Ⅲ97.男は追いやられ、
「いい加減にしてくれ!!!金なら昨日払っただろ?!」
「そうはいかない」
狼狽し、精神的疲労も相まった男は場所も構わず喚き出す。
通りすがりの通行人も、近くで店を開いていた店主も客も誰一人彼を助けようとは思わない。遠巻きに目を向け、興味本位で耳を傾けるだけである。中には指を差し嘲る者までいる。脂汗を垂らし目に見えて追い詰められ責め立てられていく弱者を見るのが面白い。
地道に小金を稼ぎ順調に生きていた彼にとって、借金取りのように迫り一向に去ろうとしない男達は悪夢そのものだった。
一日一日の稼ぎが生命線である彼にとって、店の前を佇み塞がれることがどれほど迷惑なことか。それだけで客は寄り付かず、もしかしたら自分の店で買ってくれたかもしれない客が他の店に奪われていく。せっかく長年この道を決めて創意工夫を繰り返し、人気の立地の一つに店を置けたというのに。
属州とはいえ、ラジヤ帝国の一角だ。土地代もかかるし自分の衣食住にも金がかかる。しかし栄えた隣国の恩恵で経由する旅行客や上客が多いこの地は、自分だけの良い暮らしをするには充分だった。健康的な時間に起き、身体を伸ばし店を広げに部屋を出て、そして夜は酒場で一杯楽しめる。
先代の伝手と教えのお陰もあり、この商売であれば食べるのに困らないでこの年まで比較楽して生きてこれた。そんな彼の平凡ながら順風満帆な人生はこの時をもって終了した。
「決まりだな。マインズ・オジェ、違法奴隷売買取り扱いで店の営業権利は没収。罰金も免れないだろうな」
今日までの売り上げ金と所有商品も全て没収、と。淡々とそれを告げる衛兵に彼は今日一番の怒声を上げた。
ふざけるな!!と、空気に響かせる叫びは近くの商人や店にもはっきりと届いたが、せせら笑う者はいても同情をするものはいない。むしろ新入り商人ほどコソコソと身体を小さくし顔を見られないように細心の注意をして逃げようとする。そして、この世界に長いものこそ隣が捕まっても自分達は捕まる恐れはないとドンと構えている。
疚しい覚えがないわけではない。ただ、この街の衛兵がそこまで仕事熱心でないことを知っているだけだ。
衛兵が最初から違法奴隷の売買を取り締まろうとしたならば、自分達一帯の過半数は店を閉めている。あくまで今の衛兵は、目の前の店主にしか用はない。
昨日から男の店前に衛兵がたむろっていたのも知っている商売敵達は呆れながらも高みの見物を決める。どんなドジを踏んだんだ、衛兵の詰め所に火炎瓶でも投げ込んだか、いや女を取ったのかもと邪推をしながら成り行きに耳を研ぎ澄ます。
周囲に注目されているのも聞き耳を立てられているのも、今は男も気にする場合ではなくなった。
「冗談だろ?!うちはここで何年商売してると思ってんだ!!アンタらにもいくら払ったかと」
「記憶にない」
「罪人が妄言吐くな。抵抗するならこの場で粛清してもいいんだぞ。いっそ張りつけにでもするか?」
手足を振り合い回し地団駄踏み、唾が飛ぶほどに大声を上げる男に衛兵は容赦ない。
彼ら自身、土地代や見逃し代として目の前の商人から金を受け取った覚えは何度もある。しかし、今更罪人に〝する〟ことが決定した男とそんなことがあったと認めようと思わない。
あくまでその日までの行いに目をつぶってやっただけ、金を貰った分は許してやったのだから今ここで金を貰っていない今はなんとも思わない。
そして、今回ばかりは金を受け取って許すわけにもいかなくなった。
槍を構え、脅し混じりの言葉を掛けながら喚き散らす男を乱暴に縄で縛りあげる。
「店の金は?」「服の中にもあるんだろ」と言いながら男の所有物を物色しては金や金目の物を堂々と懐にいれる姿はどちらが悪人かわからないほどに堂々としたものだった。こういううま味があるから彼らも衛兵はやめられない。
やめろ、なんで今さら、誰の、と一方的過ぎる逮捕に疑問が浮かんでは口に出しても足りない男は、はははっと嘲り笑う他の商人達の声で頭にまた血が上る。
自分がやってきた商売が少し法にも反していることは知っている。しかし、その上で今の状況は理解に苦しんだ。
「みんなここら一帯どいつもやってることだろ!!!なんでウチだけが捕まらなきゃいけねぇんだ!!」
目を血走らせながら叫ぶ男に、次の瞬間には「黙れ」と衛兵の拳が入った。
縛られたまま上手く体勢も立て直せず地面に転がった男に、やはり同情する者はいない。所詮は〝奴隷商人〟である。
具体的な罪状がわからずとも〝どうせ〟何かやらかしたんだろと誰もが思う。
腹に減り込んだ一撃に転がった後の男は暫く咳き込み喋ることも難しかった。ゲホゲホッと喉を傷めながら、目の前で自分の大事な店が衛兵に押収されていくのを見ることしかできない。金目のものはこの地に〝没収〟されるのではなく、どれもがただただ単純に衛兵達の懐を温めた。
やっとある程度と思えるだけの押収を終えた衛兵はそこで初めて男の罪状の大元へと歩み寄る。男の構えた店、その奥に停められた荷馬車だ。
外側から施錠していたかんぬきを引き上げ扉を開ければ、想像通りに十人以上の奴隷が鎖に繋がれ座り込んでいた。
扉が開かれたと逃げようとする者もいなければ、姿を見せた衛兵に希望を抱く者もいない。もう自分達はそういう〝物〟だと思い知らされていた。
売れ残り奴隷独特の匂いに衛兵は鼻を摘まみながら目を凝らす。明かり一つない荷車の中で大人しく小さくなっていた奴隷達の人数を数えながら、顔を確認する。
残念ながら衛兵好みの女はいなかった為、適当に一番確認しやすそうな子どもの奴隷を引っ張りあげた。そこに配慮はなく「脱げ」の一言と共に最低限の衣服を破かんばかりに力任せに脱がす。露わになった身体を足の裏から伸び切った髪を掻き揚げ首の後ろも首輪の下もくまなく確認した。「よし」と自己完結し、衛兵は確認しやすいように曲げた腰を再び伸ばし、荷馬車から降りた。異臭の元を蓋すべく、早々に荷馬車の扉を閉じてから大きく深呼吸をする。
「やっぱりいたぞ。取り合えず一人は確認したから後は持ち帰ってからにしよう」
「件のはいたか?」
「たぶんな。首輪に商品票はついてるから明るいところで見ればわかる」
全員でやった方が早く終わる。と、流れるように検挙が進んでいく。
もともと〝確認〟をさせろと求め男が拒んだ時点で衛兵達は勝機が見えていた。疚しいことがなければ罪に問われても扉を開いて見せるのはどの国でも当然のことである。
そして今、きちんと男を検挙するに充分な罪状を確認できればこちらのものだった。先に拘束をしてしまったが、結局有罪であれば問題ない。縛った罪人へ罪の確定をしたところで、店を構える為の用具も器材も縛った男もまとめて奴隷と同じ荷車に放り込み、衛兵達は御者席に移った。
ぎゃあぎゃあと男が喚いたのも全く気にせず、今夜の酒を楽しみに馬車で自分達の本拠地である詰所へと向かって行った。
逮捕を決定してからはあっという間だった男の押収と捕縛を見届けた野次馬も、今になってざわざわと話し出す。
明らかに衛兵達の目当てはあの商人一人だったと誰もが理解した。商人が縛られた時から見せ物と化し大勢の人だかりまで作り始め、様々な憶測や面白半分の噂まで立てる中。
「うーん、結構時間掛かったなぁ」
「ケッ。たった一日で奴隷商人潰しておいてよく言うぜ」
大勢が集う道から少し外れた物陰で、レオンとヴァルは寄り掛かっていた壁からゆっくりと背中を起こした。
本来ならば黙っていても目立つ二人だが、今は身長以外は大して人の目にも引っ掛かることなく景色に溶けこんでいた。捕まった商人すら、一度も彼らの存在に気付かなかった。
腕を組み少し不満そうに首を少し傾けるレオンに対し、ヴァルは吐き捨てつつ降ろしていた荷袋を肩に背負い直した。さっさといくぞ、とこれ以上長居するのも飽きてレオンを急かし出す。早朝から長々と張り込みに付き合った代わりに、朝食はレオンの金でと決めている。
ヴァルへ相槌を返しながら彼の隣に続くレオンの背後に、アネモネの騎士も続く。
衛兵の態度は目にも当てられない酷いものではあったが、無事に検挙されたことには彼らも胸を撫で降ろした。
「たかが一人の為に本当に店ごと潰しちまうとはなあ?権力者の坊ちゃんには砂崩しと変わらねぇか」
「違うよ。僕はただ正規の通報と、正式な〝抗議文〟を提出しただけだから」
背後や周囲に誰もついてきていないことを互いに確認しながら、ひとり言程度の声で会話する。
歩きながらお互い目も合わせず正面を向いての会話は、すれ違うだけ人間には声も聞こえなければ会話していることも気付きにくい。
レオンの白々しい言葉にヴァルは地面へ唾を吐く。最初からわかっていたことだが、隣を馴れ馴れしく歩く青年がアネモネの権力者なのだと改めて思い知った。
発端は昨日の聞き込み中に交わした商人の商品だった。
よりによってアネモネの商品保持を第一王子に言ってしまったのが、商人の運の尽きだったとヴァルは思う。そこからのレオンは行動も的確かつ早かった。
最初は客として買う気をチラつかせ、商品の確認をした。荷台の中身を確認させれば、首輪にアネモネ王国の商品標がつけられた奴隷はレオンの目にも間違いなく顔立ちが自国の人間だった。
この場で連れ去りたい気持ちに駆られたレオンだが、ラジヤ帝国の領域内でそのような権限はない。
部下の騎士へ衛兵を連れてこさせ、通報することが精いっぱいだった。
「まぁ敢えていうなら売買法を守らなかった彼に非があるかな」
「ここら一帯で守ってる商人を探す方が難しいだろうぜ」
レオンを鼻で笑いながら、いっそ清々しいとヴァルは思う。
Ⅲ59-2




