Ⅲ76.越境侍女は共有する。
「確か、猛獣使いだったね?」
そう、と。プライドは深く頷いた。
小首を傾げるレオンと面倒そうに視線だけくれるヴァルに対し、今日あったことを説明するステイルの横で彼女も彼女で今とこれからのことをいくつも省みた。
ステイルの瞬間移動により無事に貧困街から宿へ帰還した時には、既にレオンとヴァルもセドリック達と合流していた。セドリックの口からそれまでの経過が説明される最中で、合流したプライド達にそのままバトンが渡された。
サーカス団と団長合流からの経緯と新情報も含め改めての事情説明が語られた。
貧困街にいる元サーカス団員にも協力を得たと、ステイルから明日からの新たな策についても説明された後、レオンからの最初の確認が「そのラルクという青年は」という今後深く関わるであろう人物の情報だった。
レオンも、そしてこの場にいる全員が昨日の情報共有の時点でサーカス団員のある程度の演目と担当者の名前程度は頭に入っている。しかしその時にはまだ〝ラルク〟という青年についても幹部の一人であるということ以外特出すべき情報はなかった。
「昨日〝団長らしい彼〟も自慢げに語っていたけれど、団長の息子とは話していなかったなぁ。本当に親子喧嘩程度で済むなら平和だったね」
しかしそんなわけがないと、確信を持って頬杖を突くレオンにプライドも今度は言葉で返事はせずに肩を落とす。レオンがそういった家庭内問題で済むか否かの分別がしっかりしていることはよく知っている。
ラルク。ゲームでもアレスと同じくフルネームが語られなかった彼は、恐らく現実でもあまり団長の息子として扱われることはなかったのだろうと考える。アランが掴んだ情報以外、アレスや元団員は彼のことを行方不明の団長の〝息子〟とは明確には語らなかった。
本当に単純に息子が父親と喧嘩して家から追い出したという話だけであれば平和だとプライドも心底思う。しかし、そうでないのが事実である。しかもゲームではラスボスの右腕だ。猛獣を鞭一つで意のままに操り、追い詰める。しかしそれも彼の本心ではない。
……第一作目で考えればステイルポジション、……だけれど何か違和感があるのよね……。
ふぅ、と音には出さず溜息を吐きながらプライドは考える。
ラスボスの右腕、そして支配下。オリウィエルはグレシルほどは無力でもなく、ステイルのポジションならば攻略対象者に思えるのにどうにも引っ掛かる。
むしろ、サーカス団から逃げ出したアレスを含む攻略対象者を追うという役回りばかり浮かべれば第一作目でいえばヴァルに近いと考えるほうがしっくりくる。しかし、ヴァルは生憎ゲームではただのモブキャラである。
その違和感が、ラルクの状況と設定を思い出した今もどうにも解消されず胸に滞ったままだった。
原因を思い出せない理由を考えれば、やはりラルクの設定は思いだせたのにゲームのルート内容を明確に思いだせない所為かなと思考する。ラルクの設定や状況は思い出せだのに、何故か彼との恋愛イベントが上手く思い浮かばない。主人公だけでも思いだせれば芋式で思いだせるだろうかと明日任せにするしかない。
「何にせよ、無事サーカス団にその団長もアレスも帰還できたのは良かった。カラム殿とアラン殿も居られるならば心配はないだろう」
「そうだね。ダリオの言う通りだと思うよ。あの二人なら猛獣にも勝てるんじゃないかな」
近衛騎士二人に絶対的な信頼を抱くセドリックの言葉に、レオンも同意する。
その反応にプライドは「アハハ……」と僅かに苦笑を漏らしながらも否定はしなかった。普通に聞いたらとんでもない無茶ぶりだが、セドリックもレオンも冗談ではなく本心からの評価なのだろうと理解する。そして自分もまた同意見である。
以前にステイルがアーサーを「素手でクマを倒す」と例えたが、それを言えばあの二人も単独でライオンだろうと象だろうと仕留められそうだと本気で思う。少なくとも武器を持たせれば余裕である。
苦笑のままちらりと視線の方向のまま、セドリックの背後に控えるエリックと目が合えば自分と同じような表情をしているなぁと思う。どこか遠い目をしていたエリックも、プライドと目が合えばすぐに焦点が合った。
自分と同じ気持ちのエリックにプライドもくすりと笑ってしまえば、肩の力も抜けた。苦笑いをしていたエリックだが、やはり彼も自分の隊長達が猛獣程度に負ける姿は想像していないのだろうとわかる。
「団長が猛獣に襲われる前にアレスと再会もできて良かったわ。アランさん達がすぐに保護してくれたからきっと手を出せなかったのでしょうね。流石はあのお二人だわ」
プライドが語った〝予知〟では「団長はサーカスに帰ってきたところで殺されてしまう」だった。
救出しなかった場合のアレスがどれくらいの間奴隷商に捕まりどうやって逃げ出したのかはわからないステイル達だが、間に合わなかったアレスがそれを一生悔いることになるという未来が現実にならなくて良かったと心から思う。
「はい。アランさんは、……むしろ戦いたがりそうな気もしますが……」
ははは……と、エリックも目が合ったままプライドに言葉を掛けられた流れで言葉を返すが、目の向こうにはライオン相手に危機どころか嬉々として飛び掛かるアランばかりがどうしても目に浮かんだ。そして何度想像し直してもやはり蹴り飛ばすか地面に叩きつけている。
最初にサーカス団でライオンや象、虎などという動物を所有していると聞いた時は驚いたが、少なくとも自分はそんな未知の猛獣と対決などしたくない。昔、本ではどんな動物なのか説明や絵を見たことがあるが、実際にこの目にしたことはない。
しかし象が巨大且つ凄まじい馬力を持つ生き物であることも、ライオンが動物の中で最強と呼ばれる捕食者であることもうっすら記憶している。
フリージア王国にも城には時折珍しい生き物が献上されることはあるが、それも生きた状態は稀有である。ライオンも象も、サーカス団で所有している動物はフリージア王国には野生ではいない生き物だ。
見てみたいとは思う、しかし自分なら絶対対決はしたくない。今のアラン達のように銃無しでは無事では済まない。
そう考えれば、貴重な興行動物が今後もけしかけられないことをエリックは願う。
もしそれをアランが相対すれば、サーカス団の希少な動物が一匹減ることになるのだから。
エリックの不安に、プライドも心の中で「確かに!」と叫びながら笑顔が強張った。
ゲームではなかなかの強敵だったライオンも、騎士の前ではなすすべがない。あれは第四作目の攻略対象者達だったからこその強敵である。
ちらりと、そこでアランやエリックと同じ騎士達にそれぞれ目を向ける。
ローランドは未だに姿を消した状態ではあるが、部屋の外を守るアネモネの騎士以外フリージアの騎士は全員壁際に控えている。
ジェイルとマートはエリックと同じく完全に他人事のようにアランの戦闘だけは想像できるように唇を結びながら小さく頷いているが、アーサーは少しだけうずうずと身体が揺れていた。動物を害する趣味はないが、ライオンという猛獣と戦えるならちょっとやってみたいと少し思う。隣に並ぶハリソンは興味こそなく無表情のままだが、負ける気はさらさらない。どうせアランでもカラムでも誰でも騎士ならば負けるわけがないと自己完結している。
誰一人アランとカラムが猛獣に立ち向かうことに心配はしていないのだなと全員の顔色を見て理解しつつ、プライドは段々と動物の方が心配になってきた。
ゲームのように帰還早々襲われることはなかった団長だが、アラン達から聞いた様子でも今後もラルクが彼を狙わないという保証はない。
「んなことしなくても殺させたくねぇなら今度はこっちの宿にでも連れてくりゃあ良いじゃねぇか」
ケッ、と吐き捨てながら面倒そうに投げるのはヴァルだ。
さっきまで黙して状況説明をあらかた耳に通していたヴァルだが、本音を言えば「問答無用で団長かそのオリウィエルを拐えば良い」と思う。隷属の契約で犯罪教唆ができないが、何故プライド達がそんな回りくどいことをするのかわからない。
透明の特殊能力者や瞬間移動の特殊能力者もいる今、命を狙われる団長をそのまま敵のねぐらに置く意味がない。問題が解決するまで無理矢理にでもこちらの宿にでも監禁していればラルクに殺される心配もない。
話を聞いている限り、ラルクが団長を狙うのは殺したいからではなく現場復帰されては邪魔だからだ。ならば望み通り復帰させなければ良い。もしくは、そのラルクを支配下に置いているというオリウィエルをどうにかしても良い。彼女を誘拐するなりして分断し、尋問でも脅迫でもして無理矢吐かせ言うことを聞かせれば良い。アレスのような粋がっているだけの一般人ならまだしも、プライドの話を聞く限りオリウィエルは今後奴隷関係の罪を犯す可能性を抱き、今も計画進行中かもしれない人物である。
それを何故未だにアランやカラムという騎士が潜入して一日も放置したままなのかもヴァルにはわからない。
乱暴としか言いようのない意見に全員が一度目を向ける中、ヴァルはプライド以外の視線が煩わしいと思いながら言葉を続けた。
「そのサーカス団の囲われてる女も、なんでいつまで野放しにしてやがる?潜入なんざしねぇでもたかがサーカスのテント程度紙切れ以下だろ」
テメェなら、と。嫌味でもこの場では〝王子〟呼びのできないステイルへ顎で指せば、ステイルも「ダリオからそこまではまだだったか」と小さく声を漏らした。
セドリックの一字一句違わない説明は順も正確だった為、一番最後に出されたその情報もまた最後に回されたままだった。そしてそこに至る前に、プライド達の合流で中断されたままである。
眼鏡の黒縁を押さえながらプライドへ許可を求めるように視線を向ければ、ここは彼女自身が「私が」と断った。
ステイルも既に把握している情報ではあるが、ここはゲームの設定を思い出した自分が話す方が混乱しないだろうと考える。彼女の意思を受け、ステイルも一礼をしそこは譲った。
もともと、オリウィエルの接触を避けていた理由は彼女についてのゲーム設定をきちんと思い出せなかったから。ラスボスである彼女が自分のラスボスチートのようにどんな奥の手を秘めているかも、ゲームのグレシルにとってのレイのように、誰が主戦力かもわからない。
そして表向きには、〝予知〟したオリウィエルがどこまでを行う人間かも罪人になる可能性がある主犯なのかそれとももう罪人なのかもまだわからなかった。だからこそあくまで可能ならばの接近と情報収取と状況整理を優先した。しかし、アレスと団長からの証言を実際に手にし、そしてラルク関連の〝予知〟により彼女のことを一つ確定していまった今、別の理由でその接近は控えていた。
ステイルとのやり取りを受け、全員がヴァルから視線を移す中プライドは一度大きく深呼吸をした。「それについて情報があります」と声を潜め、しかし全員の耳に届く通った声で言葉を続ける。
「オリウィエルもまた、アレスと同じく特殊能力者であることが判明しました。……その能力というのが、問題です」
特殊能力者。ただその情報だけでも、まだ把握していなかった全員が息を飲んだ。
対抗すべき相手が特殊能力者であるということだけで、その脅威はただの敵とは比べものにならない。特殊能力者の恐ろしさは同じフリージア王国と、その隣国であるアネモネ王国。そして防衛戦で目の当たりにしたハナズオ連合王国のセドリックも身に染みて理解している。
壁に寄りかかり床に座り込んでいたヴァルも特殊能力者という言葉に嫌そうに顔を歪める中、それ以上に顔を曇らせるプライドは慎重に言葉を選んだ。
彼女の特殊能力というのが、と。その説明を始めたところで誰もがまた驚愕と共に顔色を変えていく。
彼女の特殊能力というたった一つの情報量で、宿の外からうっすらと聞こえた筈のライオンの雄叫びも騒然とした最中には聞こえなかった。




