Ⅲ158.侵攻侍女はついていけない。
「それでは。私はここで一度失礼致します。また何かありましたら、何なりとお呼び下さい」
流石ジルベール宰相……!!
ありがとうございますとお礼を伝えながら、そう心の中で叫ぶのは今日だけで何十回目だろう。それくらいに見事オリウィエルを短時間攻略したジルベール宰相に畏怖しかない。いやもう本当にすごかった。
あれだけパニックとしどろもどろを通していたオリウィエルがあっという間に口を開いたと思えば、そこからは衝撃的事実の嵐だった。
まさか宰相業務の合間にここまでとは思わなかった。ジルベール宰相なら何かしら引き出してくれるくらいは期待したけれど、予想の倍以上の収穫だ。しかも、こうやってジルベール宰相が去って行くにもオリウィエルは戸惑いこそしているけれど、そこで引き留めるまではしない。事情を話してくれた彼女に、私達が協力体制であることをジルベール宰相がわからせてくれたお陰だ。
本当に本当に助かりましたと、私から重ねて言い切れない感謝を繰り返せば、ジルベール宰相は手でやんわりと止めた。
「皆様のお力になれて何よりです。彼女の特殊能力について一応私からも調べましょう。参考になるような事例ならば書籍にもあったと記憶しております」
もう本当に至れり尽くせり過ぎる。
ステイルが提案してくれた人選は間違いなかった。優しい笑みを浮かべてくれるジルベール宰相が今は光って見える。……オリウィエルを攻略している時は逆に黒い渦が見えたけれども。
「行くぞ」と瞬間移動するべく人目のない場所へジルベール宰相を連れて行くステイルに一時離脱を任せ、私達は一呼吸を置いた。
テントの外に出た途端にアレスが「オリエは?!」とジルベール宰相に駆け寄ったけれど、すぐにアラン隊長が留めてくれた。お疲れ様です、と礼をしてジルベール宰相をテントの向こうへと見送る。
この短時間にジルベール宰相が得てくれた情報はきっと私達だけでは一ヶ月使っても聞き出すのは難しかっただろう。
それくらい、彼女にはゲームの設定でも明かされなかった事情が有りすぎた。
「オリエ!!無事か?!」
ジルベール宰相が去り、アラン隊長から確認を受けて私が頷きで許可したところでアレスはテントの中に飛び込んだ。
アレスが駆け寄ってきたことに、今はオリウィエルも大きな声にビクッと震えるだけで泣きすがる様子もなかった。こくこくと頷きながら、今はマートがタンスの中から発掘してくれた服に身を包んでいる。
ジルベール宰相が彼女からの訴えを聞いてる間にマートがそっと差し出せば、今度はすぐにがぼりとワンピースを上から首を潜らせて着てくれた。貸されていた上着も今はエリック副隊長本人の元で片腕に抱えられている。
もともとどうしてあんな裸同然の下着姿だったのかジルベール宰相が尋ねれば、服が着慣れていなくて普段はずっと下着同然の格好に毛布を被り続けていたらしい。
最初は露出狂かまさかラルクとの関係をと心配したけれど、納得はできる理由で少しほっとした。……服というものを〝着慣れない〟という言葉に、余計彼女が今までどういう環境にいたのかを思わされたけれど。
前世のゲームではあくまでラスボスとしてサーカスの支配者に君臨していた彼女に、そんな過去は語られなかった。まぁ、所詮憎まれ役のラスボスには必要のない情報なのだろうけれども。
今までこうして現実でも謎に包まれていた彼女が、まさかのこんな弱々しい姿を見せてくるなんて思いもしなかった。少なくとも乙女ゲームであるキミヒカでは猛獣使いを従わせた独占欲の塊のような支配者だった。人を見下す上から目線だった彼女が、一体どうしてこんな状態なのか私もわからない。…………性格の、悪さはちょこっと既に片鱗があるけれども。
今こうやって目にできた現実の彼女は、全身に夥しい数の傷の跡が残っている。唯一顔に傷がないのは〝商品〟としての価値が下がるからだろう。ゲームではラルクと同じ厚塗り化粧かつ、ドレスの姿しかなかったから化粧を落とした彼女の顔なんて考えもしなかった。
「さっきの男と何話してた?!ラルクはまだ起きねぇのか?!」
「あ、あの人は……違うの。ラルクは…………ずっと、寝てる」
矢継ぎ早に心配するアレスが、この場で唯一彼女に触れる。
もう彼女が特殊能力の解き方もわからないことと、もともとアレスを狙った犯行ではないことは本人から説明された。……そして正確には、ラルクも。
まるで今思い出したようにベッド上で手をついてラルクへそっと四つ這いに近づく彼女が、そのまま彼の薄紫色の髪を撫でた。アラン隊長により意識を奪われている彼はまだ気を失ったままだ。
ラルクは、彼女がサーカス団に身を置くことになってから一番近い存在だったらしい。もともと、サーカス団に入ってもなかなか周囲と打ち解けなかった彼女の世話役を団長に彼が任されたのがきっかけだった。
そして、閉じこもっていた彼女が少しずつラルクに慣れ、ある日特殊能力に覚醒した。
それまでは特殊能力者だなんて自覚もなかった彼女が、ラルクに触れた時に例えようもなく〝使った〟感覚だけはわかったと。
ただ、その時はラルクへ具体的に自分が何をしたかもすぐには理解しなかった。もともと彼女の世話役として身の回りを気遣っていた彼だ。
『でも、急にすごい……なんでも、くれるようになって……私が言うこと全部その通りにしようとしだして……』
今までは彼女が弱音を吐いても駄々をこねても根気強く説得を試みていた彼が、その日を境に「わかった」と無理強いをしなくなったらしい。
〝無理強い〟というと言葉が悪いけれど、つまりは彼女に逆らわなくなったということだ。彼女が外に出たくない誰にも会いたくないと言っても「僕に任せろ」と肯定され、それどころか欲しいものは無いかまで聞いてくるようになった。しまいには、自分が何を言わなくても食事を運んで贈り物や花を摘んできてくれて、言ってしまえば彼の尽くし行為が始まった。
彼女曰く、彼女自身は大それたことを望んでいなかった。人に会うのも見られるのも怖いからずっと部屋にいたい。働くなんて無理だ絶対したくない。でもここから追い出されたくない。
そう、日に日に何もしない時間に追われる中で溢し続けていたら、ラルクが「わかった」と急に言い出したと。
『君は何もしなくて良い。ただそこに存在してくれれば良い。僕が全てなんとかする』
……まるでどこかの乙女ゲームにありそうな台詞に聞こえなくもないけれど、彼女の状況と冷静な頭で聞くとちょっと怖い。
そしてただただ時間が過ぎるのを待ち続けていた彼女に、ラルクは急に「団長を追い出した」「これでサーカス団は君の物になる」「君は何もしなくても良い」と言い出し、部屋まで個人テントから豪奢な団長テントに移された。
オリウィエルにとっては豪華なテントになったことは嬉しかったけれど、団長なんて大それた立場もわからないし何より団長を追い出したという発言は本人もかなり戸惑ったらしい。
オリウィエルも団長に恨みがあるわけではなく、むしろ自分を拾ってくれた恩人だと。……ゲームの団長惨殺場面を知っている身としては、この彼女の言い分はちょっと懐疑的だけど。
彼女が「そんなこと望んでいない」「どうして団長さんを追い出すなんて」と狼狽した中でも、ラルクは一貫して意志を曲げなかった。
団長よりも君が大事だ、君を守る為だ、あの男は僕らの敵だと言い張って怒りを露わにしたらしい。
つまり、彼女の主張が全て事実であれば、ラルクは特殊能力を受けている上で全て彼女の言うとおりに使役されていた形とは違うということになる。
初恋を奪う特殊能力。ゲームでは魅了の特殊能力とも呼ばれていた。つまり、彼は特殊能力下であくまで己の意志で動いていたということにもなる。
彼女の為にサーカス団を譲り渡すように団長に直訴し、断られたら追い出し力尽くで手に入れ、彼女が拒んでもそれが〝彼女の為〟だと思い込む以上はどこまでも突き進む。
ぞっ、とそう理解した時には寒気が収まらず腕をさすり続けた。特殊能力による愛が酷く歪んで重い。こういうヤンデレは別のキャラ担当だった筈なのに。
「結局、ラルクの調子が変わった原因はわかんなかったですね」
本人から聞いてみるしかないでしょうか、と。アーサーがそっと声を潜ませて私の肩に手を置いてくれる。
「寒いですか」と尋ねてくれて、つい思い出して腕を摩ったまま心配させてしまったと手を下ろす。大丈夫と笑みで返しながら、そのまま視線をアーサーから横たわるラルクへと移した。
彼女の言い分を聞いても、ラルクの異変はまだ掴めていない。むしろ彼女にとっても突然のことだったらしい。
ステイルの口車に乗せられて賭けに乗ったラルクだけど、それを聞かされた彼女は「なんでそんな約束したの!?」「絶対嫌!今すぐ撤回して!」と当然激怒した。
ラルクからは相手が許せないことを言った、侮辱されたと言われたけれど、オリウィエルの知ったことじゃない。そして泣いて拒絶を露わにする彼女に、ラルクは約束したらしい。
「大丈夫絶対に君を守る」「君には会わせない」「その為ならなんでもする」と強い眼差しで約束した。多分、これが私達への妨害工作に繋がったのだろう。
そう考えるともともとはラルクもステイルとも正々堂々賭けをするつもりがあったのかしらとも思えた。彼からすれば、私達が昨日の今日のサーカスで大成功する可能性なんて望み薄もいいところだもの。
「彼女にとっても、幸いな変化ではなかったみたいだもの……」
言葉を返しながら、私も首を軽く傾ける。可能性として見当もついている部分もあるけども。
アレスとオリウィエルの様子を観察していたセドリックもこちらに振りかえって歩み寄ってくれた。ラルクを見つめるオリウィエルと、彼女の肩を抱き寄せたアレスで三人の世界に入りかけているから、ちょっと見辛くなったのもあるかもしれない。
本当に、これもあくまでアレス本人の意志だと思うといたたまれない。主人公にも彼がああいうことしてあげていたのを私はよぉぉく知っている。早く手立てを掴まないと。
ラルクは急に泣き出したのも彼女は知っていたけれど、それだけではなかった。
今日こうして私達を連れてテントに戻ってきた彼が「今から彼らに会って欲しい」と言い出したことも彼女にとってはありえない展開だったらしい。それまでも勝手な行動で暴走気味だったラルクだけど、基本的には全て彼女の為だ。
けれど、今回私達に会わせるというのはどういういきさつであろうともラルクの都合。その上、彼の言い分までもそれまでと少し変わっていたことが、余計に彼女を取り乱させた。
『君だっていつまでもこんなところで閉じこもり続けているわけにはいかない』
……彼女にとっては、今までの自分を全肯定してくれたラルクに裏切られたように思えたと。
特殊能力で彼が味方だということは自覚していた彼女だけど、今までは「それで良い」と言ってくれていたのを手のひら返されたのだから無理もない。いくら正論だろうとも、彼女にとっては酷い裏切りだった。しかもそれを言うきっかけがラルクが勝手にやった賭けに負けた所為だ。
ラルクの言い分は一応「一緒に一歩踏み出そう」という方向での言葉だったらしいけれど、当然のように癇癪を起こした彼女は大暴れしそこをアラン隊長が止めに入った。
「なんとも、……アレスは、酷い事故に見舞われたものだな……」
歩み寄ってきてくれたセドリックの潜めた声の第一声に、私も顔が引き攣りながら肯定を返した。本当にその通りだ。
同情を込めたセドリックの声は、今も心からオリウィエルとラルクのことを心配している彼に向けられている。今回の話を聞いている間、奴隷だった可能性の高いオリウィエルや、長期間操られているラルクにも心を傾けたセドリックだけど、今一番同情している相手はアレスだろう。
私達に協力したことでオリウィエルの特殊能力をかけられてしまったアレスだけれど、彼もまた彼女が意図してかけたものじゃなかったらしい。
既に自分の特殊能力を自覚した彼女だけれど、私の〝予知〟ほども彼女はその能力をわかっていなかった。知っているのは触れた相手が自分に好意をもって尽くしてくれることだけ。それが恋愛感情なのか、隷属なのか従属なのか、それとも好感度が上がっているだけなのかも彼女はわからないままだった。
でも聞いてみれば当然だ。それからはずっとラルクと自分だけの世界で生きていたのだから、試せる筈がない。
ジルベール宰相からの誘導尋問で、試したいと思ったことはないのかという問いに否定はしなかった彼女だけれど、やっぱり人に会う恐怖心の方が強かったらしい。
何より、自分がサーカス団員を一人操ってしまっている上に解決方法もわからない状態では、知られたらここを追い出されるかもしれないと誰にも打ち明けることもできなかった。
アレスに触れてしまったのも意図はせず、そして特殊能力をかけてしまったのも自分の意志ではない。そこに関してはジルベール宰相の鎌かけにも引っかからなかった彼女は、アレスが演目中に大暴れしたことすら指示していなかった。
「せめて彼だけでも、……いやラルクもやはり早々に解放する手立てを見つけたい。心底惚れた相手が偽りの感情によるものなど悪夢でしかない」
男らしい整った顔を苦々しく歪めるセドリックは、行き場のない拳を強く握った。彼からの言葉だと、説得力が違う。
オリウィエルが、ただの被害者とは思わない。ゲームの設定通りであれば団長を殺させたことを皮切りに、ラルクとそしてアレスを脅迫してサーカス団を掌握した彼女だ。
現実でだって、もしあのまま団長が殺されていたら似たような結論になっていた可能性は否定できない。今の彼女はゲームほどの悪人ではないかもしれないけれど、きっと完全な善人でもない。
それこそ、自分の特殊能力がラルクに団長を殺させるほどの支配力を持っていると知ったらそこで彼女の中で世界はまた変わった。人を避けるのではなく、人を支配する側に悦を感じてしまえばおしまいだ。…………ただ。
第四作目の展開を変える最大の核を前に、私はひたすらゲームの彼女を思い返す。
『解放??もうラルクの身も心も私だけのものなのに?』
ゲームでは特殊能力を解ける設定でありながら、主人公達に敗れようとも頑なに、……文字通り死んでもラルクを解放しようとせず、ルートによってはラルクを「彼女の後を追わないと」と後追い自殺に引き摺り込んだ悪女を。精神的に解放されたアレスルートが比較的ラルクの救済に思えなくもないほど。……いやアレも全く後味良くなかったけれど。
その女性が、何故こんな。
特殊能力を文字通り死ぬまで敢えて解かなかった独占欲と愉快犯の彼女が、特殊能力の解き方がわからないどころか、解き方がわかるなら解きたいと意思まで示している。
ジルベール宰相の手腕をいれてもあまりに別人だ。
せっかくここまで慎重を極め辿り着いた結果が、パニック大号泣。
ラスボスプライド相手に「ステイルを隷属から解放して」くらいの難易度が、むしろ「解き方教えて」なんていまだに頭がついていかない。癇癪持ちとはいえこれだけ加害意思もなく聞く耳がある子だったなら、最初からジルベール宰相召喚で済んだ。
彼女と比べるとグレシルはまだ面影もある。まさか、オリウィエルも前世のと疑いたくもなったけれど、あれだけパニックでもそれらしい発言は一度もなかった。
再び彼女を見つめる。今もラルクを捨て駒にするどころか、気を失うラルクに自分から膝を枕代わりに貸して髪を撫で出した。
それが彼女にとっても愛情か依存か計算かも私達には計れない。くすんくすんと鼻を鳴らしまた涙をうるうると溢し始めた彼女を、このままにしてはいけないことだけは間違い無い。
ジルベール宰相を無事送り届けてきたステイルが戻ってくるまで、全員が彼女を警戒をし続けた。
私やグレシルがそうだったように、彼女にもゲームとは違う何かが起きていると考えながら、その気味の悪い輪郭だけが掴めない。
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