Ⅲ80.貿易王子は問い、
「……では、貴方はどうですか。フィリップ殿?」
尋ねたかった本命の一人に笑いかければ、ステイル王子にしてはめずらしく肩が跳ねて動揺が露わになった。
さっきまでも僕になかなか目どころか顔もあまり向けてくれなかった彼は、セドリック王弟と同じようにベッドに腰を下ろして座っていた状態から足を組み出す。眼鏡の黒縁を指先で押さえながら、「どう……と申されましても」くぐもった声を僕に返した。
ステイル第一王子。
僕や、セドリック王弟よりも……きっとこの中の誰よりもプライドと関係は深い。なにせ、彼女の義弟なのだから。
昔からプライドとは親しいだろうし、何より元婚約者である僕の目からもやはり彼女をこの上なく慕っていると思う。初対面の頃はただ優秀な義弟の第一王子としか思わなかった彼だけれど、こうして親交が僕なりに深まったと思う今は、やはりプライドへは妹のティアラとのやり取りとも異なる。プライドは義姉であると同時に彼にとっては仕えている部分もあるし、プライド相手ならば特に〝妹〟のティアラと〝主〟のプライドで差が出るのも無理はないとは思うけれど。
ただ、もしその感情が男女のものであってもそこに驚きはない。それくらい、プライドは魅力的な女性だから。
僕の促しに、ステイル王子だけでなくアーサーやセドリック王弟、そして壁際に控えた騎士のジェイルとマートも興味深そうに、……そしてそれ以上に気まずそうに沈黙のままだった。
話をこのまま流すつもりもなく視線を注ぎ続ける僕に、ステイル王子が一瞬だけ目を向けた。けれどすぐに逸らし、唇をきゅっと結ぶと眼鏡を押さえ付けたまま薄く唸る音を貰した。嫌がっているようにも、呼吸を整えているようにも聞こえる。待てば待つほどに彼の眼鏡がまた曇っていく。
「……僕は、大丈夫です。御心配頂きありがとうございます。予定通り明日ジャンヌに同行します」
「それはどちらの意味でしょうか?ハリソンと同じ理由か、それとも僕と同じ理由か」
ステイル王子の特殊能力は瞬間移動。回避能力としては高速の足を持つハリソンと同域かそれ以上だ。さっきもアーサーの言うハリソンの動向理由に王子権限を使ってまで強く否定する様子はなかったし、自分もそうだったとしたら理由も納得できる。
ぐっ、とステイル王子が喉を鳴らす音が聞こえた。得意な話題ではないせいか、いつもよりもずっとわかりやすい反応のステイル王子は首まで真っ赤だ。
眼鏡が曇ったまま目が遠目じゃ見えなくなり、彼も視界が悪いからかゆっくりとその眼鏡を取った。服の中から取り出した布で眼鏡の硝子を噴けば、必要以上に力が入ったのかきゅっきゅっと音を立てる。僕らが全員静まり切っているから余計に響くのもあるだろう。
すぐには返せない様子のステイル王子は少し眉が寄り出した。曇りを拭き終えた眼鏡を、今度はかけることなくベッド脇に置く。視界が悪くなることよりも眼鏡の曇りの方が気になったのかもしれない。
そのまま前かがみになる彼に、話す気になったかなと思えば今度は靴を脱ぎ出した。これはまさか睡眠に逃げるつもりだろうか。いつもの冷静沈着なステイル王子にしては子どもじみていて、もし本当にそうなったら多分僕は笑ってしまう。
両足の靴を脱ぎ終えた彼は、そこで完全に足ごと全部ベッドに乗り上げそして組む。式典で見せるきちんとした姿勢とは異なり、少し砕けた体勢はその分僕らに心を許してくれている証拠かなと期待する。
視界が悪いせいか眉が寄ったまま、ステイル王子はうっかり眼鏡の黒縁を押さえようとしてそのまま目元に指が当たった。落ち着いているようにも見えるけど、もう眼鏡を自分で外したのを忘れている。
「どちらでも、……大丈夫だと、思います。オリウィエルの特殊能力と似た条件特徴を持つ能力者には覚えがあります。一度そうなれば二度目はないという能力は、別に現在進行形である必要もありませんし」
「つまりはフィリップ殿はもう初恋は経験済みということですか?」
ン゛!!と、僕の指摘にステイル王子が一音と共に一気に顔が真っ赤になる。
妙に遠回しに言うなと思うからちょっと突いてみたけれど、どうやら間違っていないらしい。言い方から聞くと、昔のことだと主張しているようにも聞こえるけれど、そんな過去の初恋でここまで赤面するものだろうか。
僕自身がプライドとのひと時が愛おしくて恥じらいというものはあまり感じないからか、少し違和感を抱いてしまう。少なくとも僕にとって初恋というのは遠く懐かしく、胸の痛みとともに愛しいものだ。
これは僕がちょっと枠外なのか、それともステイル王子が違うのか判断できない。ヴァルからも初恋なんて話題はちゃんと話してもらったことはないし。
「ダリオ、君の初恋ってどんなものだった?」
「?申し訳ありません、過去形で仰られても答えかねます。私の愛する女性は今も昔もたった一人の女性です。恋に落ちた瞬間は憧れと共に魅入られ手を伸ばさずにはいられませんでした」
ふと他の意見が欲しくてセドリック王弟に聞いてみたら、こっちはこっちでまさかの回答だった。
てっきり交際まではいかなくても、彼ならば初恋は別にいるかなとも思ったのに本当にティアラが最初だ。…………うん。でも、そうだと確かに彼女に対しての純情ぷりも少しは納得できるかもしれない。
あまりにも真っすぐな目で躊躇いなく返されて、これには僕の方が少し気恥ずかしくなってしまう。本当に、彼は恋をしているんだなぁとわかるから。
恋の話題には照れるのに、その気持ちだけは隠さない。まさかこの話している内容は彼にとっては恋の話題にも入らないのだろうか。
もうティアラに気持ちを告げてしまえば良いのに。ティアラもそこまで鈍いとは思わないし、セドリック王弟の気持ちぐらいは察していそうだと思う。学校見学でもセドリック王弟の教室には意識しているようにも見えた。ダンスパーティーでも必ず手を取っているし、わりとどちらかが想いを告げたらすんなり上手くいくかもしれない。
参考にする相手を間違えたなと思いながら、一言返してまたステイル王子へ向ける。彼もセドリック王弟の意見は参考にならなかったらしく、眼鏡をかけていない顔で額に手をついていた。
自分と照らし合わせているのか、単に自分の妹に想いを寄せる彼の隠さない告白に複雑なのか、そこまでは僕にもわからない。
「フィリップ殿はどうでしたか?せっかくですし参考までに」
「~~っ、ぼ、僕はっ……そんな、参考になるものではありません。本当に年端も行かない子どもの頃の話ですし本当によくある、普通の、当時は、一般的な感情の流れで特出すべきことも話すこともありません」
途中から常人には聞き取りづらくなるほどに早口になるステイル王子は、ところどころ強調するように言葉を区切る。
まるで聞いている僕らに釘を刺すようにも、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。言葉に比例して顔色が湯気が立つほど染まっていく。
子ども時代……ということは、養子になる前の話だろうか。いやでも確かステイル王子は養子になったのも幼かった頃の筈だ。なら、養子になった初め頃というのも当て嵌めることができる。
優秀で相当やり手な部分もある策士。フリージアでも国一番の天才と称えられている彼は、第一王子としては僕もいくらか理解したつもりだけれどプライドに関しては少し掴めない部分もある。
ヴァルを含める他の男性に対して誰よりも過敏に警戒や牽制を見せる時もあれば、一部の相手にはむしろ寛容な時もある。僕自身、奪還戦前にプライドともう二度と会えないと知らされた時は、彼のその寛容さに本当に救われた。
ここまでくると、上手く特定してみたくなるけれど変に絡め手を使うとせっかく今日まで築き上げたステイル王子との関係まで壊しそうだなと思う。
今でこそそれなりに親しくなれた気がするステイル王子だけど、友好的と親しいは全く違う。しかも、今では何故か僕よりも付き合いの短いセドリック王弟への方が言葉も砕けている。……そのセドリック王弟の方は変わらずステイル王子に敬語敬称のままだけれど。
そういう意味ではむしろ以前より上下関係が強まったとも見える。でも、ステイル王子の方は少なからずセドリック王弟に遠慮も気も置いていないように見える。
「~~ッ!見、る、な!!」
ボフッ!!と、突然ステイル王子の声が上がったと思えば、手元の枕をアーサーへと投げていた。
渾身の力が入っていたとその球速から理解する。僕が目を向けた時には既にアーサーの顔面へと枕が到達した時だった。
流石騎士の反射神経というべきか、アーサーも両手でぶつかる寸前に受け止めてはいたけれど目が丸いままだ。自分へ枕を投げ放ったステイル王子へも今は文句が出ないように枕を持ったまま凝視したままだ。驚きというよりも興味深そうな眼差しに、口もぽかりと開いている。……うん、やっぱりステイル王子が一番気を置いていない友人は彼だろう。
真っ赤な顔のまま僅かに歯を剥いているステイル王子は険しい表情でアーサーを睨みつけている。
どうやら他の誰よりもこの場でアーサーに聞かれるのが恥ずかしいらしい。距離の近い友人というのもこういう時は逆に恥ずかしいものなんだなと妙に感心してしまう。
いくら仲が良くても全員が恋の話をするというわけでもないらしいと今学ぶ。
むしろステイル王子はこういう話題は苦手な方なんだな。式典では令嬢や王女相手にもにこやかに搔い潜っている彼は、上手く受け流している印象があったけれど。
枕を投げ叫んだだけなのに、ステイル王子の肩が必要以上に上がり下がりを繰り返している。ゼェハァと息遣いまで聞こえて、ここまでわかりやすいのはいっそ可愛らしい。プライドやティアラと血は繋がらなくても兄弟なんだなと思う。その、プライドをどうお思っているのかが気になるところだけど。
「安心しました」と取り敢えず効果の範囲外であることに話を軽く流す。それからステイル王子がこちらを向いてくれたところで笑みと共に、……もうちょっとだけ踏み込んでみる。
「因みに今はいかがでしょうか?フィリップ殿は大勢の女性に憧れを受けている方なので、その〝昔の恋〟も実る可能性は無ではないと思います」
「……~……、申し訳ありませんが、そこまでは話す必要がないと思いますので控えさせて頂きます。それに、僕の婚姻相手を決めるのは僕ではありません。あくまで父上と母上の意思に従うまでです」
うん、やっぱり思い切り閉ざされた。




