Ⅱ560.兄は紹介され、
「フィリップ。改めて紹介しよう。我が姉君プライド・ロイヤル・アイビー第一王女の近衛騎士の一人だ」
エリック副隊長にはもう会ったな?と確認を取られながら、目の前でステイルの手により示される騎士にフィリップはまた喉が鳴る。
既に嫌な予感しかしない。
従者の仮面のままに「お初にお目にかかります」と口上と共に礼をしたが、目は明らかにそれ以上を言っていた。
フィリップの深緑の瞳が白黒しているのを全員が理解しながらも、今はステイルの紹介に全てを託し口を噤んだ。
アーサーも口を結んだまま大きく腰を折って礼をするだけに留める。本当はステイルに紹介されるか話す機会を得るまで自分からは不要な発言はしないようにしようと考えていたのに、結果としてがっつり自分の発言を聞かれてしまった。きっともう気付いているのだろうと覚悟して蒼の瞳を大きくカッ開きフィリップに合わせた。
そして誰もの推察通りフィリップも既に予感はしている。当時ジャンヌをアムレットに紹介された時、自分が挨拶したのはジャンヌだけではないもう一人いたのだから。
銀色の髪をおさげに束ね青色の瞳に銀縁眼鏡をかけた、身体つきの良い高身長の青年を。
「恐らく、もう察しはついているだろう。彼は護衛の騎士として俺と姉君を常に傍で守るべく生徒の姿に扮していた〝ジャック〟だ」
だよな?!
そう、フィリップは素の発言が喉からすっぽ抜けないように意識的に唇を噛んだ。ガチィ!と思い切り噛んだ所為で若干噛みきったが、ぴくぴくと口端を少し攣るだけで済ませる。
それよりも何故そんな大事な重要人物をもっと早く紹介してくれなかったんだと思う。確実に自分の姿なんかよりも遥かに重要事項だろと心で叫ぶ。
今日一日だけで、場所が場所であれば大声で叫びたいことが多過ぎる。今までどこの屋敷で働いてもこんなに胸の内から叫んでしまいたくなることなどなかったフィリップにとって、軽い拷問だった。
友人が目の前にいるだけで、王子だとわかっていても妙に内側の奥の奥で気が緩んでしまう。貴族や金持ち相手であればどんな会話も大概は対岸の火事のように別世界として見聞きして流せたが、今目の前で自分の目の前でとんでもない言動を繰り返すのは旧友だ。
肩が片方だけぎこちなく上がった状態でアーサーへと改めて礼をすれば、とうとうジャックと同じ声の青年も勢いよく頭をまた下げた。
「フィリップさん、本当に色々騙しててすみませんでした。校門前ではお世話になりました。アムレットにも友人として良くしてもらいました。アーサー・ベレスフォードです。プライド様の近衛騎士をさせて頂いています」
ジャックの名前はあちらの近衛兵のジャックさんからお借りしましたと。
続けて頭を下げたままの体勢で扉際の近衛兵を示され首を向ければ、ジャックもぺこりと礼をした。ジャックはジャックでいたのかとこっそり思いながら、フィリップは心の中でこっちかーーーーーーと叫ぶ。
段々顔に隠せなくなりヒクついた口がそのまま微妙に開いて不出来に笑ってしまう。慣れない眼鏡が傾いたまま直されない。
「いえ、私こそ大変失礼致しました。私のことはどうぞ呼び捨てでお呼びください。お二人とも私より身分も年も上の御方ですので……」
十四歳の少年少女が、実際は二人とも自分より年上だった。その事実だけでも自分を「フィリップ〝さん〟」と呼ぶなんてと思うが、しかも相手は遥かに高い身分の人物だ。
まさか当時は「兄ちゃん」と呼ばせようと考えていたことなど今は思い出したくもない。
自分の妹やパウエルは第一王子に第一王女に続いて近衛騎士とも仲良くなったのかと思いながら、とんでもない相手に仕事を紹介しようとしてしまったと後悔する。
ジャックの時から顔も整い背も高い青年だったが、本来の姿を見れば背が高いどころじゃない。身体つきが更にしっかりと逞しくなり、背も至近距離に立てば顎の角度を上げないといけないほど高い男性だ。心なしか低くなった声も面影ははっきりあるが、今は目を瞑っても騎士だとわかるしっかりとした声だと感じられた。
アーサーと、そしてさっきまで自分を丁寧にさん付けをしてくれたプライドへもやっと頭を下げて断りをいれる。そこで一気に口の隙間から息を吐き出した。
両手を身体の横に限界まで頭を下げるフィリップを前に、プライドとアーサーは互いに半分笑った顔のまま目を合わす。プライドもまた、アーサーの気持ちはよくわかる。
「あの、自分は騎士っつっても別に王族でも貴族でもないので……お気にせずアーサーと呼んで下さい。フィリップさんも、自分が呼びやすいからそう呼びたいだけですから……」
「では、アーサーさんでも宜しいでしょうか。本当に畏れ多いですが……」
あっ良いな!とプライドは心の中で叫ぶ。
自分が呼びやすいからという至極真っ当な意見で、ジャックだった時と同じ話し方で話せそうなアーサーが羨ましい。自分も本音を言えばフィリップのこともエフロンお兄様と呼びたい。ネルのこともネル先生と呼んで良いくらいだ。
二人の柔らかいやり取りにステイルも片方の眉をぴくりと上げながら口を結ぶ。
早速公的ではあるがアーサーの方が自分よりもフィリップに親しい呼ばれ方になったのが少し悔しい。むっと表情に出さないようにしながら頬杖を突く中で「じゃあそれで」「宜しくお願いします」とぺこぺこ腰の低い同士の会話が続いたその時。
「……。アーサー、さん……。⁈…………ッッアーサー?!!!!!」
ぎょっ!!と、今度はうっかりフィリップの大声が部屋に破裂した。
予想をしなかったフィリップの反応にアーサーも身構え、ステイルも大きく瞬きをして見返してしまう。エリックが反射的にプライドを腕で庇い、その背後でプライドも両耳をわずかに抑えるポーズのまま固まってしまう。その中で一番に目が飛び出そうなのは叫んだフィリップ本人だった。他の誰でもなく目の前にいるアーサーを前にぽっかり口を開けたまま固まる。
明らかなフィリップの反応に、まさかネルだけでなくフィリップともどこかで知り合いだったのかとステイルもプライドも思考を巡らす中、じわじわと背中を反らす角度が大きくなっているアーサーは訳も分からない。「ど、どこかで……?」と全員の疑問を代表として声を絞り出せば、そこで顎が外れたフィリップが口を再稼働させた。
「近衛騎士でアーサーって……あの、まさか件の〝聖騎士〟の……⁈」
「…………はい」
そっちかと、アーサーが表情が強張ってしまうまま今日一番小さく頷きで返した。
ステイルとプライドもやっと腑に落ち、肩の力が抜ける。プライドがそっと前に庇ってくれたエリックの腕に手を添えながら「ありがとうございます」と返し、またフィリップとアーサーを見比べた。
城下に住み、各方面で働き更には貴族の屋敷で従者もしていたフィリップが聖騎士の噂を知らない筈がなかった。
〝聖騎士アーサー〟と、その名前は、フィリップも当然聞いている。奪還戦後に歴史上三人目の聖騎士が生まれたと、それがプライド王女の近衛騎士でもある〝アーサー〟だという話も各方面から何度も聞いていた。
フリージア王国騎士団には新兵を除いても大勢の騎士が所属しており、その中で〝アーサー〟という名前だけを頼りに騎士を探すことは難しい。ただのアーサー騎士であれば、フィリップもそのまま聞き流すところだった。まさか目の前にいる若い騎士が伝説の聖騎士とは思えない。
しかし、〝第一王女の近衛騎士〟の〝アーサー〟など二人といるとは流石に思えない。
さっきまで棒立ちだった足が、気付けばぐいぐいとアーサーの方へ二歩三歩だけだが進んでしまう。目をギラギラさせながらさっきまで従者らしい姿勢だった首が今は前のめりだ。
「フリージア王国で歴代三人目の聖騎士の⁈最年少で騎士団に入団と入隊を叶え騎士隊長昇進の最年少記録も塗り替えたというあの噂の⁈」
「そ……うです……。いえでも聖騎士になれたのは本当に」
「女王から褒美にプライド第一王女殿下へ常にどこにいても傍に行ける護衛優先権を与えられたというあの⁈」
「~~……はい」
「奪還戦でプライド第一王女殿下を一人でラジヤ帝国から奪い返したあの⁈」
「…………………………は、……い……」
ぐぐぐぐぐぐぎぎぎぎぎぎ……。
途中まではじわじわと顔の火照りが上がって来たアーサーが、最後の噂にンぐっと口の中を飲み込み歯をこれ以上なく食い縛る。
自分が聖騎士であることも記録のことも女王相手に思い切り過ぎた願いを叶えて貰ったことも事実だが、最後の最後だけは表向きの称号だと叫びたい。
あれは自分一人ではなくて他にもステイルやエリックを含む大勢の人間の功績で、自分は色々と事情が合って騎士剥奪を取り消して貰う代わりにその重すぎる上に光栄過ぎる功績を表向き与えられただけなのだと。〝一人で〟という言葉がどうにもアーサーには未だ上手く飲み込みきれない。
特にフィリップはステイルの旧友だと知れば、どれだけあの奪還戦でステイルが頑張ったのかをこの場で言いたいくらいだった。
鼻筋に皺を寄せ、苦しそうに表情筋を強張らせるアーサーに、事情を知るプライドもエリックもそしてステイルもなんとも言えず口が笑ってしまう。彼らからすればその噂にも全く何も文句もないが、嘘が苦手な正直者な彼がどういう気持ちなのかはよくわかる。
しかし目の中が輝くフィリップはアーサーの葛藤にも気付かない。それよりも、今まで従者や仕事の合間に何度も噂で聞いていた伝説の聖騎士が実在して目の前にいる興奮が強い。騎士を志したことなど一度もないフィリップだが、目指す目指さない関係なく男性が熱く憧れ尊敬の眼差しを注ぐのが〝騎士〟であり、特にその中でも〝聖騎士〟など憧れ中の憧れだ。
「すげぇ……ッではなく、お会いできて光栄です聖騎士様。あの、宜しければ握手して頂いても宜しいですか……?!」
おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉ……と、声にも出そうなほど胸の内で唸りながらフィリップはおもむろに手を伸ばす。




