そして見張る。
「いえ、そこまでで結構です。……充分わかりましたので」
大きく頷きで返せば、セドリックもレオンも同意を示すように私とステイルの方に小さな頷きで同意を示してくれた。
もうまたパニックを起こすんじゃないかというくらい半泣きのオリウィエルにこれ以上怯えさせるわけにもいかない。必死にアレスとラスクへ言葉が出ない分首を振って訴えたのに完全目に入った上で無視の二人だ。
ステイルからの待ったにも、「まだ何もしていない」「本当にわかったのかよ?」と逆に訝しんだ反応をこちらに向ける二人は相変わらず自覚がない。……このテントの中に入ってから自分達がどれだけ彼女への態度を変えているのか。
ステイルが「良いんです」と二度目の念押しをするのを聞きながら自分の眉間を手でぐりぐり押さえてしまう。
最初から気配はあった。パッと見は何も異変のない二人だけれど、彼女への態度の変化は大きい。狼……は、まだ特殊能力にかかったことくらいしかわからないけれど、アレスとラルクは特殊能力は薄まっている。
まず害意の有無関係なくオリウィエルが怯えているのにラルクは狼を彼女から離れさせようとしなかった。そしてアレスも狼が彼女に懐いて自分にだけ足蹴と判断した途端にあっさりオリウィエルから離れていた。
二人とも狼が危険ではないと理解した上での動きだったけれど、少なくとも狼に特殊能力をかける前ならラルクは絶対怯える彼女からすぐに狼を引き剥がしたしアレスも絶対彼女から離れなかった。
私達が何もしないでも怯える彼女の為だけに傍を離れようとしなかった二人だ。
そして今回、……まさかの狼に彼女をけしかけようなんて自分から言い出した。
さっきまで彼女を怯えさせることすら許さなかった二人が、自分からの提案だ。しかもわかりやすくアレスもラルクも今は彼女の傍にくっついていない。
あくまでまだ彼女の味方という意志も、……セドリックの問いに答えでは彼女へ恋愛感情も抱いているけれど今までと比べると大分扱いが雑に感じる。
狼に攻撃させるなんて寸止めでも助けるといわれても怖いものは怖いし、実際彼女も拒否の意思表示はしたのに断行だ。わかりやすく彼らの中での彼女への忠誠心が下がっている。
その上で、彼女の特殊能力の影響で連帯感だけは残っているから結果として二人で彼女を追い詰める方向になっているのがちょっと怖い。
そう考えていると、私達の傍に立っていたレオンだけでなくセドリックもそっと歩み寄ってきた。「ジャンヌ」と呼びかけてからひそひそ声で会話するように、顔を近付けながら視線をラルクへ向ける。
「……まさか、本当はラルク達も洗脳が解けていてわざと報復の機会を今狙っているのでは……?」
「いや、いっそ素に近いんじゃないかな……。もともとヴァル達と同じような庶民に近い青年だろう?好意ももともと作られたものだし……ジャンヌとフィリップ殿、アーサーの目にはどうかな。ラルクはともかくアレスとはそれなりに交流もあっただろう?」
薄く汗を額に湿らせるセドリックに、レオンが首を捻りながら否定する。
急に自分の名前だけ聞き取れたのか、セフェク達の隅で腕を組んでいたヴァルがレオンを目だけで睨んだ。それににこやかな笑みを向けて答えるレオンは、すぐに私達へ尋ねるように顔ごと視線を戻す。
そう、女性に……というか人に対してあまりにも酷い提案の二人だけど恨みを抜いても彼らはそういう人間だと思う。
王侯貴族でもないサーカス団員の彼らにはごく普通の感覚の発言だろう。ゲームのラルクも洗脳から解放されても他者には距離をとった淡々とした印象だったし、アレスもぶっきらぼうな優しさはあるけれど基本良く言えばワイルドな、悪く言えば粗雑な青年だった。
そして現実のアレスも特殊能力に掛けられる前からあまり印象は変わらない。さっき私とカラム隊長の演目を妨害しようとした時も一歩間違えれば死人を出すようなことを、敢えての殺意ではなくどんぶり勘定でざっくり決行していたし、まぁ大丈夫と思ったらざっくりやってしまう性格だと考えて良いと思う。
私からもレオンの同意を伝えれば、続いてステイルから順々に口を動かした。
「僕もリオ殿と同意見です。報復なら今距離を取る必要もなく最初の鞭で彼女の喉元を食いちぎらせれば良い」
「いや物騒……ッ自分、も同意見です。アレスさんもラルクも何か隠してるようには見えませんし、本当に手っ取り早いから提案したんだと……」
さらりと恐ろしいことを言うステイルにアーサーがレオンに見えない位置で背中を叩いた。多分「いや物騒だろ」くらい突っ込みをいれようとしたのだろう。まぁでも、実際大げさというわけでもない。
二人の意見に、セドリックが「そうですか……」と少し表情をしょげさせた。「申し訳ありません」と自分の発言が違うと認めて頭まで下げ出すセドリックをレオンが手で止める。
「謝ることではないよ」と断りながら、そのままもう一人出口脇からこちらに顔を覗かせているアラン隊長にも同じ問いを投げかけた。オリウィエルの傍にエリック副隊長と一緒に立つカラム隊長よりは私達に近い位置だ。私達からも意見を視線に込めて求めれば、アラン隊長も半分笑った口を動かした。
「自分もそう思います。少なくともアレスさんはああいう人ですね。ちゃんとオリウィエルが危なくなったら助ける気はあったと思いますよ。ダリオ様が驚かれるのも当然だとは思いますけど、フィリップの言うとおり狙うなら自分でやる方が手っ取り早い位置にアレスもいますし」
アラン隊長の言葉に、気付けばアレスへ振りかえってしまう。
確かに、少し離れたとはいえオリウィエルに殴りかかるにはあっという間の距離だ。優秀な騎士二人だから間に合うだろうけれど、カッとなったらすぐに事件に発展する位置だろう。
今はカラム隊長とエリック副隊長がそれぞれ彼女とアレス、ラルクの中間位置に移動をしていた。二人が自分の意志で距離を取ってくれた以上、ここで彼女がせまってもそしてアレスとラルクが飛びだしても、すぐに対応できる位置だ。
「ならば、彼女の特殊能力は一人でならば心身共に完全洗脳……隷属の域。そして二人であれば熱情、そして三人で好意程度の恋の感覚といったところでしょうか」
「そうだな。比例して彼女に逆らうことも可能になり、依存心も減少している。思ったよりも大きい段階の変化だ。……順当にいけば次くらいか」
指折り状況を纏めるセドリックに今度はステイルも頷き、最後は声を低めた。改めて知能派が複数いることの心強さを感じる。
私がゲームの知識を予知や理論づける必要もなくさらさらと纏めてくれる。
隷属、熱愛、そして今は好意。同じ「恋」という言葉でも温度差は歴然だ。
あくまで数値ではない彼らの中の意識と尺度でも、第三者の私達が見て取れるほどに彼女の特殊能力は人数に比例して弱まる。今の三人……二人と一匹程度の好意なら、動物にかける程度には問題ないくらいかもしれない。
彼女に懐いてはいても主人であるラルクの命令には従って距離を離れる狼を見れば少なくとも動物の中での尺度は測れる。猛獣で足りなかったら、荷車用の馬に試せば、あとは動物に好かれるだけの女性にもなり得る。
今後特殊能力の制御だって練習はしやすいだろう。今ぐらいの好意なら、人には当然動物にも負担にはならない。
彼らの状況とオリウィエルの特殊能力を把握できたところで、次の段階へと移行を決める。
ステイルが私達に確認した上で、オリウィエルへと身体ごと振りかえった。次の猛獣はどちらにしますか、と。断行を前提に問いかけるステイルに、彼女もおろおろと目を泳がせながらセフェクの乗るライオンと待てをしている虎を見比べた。
二分近く悩んでから彼女が指名したのはライオンよりはやや小さめの虎だった。ずっとラルクの命令通りお座りをしていた虎が、また同じように鞭の音で彼女へ歩み寄る。
アレスもここは彼女のことも心配はするらしく、落ち着いた足取りでだけどまた彼女の背後にまで歩み寄った。それでもさっきみたいな緊張もなく身構えもない。腰に手を置いたまま「まぁ大丈夫だろ」と言わんばかりの表情で虎と彼女を視界に収めているうようだった。
ラルクの方は流石に安全優先で、さっきと同じように彼女の前で伏せさせた虎へしゃがみ正面から抱き締め押さえた。また唸り声を溢した虎が、ラルクの命令で黙す。
虎から怖い気配がなくなったところでオリウィエルも恐る恐るとした手でゆっくりと虎を背中から尻尾へとなで下ろした、瞬間。
異変は訪れた。
「ッ⁈……?」
プツン、と音が聞こえた気がした。
オリウィエルが「あ……」と溢したのと殆ど同時だった。虎を抱き締めていたラルクが、まるで釣っていた糸が切れたようにそのまま横に崩れ倒れた。
ガクンと本当に突然虎から零れ床に倒れ込んだ彼に、私達も虎の変化を確認するまでもない。
ラルク!!と私以外の口からも発声され、一番近くにいたオリウィエルが思わずといった様子で彼へ手を伸ばそうとした瞬間「駄目だ!」とカラム隊長から鋭い声が上がった。
今まで黙していた方が多いカラム隊長からの強い声に、オリウィエルも反射的に手を引っ込め身を縮ませる。直後にはエリック副隊長が「下がってください」と一定距離を置きつつ手で彼女にベッドの壁際まで下がるように指示をする。
そう、今彼女はラルクに触れてはいけない。
オリウィエルも遅れて気がついたように震えに近い小刻みな動きで首を縦に振ると、座り込んだままペタペタとお尻と手足で下がってくれた。
その間も、真剣な目で彼女の一挙一動を確認する騎士二人を少し怯えたように交互に見比べる。虎が彼女を気遣うように傍に寄り添えば、彼女も縋るように今度は虎を抱きよせた。その間も口は開いたまま目はラルクでも虎でもなく、自分を厳しく止めた騎士の方に釘刺さっている。
彼女が止まったことに息を吐き、ラルクへと私も駆け出……そうとして止められる。
ステイルとアーサー、マート。そして出口から手を伸ばしたアラン隊長にはしっかり手を掴まれた。彼らの意図を理解し口の中を噛み踏みとどまるけれど、それでも身体の重心がラルク達の方へとかかってしまう。
カラム隊長とエリック副隊長がオリウィエルを止めて、倒れたラルクへ最初に駆け寄ったのはアレスだ。
「ラルク?!」と呼びかけた彼の方は多分まだ特殊能力が解けていない。けれど、ラルクは。
「おいどうしたラルク!!おい!!しっかりしろ!!」
べったりと貧血でも起こしたように床に伏してしまったラルクを起こそうと、片膝をついたアレスが肩に手をかける。
肩から上だけは少し床から上げられたラルクだけれど、遠目でもわかるくらいに身体が震え出す。ハ、ハ、ハ、と細切れな呼吸音まで離れた距離でも聞こえてきた。彼の反応を誰もが求め口を噤み膠着する中、テント中の空気全てを彼の呼吸音だけが波紋させているようだった。
アレスに呼びかけられても途中何度も彼が息を詰まらせるのまでわかった。
まるで痛むように起こされた側の肩から手で頭を押さえ、目の焦点もきっと合っていない。何度アレスに呼びかけられても反応することすら苦しいように大粒の汗がボタボタと床に落ちだした。大事な鞭が手の中から滑り落ちたまま拾われない。呼吸音からだんだんと声がと思えば、呻きにも似た細い音だった。床についた手が拳を作り、固く握られる。
先生を呼ぶか、とアレスから呼びかけられてもすぐに答えられるわけがない。今までのグラデーションの変化だけではない、今彼は彼女の特殊能力範囲から完全に〝弾かれた〟のだから。
口の中を飲み込み、胸を両手で押さえながら彼の心の揺れが収まるのを待つ。すると、暫くも待たない内に今度こそラルクから言葉が発せられるのを拾えた。……聞くだけで心臓が刺されるかのような、苦しい声で。
「………ん……ぅ、……ちょ……団長…………団長……団長……団長団長団長団長団長団長団長団長団長団長団長団長……僕は、僕はどうしてこんな、……………………なんで」
片手から両手でとうとう頭を抱え出す彼は、堰を切ったように唱え出す。
まだアレスの言葉もきっと届いていない。自分の中で滞留してしまったようにそれ以上身動ぎしなくなった彼は震えがなくなった分、その内側はきっと溢れ返っている。
俯いている顔が酸欠のように真っ白く色が引いていた。アレスが耳の近くで怒鳴ってもまだ届かない。
一歩、私が意志を持って踏み出せば、今度は押し戻すでも引き戻すでもなくアーサー達もアラン隊長も合わせて一歩動いてくれた。
今までオリウィエルを刺激しないように控えてくれていたアラン隊長もテントの内側に引っ張るまま、ラルクへもう一歩歩み寄る。
大丈夫、わかっている。ただ、今の彼の変化に距離を理由に見逃してはいけないから。
一歩、二歩、五歩と少しずつ近づく少しの間にも彼の呟きは消えない。「なんで」「団長」「僕は」とその言葉ばかりがバラバラと繰り返される。
ぽたりぽたりと尋常じゃない汗がしたたり落ちて、一人だけ雨の中のようだった。彼のこの反応も呟きも私は知っている。……ゲームでは、この程度じゃなかったことも。
途中から目でしっかりと滴の落ちる瞬間も見える距離まで近付けられたら、それが汗だけじゃなくなっていることに気がついた。ボタボタと汗よりも大粒で零れるのは彼の透き通った瞳からだ。
薄桃色の瞳か揺れて見えるほどの潤み、落ちている。呟き声がない間もぱくぱくと死にかけているかのように口を開けてを繰り返しては、震えもないことが逆に苦しそうだった。
今、私が何を言っても彼にはきっと届かない。
余計なことを言ってしまわないように、アーサーとステイルが足を止めて阻んだ一定距離の位置で私も下唇を噛んで止まった。喉が鳴る中、彼の青が見開かれたまま浮いて見えた。
「しっかりしろ!!!どうしちまったんだ!おい!!ラルク!!!」
「………………………………………………………………………アレス」
何度目かもわからないほど呼びかけるアレスが、ラルクの両方の肩を今度はわし掴んだ。
勢い良く前後に振れば、無抵抗に首も頭もがくんがくんと揺れる中、不意に掠れるような声だった。今まで同じ言葉ばかり繰り返したラルクが、初めて彼を呼ぶ。
自分の名前が呼ばれたことに、アレスも自身が凍り付くように身体ごと腕も固まった。
さっきまでのラルクを心配する血相から、驚愕へと目が見開かれていった。自分と同じ、目が零れそうなほど大きく開いた眼差しで自分を真正面から見つめるラルクに。
変わらず涙をこぼしながら、息を苦しそうに飲んではまた小刻みに荒くするラルクが、それでも自分の意志で彼を呼んだ。団長でも、猛獣でも、そしてオリウィエルではない目の前の彼を呼ぶ。
その目を見た途端、今まで何度も自分の名前を呼ばれてきた筈のアレスも信じられないように彼の目から離せないようだった。
アレスが硬直するのに代わるように、ラルクが息も絶え絶えに細い右手を床から浮かせ持ち上げた。自分の肩を掴むアレスの腕へ掴み返すように手の平を乗せ、そこで中性的な酷く顔を歪めた。上手く力が入らないように短く切りそろえた爪まで立てる。
一度倒れたまま乱した薄紫の髪が顔から目にかかる。それでも彼の視線は真っ直ぐアレスへ刺し貫いたままだった。
今まで殆ど表情を変えてこなかった彼が苦しげに力を込めたことで、目元に溜まっていた涙が押し出され顎まで伝う。きっとまだ記憶も頭の整理もついてない彼が、それでもまるで今やっと気がついたかのように床から上体だけを這い上げアレスへ向ける。
自分と違いまだオリウィエルの特殊能力下にも関わらず、連帯感も、なにもない相手である筈の自分を彼女よりも先に優先して心配した彼に向け、一番の疑問を喉の奥から絞り出した。
「……なんで僕、はっ…………君がいて平然としていられたんだ……?」
その言葉に、アレスは表情までも凍らせた。オリウィエルの特殊能力を凌駕する衝撃がそこにはあった。時間でいえば三分もない、束の間だ。それでも彼は
水晶のように大きく開かれた黄の右目を、確かに滲ませていた。
活動報告より質問コーナー回答更新致しました。
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本日2話更新分、次の更新は木曜日になります。
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