Ⅲ163.侵攻侍女は段階を踏み、
「どうやらオリウィエルの言うとおり成功したようですね。狼の懐きようからも明らかです」
ええそうね、とステイルに言葉を返しながら私は顔が強張ってしまう。
視線の先ではオリウィエルの頬をべろりべろりと舐めながら狼が尻尾を振っている。敵意がないとわかったところで彼女も今は顎を反らしながらも狼をわしゃりと撫でているし、ぱっと見は微笑ましい光景に見える。
セドリックの予想通り彼女の特殊能力は動物にも適用されたのは明らかだ。
更にはと、視線を今度はラルクとアレスへそれぞれ向ける。
私達の仮説通りであれば、彼女の特殊能力は二人から三人に分配されたことで効力も何らかの変化も見せることになる。
狼に自分だけ足蹴にされたアレスは、今は彼女からも少し距離を置いたところでその様子を伺っていたままベッド脇に佇んでいる。オリウィエルには好意的だった狼もアレスにはなかなか雑な扱いだった。
それでも、ラルク曰くアレスに牙までは剥かないのは同じ彼女の支配下同士いくらかの連帯感がやっぱり働いているのかなと考える。実際、彼女に特殊能力を使われるまではグルルッと唸っていた子だもの。あとヴァルにも。
それでも彼女を按じてか少し眉間に皺は寄っているアレスも、そしてラルクもパッと見かけだけ言えば様子は大差変わらない。
ラルクも、最初に特殊能力が薄まった時と比べると今は泣き出す様子もなく動揺の姿もない。彼女に懐く狼を見て、少し驚いているようにも関心しているようにもみえる。一応主旨は伝えているのだから単純に彼女が急に狼に懐かれたとは思っていないだろう。
アレスの特殊能力も知っているし、彼女にそういう特殊能力が備わっていることだけでも理解してくれたのかもしれない。こういうところは、異国とはいえサーカス団にアレスという特殊能力者がいてくれて良かった。話が早い。
「念の為、聞いて宜しいか。アレス、ラルク。貴方方は今も変わらず彼女を愛しているか」
セドリック流石ダイレクト。
見かけだけではわかりにくい判断に、はっきりと言葉で聞いてくれるセドリックに心の中で感謝する。私も確認したかったけれど少し気恥ずかしかった。特殊能力にかかっている有無を覗いたらものすごく他人に聞きにくい内容だもの。
男らしく堂々と通る声で尋ねるセドリックに、アレスとラルクも同時に振りかえる。そして彼らの返答はアレスも、そしてラルクも肯定だった。全く躊躇いなく「ああ」「当然だ」と頷きと共に答える彼らは、まだ少なからず特殊能力にはかかったままだ。
その反応を見た途端、かけている本人のオリウィエルも狼を撫でながら少しだけ落胆に表情を曇らせていた。
セドリックも彼らの返答に「そうか」と少し肩を落とすと、そこでステイルへ尋ねるように視線を向ける。
「どう致しましょう。今のところ彼女の配下数が増えただけのようですが、このまま次に移行しますか。それとも、その前に……」
「ああ、程度も確認しておきたい。自身の特殊能力の詳細を知ることは今後の身の振り方にも繋がるからな」
尋ねるセドリックが続きを言うまでもなく、ステイルが引き継ぐ。
このまま猛獣もう一匹を早速追加したいところではあるけれど、やっぱりどの程度特殊能力が薄れたかも確認しておきたい。少なくともステイルの言い方からも、彼女の特殊能力が支配下の数が増えたことで更に薄れたと思っているのは私と同じようだ。
セドリックとステイルの話し合いに、オリウィエルがわからないように目を開いてこちらに顔を向ける。変わらずべろりべろりと狼に頬を味見されながら現状を理解しようとしている。
「どういうこと……?」と口が動くのと同時にうっすらとその声が聞こえた。自分達が特殊能力にかかった自覚だけはないラルクとアレスもこちらに注意を向ける。
今度はレオンが軽く挨拶くらいの挙手で、滑らかな笑みを仮面の下から彼女達に浮かべてみせた。
「つまりはオリウィエル。君の特殊能力が今どれくらいの忠誠力があるかの確認かな。僕らの仮説では人数に比例して君の特殊能力は安全性が増すから」
流石レオン、見事に言葉を選んでくれた。
今のところ、彼女の一人だけに特殊能力を掛けている状態と二人になった時の変化はいくらか事例がある。そして今度は三人、彼女にどれくらいの支配力が薄れたかを確認する必要がある。
ラルク一人の時はもう手段を選ばない状態で、二人になった時は少なくともアレスは手段を選んでいたしラルクも自分の主義は貫こうとしていた。
そして動物が含まれているとはいえ、三人を支配下に収めた状態ではどれだけの命令力があるか確認したい。これから彼女が健全に生活していく為であれば薄まれば薄まるほど良い。最悪の場合特殊能力を解く手段が見つからなくても、人数を増やせば増やすほど果てしなく薄まっていくようであれば「恋愛感情ではなくなんとなく好感を抱くだけの他人」程度まで数を増やせばそれでも無力化に近い状態はできる。
なるべく強制力がなくなってくれるだけでも、彼女本人への警戒性もなくなってこちらとしてもまた動きやすい。
仮面で顔が隠れているお陰でレオンに怯える様子もないオリウィエルもなんとなくは理解してくれたらしくゆっくりとした頷きの動きで返してくれた。
ラルクとアレスも、自分達ではなく彼女の特殊能力が掛けられたのだろうと理解できる相手である狼へと同時に注視する。つまりは今彼女に懐いている狼に、……いやラルクかアレスでも良いのだけれど。彼らがどれだけ彼女へ刃向かえるかの確認ができれば良い。一番手っ取り早い方法はあるのだけれど、流石にそれは
「「狼に襲わせてみるか」」
…………なんか、すごく恐ろしい言葉が重なったような。
聞き間違いだと思いたい。と願いながらも声のする方向を交互に見れば、やっぱりラルクとアレスだ。
これにはオリウィエル本人からも「えっ?!」と悲鳴に近い声が上がった。直後にパシンと確認の間もなく鞭をラルクが鳴らすから騎士であるカラム隊長とエリック副隊長、マートも身構える。
アーサーが「下がって下さい」と言うように私の前に立って腕をかざして促す中、私も血が引いていく。普通に、相手が誰であろうと言ってはいけない危ない発言に流石にドン引く。いま、意味わかって言ったわよね??
ステイルとセドリックも目を見張る中、ラルクに鞭で命令を受けた狼は、……オリウィエルから離れた。
どうやら襲うではなく今のは「来い」の命令だったらしい。彼女の傍から尻尾を向け、主人であるラルクの方へ早足で駆け寄った。ラルクも敢えて彼女から距離を取るようにゆるやかな足でテントの入口方向へと歩き出した。
てっきりラルクが有無も言わさず彼女を襲わせようとしたのかと警戒した騎士達も止めに入る構えから、少しだけ息を抜くのが見えてとれた。どれでも狼に命令したまま横を歩かせるラルクに警戒は緩めない。
全員の注目を浴びている中、ラルクは一度鞭を確かめる動作か両手でピンと張るように引っ張った。
「猛獣達は主人である僕を襲うことは決してない。だが、主人の僕以外であればどれだけ懐いた相手でも命令すれば襲うだろう。……特殊能力なら僕が命令したところでどうにもならない筈だ」
「えっ!えっ……待ってラルク!私っ、私にもしその力がもう無かったらそのまま……」
「大丈夫だ。寸前に命令して僕が止める。信用してくれ」
「ラルクなら大丈夫だろ。カラムの時もライオンすぐ止めてたぐらいだ。止まらなかったら俺が狼ぶっ飛ばしてでも止めてやる」
えっ!!!と、顔を真っ青にするオリウィエルに構わずラスクとアレスがどんどん恐ろしい実験教室へと話を進めていく。
つまりは離れた距離から狼に命令して彼女を襲うか試すという恐ろしい実験だ。いや!確かに私も一瞬考えたけれど!!!
あまりにも酷過ぎる。一歩間違えたら彼女が大怪我じゃ済まない。
言い方は格好良く聞こえなくもないけれど、結局は狼に彼女をけしかけようという方向に流石に焦る。私達の横も抜け、狼と一緒に入口付近まで下がったラルクにとうとうカラム隊長とエリック副隊長もまた彼女を守れる位置まで駆け寄った。
アレスが「いや大丈夫だろ」と言うけれど、そういう問題じゃない。セフェクとケメトも見ている中、猛獣ショーの延長戦では済まされない。なにより
「いえ、そこまでで結構です。……充分わかりましたので」
ですよね?と、疲れた声のステイルが続いて視線で私に確認を取る。
うん、本当に充分だ。




