そして動く。
まだライオンも条件全て適合かはわからないけれど、やはり今一番身近な相手ではある。
なるべく怖がらせないように落ち着かせた声で呼びかければ、彼女もビクリと身体を跳ねさせたのが猛獣の隙間からわかった。すぐに言葉での返事はなく、代わりにアレスが「無茶言うなよ」と彼女を庇う。
虎の足蹴にされるアレスが潰される前にオリウィエルから離れ後退したところで、傍に居たエリック副隊長に腕を掴まれ引き寄せられた。抵抗するように腕を振ったけれど、いくら鍛えているアレスでも力で騎士のエリック副隊長には敵わない。
アレスと入れ替えに今は猛獣二匹に囲まれ守られるオリウィエルは、彼らの毛並みを確かめながら私達へと顔を向けた。
「あの、でも……ら、らるくがいないと、私がライオンに噛まれるかも……」
「それなら俺らがいくらでも押さえるンで大丈夫です。カラムさんもいますし」
今はアレスも、酷く怯えた彼女に無理をさせたくないからか自分が止めるとは言わない。弱々しい声を放つ彼女に、代わりにアーサーが声を上げてくれた。
確かに、いくら猛獣でも複数人の騎士とカラム隊長の特殊能力もあれば押さえることは難しくないだろう。実際、カラム隊長は一度団長に襲いかかったライオンを止めたくらいだ。
はっきりとした口調で保証してくれるアーサーに、彼女は「カラム?」とわからないように視線をテント内の全員に巡らせ始めた。
多分カラム隊長の名前と顔が一致しないから誰かと探しているのだろう。まさか騎士の中でも細身の人がここでライオン押さえ役に上げられているとは思ってもいないだろうけれども。
それでも、彼女はアレスとライオンを見比べた後に顔をぎゅっと強張らせながらも頷いてくれた。まだ涙目に見えるけれど、それでも協力の意思を持続してくれた彼女に今は安堵と共に少し感謝する。
彼女の意志を受け、私達がお願いするまでもなくカラム隊長が動き出した。アーサーも続こうと動いたけれど「お前はそこでジャンヌさん達を」と断られる。どうやら一人で押さえてくれるつもりらし
「押さえなくても大丈夫ですよ。あの子すごく良い子ですから!」
ケメト?!
ちょっ、えっ、え!!と、突然の明るい声に私達の方が絶句する。まさかのケメトが、さっきまでヴァルと一緒にセフェクを挟んでいた体勢からぱたぱたと一直線にライオンへと駆け寄っていた。
いや!わかる!わかっているけれども!!それでも小柄なケメトがまるでライオンに捕食される前のウサギに見えた。
セフェクもびっくりしたようにケメトを追いかける。ヴァルの腕を掴んだままかけ出すから、ヴァルも一緒に引っ張られた。ヴァルの方は面倒そうに顔を顰めるだけだ。
ライオンとラルクの傍に立つマートの方がまるで保護者のように目を大きく開いて「危ないから下がってなさい!」と叫んだ。それでもケメトは『大丈夫ですよ」と足を止めない。
そんなに離れてもいないテント内の距離は、ヴァルを引っ張るセフェクよりも先行したケメトの方が早かった。カラム隊長も飛びだし、マートも前に出てケメトを止める。
するとライオンの方がケメトに気がつくと自分から歩み寄ってきた。のっそりのっそりと危機感のない歩みのまま、尻尾で大きく弧を描いた。グルグルッ……という喉の音も威嚇ではないとわかる。
マートもわかってか、ライオンとケメトを見守る体勢になるけれどいつでもケメトを抱き抱えられるように身構えているのがわかる。ケメトの方は大型犬と戯れるくらいの感覚でボフンとライオンに飛び込んだ。
モフモフと首の周りを撫でれば、ライオンも嬉しそうに目を細める。
「ほら大人しいです。首のあたりが特に撫でると嬉しいみたいで」
半分顔がライオンのたてがみに埋まったままケメトが笑う。もうこっちは心臓に悪い。
セフェクとヴァルもケメトの背後まで近づく中、ライオンはケメトに撫でて貰ってご満悦だ。……と思ったら、ヴァルに向けてだけ一回グルルと唸った。本当に嫌われている。ケメトにはこんなメロメロなのに。
なんかラルク並みの天然猛獣使いにどう言えば良いかわからない。とりあえず団長には知られない方が良いだろう。スカウトされる図しか想像できない。
ヴァルがセフェクの後ろで「ほらみろ」と疲れたように言う中、セフェクはまだちょっと心配そうだ。ヴァルはそのまま更に二歩ほどライオンから下がったけれど、多分怖いのではなく単純に自分が離れた方がライオンも怒らず結果としてケメトが安全だからだろう。
ケメトも「セフェクも!」と彼女だけを指名した。
カラム隊長とマートもこれには二人並んで困ったように顔を見合わせてしまっている。危険だから引き剥がしたいけれど、事実ライオンが大人しいのと無理矢理押さえつけるより平和的だからだろう。
オリウィエルの方を見れば、彼女もライオンと仲良くしているケメト達の様子に少しだけど安心感を得られたらしい。口をぽかりと開けたままじっとケメトとセフェクとライオンを見つめている。そのままベッドから降りようとして、……まだ腰が抜けたままのようだった。ぐっと少しお尻を浮かせてすぐにまたへたってしまう。
狼と虎が心配そうに彼女に擦り寄る中、落ち着いた様子の彼女にアレスが「立てるか?」と協力の姿勢を見せてくれた。
オリウィエルが首を振ると、エリック副隊長に放されたアレスが仕方なそうに息を吐いてから彼女を抱き上げた。骨格もしっかりした彼が軽々と彼女をこちらに運んできてくれる。彼女を追うように、狼と虎もアレスの周りにまとわりつくかたちで付いていった。
今彼女に触れて良い人間は念には念をいれてアレスしかいないから、こちらとしても助かる。
ライオンを真正面からモフるケメトとは違い、ライオンの背中の方に彼女をそっと下ろした。セフェクがケメトの腕を引いて下がらせようとしたけれど、そうすると今度はライオンがオリウィエルに威嚇の喉を鳴らす。ケメトがわしゃわしゃとご機嫌取りに撫でたらまた許してくれた。
カラム隊長とマートがいつでも対応できるように身構え、ケメトとそしてセフェクも協力するようにライオンをわしゃりながら、アレスが連れて下ろしたオリウィエルが触れる、……という大がかりなライオン大作戦が横たわるラルクのすぐそこで行われることになる。
オリウィエルがケメトの方へ目を向けた途端「おい」と、凄まじく低い声が離れた位置から放たれた。
「そこのガキ共に間違っても触れんじゃねぇぞ……?」
触れたら殺す。と、きっと隷属の契約がなければ脅していただろう。
正直、猛獣三匹より凄まじい威嚇をしている。今だけはグルルと荷袋を肩に腕を組む彼からも獣の唸り声が聞こえてきそうな気さえした。
ここにきて脅さないで!と言いたくなったけれど無理もないと唇を結ぶ。ライオンもモフッているケメトとセフェクの両手は、オリウィエルがちょっと手を伸ばしてみれば届く距離だ。むしろライオンよりそっちの方が危ない。
セフェクは女の子だから大丈夫だけど、ライオンと一緒にケメトまで洗脳されたら確実にヴァルが地面まるごと引っくり返してしまう。
殺気まで溢れさせるヴァルの脅迫手前の警告に、オリウィエルもライオンへ伸ばしかけた手を一度胸まで引っ込めて何度も頷いた。それでもヴァルからは舌打ちしか鳴らされないからまたビクッと震え上がる。両脇を虎と狼が守っては、ヴァルの殺気に唸り声を返した。
ヴァルからの殺気と舌打ちにセフェクの方は逆にほっとしたように息を吐く。ケメトも嬉しそうにはにかむだけで、またライオンをよしよしと手の伸ばして撫でた。
たてがみに手を埋めて顎の下をこちょこちょ擽るように撫でると、気持ちよくなったのかライオンが自分から小柄なケメトに合わせて伏せをした。お陰で座り込んだオリウィエルも撫でやすい位置になる。
「僕が撫でているのでその間にどうぞ。大丈夫ですよ、この子は特に撫でられるのが好きな子なので」
本当にラルクのお株を奪う勢いの猛獣使い様。
柔らかいケメトの声に、オリウィエルも頷くと今度こそライオンの背中へと手を伸ばす。毛並みの先からゆっくりと沈めるようにライオンの背へと手を付け、撫でおろしたところで、状況は動いた。
彼女とライオン、そしてアレスに注視していたから余計に一瞬での情報量が多かった。彼女が「できました」と言おうとしたのか口を開くのと、殆ど同時にライオンがケメトからくるりと首の方向を変える。オリウィエルに撫でて貰おうと身体ごと彼女へと向き直り、……アレスが目を見開き動く。
「ッ……!!」
さっきまでオリウィエルの傍で彼女を見守り立っていたアレスが、突然地面を蹴ったのにマートとカラム隊長の対応も早かった。
彼女から離すようにカラム隊長が彼の腕を掴み引っ張り込み、マートがそこで作られた隙間に入る形でアレスへ壁になる。
正気に戻ったアレスが一瞬で自分の傍から引っ張り離されたことにオリウィエルも膝をたたんで小さくなる中、猛獣三匹が取り囲んだ。
そしてマートも彼女へ害を与えないようにと佇む中、カラム隊長に強制的に距離を離され引っ張り込まれたアレスはさっきまでの様子が嘘のようにジタバタと暴れ出した。カラム隊長に掴まれた手を引き離そうと反対の手で掴み返し、引っ張られるのと反対方向へ向けて何度も地面を蹴る。
当然カラム隊長の力に敵うわけもなく、そのまま順調に剥がされていく。
「はッなせ!!!おいッカラム!!!!ラルッ、ラルクに……!!」
「ラルク?」
きょとんと少しカラム隊長の眉が上がった。それ以上引き剥がすのをやめ、その場で足を止める。
てっきりオリウィエルに襲いかかろうとしたのだと私も思ったけれど、どうやら違ったらしい。アレスが今も向かおうとしているのはオリウィエルではなく、そのすぐ近くで横たわっているラルクの方だ。
もともとライオンがラルクの傍にいたから近くだったけれど、彼女ではなくその先にいるラルクへ飛び込もうとしていたと今理解する。
彼の意図を汲んだアラン隊長が「あー」と声を漏らした後、ラルクへ駆け寄ってくれた。今はケメトよりもラルクよりもオリウィエルに夢中のライオンに気付かれないよう、そっと倒れるラルクを敷かれた上着ごと抱えてきてくれた。
アレスの視線も真っ直ぐにオリウィエルではなくラルクを追って顔ごと動く。アレスの標的を確認するようにアラン隊長は駆け足で入口際で立ち止まった。
「取り敢えずラルクさんのテントに移りませんか?アレスさんも。その方が落ち着いて話ができると思いますし」
そりゃベッドも空いてますけど、と。彼女がさっきまで使っていたベッドを目で示しながらアラン隊長が笑いかける。
確かにここは場所を移せるなら移したい。場所、というよりもラルクとアレス、そしてオリウィエルを離した方が良い。
ステイルが目で尋ねてくれ、私も同意する。カラム隊長へも視線を送れば、アレスの手を掴んだまま頷いてくれた。マートにオリウィエルの見張りを頼んでくれる。
今の彼女は命令権も猛獣だけだ。
万が一に猛獣三匹が襲いかかってきた時の為にもう一人騎士をとカラム隊長が尋ねたら、エリック副隊長がテントの裏側にいるジェイルと見てくれると提案してくれた。騎士三人なら安心だ。
「じゃあ僕らがここで見ているよ。ダリオ、ヴァル、君らも良いかい?」
「勿論です」
「アァ?なんで猛獣女と一緒にいなきゃならねぇ?」
だからだよ。と、セドリックと反対に嫌そうな顔をするヴァルにレオンが肩を竦める。……うん、まぁそうだ。
騎士一人でも猛獣を倒すくらいのことはできるだろうけれど、無傷で取り押さえるのなら騎士三人よりもヴァルの特殊能力が有効だ。
それに、ラルクのテントは今いる団長テントよりも狭いだろうし人数的にも分かれた方が良い。テントの外にはジェイル以外にもレオンの護衛の騎士もいる。
なにより、部外者であるレオン達はあまりサーカスの敷地内を動かない方が賢明だ。ここならもともと団員は入ってこないから見つかる心配もない。
オリウィエルの危険性もわかっているヴァルは凄く嫌そうだけれど、ケメトが「僕は良いですよ!」と手を上げて言ってくれた。
セフェクもケメトが良いならと、もうオリウィエルに取られてしまったライオン達から離れるとそのまま一番安全に腰を下ろせるベッドへとケメトと手を繋いで移動した。
ぽすんと二人で仲良くベッドに腰を落ち着けてここで待ちますの体勢を見せてくれたところで、ヴァルも舌打ちをしながらテントの最奥である彼らの方へ足を進めた。どうやら、了承してくれたらしい。
オリウィエルと猛獣をレオン達に任せ、私達サーカス団員組は一度場所を移す。アラン隊長が先頭を切るようにラルクを抱えたままテントを出れば、カラム隊長に掴まれたアレスも振りかえることなくその後に続いてくれた。そこに迷いは無かった。
ゲームで正気に戻った瞬間、何よりも最優先にアレスと主人公へ助けに入ったラルクと同じように。




