Ⅲ127.侵攻侍女は観察する。
「さあご覧下さい!我がケルメシアナサーカス一番の奇跡!冬の魔術師の登場です!!」
進行役のジョンさんの声を合図に、舞台裏に立つ私達を彼が横切った。
今はステイルも着替えてアーサーと並び傍についてくれている。身体を冷やしたせいで風邪を引かないように丈の長い上着を羽織っての帰還だった。なんだかんだ裏方の方々にも心配されたのだろう。
出番が近付いて舞台裏で衣装姿の彼が控え始めたのは、ステイルが着替えから戻ってきたその後だった。
今日まで知った彼の性格上、もっと早く裏で控えていると思ったからあんなにギリギリまで来ないのはちょっと意外だった。
アレスだ。
彼の呼び名に、早くも観客から歓声が返ってきた。予想はしていたけれど、ケルメシアナサーカスを知っていた常連にはもうお待ちかねと言える演目らしい。他の演目も人気が高そうなものはあったのに、やはり段違いだ。きゃあきゃあと女性や子どもの高い音も際立って聞こえてくるし、まさに大スターだと思う。
まるで役に入ったかのように口を閉ざしたまま幕の裏側で腕を組んでその先を見据えていたから余計にそう感じてしまう。
そして今、とうとう彼が腕を下ろし幕の向こうへと歩き出す。今まで彼と距離を置いていた団員達も気合を入れるように彼の背へと手のひらをぶつけた。
「よし行ってこい魔術師!」
「食う為金の為!手品のタネ振りはこっちにまかせとけ‼︎」
「頼んだぞ冬王子!今日こそ愛想の一つくらい振っ」
「王子はやめろ」
いつもとは別人みたいに静かだった彼がとうとう低い声を発した。
気合を入れてくれた団員にも返事どころか振り返りもしなかったのに、「王子」と呼ばれた途端に眉間の皺が狭まった。どうやらその呼び名は嫌ならしい。まぁ彼の性格を察すればわかる。こういうところはヴァルと気が合いそうだとこっそり思う。彼も絶対嫌がる類だもの。
フンと鼻息荒く睨むアレスの顔が、気品高い兜越しでもわかりやすく険しくなったのがわかった。途端に口が滑ったとばかりに王子呼びした団員のヘドガーさんも両手を振って訂正する。
決まりの褒め言葉なのだろう。悪い悪いと笑いながら謝るヘドガーさんに、アレスも「たくっ」と呟くだけで止まった。流石に身内相手にはケンカ早くもない。ここまで来るとやっといつものアレスが垣間見える。……まぁ王子も魔術師も呼びたくなる団員さん達の気持ちもわかる。
銀色の衣装。私達には見慣れた礼服にも見える装いとマントだ。白手袋に襟も立たせているからか、王子や魔術師だけでなく将軍っぽさもある。どちらにせよ格好良い。
サーカスらしさを際立たせる為にといってはなんだけど、長袖なのに胸がばっかり開いて胸板露出していたり衣装の生地がまるで星空のように銀色のラメで光り輝いている。マントだって長過ぎて床に数センチついている。鼻から上を隠す派手な仮面……というか気品高い兜に、はみ出た茶髪も今は染めたのかカツラなのか白髪の徹底ぶりだ。私や他の団員と比べても正体の隠し方は徹底された印象だった。
当然だろう。彼は正体を知られるわけにはいかない、特殊能力者なのだから。
「さぁ御登場願いましょう!!」
バサァッと裏方役の団員により大きく幕が開かれる。
きっと今までも何度も何度も合わせた成果なのだろう、アレスも呼吸を合わせて舞台へと進み出た。
袖に逸れ隠れた私達も引き続き客に見えないように身を潜める。気付けば思わず喉が鳴ったのも私だけじゃなかった。ステイル、アーサーのどちらかからも音が聞こえた。アラン隊長も「おー」と興味深そうに声を漏らしていた。
予行練習をした他の団員とは違う、彼の演目だけは私達も観客同様初めて目にするのだから。
拍手に包まれたアレスは、当然のように何も話さない。進み出た先舞台中央で佇めば、彼が口を動かす代わりにジョンさんが進行役として語り出す。……伝説の虹の麓で出会ったとか、千年前にこの世に舞い降りた魔術師の末裔とか次々と語られる恐らくは団長が考えたのであろう設定を。本の物語にありそうな設定は正直面白い。
テントの照明が変わった。さっきまでも照らしていた灯りが団員の手によって次々と数を増し、真昼のようにテントの中を照らしていく。
ジャパンビシャンと、今度は床……というか地面に水が撒かれ出した。火事でもないのに広々とした舞台に桶の水が満遍なく広げられ、地面の色が湿り変わる。
ジョンさんからアレスの足元、長いマントの垂れた裾まで湿っていく。がやがやと観客でも知らない層はこれから何が起こるかわからず、知っている層は期待の現れだろう。パチパチと早くも囃し立てるような拍手も上がっている。
明るくなった照明に水が反射して光ってみえる。桶の中身をひっくり返し終えた団員たちがそそくさと舞台裏へと戻り進行役も袖に引いたところで、始まった。
引いた進行役の声掛けもなく、舞台に自分一人しかいなくなったこと自体が合図のようにして両手をぴちゃりと地面につけた瞬間。
ビキッビキビキィィィイッ!!
アレスの手を中心に地面が凍り始めた。
単純に薄く氷が張るのではなく、凍結した表面がボコボコと浮き出て遠目でも明らかに氷が広がっているとわかる。張った水は地面を湿らせた程度だったのに、広がった氷は水溜まりに氷が張ったどころじゃない。あっという間に舞台全体を氷上そのものに変えてしまった。たとえテント内の気温を冷凍庫級に急速急冷してもこうはならない。
観客もこれには揃って歓声が上がった。上体や腕を伸ばして舞台の地面へ手をかざす観客もちらほら見える。一体どうなっているんだと、トリックを考える客もいるだろう。特殊能力者かと考える人もきっとゼロではない。実際、これはアレスの特殊能力だ。
これ見よがしに水を張ったのも、きっとタネがあるように見せる為のパフォーマンスだろう。水をわざわざ張れば、それだけであの水をどうやって凍らせたかと探り方もいくらかは思考誘導できる。
けれど実際あの水全てを凍らせても、足が滑る程度の氷しか張らない。舞台に立って目を凝らしてやっとわかる程度だ。あんなスケートリンク分の氷なんて特殊能力以外あり得ない。
氷の特殊能力者。
我が国フリージア王国では特殊能力の中でも珍しくない系統だけれど、それでも異国では充分魔法に見える域だ。
「本当に舞台全部凍らせちまったな……」
「思ったよりもあからさまだな。しかし水を張るのは良い」
「結構優秀ですよ。うちにも何人かいますけど氷形成まで段違いに速いですし」
純粋にアレスの能力に感心しているアーサーと違い、ステイルは特殊能力を隠す工作の方を気にしている。更には呟きに返すステイルへ、アラン隊長が楽しそうな声を漏らす。
ちらりと見れば、三人ひと塊に揃って舞台を凝視している。私の隣に立つステイルのすぐ背後でアーサーが肩から首を伸ばし、アラン隊長も私の背後とはいえ背を丸めている私の頭上からやっぱり首を伸ばしてアーサーと顔の位置が殆ど揃っていた。
騎士団に所属しているアーサーやアラン隊長も驚くほどだから、やっぱりアレスは氷の特殊能力の中でもチート…というか優秀なのだろう。
彼の場合は氷の、というよりも氷結の特殊能力といった方が騎士団では正しいだろう。騎士団にも氷系統の特殊能力者が在籍しているのは知っている。アラン隊長の「うちの」というのが騎士団のことなのか一番隊のことなのかここでは確認できないけれど。
アレスと同じくらいの氷結はできても、一度に短時間で舞台全体なんていう長距離かつ広域を凍らせることができるのは相当だ。しかも、きちんと観客席は凍らせないように制御までできている。流石は第四作目の攻略対象者と言うべきか。
ゲームでも、主人公へアレスが自身の能力を見せている場面があった。手に触れた地面や花を凍らせてみせたり、盗賊を止める為に頭上から巨大な氷柱を落として馬車を潰したり、自分達の頭上だけに雪を降らせたり、時にはそれを武器に戦ったり。
サーカス団では自分の特殊能力を芸として演出していたとも語っていた。実際アレスのサーカス団としての姿はゲームでもアレスの思い出スチル映像として一枚あったかどうかだ。あの衣装姿くらいはチラッと見たことあるかもしれないくらいで、もう記憶は薄い。
初回特典とかでなら見られたかもしれない。あとは関連グッズとか。残念ながら第三作目と攻略キャラが違うと知った時点で、初回特典ゲットにまでは欲が湧かなかった私には知る由もない。……けれど、ここまで格好良いと何故この場面ももっとスチルにしなかったのかと勿体なく思う。
氷に囲まれ、急冷された空気と本来の気温が合わさって白く煙のように蒸気して見える。氷上に一人佇んだ姿は、本当に別世界の魔術師だ。
さらにはここでアレスの〝魔術〟は終わらない。拍手喝采中も両手を地につけた体勢をやめない彼は、その音が再び静けさを取り戻した頃には既にもう一段階進めていた。
ピキピキ、パキパキとした亀裂音。硝子にも似たそれがどこから聞こえるのかは考えるまでもなかった。次の瞬間には凍りついた床がけたたましい音を立てて盛大に砕け、弾けた。
パリィィン!と軽やかな音と共に弾けた氷が宙を舞う。真昼のような照明がその氷の欠片一つ一つを反射で輝かせた。
キラキラと輝く舞台に観客も、わっと明るい声が上がらせる。ハンマーで砕かないと割れなさそうな硬そうな氷が一気に砕ける光景は、私も思わず目を奪われた。
観客から再び爆発的な拍手喝采上がるのも束の間、直後には真昼のような明るさが一転して全て消された。暗転、というにはテントの布を通して外の太陽の明るさが舞台に入ってきていたけれど、真昼のような明るさに目が慣れていた私達への目眩しには充分な暗さだ。
暗闇に紛れてくるりと反転したアレスも、お客さんが見えていることも鑑みて一挙一動に及ぶまで優雅な動きでマントを翻しこちらの舞台裏へ戻ってきた。アレスを受け入れてから幕が再び閉じられる。
入れ替わりに舞台に出た団員二人が左右に分かれ、一斉に火を吹くとそれを合図にテント内の照明も元に戻された。
ボワァアッと、サラマンさん達による暗闇の中の発火に観客と盛大に声を上げてくれた。明るくなった舞台には魔術師の姿はなく、火吹き男の炎を見惚れている間に裏方の団員達が一斉にアレスの氷の残骸をはじへ寄せに出た。
綺麗にアレスの特殊能力の痕跡を片付けるところまで余念がない。本人が舞台に立っている時間も短く、あっという間の出来事に観客はまさに魔法や夢を見たような気分だろう。
私も思わず舞台裏に下がったアレスの背中へその場で小さく拍手してしまう。
「自分の氷砕けるって相当だなぁ。応用色々きくし」
「でかい塊だと溶かすのも時間すっげーかかりますもんね」
「しかし隠すならいっそ火吹き男よりもいっそ舞台全体を燃やす方が見栄えと証拠隠滅もできると思うが……」
……特殊能力を見慣れた三人にはいまいち魔法よりも現実的な方向に注目されちゃっているけれど。
舞台の歓声と盛り上がりに反して、アラン隊長は舞台裏のアレスに、そしてアーサーとステイルは舞台を凝視している。単純にタネの正体を知ったフリージアの人間というだけではなく、この三人が特殊職種なのもあるのだろう。
同じ氷の特殊能力者でも凍らせた後は砕くこともできないのが殆どだ。ああやって塊状態から砕くことができるのはアレスの特殊能力が優秀な証拠だ。レイも火系統の特殊能力だけど自分で一応は消せるけど、氷の特殊能力は凍らせたまま、火の特殊能力は燃えたままが一般的だ。
ゲーム通りであれば、アレスの特殊能力は〝触れたものを氷結させる〟特殊能力。小範囲であれば、触れている空気から氷を生み出すこともできる。ゲームでも冷気を纏ったり氷で戦うアレスは絵になっていた。
ひとまずアレスの出番が終わり、次の演目へとなだらかに流れていくべく火吹き芸が続く。合わせて生演奏の煽りが変われば、そこで初めてアレスが舞台袖で棒立ち状態から動いた。
ハァァァァアアァ……と息を吐き、雑に兜を取ると反対の手でわしゃわしゃと自分から髪を掻き乱した。
「!こらアレス!まだ二部あんのにまた!!」
「ふざけんなそれまで待ってられるか。あーーー痒ぃ!!」
次の部までセットそのままにしてほしい団員の制止も虚しく、髪から次々と衣装を脱ぎ出した。
メイクもがっつりしているしそちらの方が男性は気になるんじゃないかと思ったけれど、染めた髪の方がアレスは嫌ならしい。「これ本当なんとかしろよ」と苦情まで続くし、あまり良い髪染めの染料じゃないのかもしれない。
周囲の団員が「よくやったアレス」「やっぱ人気が違うな」と和気藹々と称賛をかける中、濡らされた猫のような顔で髪を掻き乱している。兜に隠れた部分までべったり塗られた白い塗料の飛沫が飛んできて、私達は仮面と化粧だけで済んで良かったとつくづく思う。
「今回はちゃんと割れて良かったなー」
「また氷柱立てたら誤魔化すのも片付けんのも疲れるもんな」
「ッいつまでイジりゃあ気済むんだ!!」
わはは、と笑い混じりに言う団員さん達にアレスが真っ赤な顔で牙を向いた。……どうやら毎回練習無しで大成功というわけではないらしい。
練習要らずのぶっつけ本番なアレスだけど、やっぱり失敗の心配無しというよりも正体をバレないようになのだろう。テント一帯もサーカス団員達しかいないとはいえ、私達みたいな余所者も入ろうとすればすんなり忍び込めちゃう警備皆無の場所での練習だもの。
「集中力使うんだぞこっちは」とアレスはバッサバッサと雑に床へ服を落とし薄いシャツ一枚になる。それでもやっぱり当時のことはバツが悪いのか、その後は団員誰にも目を合わせずに頭から水を被って、見える表面上だけでも髪の色を落とす。拾った衣服を小脇に抱え、裏へと向かい去っていった。
ドン、と。……すれ違いざまに入ってきた出番ギリギリの仮面のラルクと肩をぶつけて。




