Ⅲ95.騎士は困る。
「そうかそうか。ちなみに君も猛獣と戦うことに興味はあるか?」
「いえ…………退治でもないのに動物殴んのはあんまり……」
はやく帰ってこい……!!
そう、アーサーはステイルに念を飛ばしながら、顔を大きく団長から逸らす。荷物運びと準備に向かった今は自分との二人しかいないというのに意味もなく顔を近づけてくる団長に、アーサーも今はかなり引き気味だった。
最初こそ「アランと空中ブランコとは」「自信は?」「やはり騎士はすごいな」と褒めてくれただけの団長に、大して気負いすることなく話せたアーサーだったが、それから会話のやり取りが伸びるにつれ段々と居心地が悪くなってきた。
今は沈黙よりもと団長の問いに答えはするが、アレス達の帰還が待ち遠しくて仕方がない。質問責め過ぎる上に、会話がただの雑談ではなくなっていた。時間の経過が妙に長く感じて喉が渇く。
下働きの面々が宣伝回りの荷馬車を置いていってからでも体感では一時間だった。
「もちろん私の大事な猛獣達に乱暴して欲しいというわけではない!たとえば檻にいれるとか、取っ組み合いを軽くするとかだな……?実は昨晩アランも「俺も一回猛獣相手にやってみたかった」と言っていて、ならばもしかして君もと」
「いえアランさんは別格といいますか……。あと、お互い無傷で取っ組み合いなんてカラムさんじゃないと無理ですよ」
あとアランさんと戦わせたらライオンが死にます、と。そう断言しながらアーサーは完全に視線が団長とは別方向だった。
最初の雑談はまだ楽しかった。しかし、そこですらすらと自分の情報を掴んできた団長からの値踏みが凄まじい。これはできるかあれはできるかと、自分が騎士だからといって超人兵器のような難題ばかりぶつけてくる。
自分がアランやカラムのようなことを同じようにできるわけがないのにと本音で思うが、フリージア王国の人間でもない一般人には王国騎士団を全部一括りに考えられてしまうのも無理はないともわかる。
だが、いくらなんでもカラムのように無傷でライオンの口を押さえ付けることが自分にできるわけはないし、騎士が皆アランのように猛獣相手でも好戦的なわけではない。
ふと、今は自分の傍にいないだろう八番隊の騎士を思い返せば、あの人なら猛獣相手でも本気なんだろうなとは思うがやはり間違いなく猛獣の方が死ぬ。ハリソンならばむしろナイフ投げの方だろうと考えたところで、またペタペタと身体に触れられ我に返った。
「いやしかし何度触っても良い身体だ。空中ブランコも勿論大歓迎だが、他に得意なことは?なんでも良いぞ??君ももしカラムやアレスのような〝特技〟があれば演出は私に任せてくれ」
「あの、…………フリージアの人間だからって皆が皆そォいうの持ってるわけじゃねぇです……」
頭ではわかっていたが、フリージアに対しても騎士に対しても誤解が多いとアーサーは思う。
自分も確かに特殊能力者だが、本来の能力は当然のこと建前の特殊能力すら団長に言う気にはなれなかった。植物を元気にするなど言えば、この団長なら先ず今すぐこの花を腐らせようみたいなことを言いそうだと本気で思う。
アーサーの言い分に「わかってるわかってるユミルもそうだしアランもそうだったな」と変わらず自分の肩や二の腕、腹筋を叩くように確かめながら言う団長は本当に聞いているのかどうかもわからない。
今更ながら、団長に聞かれる前にアランから空中ブランコを誘って貰えて良かったとアーサーは思う。そうでなければここで無理難題の演目を任されたと考える。尊敬する先輩二人と同じ域を自分も求められても困る。
アーサー自身やろうとすれば確かにアランが言ったようにいくらか他の演目もできるとは思うが、もう練習時間も短い中で他の演目までよってたかって手を出したくない。ただでさえこれからも練習ではなくプライド達の護衛で宣伝回りだ。
目を背ける分しっかりと周囲の気配に敏感に研ぎ澄まし努めるアーサーだが、ちらりと一瞬でも向ければ団長のギラギラした目の奥に口の端が片方引き攣った。表面上は落ち着き払って見せているが、取り繕ったその下で興奮を抑えているのだとわかった。
〝フリージア王国〟〝騎士〟〝アランと共に空中ブランコを即日できる自信のある身体能力〟というだけで団長の興味を引くのに充分だった。
「君みたいに若くて良い男は命のかける危険な世界ではなくもっと脚光を浴びる煌びやかな世界も似合うと思うが。どうだ?明日の手応えによってはうちのサーカス団に」
「いえ、自分は一生この道と決めてるンで」
「ハハハッ、そこはアランとカラムと同じことを言うんだな」
あの人達にも言ったのか。そう言葉をアーサーは飲み込んだ。
自分のように大して年歴も感じない相手に言うのならばまだしも、騎士として威厳もあるあの二人にまでサーカスを進めたのかと思うとアーサーは耳を疑いたくなる。
アランの身体能力やカラムの特殊能力が魅力的にうつるのは仕方ないかもしれないが、騎士をやめてサーカスなどあり得ない。もしハリソンが同じことを言われたら殺気を出していたかもしれないと考える。騎士の命を懸けた任務とサーカスの演目は全くの別物だ。
断られた本人は全く気にしないように笑い流すが、アーサーはただただ居心地の悪さが増すだけだった。
距離の近さは遠慮のなさはアランを始めとする騎士団内での関わりにも似たものを感じたが、やはりアーサーにはその目を見るだけで上手く笑えない。値踏みしてンのわかってンぞ、とその言葉が今にも舌先から零れそうなのをぐっと歯噛みして堪える。
社交界の方が面倒な相手に絡まれても理由をつけて逃げられるだけまだマシである。
「しかしならば私とも気が合うな。私も、曾祖父祖父そして父から受け継いだこのサーカス団に骨を埋めると決めている」
「?じゃあなんで一か月も留守にしたんですか」
さっきまでの探る話ではない、団長自身の話題にアーサーもすんなりと耳から頭に通った。
自分が値踏みされるのも取り繕いを向けられるのも苦手だが、団長のことが嫌いなわけではない。彼自身のことであればアーサーも幾分興味が湧いた。
無意識に顔ごと振り向き団長を見直せば、彼もまた今は自分の方を見ていなかった。深い帽子を被ったまま遠い目で大テントを見つめている。
今はラルクによる攻撃を恐れて容易に入ることは控えているサーカス団大型テントと周囲だが、本来であれば全て自分が誰よりも堂々と歩いて良い場所である。
団員達が変わらず温かく迎えてくれたのは嬉しかった団長だが、同時にラルクもまた全く変わっていたのは物悲しく思う。
アーサーからの問いに、自分の中でもそれを反芻してから団長は一度閉じた口を小さく開いた。
「まぁ、……良い機会だとも思った。というのが正しいな。私も初心に戻りたくなった。それに、私がいなくてもどこまでやれるかも期待したくなった」
「いきなり居なくなられて勝手に期待されても困りますよ」
自嘲じみた絵みを浮かべる団長に、アーサーも今まで我慢していた分本音がそのまま口に出た。
自分でも少しきつい言い方になったと思い喉を鳴らしたが、しかし団長の表情は変わらない。遠い目でテントを注視したままだった。「そうだなぁ」と息混じりの声に、アーサーも慌てて頭を下げて謝った。
一言で許し笑った団長だが、その笑みが今は値踏みではなく陰りのあるものだとアーサーはすぐに理解する。
未だに、団長が何故一か月近くもサーカス団を離れていたのかも、同時にどうしてつい昨日戻って来たのかもわからない。
ラルクに脅されて追い出されたとは聞いたが、それでももっと早く帰ってくるのは可能だった筈である。それを変装まがいのことをして街に潜伏続けた理由もアーサーにはわからない。
試しに聞いてみようと、口に出すまえに問いを頭の中で一度考える。「なんで帰って来たんですか」と聞こうかと思ったが、それではまるで帰ってきてはいけないかのように感じて躊躇った。
もっと正確に、誤解がないようにと考えてからアーサーは「あの」と口を開き、団長の視線が自分に向けられるのを待った。
「なんで、昨日だったんですか。戻って来るのが」
「うー--ん……それを正確に話そうとすると長くなるがそれでも良ければ語ろう」
深く息を吸い上げると共に腕を組む団長の言葉と笑みに、アーサーは肩が上下する。
目の前の団長から今は取り繕いは感じない。遠くもないその笑みは、間違いなく本当に長くなる話なのだと理解する。
プライド達を待つまでの時間。それを団長の話で埋めれるのならば幸いだが、しかし長くなると言われると流石に身構える。「ど、どのくらい……?」と慎重に尋ねれば「私が君くらいの頃から」と言われれば、かなり昔まで遡られる。
たった一日前の話題をした筈なのに、何故そんな十年単位まで遡るのかと思いながらアーサーは正直に背中が反った。
「ま、また今度、時間がたっぷりある時にお願いします……。……自分から聞いておいて申し訳ありません」
「いや!良いんだ。これから忙しくなるからな。まぁしかし気になるのならば端的に言おう。「最長でもあと二週間しないうちに帰る気はあった」そして「今が戻るべき時だった」それだけだ」
余計わかんねぇ。そう思いながらアーサーは曖昧に言葉を返す。
そんなに一言で纏められるのならばもっと手短な話にならないだろうかと思ってしまうが、その途端まるで心でも読んだように「君が騎士になった理由は?」と尋ねられた。
騎士の部分は声を抑えられての問いに、アーサーも目を逸らす。自分もまた、それを一言で言うのは確かに難しい。
アーサーのその反応も読んでいたように、団長は問いかけた笑みのまま深く頷いた。
「誰にでも語れる過去もあれば語れぬ過去も語り尽くせぬ過去もある。私にとってはそれがケルメシアナサーカスでそしてラルクだ」
「ラルク……?」
何故そこでラルクの話になるのか、アーサーは首を捻り聞き返す。
ラルクと団長についてアランが聞いたその噂はまだアーサー達には共有されていない。昨晩は団長の突然過ぎる帰還で一度合流した為、潜入面々だけでのゆっくりとした会話はできていない。
アーサーの反応に、そういえば彼は知らないなと思いながら団長もそれには答えない。サーカス団に所属すれば遅かれ早かれ誰の耳にもいずれ届く噂があることも自覚している。その噂についても、自分からは訂正も肯定をするつもりもなかった。
口を閉じ、腕を組み直して改めて視線をテントに向ければそこでちょうど入り口が開かれた。
「おお、来たな。どうだアレス!ジャンヌ、の……お、おお??」
最初に姿を現したアレスへ呼びかけた団長の言葉が途中で止まる。
被り物の入った箱を抱えたアレスに続き、そして衣装を小脇に抱えるステイルの一歩前を歩くプライドに視線が刺さった。
宣伝回りの為に着替えを終えただろう彼女の姿は団長にとっても期待が大きかった分、想像と大きく異なり斜め上だったせいで反応できなかった。
一拍おくれ二拍遅れ、それからやっと「似合うじゃないか!!」と声が上がる。
「なるほどジャンヌはそちらが好きだったか!まさかその衣装を生かしてくれるのが君とは!!素晴らしい似合っているもっと見せてくれ!アレス!お前が仕立てたのか?」
「レラだレラ。俺は化粧しかやってねぇよ」
はー……と、既に化粧も施されたプライドは少し強張った笑みのまま四指で自分の頬へ添える。
自分一人がっつり化粧されたのも、他の男性陣が軽装備の所為で違和感を覚えてしまう。しかし一番怖いのは化粧の出来、その次は衣装の見栄えだった。
アレスの化粧に文句はない、レラの選別にも文句はないと示す為に笑顔を維持するが、式典に出る時よりも緊張した。
身体の正面にちきんと重ねた両手のひらは湿り、意識しないと肩まで上がってしまう。すぐに驚愕から笑顔に取り直してくれた団長の反応よりも、その隣に立っているアーサーとそして衣装選び時からずっと覇気のないステイルからの反応が気になって仕方がない。
衣装選びでは白熱したステイルが、着替えと化粧の後には殆ど反応がなかった。「良いと思います……」と顔すら向けずに言った彼の言葉が本音かどうかプライドに自信はない。
身体つきこそ本来の姿のままだが、顔はアレス達や自分に見えているのとステイル達に見えている本当の姿とで違う。アレスの目に合わせて化粧された今の自分の姿が、ステイルやアーサーにはどう映っているのか不安で仕方がない。
地味な顔を派手に引き立てた化粧が、本当はきつい顔にきつい化粧をされたと思えば不安で堪らない。当然化粧と合わせた衣装もだ。
「あ、アーサー?どうかしら、この……色々と」
「……〜っ。……良、いと思います……」
向き直った先のアーサーにまで、顔を背けられれば余計に。
ぽかりと口を開けていたアーサーがやっと言えた言葉は、良くも悪くもステイルと同じ感想だけだった。
口の中を噛み、じゅわりと顔を茹だらせるアーサーには今それが精一杯だった。




