Ⅲ113.侵攻侍女は目的を果たす。
「なんだ」
ぶわりと短い風圧と共にハリソン副隊長が姿を現してくれたのは、アラン隊長が手で合図をした直後だった。
恐らくアーサーが使ったのと同じ、騎士団での共有サインだろう。〝集合〟とかだろうか。
いつもの無表情で目の前に佇むハリソン副隊長は、馬車の陰に立った私達に合わせるように同じ位置に立っていた。一応人前は避けたから良いけれど、一度道の影とかではなくダイレクトに私達の前に現れたハリソン副隊長の存在に目だけで周囲を確認する。
幸いにも、夜の暗闇に紛れてくれたお陰でハリソン副隊長の突然の表出に気付いた人はいない。長い黒髪と、今は白の団服を覆い隠してる上着のお陰もあるだろう。……結果、私の方は別のびっくりで心臓ごと肩が跳ねたけれど。
暗闇に突然現れる黒髪ロングはやはり別の怖さがある。振り返った先にとか、井戸から現れないだけマシだろうか。
「俺ら今からパン買ってくるからさ、その間馬車の見張りついでに飯食っとけよ」
「必要ない」
「アーサーにも言われてるから」
ぴくっ、と。ハリソン副隊長の眉が小さく揺れた。
やはり八番隊隊長の力は強い。いや、今の場合は単純にハリソン副隊長が溺愛してるアーサーからの命令というのが強いのだろうか。
不機嫌、というよりも面倒そうに顔を顰めていたハリソン副隊長がアーサーの名前一つで腕を組む。続いてアラン隊長が「そこの」と指で馬車の奥を差し示した。お肉の山を指差し、十本余分にあるからと伝える。……ハリソン副隊長に十本も食べられるのかちょっと想像つかないけれども。多分一応のローランドの分もあったのかなと思う。
「あとパンも買ってくるけど要るか?」
「要らん」
もう興味ないと言わんばかりにアラン隊長へ視線を外すハリソン副隊長は、私に一礼するとくるりと背中を向けた。
荷台に乗り、スタスタと食事の箱に向かうハリソン副隊長は暗闇のせいも相まって大形動物感がまた過ぎる。取り敢えずこれで無事馬車の見張りはお願いできるから安心だと思おう。
パンも断るのを思うと、やっぱり10本は食べきれなさそうだなと思う。アラン隊長も「二本以上は食っとけよ」と背中に声掛けた。
「あ、ああの、ハリソン 、さん。任務の方は何か問題等は?サーカスや団員で気になったこととか……?」
「問題ありません」
「あと、不便や改良して欲しいところがあれば!食事の時間も私が気付かなくてごめんなさい」
「いえ。必要ありません」
……今のは謝罪はの意味の「必要ありません」だろうか。まさか食事の必要はの方とは思いたくないけれど。
本当は護衛して貰っている私の方が気付くべき配慮だったのに先にアーサーやカラム隊長が気付いてくれた。今からでも何か報連相やご意見が伺えればと尋ねてみたけれど、返ってくるのは相変わらずの一言二言だけだ。
私に返事をすべく食料の前で一度立ち止まってこちらへ正面を向けてくれた。
「そうですか……」と空っぽの返事を零すと、会話が終了と判断したのかまたペコリと一礼して箱からお肉を手に取り始めた。アラン隊長が色々な部位をお肉屋さんから纏めて買ってくれてたけれど、選ぶつもりはないのか一番上に乗ったお肉から掴んでかぶりつく。ブチンッ!とゴムが切れるような音が聞こえて、多分さっき肉屋さんが言ってた売り物にならない冷めて硬くなったやつかしらと思う。それでも全く気にせず咀嚼するハリソン副隊長の横顔も、長い黒の横髪と暗闇に紛れてよく見えない。
アラン隊長から「のんびり行きましょうか」と小声で笑いかけられ、私達は馬車から離れた。
よそからみれば私とアラン隊長だけだけど、実際はローランドも付いてきてくれての三人での移動だ。
「ハリソンさん、今の今まで食事されず護衛に集中して下さっていたのですね……本当に申し訳ないわ」
「いやいや!あいつは元々本当に食べないんですって!演習場でも毎日食べるようになったのアーサーが来てからですし」
一日中食事も惜しんで見守ってくれてたのだと反省する私に、歩きながらアラン隊長がブンブンと手を横に振る。
アーサーが?と、私が気にしないようにか明るく言ってくれるアラン隊長へ尋ね顔を上げれば、すぐにいつもの笑顔が返された。ぶはっ、と笑い声も漏らしながら言うアラン隊長によると、ハリソン副隊長はもともと騎士団演習場の食堂に姿を現すことすら稀だったらしい。
新兵でもきちんと三食補償されている騎士団で、食堂に一日一回現れるかどうか。一日二回珍しく現れたと思えば、三日間それから目撃されなかったりとざらだったらしい。あの厳しい騎士団の演習をこなしておいて、何故そこまで省エネになれるのかすごい気になる。高速の特殊能力だっていくら素早さが上がっても動けば動くだけ疲れる筈なのに。
「それで足りてるのでしょうか……」
「自分もそこだけは昔っから気になります。ちょっと前までは年一くらいでぶっ倒れてた時もありましたけど」
声を出して笑いながら返してくれるアラン隊長も首を捻る。
アラン隊長もハリソン副隊長については謎があるんだなぁと思いつつ、ぶっ倒れという言葉も気になる。年に一回風邪とかならまぁまぁ普通かしらと思うけれど、倒れるレベルって結構じゃないかしら。しかも、ちょっと前まではってもしかして倒れなくなった理由って生活改善というよりもアーサーがこっそり治してあげているんじゃないかと思う。
「今は朝食だけでも食うようになっただけ安心ですね。アーサーが付き合わせてくれてるみたいで」
人知れずアーサーも隊長として頑張っていたんだなぁとほっこりする。
なんでも、早朝演習後の食事は毎回アーサーがハリソン副隊長と一緒に食べているらしい。時々会話もしていることもあって、ハリソン副隊長もそれから今のところ体調を崩していないと。今までのハリソン副隊長を知ってる騎士からすればここ近年は目覚ましい変化らしい。……なんか、目覚ましい変化が〝食事〟と〝交流〟っていうのが本当ハリソン副隊長らしい。
アーサーもハリソン副隊長のことはすごい怖いとかよくわかんないと言っていたけれど、やっぱり今は自分の部下として歩み寄っているのだろう。いや、部下の前に八番隊を統率する隊長副隊長だ。
朝食だけでもということは残りの二食がまた気になったけれど、だからこそ今任務中もわざわざ気にかけてくれているアーサーやカラム隊長なのだろう。アラン隊長が大量に用意したのも、食べる時にがっつり栄養補給しておく配慮だったのかもしれない。
「ハリソン本当アーサーのこと大好きだからなぁ」と独り言のように呟きながらまた笑っていた。やっぱり、隊長になった後もハリソン副隊長の溺愛は変わらない。私の目線からは近衛任務中もあまり特筆して仲良しといった様子のない二人だけどやっぱり騎士団では違うのかなと思う。
「あっ。パンも安くででかいの大量買いで良いですかね。肉あるし、質より量で」
男らしい。
パン屋の前に辿り着いたところで思い出したように提案してくれるアラン隊長に私も同意する。
パン屋さんの店頭には色々な焼き加減や大きさのパンが並んでいたけれど、アラン隊長が指差したのはその中でも大家族用と言わんばかりのまん丸巨大パンだ。薄く切り分ければサンドイッチとかに使えそうなサイズは一個体の値段はなかなかでも分ければ確かに割安になる。
さっきのお肉もそうだったけれど、買い出しにアラン隊長がいてくれて良かった。
金銭感覚もしっかりしてくれているし、これなら買い出しから戻ってもアレスに使い過ぎとか怒られる心配はなさそうだ。……その前に、団長が所持していたあの大金を見たら眼球を零しそうだけれど。
さっそくあたりをつけたアラン隊長がパン屋さんにあるだけ大きいパンを三箱分買いつけてくれた。交渉から会計も引き取りも全部アラン隊長任せになってしまって、本当に私は護衛のハリソン副隊長にお食事時間提供する為の要因だったのだなぁと思い知る。
大きな箱三つにパンを詰め込み纏めてくれたおじさんにお礼を言いながら、一番上の箱を慎重に両手で持……、とうとしたところでアラン隊長に「失礼しますね」と先に声で止められた。
ぴたりと呼びかけに反応した手が止まると、次の瞬間には中腰になったアラン隊長が積み上げた箱の一番下から一気に三箱持ち上げてしまった。てっきり私一個のアラン隊長両手くらいを予想してたのに。相手はパンだし!!重くはないのに!非力な私でも流石に持てるのに!!!
「あ、アランさん。私も一個持ちます。三つ一度ではうっかり落とした時が大変ですし……」
「ああ大丈夫ですよ!こういうの慣れてるんで。前もチラチラッと見えますし、馬車すぐそこですから」
重量よりもバランス感覚が求められる段ボールサイズ三個分の積み上げチャレンジに、私の方がハラハラしてしまう。




