Ⅲ128.貿易王子は観察する。
「わっ!なにあの大きさ?!なんだっけあの鼻長いのっ……」
「象ですよ象!!本で一緒に読みましたよ!」
燥ぐセフェクとケメトが目を輝かせて舞台へと指す。
当たり前だけれどこうやってみると本当に二人とも普通の子どもだなと思う。他の観客の子どもとも大差ない。初めて目にする動物を見てこんなに興味深そうにする姿は純粋に可愛いと思う。やっぱり彼らも誘うように提案してみて良かった。
件のアレスだろう特殊能力者の演目が終わり、火拭き芸から愉快な道化の前座を短くはさみ、流れるように次なる目玉演目が始まった。猛獣使いによる猛獣芸だ。
猛獣使いの登場と同時に別の入り口から猛獣達が舞台に飛び出してきた。猛獣使いの鞭の音で、彼らの統率は完璧だった。
踵の高い靴とピシリと伸びた姿勢のお陰で、本来よりも高くそして威圧感のある存在に仕上げられている。
アネモネ王国にも港の船からサーカス団や時には物珍しい団ならば城に招いたこともある。
どのサーカス団でも規模が大きいものであれば、大型動物を使った芸は間違い無く注目演目だ。代表演目にしている団も多いだろう。
大がかりな奇術や軽業も勿論客の心を掴むけれど、貴重な動物を生きた状態で見ることができる上にそれを従え、芸まで目にすることができる猛獣芸は一度に複数の楽しみを得られる娯楽だ。
貿易国としてそれなりに他国にも名を馳せている我が国でも、あの巨大な生き物をこの目で見るのは初めてだった。文献や、象牙や皮や爪に骨と素材としては何度か目にしたり買い取ったことはあるけれど、こんなところで生きた状態を見れるのは嬉しい。
セフェクやケメトほどじゃないけれど、僕自身もまた高揚感が身体の中心から広がっていくのがよくわかった。こんなことなら僕もプライド達と一緒に忍び込むのも良かったかなと少し思ってしまう。オリウィエルの一件が終えたら一度くらい間近で動物を見せてもらえないかなと頭の別の部分で早くも画策してしまう。生きた状態での皮膚や身体の大きさもきちんとこの手で目で確かめてみたい。恐らく同族の中でも小型の類だろうけれど、それでも立派な大きさだ。
パシンパシンと、猛獣使いが鞭を撓らせるだけで何も言わずとも動物達は彼の意思通りに動く。象が長い鼻で道化を捕まえて持ち上げた時には、笑い声だけでなく歓声も上がった。さらには象だけじゃない、ライオンに狼に虎とどの生き物もやっぱり一般には出回らない生き物ばかりだ。象と一緒にこの場に出して大丈夫なのかと僕の方が心配になる猛獣の数々に、気づけば自衛用の銃の場所を手で摩り確かめた。
「あれ?象って確かライオンの餌じゃなかった?」
「!そうでした!!ヴァル!あれって食べられちゃったりしないんですか?!」
「あー?俺が知るかよ。レ……リオに聞け」
意外にすぐに気がついた。
草食獣と肉食獣の違いに早々に気付いた二人が騒ぎ出すのが少し面白くて、敢えて少し口を結んで笑ってしまう。ケメトに裾を引っ張られたヴァルも、面倒そうに答えるけれど少なくともステイル王子の演目を除いたら一番興味深そうにこの演目は見ている。彼も彼で初めて見る動物は興味の対象なのかもしれない。
こんなに動物に三人とも興味を持つなら、今度から貿易で取引した動物とかも見せてあげようかな。さすがに象みたいな大型動物は手に入らないだろうけれど、珍しい動物自体は年に二、三回は取引する。今まで食べ物やお酒にしか興味を見せなかったし、一緒に貿易に同行してくれた時は縁がなかったけれど、今度は動物とかも買い取ったら誘ってみよう。少なくともあの虎は一度貿易出で取り扱ったことがある。
ライオンの方は、かなり昔に城に招き入れたサーカス団が檻の中から見せてくれた一度だけだ。あのサーカス団は調教まではいかず、あくまで見世物にするのがせいぜいだったからそれを考えてもこうして檻から出して掌握しているのは猛獣使いの技術によるものが大きいだろう。
二人から「ねぇ!」「わかりますか?!」と投げかけられ、僕からきちんと調教されて餌を与えられている証拠だねと伝えるとセフェクよりもケメトの目が一層輝いたのがわかった。
手をいっぱいに伸ばして芸を見せる動物へ振りながら「お利口ですね!」と言う彼は、届いたら頭を撫でていただろう。セフェクの方は納得したように改めて舞台へ顔を向けたけれど、いつもよりも瞼は大きく開いた眼差しで注視していた。
肉食獣とその標的の草食獣が共存という光景自体が奇妙に映るのだろう。配達人の仕事の関係上、きっと彼女達もそういった野生動物同士の糧食関係は否が応でも目にしてきているのだから。……というか、彼ら自身がその頂点に立って野宿の度に食料調達している可能性もある。さっきもナイフの話をしていたし、わりと野性的に狩りとかもしていてもおかしくない。
「……狼ってなんかヴァルみたい」
「アァ?あんな動物と一緒にすんじゃねぇよ」
「ライオンはセ……ダリオ、さん?に似てますね!今のじゃなくていつもの時の!」
「?!わ……私に、ですか……??」
ああ言っちゃった。
セフェクに釣られるように例えるケメトの発言に、僕は笑ってしまいそうな口を内側から小さく噛んで抑える。大分前から僕も思っていたことだ。
ケメトに話しかけられたことへの驚きもあってか、セドリック王弟が顔だけでなく上半身ごと大きくこちらに振り返った。
基本的にまだ自分からセドリック王弟には話しかけ辛そうなケメトとセフェクだけど、少しずつ慣れてきたのかなと思う。単純に彼との接点が増えた成果か、それとも学校に通うようになって他者との関わりに慣れた成果か。どちらにせよ、僕以上に驚いた様子のセドリック王弟は炎のように赤い目をぱちくりさせながらケメトとそして舞台のライオンを何度も見比べた。
今、ケメトとセフェクの目には特殊能力で別人に写っているセドリック王弟だけれど、本来の金色の髪や眼力の強さはライオンを彷彿とさせると思う。……まぁ、今よりも防衛戦前の彼の方がもっと髪型は近かったかなと思うけれど。あの時は今よりも髪を派手に流し立てていたから本物の鬣のようだった。
本人はあまり自覚がないのか、自分の髪を手に取って見てはいたけれど最後にはライオンを見つめながら首を大きく捻っていた。
ちょうど舞台では鞭の音に応じて、猛獣三匹が一斉に吠えた。三重の猛獣の声は、最前列で聞くと気迫も威厳も段違いだ。不意打ちの大音量に、僕も遅れて両耳を手のひらで塞いだ。
ケメトの発言に気を取られていたセフェクも不意を打たれたのか、びくりと肩を大きく上下させて抱えていた人形で足りずケメトにも抱きついていた。同じ不意を突かれたケメトの方は、むしろ夢中で猛獣三匹を見ているからずっと余裕もありそうだ。
「ヴァル!僕あとであの三匹の人形全部買って良いですか?!」
「あー?んなもん三つあっても邪魔なだけだろ」
「三匹一緒が良いです!!!」
ケメトにしては珍しい大きな声が吠え声と競うように上がった。なんだかケメトらしい希望に微笑ましくなって頬が緩む。
ケメトもセフェクも今はプラデストの寮で自分の部屋がある分、私物らしい私物がこうやって少しずつ増えていくのだろう。今も「勝手にしろ」と呆れ混じりに言うヴァルを見ると、彼も彼でそれを止めるつもりもないようだ。
本当にゆっくりの変化だけれど、こういうのも二人には必要な成長なのだなと僕までなんだか干渉に浸ってしまう。
動物の芸一つ一つが成功する度に喝采が上がり、今度は地面に伏せた象の上に猛獣が一匹ずつ飛び乗っていく。動物同士互いが互いに命を預けるような光景だけど、あの全員が命を預けているのは猛獣使い一人だ。そして、同時に僕ら観客もその実彼に命を握られていると同義でもある。
プライド達からの情報から考えてもあの仮面をつけた猛獣使いが〝ラルク〟であることはほとんど間違いないだろう。まだ会ったこともなければあの衣装と仮面ではどちらにせよ判別は難しいけれど。
ステイル王子の交渉を受けたとすれば、彼が猛獣をプライド達の誰かにけしかけることも十分考えられる。もしくは命を狙っているという彼の匂いを猛獣達が嗅ぎつければ今この時にこちらで突進してくることも容易に想像ができ……
「いやあ!やはり何度見ても見事な腕前だラルク!!どうだ君達もそう思わないか??」
……まるで機会を読んだように後方から陽気な声がかけられる。
同時にまた揉み合うような音も聞こえたから振り返れば、やっぱり団長だった。ついさっきも騎士達に止められた彼は、また僕の肩に手を回そうとしたらしい。我が国の騎士のニコル達に同じように取り押さえられていた。
ヴァルも今のは聞こえた筈だけど完全に無視を決めたらしい。ケメト達と同じ方向に目を向けたまま、眉だけが眉間に寄った横顔に意思を持ってこちらを向かないんだなと理解する。これから火の輪くぐりをすると進行役が語る中、気になるけれど仕方なく僕だけ団長の相手をと諦める。
爛々と輝いた笑顔を僕に向ける団長は、両腕で押さえられながら誇らしげに胸を張っていた。ラルクに命を一度は、いやそれ以上の回数狙われたかもしれない団長は全くそれを感じさせない。せめて彼と猛獣が舞台にいる間は安全の為に大人しくして欲しいけれど。
そうですね、と僕から笑みを返しつつ潜めた声で一応換気する。
「ですが、あまり声を出すと気付かれますよ。動物は耳も鼻も良いから油断しない方が良い」
「ハッハッハッ!大丈夫!!たとえ私が体中に生肉を巻いていようとも舞台を放り出すような真似は決してしない!猛獣達も、そしてラルクもな」
そうかな。と。心の中で呟く。
彼の知るラルクならば確かにそうだろう。けれど、プライドから聞いた状態の彼を考えると何を犯してもおかしくない。正気や己自身を保っていない人間には常識も矜持も通用しない。特殊能力の恐ろしさは、……今はもう僕も嫌というほどよく思い知っている。
そう考えると彼をこのまま堂々と立たせているのは心配になって、騎士達に合図をして多少強引にだけど座らせる。「舞台の邪魔は本意ではないでしょう?」と笑みを保ちながらも、彼に静かに話すように促すべく先に続けて声を抑えた。
「随分と彼のことを評価されているのですね。聞きましたよ?……貴方の立場を追いやり、そして命を狙ったとも」
ぴくり、と。団長の眉が揺れた。
少し顔色が変わった彼は僕へ顔を真正面に向けて見つめてきたけれど、それだけだ。「ああ、そうだな君も」と僕も〝フィリップ〟達の関係者だと思い出したらしい彼は察しは悪くない。繋がりのままに僕が知っているのも当然だと説明せずとも納得してくれた彼は、一度肩を落とした。「まいったな」と独り言の音で帽子の下の頭を掻く。
彼の反応から想像しても、サーカス団員達にはまだ完全に周知させていないのだろう。どう誤魔化しているのか、それとも明言自体を避け続けているのか。ああやってその彼が舞台に立てているということから考えても、はっきりと団長は彼を言及せずに今に至ることは間違いない。
猛獣使いという演目がどれほど貴重で手放しがたいかは、このテント内全ての反応を見ればわかる。
王族である僕やセドリック王弟だって目を見張る演目だ。けれど、だからといって主犯は舞台で今も堂々と喝采を浴びて、団長が表でも裏でも必要最低限以外は隅に置いて隠されるなんておかしな話だと思う。本来ならその逆でも足りないくらいだ。
せめてこんな観客席なんて綱渡りの場所ではなく、誰にも知られず宿を取っていれば良いのに。少なくとも、酒場で出会う前までの彼はきちんとそうしていた。なのにサーカスを再開すると決めた途端、再び命を狙われても今度は遠くに離れずこうやって居座り続けるなんて本来なら彼の正気を疑うほどの域だ。騎士のアランやカラム、アーサー達が護衛についていなければもう既に彼は死んでいたかもしれない。プライドの予知でも、サーカスに戻ってきた彼はラルクに猛獣をけしかけられていたのだから。
「……良い子なのだよ。あれだけ動物達が懐くんだ、心の清い人間にしか動物は心を開かない。優しい人間にしか動物は従わない。あの子は、ラルクは誰よりも心優しい子だ。本気で私を殺しにかかるわけがない」
「本心ですか?」
少し厳しい言い方かなと思いながら、一言に集約して突きつける。
話してきた限り常に人に夢を見せる言葉や語りを好む彼だけれど、ここまで来てその言い分は少し夢を見すぎだと思えた。ラルクの本当の状況を知らない彼だから、余計に。
語っている間は迷い無くすらすらと川の流れのように紡がれたにも関わらず、僕の指摘を受けた途端笑んでいたその口は一瞬で強く結ばれた。綴じた後にも唇に力が込められているのがわかる。頭だけでもきちんと事実を受け入れているのだと、僕は静かに安堵する。舞台の上では道化じみた格好で演じた彼だけれど、頭まで道化なわけがない。
確かに、本来のラルクという猛獣使いは団長の彼が言うとおりの人間なのかもしれない。だけど、今は全くの別物だ。どういう理由であれ、団長をテントから秘密裏に追い出し、脅迫し、そして戻ってくれば命を狙い今も厚顔のまま舞台で脚光を浴びている。
「私は、……自分の目に絶対の自信を持っている。これでもね。統率者としても経営者としても欠陥まみれな私だが、人を見る目だけは昔から自慢なのだよ。ラルクも、…………もとのあの子にいつかは戻ってくれると信じている」
自嘲じみたようにも見える彼の伏せた笑みは、僕ではない舞台へと向けられていた。
さっきまでは見せなかった寂しそうな表情に、僕まで胸が締められた感覚を鈍くも覚えた。彼の言う言葉はどれも大げさで夢を見すぎていて、夢で目まで眩んだようにも聞こえる。
ラルクのことも現実的に考えるならば、いくら技術があろうと過去の経歴や思い入れがあろうとももう目を瞑られる域を超えている。どれほど愚かな夢見がちの経営者でも、そろそろ目を覚ますべきだ。ただ、……真相を知る僕は、口が裂けてもそんなことを彼に言いたくはない。
もう彼のその瞼の裏にある甘さと苦しさが手に取るようにわかってしまうから。
きっとラルクもまた、そうさせるだけの人間性を持つ青年なのだろう。いくら別人に変貌しようともそれでも憎みきれない憎めない、そんな〝本来のラルク〟は今もオリウィエルに捕らえられたままだ。
夢を見ているだけのように思える団長は、きっと今も瞼の裏でここに居ないラルクだけを見続けている。
「あの子は昔から口数の少ない子だったよ、子どもだった頃はなかなか人に心を開かず話しかける相手も動物にばかりで──」
「もうすぐですよ」
昔語りをしようとする団長の言葉は、呟き程度しか出さなかった僕の声で簡単に上塗れた。
ラルクの話もちょっと聞いていたい気持ちにもなったけれど、今はそれよりも話し続けるばかりの彼に今度こそ夢でも厳しい現実でもない言葉を返したくなった。
僕の言葉の意図を感覚的に察せたのか、軽く振り返れば大きく目を見開いた団長は口が話しかけの開いたまま固まって僕を見ていた。底には期待のような、どこか訝しむようにもみえる不透明な光が瞳に宿っていた。
彼は本当に勘が良い。それとも自分でも宣言するとおり、その目が常人よりもずっと多くを見通しているのかもしれない。まだ勝手にプライドの予知を言うわけにもいかない僕は、代わりに舞台を指さし慣れた笑みを浮かべて見せた。
「猛獣芸。……もうすぐ、終わりますよ?」
舞台には火の輪を三匹揃ってくぐり終えた猛獣達が、大喝采を受けていた。
優雅な手振りで礼をするラルクも、仮面の下で表情は見えない。最後に再び鞭を大きくならせば、猛獣達は自分から動物用入り口へと一直線に入っていった。
象一匹を先頭に、最後のライオンが途中で顔をこちらに向けたけれど鞭の音ですぐに何事もなかったように去った。
演目の終了に、観客から惜しみない拍手喝采を受けるラルクも各方面に頭を下げながら、一度は間違い無くライオンが見た方向と同じこちらに目を向けた。
こちらに猛獣を差し向けるでもなく、他の観客へと変わらず礼を優雅にこなした彼は進行役を間に挟み幕の向こうへと去って行った。
あの仮面の下は怒りを滲ませているか憎しみに歪んでいるか、…………そしてさらにその下は。
軽く首を向ければ、団長は身を隠すどころか陽気にラルクの背中へ手を小さく振っていた。
道化と陽気の仮面を被る団長にも早く、本当の彼へ再会させてあげたいと胸の奥で密かに思った。




