Ⅲ64.越境侍女は止め、
「返せだあ?!テメェらもこいつの仲間か?!」
唾が飛ぶほど大声で喚き散らす男達は、威勢に反して僅かに身体全体の軸は下がった。
臆さず進み出てくる女性と、そして尋常ではない覇気で彼女を守り身構える男達を前に声は出せても安易な実力行使は躊躇った。
彼女の言葉に返しながら、ならばこのフリージア人の元持ち主が彼女らかとも考える。ジロリと睨み落とせば、床に転がったままの青年は視線を僅かに上げて彼女を見返すので精一杯だった。仲間も何も、彼女達とは昨日一度会っただけの関係だ。
何故こんなところに、自分を指名しているのかも彼にはわからない。ただ一つ、彼女達は自分の〝仲間〟などという関係では決してないことだけは思考の中だけで断言した。
「違うわ」と彼女もまた一言で自ら断った。自分と彼の関係は一番近い言葉で「他人」でしかない。取返しにきたのは本心だが、だからといってここで関係は偽る気はなかった。そして、彼らへ正直に答える義理もない。
「彼は一般人で、奴隷ではありません。衛兵にならまだしも貴方達に彼を拘束する権利はない筈です」
「ハァ?!急に襲ってきたのはコイツだぜ!奴隷商にわざわざ喧嘩売ってきて無事でいられるとでも思うか?!」
「彼の非礼については私からもお詫びします」
迷いのない言葉で、淡々とゆっくり歩を進める。
彼らの言い分もまた一理あると、プライドは理解する。突然ここへ襲ってきたのはアレスであることは間違いない。急に襲ってきた相手を返り討ちにしてもそれはあくまで正当防衛だ。勝手に家に上がり込んで暴れた人間を打ち返して、そこで急に偉そうに「返せ」など面の皮が厚いと言われても仕方がない。
しかし、それとアレスが〝商品〟にされることはまた別の話だ。
ぴたり、と。途中でプライドが足を止める。彼らの注目を一身に浴びるのを目の動きだけで確認する。
途中、横切ろうとした男が自分にギリリと歯を食い縛ってきたところで先にアーサー達へと軽く手を上げ止める。今は彼らが手を出さないようにと意思を示してから間もなく、殺気を交えた男の一人が剣を振り上げて来た。明らかに戦闘慣れしている男達相手ならばまだしも、こんな女一人に偉そうな態度は我慢できないと彼女の喉元へ刃を突きつけようと考えた。これ以上前には進ませない折角の獲物には近づけさせない話が終わってないと、その耳元で脅してやるつもりだった。しかし
彼女へと振りかぶった手首が、掴み返されるのが先だった。
ほんの一瞬、瞬く間に男は細く白いその手に捕まれ、振りかぶった勢いのまま剣を握る手を捻り上げられた。
抵抗する間もなく気付けば自分の方が「あだだだだ?!」と間接技のまま顔を顰めることになる。屈強な男でも関節までは簡単に鍛えられない。
あまりに勢いよく振るった反動で、手首への捻り上げも強められ自ら痛ませた。あまりの唐突な痛みと動きを奪われたことに、気付けば握られていた剣がそのまま痺れる手の中から滑り落ちた。床へ落下しようとしたその剣を転がるのも待たず、プライドは空中でそれをパシリと捕まえた。刃ではなく的確に柄を掴み片手で男を捻り上げたまま、反対手で掴んだ剣を逆に男の首へと突きつける。
ギラリと鈍く光る刃をギョロつく目で凝視しながら、男は今女へやろうとしたことをそのまま自分がされていることに喉を鳴らした。
剣を振り上げてからたった数秒での立場逆転に、これはなにかの夢かとすら考えてしまう。
「……奴隷は、正規の経路で得た以外は本来ラジヤでも売買は違法の筈です。一般人の彼を突き出すならせめて衛兵でしょう?」
刃先のように鋭く静かな声に、剣を突きつけられた男だけでなく周囲の仲間達も心臓の拍動が脳まで響いた。あくまで正論を突きつけてくる女性が、逆にその実力と同じく常軌を逸しているように見えてくる。
「ッば!馬鹿が!!ふざけんな!!どこにこいつがうちの奴隷じゃねえ証拠がある?!」
確かに、アレスを処罰するのなら本来商品棚ではなく衛兵にだ。しかし男達にとって衛兵に突き出したからと言って何の得にもならない。それならばこの場で八つ裂きにして埋めた方が遥かに清々する。何より、上級に数えられる奴隷をせっかく確保したのに売らないなど勿体ないことをするわけがなかった。
ぎりぎりと首に突き付けられた刃よりも、捻り上げられた手首から肩関節が痛みながら男は目を血走らせる。
自分の正面からあっという間に背後に回り込んでいる女を届かない視界で睨みながらギリギリと歯を鳴らす。自分がこんな目に遭っているにも関わらず仲間の誰も未だ動こうとしないことにも腹が立つ。しかも彼女を睨んでいる間に、誰のものかはわからないが大きな欠伸の音まで急に聞こえて来た。
痛みに比例して苛立ちが加速し苦し紛れに唾を吐く男の言い分は、誰が聞いてもまかり通るようなものではなかった。
アレスが彼女達の知り合いである以上、奴隷ではない証拠の生き証人が彼女達でもある。
だからこそ最善は助けに来たらしい彼女達ごと葬るか丸ごと商品にしてしまうことだが、今はそれも難しいと突き付けられる。
最初に扉前で瞬殺された男二人も、今女性に手を捻り上げられている男も決して奴隷狩りの中で実力も下の方ではない。それをここまで圧倒的に制圧する彼らが異常だった。
しかし男の言い分にプライドは一度下唇を音もなく噛んだ。意図せぬ男の発言に、アレスが奴隷であることももう知っているのかと考える。
彼がゲームの設定どおりであるならば、むしろ〝奴隷だった〟痕跡の方が彼にある。
プライドが言葉を返さなかったことで、背中を向けたままの男は少しだけヘッと笑った。言い返せないことに、理論武装しようと所詮は女だと見下す。その女に今自分は捻り上げられていることも今は棚に置き、罵詈雑言を吐くべく息を吸い上げた。
「だれがどう言おうともうこいつは俺達の商品だ!!!文句があるなら証拠を持ってきな証拠を!!」
「さて。その〝商品〟とはどちらのことでしょうか」
無理矢理胸をふんぞり返らせてでも言い負かそうとした男声に、また別の青年の声が上塗られた。
先ほどまで黙していた青年は眼鏡の黒縁を軽く指先で直してから冷ややかな目で彼を見返した。プライドに命じられた以上アーサー達と同じく手を出さないが、正直に言えば早々にその汚らしい口を封じさせたいくらいだった。
ステイルからの投げかけに、男だけでなく部屋中にいた他の仲間達も一瞬意味がわからなかった。どちら、という投げかけのままに自分達にとっての上物商品に自然と目がいけば、次の瞬間に絶句する。さっきまですぐそこに縛られ転がっていた筈の男が消えていた。
慌て部屋中を顔や身体ごと振り返りぐるぐると隅々まで確かめるがどこにもそれらしき影すらない。「どこいった!?」「いつの間に?!」と男達は当然彼を助けに来たらしいプライドやステイル達を睨むが、彼らが入ってきてからそれ以上部屋の中に進み入っていないのも自分達はその目で確認している。
分かりやすく慌てふためく男達にステイルは腕を組みながら冷ややかに見返し、そして近衛騎士二人も答えない。
ぐわぁ、と大きくこれみようがしに二度目の欠伸を零すヴァルは、大口と共に頭に過る屈辱的な記憶を吐き出した。相変わらずのバケモンだ、と心の中で呟きながら肩の荷袋を背負い直す。隣に立っていた青年も無事に〝確保〟されたらしいアレスに安堵してから、こっそりとヴァルの耳元へ顔を近づけ小声で呼びかけた。
「君も驚かないんだね?」
「あーー?どれにだ。バケモンなのは今更だ」
奪還戦で一度プライドの実力を確かめた自分はともかく、ヴァルまでここまで落ち着いているのはレオンには少し意外だった。




