そして手続きする。
「申し訳ありません、第一王女殿下にこのような手紙の受け渡しを担って頂いて……」
「良いのよ。だって私の直属刺繍職人だもの。どちらにせよ、私に一度は許可を求める手紙が来るわ。件の花嫁衣裳の公爵からも依頼は来たから」
プライドの言葉に合わせ、今度は合図をするまでもなくマリーが二枚目の書状をネルへと手渡した。
ロッテがプライドとレオンのカップに新しい紅茶を注ぐ中ネルはその香りを深く吸い込み、差出人を確認する。〝ティレット〟と書かれた書状は間違いなく以前にステイルから聞いた公爵令嬢の家からだった。
今回は直接ネル宛てではなく、あくまでプライドへの伺い状である。宛先がプライドの為、中身を読んでも良いか尋ねてから中身を開けばそこには是非ネルを屋敷に招待したいという旨だ。その為に雇い主であるプライド王女からも紹介もしくはご許可をと書き綴られている。
しかし、あくまでネルはプライドの〝専属〟ではなく〝直属〟である。
「ティレット公爵も城にいるから、良ければこのまま案内させるわ」
手紙にも時間はいつでもと書いてあるでしょう?と笑うプライドは、あくまでネルの自由意思に任せる。
本来であれば専属の囲い込みでない限り、逐一ネルの雇い主の一人に確認を取る必要はない。ただし今回はプライドのお抱えという印象がセドリックの誕生日パーティーでついていた。
正体も謎の無名の新人ということもあり、その背後に立つ王族に貴族が礼儀を通すのは当然だった。ネルへ直接交渉しようにも彼女の名前すら明かされていないのだから。
貴族……という言葉に、口の中を飲み込んだネルだが、少なくとも今以上に緊張する相手ではないだろうと思う。信頼できるプライドから「大丈夫よ。最初は話を聞くだけだと思うから」と言われれば、頷けた。
「あとセドリック、セドリック王弟なら多分これからすぐでも会えるとは思うけれど……」
頬に手を当て、笑ってしまいそうな表情筋をプライドは指先で押さえつける。
ジルベールと同じく、ネルから依頼を受けてもらえた人物のもう一人。国際郵便機関の統括役である彼は決して暇人ではない。
しかしもともとネルの刺繍についても前向きどころか前のめりだった彼の性格上、今使者を送ればすぐに馬車で訪れてくれるだろうと確信がある。本来ならば、この場に事前に呼ぼうかともプライドは考えた。その方が効率的ではある。しかし、……ネルの心境を考えれば得策ではないと判断した。
現に、目の前のネルの顔色は青から赤へまた青へと忙しく変わっている。それを確認し、プライドは苦笑気味に言葉を続けた。
「……けど、きっと相談ならお兄様であるランス国王とヨアン国王もご一緒の方が良いかしら。三人揃っての刺繍をという希望だったし、少し間は空いちゃうけれどお二人が来国された時に今日みたいに呼ぶ方がネルも手間がないわよね」
顔合わせだけでもと言うのならすぐにセドリック王弟は呼ぶけれど、と控えめに言うプライドにネルは全力で且つ丁寧に「ええ、その時に是非」と断った。
ただでさえ貿易国王子のレオン相手に心臓が危ういのに、ここでもう一人話題の王子に来られては本気で心臓発作を起こすと思う。
ネルの返事にやっぱりと思いながら、可愛い反応にプライドは片手で口元を隠して笑ってしまう。ふふっ、と声が漏れればネルも今度は恥じらいに頬が染まった。自分の焦りを見通されてしまったと肩を狭くする。自分より年下の王女だが、やはり王族となれば気品が違うと思う。
まさか一か月前にはその気品の固まりに自分が被服の授業を行っていたなど夢にも思わない。
視線の逃場を探すようにバッグへ逸らせば、そこで大事なことを思い出す。レオンへの品とは別の、プライドから発注の受けた品だ。
「ッあの、プライド第一王女殿下。こちら、早速お作りしてみたのですが……」
可愛らしく包装した手のひら大のそれを両手でプライドへと差し出す。
その大きさだけで何か想像がついたプライドはパッと目を輝かせた。えっ、と息を飲んだ後には早速両手で受け取る。
「もしかして」と声を漏らせば、ネルからの緊張気味の笑みに期待が膨らんだ。小さく軽いそれは机に置かず、直接自分の膝に置いたプライドは早速包装を丁寧に紐解いた。可愛らしい布とリボンで結ばれたそれは、レオンに出したような刺繍作品ではない。
しかし、中身を確認した瞬間、第一王女の黄色い悲鳴を部屋に木霊させた。
きゃあああああああっっ!!と腹から肺にまで力を込めた発声に流石のレオンを丸い目で振り返る。
見れば、頬を桃色に染めたプライドの顔は幸せいっぱいに緩み切っていた。まるで猫でも抱き上げるように両手に持ち天井方向まで掲げ見上げるその先には可愛らしい人形が握られていた。
金色のウェーブがかった髪とドレスを纏う、手のひらサイズのティアラの人形だ。
「可愛い!!可愛い可愛い可愛いっ!!すっっっごく可愛いわ!!ティアラにそっくり!!」
「ほ、本当ですか?まだティアラ様に直接お目にかかったことが一度だけで、造形が甘い部分があるかもしれないのですが……」
目をきらきらさせて声を跳ねさせるプライドに、ネルも頬を染めて汗をじんわり湿らせる。
学校でも何度かティアラを目にしたことはあったが、授業に訪れたことはなかった。直接ティアラに会ったのも少ない中、第二王女の評判として知れ渡った特徴やイメージに頼った部分もある。
ドレスには少し手を込ませたが、それも並べて既存のプライドとステイルの人形と質が変わらないように見える程度。最初から王族に渡すものであればもっとドレスから装飾まで凝ませたが、今プライドとステイルが持っている人形以上の質にして違和感を持たせたくはなかった。
結果、他の人形と同じシンプルな造形になってしまった。
作るのは簡単で時間も手間もかからなかったが、プライドに見せるまで自信もなかった。
ただの髪型と目の色だけ揃えたお姫様人形じゃないかと自分でも不安は残る。しかし、そう見えるのは製作者だけだった。
背後で一緒に見ていたアーサーとカラムの目にも、ティアラの人形は間違いなく彼女に似ていた。そしてシンプルな顔立ち構造だからこそ、プライドがこうして両手に握って抱き締めて頬ずりをしていても微笑ましい。
あくまで〝マスコット〟感覚の可愛い人形は、プライドにとってもちょうど良かった。まるでゲームセンターで大当たりを掴んだような感覚に、椅子から飛び上がりそうになる。
「すごく気に入ったわ!ありがとう!!早速飾らせて貰うわね。……あの、早速次もお願いしてもいいかしら……?」
期限はいつでも良いから。と、断るプライドにネルも一言で了承した。
そのくらいのもので良ければと言葉を飲み込みながら、子どものようにはしゃぐ第一王女が可愛くて笑ってしまう。ネルからの返事にパッと目を一段と輝かせるプライドはそのままぐるりと振り返る。
その瞬間、激しく肩を上下した近衛騎士は言われる前から予感し喉を反らした。
「じゃあ次はアーサーをお願いできるかしら?アーサーなら会ったこともあるから作りやすいかなと思うのだけれど」
「ッいえプライド様!!ですッから自分はそのっ!もう騎士の人形あるンですから良いじゃないすか!!」
思わずネルの前にも関わらず言葉を乱してしまうアーサーに、カラムも今は目を瞑る。アーサーの取り乱したい気持ちは痛いほどよくわかる。
むしろ味方になる勢いで無言のまま頷いた。今はアーサーだからカラムも平和なものだが、そうなれば次にプライドがどう揃えたくなるかは想像できた。近衛騎士の人形まで揃えたいと言いだされれば、自分達の人形もまた間違いなく今のティアラの人形と同じように可愛がられる。想像だけで死にそうになる。
少なくとも羞恥で皮膚まで焼け爛れ、そして直視できなくなることは間違いなかった。
しかしネルは正直である。「アーサーなら……」と一度作った実績もある友人をモデルに控えめに頷いてしまう。
ネルの了承は得たものの、アーサーの猛攻にプライドも肖像権の侵害はできないとティアラの人形を抱き締めながらアーサーへ上体ごと振り返った。
「………駄目?」
「ッだ!……め、です……。~~っ……その、恥ずかしいンで……」
「でも、せっかく私もステイルとティアラも並んだならアーサーや近衛騎士の皆も。……その方が賑やかだし」
「~っ、せめて、もうちょい考えさせて……ください……。……~~すんません、……まだ、心臓が、準備……」
「じゃあ先に僕の人形は駄目かな」
ポンっと投げられた言葉に振り向けば、レオンだ。
ジリジリと炙られた顔で目を逸らしていたアーサーと静かに応援するカラムも、予想外の参加に注目する。
プライドとネルも見上げる中、さっきまで積まれた箱に夢中だったレオンが彼女達のすぐ傍まで歩み寄ってきていた。
じっ……と興味深そうに翡翠色の眼差しで見つめるのは、プライドが抱き締めるティアラの人形だ。
完成度も人形としてちょうどよく可愛らしく、プライドの言葉を手繰れば既にステイルとプライドの人形もあるらしいと察する。
ネルの可愛らしい人形に、プライドもあるならとうっすら欲求も湧いたレオンだが、流石に盟友とはいえ元婚約者の人形を単体で持つのは躊躇われる。しかし、プライドの部屋に飾ってもらえるのは興味深い。既にステイルや騎士の人形が配置されているのもレオンには都合が良かった。
レオンの人形……とプライドが思い浮かんだところで、確かに絶対可愛いと思う。何より本人が良しと言ってくれるならこれ以上のことはない。今も「もちろんプライドに持っていてもらう為に。費用も払うから」と言われれば公認だ。
「良いわねっ!レオンの人形もすっごく見たいわ」
「お、お時間は頂いても宜しいでしょうか……?ちゃんと間違わず作らせて頂きたいので」
「勿論さ。これから先も何度も会う機会はあるだろうしね。楽しみにしているよ」
滑らかに笑み、再び服を翻る。
再び箱の品定めへと戻っていったレオンに、ネルもこくこくと小刻みに頷いた。
予期せぬレオンからの助け舟に深く息を吐いたアーサーと、前髪を指先で整えたカラムだが、すかさずプライドが「その間に私の近衛騎士達にもたくさん会って欲しいわ」と両手を合わせて笑った。その瞬間、またギクリと二人分の肩が揺れる。
未だプライドはそちらも諦めてはいない。
「楽しみだわ。お蔭で私の部屋も賑やかになるもの」
「因みに、プライド様の近衛騎士は三名で宜しかったでしょうか……?」
「いいえ、今は五人よ。いつか紹介するわね」
フフッ、と口元を隠して笑いながら未だにネルが直接近衛騎士として会ったことがあるのはアーサー、カラム、エリックのみだと思い出す。
残り二人に改めて会わせるのも楽しみだと思いながら、敢えて今はセドリックの護衛だったとは明かさない。……まさかその一人へ既に今日がっつり会っているとは思わず。
カップに指を添え紅茶に口を付けるプライドを真似するように、そこで初めてネルも冷め始めた紅茶に口をつけた。
何度も飲んでも上等感この上ない紅茶の味は冷めていても格別だった。今は味も香りもわかる分、比較心が落ち着いている方かしらとこっそり自己分析する。
お茶菓子もいかが?と言いながらロッテへ目でプライドが合図する。すると、ネルの返事よりも先に足早にロッテが廊下に控える侍女達へと菓子の準備を命じに向かった。
レオンが品定めを続ける間、せめて少しでもネルが寛げるようにプライドから次の一手を差し出す。
ティアラの人形を傍らに寄りかけ座らせながら、短く鼻歌を溢してしまう。
「マリー。レオンとの取引が終わったらネルに公爵の家まで付き添ってくれる?寄り道しても馬車を使っても良いから」
「承知致しました」
さらりと掛けられたプライドの気遣いに、ネルは胸をいっぱいに膨らませた。
流石に王女に付いてきてとは言えないが、いきなり城に住む公爵にアポなしで訪れるのは流石に勇気がいる。そんな中、友人にもなったマリーが一緒について行ってくれるのは心強かった。
立場とはしては使用人である彼女だが、第一王女の専属侍女である。マリーが傍にいるだけでも、プライドの威光でいくらかは守られている同然だった。なにより、ネルにとってもマリーは信頼できる女性だ。
ありがとうございます……!と遠慮の余裕もなく胸を押さえ付けながらネルが頭を下げれば、プライドもほっと音にならないように息を吐いた。
自分がズンズンと前に出ることはできないが、こうしてネルの力になれたなら良かったと思う。
小さく笑みながら足音も立てずにそっとネルに歩み寄るマリーは、あくまで侍女として「宜しくお願い致します」と頭を下げた。ネルへと腰を低め、そっと「途中で庭園を回りましょうか」と囁きかける。
国でも最上級の庭園を見て回ればそれだけでも心を落ち着けられると考えた。嬉しそうに顔をパッと輝かせるネルの反応を見れば、間違いもなかった。
部屋全体がやっと平温以上の温かな空気になり始めたところで、菓子を用意した侍女達からノックが鳴らされた。レオンの品定めが終えたのは、夕方に差し掛かってからだった。
「良い目玉商品がまた増えた」と喜ぶレオンにより、その場で全てが買い取りを決められた。
提示された総額に、ネルが叫喚を上げて眩暈を覚えるのはそれから間もなくのことだった。




