深めているように、ヴァルもまた今は王族の仕事が〝贅沢をすることだけ〟ではないことを知っている。
「君が着ている服も毎日運ばれてくる食事も空から降って土から湧いてくるものではないし、ここがもともとクリストファー団長の部屋なことも知っているね?」
レオンの的確過ぎる指摘に、ジェイルとマートも表情に隠せなくなる。むしろその通りと、相手が王族でなければ頷きたくなった。
全て無から生まれないのだと語るレオンに、セドリックも自身の使用人の双子を思い出す。彼らもまた生活資金が困窮していたことを考えれば、衣食住全てが当たり前ではなかった。むしろ気を抜けばどれか一つでも簡単に失う状況だ。それほどまでに、最低限の生活の確保は当然なものではない。
「え……でっ、でもっ……前のところでも服と食事と部屋にはいられてて」
「詳しくは聞かないけれど。ただ、それは君が何らかの形で提供者に利益を生み出すからだと思うよ。勿論、無償で与え合うような特別な関係もありはするけれど」
そう言いながらレオンの視線がセフェクとケメトに移っていくのを、ヴァルは殺気を漏らしながら睨んだ。
予想通り最後に滑らかな笑みが自分に終着すれば、意味深過ぎて吐き気がする。こっちを見るんじゃねぇと、意思を込めて凶悪な顔を更に険しくさせた。
大体、過去はさておき今のセフェクとケメトは特殊能力で自分の配達人業務に貢献している為、レオンの事例には当てはらない。
レオンからの視線を紛らわすように、指先をトントンと足元の棚を叩きながら舌打ちを鳴らす。
「テメェは団長の女か愛玩動物にでもなりてぇのか」
唸りの交えた低い声色に、ビクッ!!と震えるオリウィエルの顔色が一気に青くなる。
顔は怖そうな人に見えなかったから余計に不意打ちだった。怯えた彼女の気配に、猛獣達もグルルッとヴァルを威嚇する。
しかしヴァルは猛獣の倍苛立っていた。動物相手になら特殊能力を使っても良いかとも考えるが、オリウィエルに見せてやる方が嫌で我慢する。まだいつ敵になるか裏切るかわからない相手だ。
ここまできて無罪放免どころか都合の良い立場まで求めるオリウィエルに虫唾が走る。元奴隷が完全に飼われるのに慣れきり拗れたと、こんなの無料でも買わねぇと本気で思う。
「そっ……そ、いぅの、はも、嫌で……けど、わた、私働……の、もう怖くてっ……」
「君の〝働く〟の定義が気になるな。まず、団長からはどう言われてここにいたんだい」
ビクビクと、猛獣に両腕で縋るように抱きつきながらまた言葉が辿々しくなるオリウィエルは口は動くが誰とも目を合わせない。代わりに自分の味方であるライオンに舐められながら、心を落ち着ける。
カタカタと震えがぶり返す彼女に、悪いとは思いつつもレオンは問いをやめない。
そしてオリウィエルもまた、自分に問いかける相手を無視できるほどの度胸はもうない。
震えながら自分の言える言葉で説明すれば、途中からセドリックは聞いていられず耳を塞ぎ目を彼女ではなくレオンに向けた。彼女の話を聞くレオンから「それで団長には?」と次に促されたことを確認してから、また耳から手を下ろし彼女へ向き直る。
「だ……団長からっは、そっ、そろそろ……仕事を覚えるのも良い頃だっ、て……。ででで、も私っ、誰かの相手、嫌でっ……」
「クリストファー団長は雑務の一つでも教えようとしたのではないのか。人と接触するのばかりが労働でもないが、教えを求めるのであれば団員との接触は必要だろう」
彼女の労働の定義がまずおかしいと、確信したセドリックからも指摘をすればオリウィエルは首を激しく左右に振った。否定ではない。ただ、もう頭が思考することを拒絶した。
「わからない」と繰り返しまた嗚咽混じりに泣き出す彼女に、話を聞いていたセフェクも眉を垂らす。今日初めて訪れた国で、サーカスの実情も詳しくは知らない。しかし彼女の話を聞けば聞くほどに、無意識に姿勢が彼女へ前のめった。
セフェク?とケメトが心配して彼女の裾を引っ張れば、ヴァルも片眉を上げて見た。珍しくケメトではなくセフェクが気にする様子に、黙したまま凝視する。
セフェクからの視線に気付いたオリウィエルだが、すぐにまた目を逸らしライオンのたてがみに顔を埋めた。
「男の人も、……お、女の人も、無理。ぜ……絶対、怖い」
そう言いながらまた身体を酷く震わせ、掠れる音でしゃくりあげる彼女はライオンから顔を出そうとしない。
自分を気にかける様子の少女にもむしろ距離を求めるように、目を合わせたがらない。
その反応にセフェクもベッドを降りようとした足を止めた。少しだけ肩を落とし、視線をベッドに落とす姉にケメトが頭を撫でようと手を伸ばしたその時。
「失礼!オリウィエルに会いたいのだが、もう話し合いは終わったかな?」
響きの良い初老の声が、テントの外から響いた。




