Ⅲ147.観覧者は推測する。
「今のところ順調そうで良かったよ」
パチパチと拍手を鳴らしながら、レオンは滑らかに笑んだ。
目の前の舞台では第一部と変わらず鮮やかな演目が繰り広げられている。ステイルに続きアーサーとアランと何事もなく演目が進んだ今、残り一手となるプライドとカラムの演目を優雅に待ち続けるばかりとなった。
二度目も変わらず楽しむレオンと異なり、投げかけられたヴァルは隣の席で大きく欠伸をして返した。第一部では初めて見るものもあったからそれなりに見れたが、殆ど同じ演目を同日に二回では半分飽きた。
唯一笑えたのはステイルの馬鹿のように派手な演出と棺桶くらいである。
よくあんな演出を恥ずかしげもなくステイルができたと思ったヴァルだが、すぐ傍にでうるさく立つ団長の歓声まじりの喚き声を聞けば理由はわかった。
それでも、いつも澄ませているステイルが全部叶えている様子は充分笑えた。いっそそのまままた脱出時に焦げてるか濡れていればと期待をしたが、流石にそこまではならなかった。
そしてその後の空中ブランコについては、それこそ大した代わり映えはない分もう衣装で笑いも起きなかった。またあの間抜けなかぶり物でもすれば笑えたがと思いつつ、ここまで来たなら成功しろという思いと失敗したら見る分は面白いという悪意がうっすら混ざった。
元々、騎士二人でならばいくらかの曲芸は可能であることはわかっている。
他の演目時も、舞台に目を向ける気になれたのは猛獣が出た時くらいだった。また暴れ出すかと見ていたが、それもやはりなく殆どの演目では眠気に襲われた。
最前席であるにも関わらず大口で欠伸を溢すヴァルに、レオンはふぅと息を吐く。殆ど同じものを見せられることに飽きを覚えることは理解するが、サーカスの演目はどれも何度見ても楽しめるものが多かったと思う。それを一回で飽きるのは、単純に興味の有無なのだろうと目を輝かせるセフェクとケメトへ目を向けながら考える。
「二人はあんなに楽しんでいるじゃないか」
「ガキ共と一緒にすんじゃねぇ。子ども騙しに何度も俺がはしゃげると思うか?」
「少なくとも飲食なく大人しく観覧という意味では、彼らの方が今は大人だと思うけれど。君、本当によくそれだけ買い込んだよね」
第一部と同じく声を上げ「あっ!これ好きなやつ!」「来ました!また象さんが!!」と毎回毎回声を上げはしゃぐセフェクとケメトと違い、ステイルの時以外は無言で観覧したヴァルだが、当然観覧態度はヴァルの方が悪い。
第一部では菓子を食べながらも観覧したセフェクとケメトも、今回はその前にレストランで満腹まで食べた為菓子も持たず演目に集中していた。それに対し、ヴァルは第一部の倍量以上の酒を持ち込んでいた。
第二部が第一部と殆ど同じという時点で、二部では飽きると自分が一番わかっていた。せめて時間を潰すのに酒がなければやってられない。
特別席でレオンの隣に腰掛けるヴァルだが、足下に並べるかのように置いた酒瓶はレオンの足下まで侵略するほどに広がっていた。
更には飲み終えた酒瓶は立てることなくわかりやすく転がしている為、ヴァルの席だけがぽつんと治安が悪い。足下に物を置かれることも酒の量も気にしないレオンだが、うっかりヴァルの酒瓶を自分の足が蹴り倒してしまわないかだけがずっと気になった。
レオンからの指摘に、チッと舌打ちで返すヴァルはまた飲み終えた酒瓶を足下へ転がす。入れ替えるようにまた新たな酒瓶を手に取り、握った片手で栓を抜く。
「こういう時くらい酒の飲む速さは調節すれば良いのに。終幕までに飲み切っちゃうんじゃないかい?」
「アァ?ジャンヌはこの次だろ」
それまで保てば良い、と。暗に告げるヴァルはグビリと喉を鳴らして酒を煽った。
プライドに面倒ごとが起きた時の為に今はまた酒で暇を潰しているが、彼女の演目さえ終わればもう興味はなくなる。ラルクとの賭けがサーカスの成功ではなくプライド達の演目である以上、残りがどうなろうと興味はない。
この場で殺し合いでも起きない限りは、彼女の演目後は仮眠でもすれば良い。そう考えるヴァルにとっては、酒のペースも充分調節できていた。
ヴァルの意図を理解したレオンも、そこでゆっくりと頷いた。
同時に、大して興味を持って見ていないように思えた彼がきちんとプライドの演目の順番は把握しているのには少し関心する。しかも、今回はプライドの演目はトランポリン時の順番ではなくカラムのダンスの時の演目に時間を延ばす形で配分されている。つまりはプライドとは関係がなかったカラムのダンス前に何の演目があったかを覚えているくらいには、彼も第一部の演目は興味深く見ていたのだろうと思考する。そうでなければ自分が言う前に、プライド達の演目が次だとわかるわけがない。
遅れて「まぁそうだけど」とのみ言葉を返したレオンは、それ以上の指摘を止めた。
グビリグビリと酒を楽しみながらも観覧も彼なりの楽しみ方なのだろうと思うことにし、……ようとしたところで考えを改めた。
ヴァルではなく、今も目を輝かせ大はしゃぎするケメトとセフェクを確認すればどちらかというと彼らの反応の方を記憶に止めている可能性が高いと思う。
第一部と同じようにサーカスを楽しむ彼らの様子の方が、舞台よりもヴァルには興味が向くのだと考える方が自然だった。実際、ケメトもセフェクもことあるごとに「ヴァル!!ナイフ投げ始まりましたよ!!」や「ねぇヴァル!あのトランポリンどっかで買えないの?!」と呼びかけることも多い。
そこまで考えてから、レオンはもう一人気になる人物へ、首だけで振りかえる。幕が上がってから途中まではセフェクとケメトのように燥いでいたが、途中からはヴァルと同じほど寡黙になってしまった男性だ。
「まだ気になりますか、クリストファー団長」
第一部と同様、避難の名目もあり騎士のエリック達に預けられた団長は通路の段差に直接腰を下ろしていた。
騎士に席を譲られたにも関わらず断った彼は、最初こそ本調子に声を上げ拍手を鳴らし、時には二度目の同じ演目の解説や団員の自慢を繰り返していたが、突如黙してしまえばずっとそのままだった。
わかりやすい団長の変化にはすぐに全員が気付いたが、それでも大人しくしている分は置いていた。もともと大人しくしてくれと何度も言っても聞かなかった団長である。むしろその後の空中ブランコでまた同じような余計な無茶振りを叫ばないでくれるなら、それまでは置いておくべきとも考えた。アランもアーサーもやりやすい。
何より、黙した理由は舞台を見ていれば明白だった。
演目も後半になり変わらず黙したままの団長にレオンも潜めた声で尋ねる。
途中までは元気だった彼が、今は神妙な面持ちで舞台に目を向けている。しかし、その目が舞台の演目ではなく思考の方に集中されているとレオンはひと目でわかった。
レオンに名を呼ばれ、流石に団長も気がついた。膝の上で指を結んだまま、俯き気味だった首ごと背中も伸ばす。滑らかな笑みを向けられ、団長も「そうだな」と遅れて言葉を返した。舞台を見れば、思った以上に演目が進んでしまっていたことに今気付く。
「彼の様子、明らかに一部の舞台とは違いましたね。観客には変わらず好評でしたが、……今までも演目でバラつきが?」
「いや……あんなのは私も初めて見る。…………だがやはり思い当たらない」
やっぱり、と。予想通りの返答にレオンは呟きを声にはださず頭で溢す。
自分の予想通りの理由で団長が黙したことと、そして自分が思った通り演目中の彼の異変は珍しいものだったのだと理解する。
プライドやステイルなど付き合いがいくらかある相手であれば異変にもいくらか確証を持てるが、演者である彼のことはレオンも確証まではできない。知り合いと呼べるほどの仲でもない相手である。
しかし、他でもないサーカス団の団長が言うのならば間違いないと頭の中で下打ちを確信する。
大雑把に見えた団長だが、団員の変化に気付く程度の繊細さはあるのだなレオン少し見直した。
無関心とまでは思わずとも愛情はあるのだと思うが、一方的な印象も強ければ悪意に鈍い印象もあった。少なくとも未だ命を狙われているという危機感はないままなのは間違い無い。
そして団長にも彼の異変が思い当たらないとなると、あとは舞台の裏側で何かがあったのだと考えるのが妥当である。その後の空中ブランコを演じたアーサーやアランに何もないのなら、単なる内輪揉めや個人的な理由も考えられるが、念には念をとレオンは団長へ首を向けた状態から今度は向きを変える。「ダリオ」と、もう一人の優秀な人物へと呼びかけた。
「どう思う?さっきの演目。第一部とは違った演目、いただろう?」
「フィリップ殿とディルギアとミケランジェロとエミリコとエイブラハムとアーチボルトとラルクとアレスとアラン殿とアーサー殿と……」
「……。……ごめん。フィリップ殿は抜いた中で一番違った演者で」
うーん、と細い眉を垂らすレオンもすぐには返せなかった。
ちゃんとセドリックが観察して気づいているか試すつもりでの軽い確認だったが、まさか複数人挙げられるとは思わなかった。他はともかく、確かにステイルも第一部とは違ったと無言で認める。
少ししっかり瞼を閉じながら、まだ発言途中のセドリックをそこで止めた。途中からは今の演目までの団員全員の名前が挙げられれば、きっと彼の異変に舞台裏では大混乱だったのだろうもが検討付ける。
アランとアーサーに至ってはまさか騎士の二人がそのくらいのことで動じるとは思わない。ならば、単純に第一部か第二部どちらかの段取りが抜けたか即興を入れたのかなと考える。
レオンの言い直しにピタリと口を一度閉じたセドリックは、そこでやっと正解一人だけを言い直した。
第一部での目にした全てを記憶しているセドリックにとっては、常連でないと気付かないような小さな違いでもはっきりと拾えてしまえた。レオンの目でも気にならなかった段取りや順番の違いも、セドリックには当然わかる違いだった。
それが複数重なれば、セドリックにとっては充分に〝違った〟演目だ。むしろレオンに言われるまでは敢えての工夫や即興かと思い、別の意味で気にしなかった。いくつかの間違いや変更など、それこそ無数に気付き見慣れたセドリックには本人の気分や体調次第という感覚が強い。
自分の目にも全く同じ流れ同じ段取り同じ結果同じ演目の方が数少ない。アランとアーサーに至っても、技の順番だけではなく空中ブランコを揺らした回数やそれぞれのブランコの角度や速度、飛び上がった空中回転中の高さまで全く同じなどあり得ない。
その為、レオンの示す演目についてもそこまで深刻視はしていなかった。
「演者とはいっても、体調やその日の気分で魅せ方を変えることなどよくあることかと。今回はジャンヌ達の導入や賭けのこともありますし……」
「いや彼はそんなことであそこまで動じるような演者ではないのだよ。……どこか表情にも余裕がないようにも感じた」
私にはわかる。と、自信を持って断言する団長に、レオンも丸飲みではないが参考にする。
彼がサーカス団のことになると大袈裟に言う癖はもう理解している分、自分も鵜呑みにはできない。顔を隠していた人間を相手に表情を語る時点で、やはり彼の思い込みも
「確かに。顔色は第一部の時と比べても血色が芳しくなかったように思えます」
遠目でしたので確信はありませんが。と断りながらもはっきりとした口調で告げるセドリックに、急に自分が置いて行かれた気分にレオンはなる。
最前列のお陰で観客の中では演者に近いが、テント外の日の入りや影もある。何より隠れた顔から晒された肌の色の違いなどどうしてわかるのかと考える。
しかし団長はセドリックからの言葉に何度も頷く。
そうだろうそうだろうやはりと。言葉を繰り返しながら、指を二度三度と組み替えた。自分の中で疑問だけだった中で、共感してくれた人物が現れれば否応なく焦燥が増す。とうとう腰を浮かせ「ちょっと裏の方に……」とまた舞台裏に戻ろうとする団長を、そこでアネモネの騎士がそれぞれ肩を押さえ止めた。
もう第一部でエリックが苦労した分、団長の落ち着かなさも把握した騎士達は静止も躊躇わない。
突然肩を押さえられ目を皿にし振り返る団長に、任せられているエリックも「駄目ですよ」とセドリックの護衛をマート達に一時預けてまた歩み寄る。
「ジャンヌさんとカラムさんの演目が始まるので、せめてそれが終わるまで待って下さい。貴方の御身の為でもあります」
落ち着かせるように柔らかい声で団長へ言い聞かせば、浮いた腰もそこでまた段差へ降ろされた。そうか、そうだな……と、ラルクの賭けがあと少しで完結することを今は考えることにする。
そうしている間にとうとう演目がまた一つ終わりを締め括った。割れるような拍手と共に、演者が挨拶されるのを団長も思い出したように手を鳴らし笑みを向けた。
さっきまでの演目が記憶にないのも口惜しい。
「始まりますね」と。レオンからの囁くような静かな声と殆ど同時に、テント内が暗転した。外も日が傾き出していたことで、テントの中も暗闇に近くなっていく。
演奏家の生演奏が始まり、特別席の全員が舞台へ注目した。




