Ⅱ558.兄は聴取される。
「失礼致します。従者の立場でありながら出過ぎた真似を、大変申し訳ありません」
「いつもの口調にしてくれフィリップ。その為にこの部屋に呼んだ」
今この場にいる全員は信用できる、と。
深々と礼をして歩み寄ってくるフィリップにステイルは頬杖を突いて振り返った。今朝から従者としてフィリップが身の回りに控えていることはわかっていたが、敢えて自分から話しかけはしなかった。城で雇われた彼は、あくまで自分の〝従者〟でしかない。フィリップ自身もそれをよく理解しているからこそ、人前で安易に話しかけてこようとしなかったのだろう考える。
そして何よりも、自分自身今のフィリップとはあまり会話をしたくなかった。
「そう、……仰られましても自分は一介の従者に過ぎませんので」
「俺から頼む。と言っている。お前のその話し方では俺も聞いていて気味が悪い」
無茶言うなと、心の中で叫びながらフィリップは一度唇を結んでしまう。
ここにいるのがステイルだけだったら未だしも、第一王女や専属侍女に騎士まで見ている中で、ステイルに砕けた会話などできるわけもない。目上の相手には自分もまた従者としての話し方の方が遥かに慣れている。二極端な話し方しかできないフィリップには中間地点の話し方をする方が難しかった。
唇を結び、なんとか笑みだけを守りながら沈黙で返してしまうフィリップに、二人の様子を見守っていたプライドも気持ちは痛いほどわかった。
ジャンヌとして、フィリップの本来の話し方を思い返せばこの面々の前で話すことが憚れることも、そしてステイルが今のフィリップの話し方に聞きなれなさを感じる理由も。
しかし唇を縫い留め固まるフィリップと同じく、ステイルもまたここで折れる気はないと言わんばかりに頬杖を突いた姿勢のまま口を閉ざすままだ。視線だけで投げかけるようにプライドは振り返り、アーサーと目を合わせた。アーサーもアーサーで、近衛任務中にはなるべく発言を控えている今、言葉ではなくなんともいえない表情でプライドに返した。
言葉を交わさずともそれだけで「どうしようかしら……?」「いやいきなりは無茶だと思います」と互いの意思は疎通した。
今目の前でまるで昔のように大人げないステイルと、必死に従者として務めようとしているフィリップを見ると、アーサーとしてもフィリップの気持ちは他人事ではない程度に共感できた。
部屋に妙な空気が流れ続ける中、とうとうプライド自らやんわりと助け船を出すことを決めた。
「す……ステイル。まだフィリップ、も入ったばかりだし、慣れてきてからでいいんじゃないかしら?それよりもさっきの話の意見が聞きたいわ」
ねっ?と、細い声で優しく撫でるように言葉をかける。
言いながら、自分もまだフィリップを呼び捨てにすることに慣れないと自覚すれば、余計に今はフィリップの味方になりたくなった。
立場としては王女と補佐の従者という関係だが、アムレットのお兄様だという意識が強い今では〝エフロンお兄様〟と心の声のまま呼ばないようにするだけで精一杯だった。プライドの言葉に同意するように、アーサーも無言のまま大きく頷いた。自分だって未だに近衛騎士以外の前でステイルと砕けた会話をすることに気が引ける。
プライドからの後押しに、ステイルもむっと小さく唇を結んでから肩の力を抜いた。確かに話がこのまま停滞しては何も進まない。
仕方がなく息を吐き、「それで」とフィリップに黒縁眼鏡の向こうから視線を合わせた。頬杖を突いたまま丸い背中で足を行儀悪く組む姿勢は偉そうにふんぞり返っているようにも見えるが、部屋にいる全員はそれがただむくれているだけだと察せられた。
「フィリップ。話し方はなんでも良いからお前からも聞かせてくれ。姉君の考案された機関〝学校〟は、教育水準を賄う為だけではなく養育保護施設である〝寮〟もあったからこそ素晴らしいのだと」
はっきりとした口調に反し、低く独り言のような声量のステイルは途中から早口になった。
本来、フィリップの意見などこの場では必要ないことはステイル自身もよくわかっている。しかし、せっかく自分の従者になってくれたフィリップとこのまま主従関係のみで距離が開いたままになるのも嫌だった。
まだ研修中であるフィリップと何の気兼ねなく会話できるのはこの時ぐらいである。
しかし、ただ会話したかった。などと子どものような言い分を言えるわけもない。
取り敢えず保留された言葉遣い問題に、心の中で胸を撫でおろすフィリップもここでようやく口を開ける気持ちになれた。自分の話し方や声がどう考えても上流階級向きではないことを自覚している自分にとって、やはり今は従者としての話し方でないと口も開きにくい。
「ステイル様の仰る通り学校は」
「ステイル。もしくはステイル〝殿下〟」
「っ……す、ている殿下の仰る通り、学校は私共のような庶民にとってー……」
むぐぐっ……!!と、出だしから早速矯正を突っ込んでくるステイルに、一瞬だけ苦虫を嚙み潰したような顔をしたのをプライド達はしっかり確認した。
様付けよりも殿下呼びの方が距離感はあるように聞こえるが、それでも様付けは受け付けられない。ステイルにとって昔の友人に様付けされることは不服なのはわかるが、フィリップとしても今までの主人とは違い過ぎる要望の数々に苦戦する。
特殊能力で今の姿の時、ある貴族の令嬢に雇われた時に「お嬢様じゃなくてユリアンって呼・ん・で?」と迫られた記憶が頭を過る。あの時は身の危険を感じ全力で即日退職して逃げたが、今回は逃げられない。今まで妹とパウエルには勿論ステイルを含む友人にも拳をふるったことがないフィリップだが、今は怒鳴れない分拳に鬱憤が蓄積されているのを手のひらが熱くなるほど感じた。
もう言うなよ?もう話に突っ込んでくるなよ⁈と頭の中でいつもの倍量叫びながら、フィリップは言葉を選ぶ。
自分の立場だったら生活の保障の方が助かった、今も妹が寮にいるから安心して一日仕事に集中できると。話を振られるまで自分でも頭で考えた意見を丁寧な口調でプライドに伝えた。
話しながら勝手に肩にまで力が入り、緊張の所為で何度か喉を物理的に詰まらせかけながらのフィリップの発言は、声だけ気にしなければプライドの知るエフロンお兄様とは別人だった。
しかし、内容は間違いなく妹を何年も男手一つで守って来た優しい〝兄ちゃん〟の言葉だと思えば、プライドも自然と口元が緩み微笑ましい気持ちになった。
「そう言って貰えると嬉しいわ。アムレットは授業もずっと真面目で、……特待生についても喜んでくれてすごく嬉しかったもの」
「!ええ、仰る通りですお嬢さ、……プライド様。妹は特待生を知った日には絶対なると本当に意気込んでおりました」
「良かったわ。……。ちなみに、良かったら私のことも前みたいに呼び捨てでー……?」
呼んで見たりとか……?と、笑顔を保ったまま少しだけ欲を出すプライドだが、直後には全力の丁寧語で断られた。
一発玉砕してしまったプライドも、予想はできていた為眉を少し垂らす程度だったが、フィリップの方はじわりと緊張で顔が赤らんだ。ジャンヌの時に、第一王女相手に自分を兄ちゃん呼びしろと言ってしまったことは忘れていない。
ステイルを呼び捨てにすることもできないのに、よりにもよってもっと偉い生粋の王族である女性に呼び捨てなどフィリップにできるわけもなかった。
しかし、プライドもプライドでやはり自分の中ではエフロンお兄様であるフィリップに様付けされるのは足の裏がそわそわする感覚がした。ステイルのように旧友でもなく一度しか挨拶していない関係の為、〝殿下〟呼びされるのも一歩距離を取られた感覚がするから嫌だが、しかし欲を言えばこういう人の目が気にならない会話の時だけでも「プライド!」と元気よく呼ばれたいと思ってしまう。
「いっそ〝ジャンヌ〟でも良いのだけれど……」
「なら俺のこともフィリップで良いぞフィリップ」
「謹んでお断り致します」
申し訳アリマセン。
そういつもより流暢ではない言葉遣いで最後に深々とフィリップは頭を下げた。
甘えるようにか細い声で笑いかけてねだってくれるプライドと違い、ステイルは完全に愉快犯だと確信する。自分の名前を自分で呼ぶほど妙な感覚などあるわけがない。しかも相手は旧友且つ王子だ。
両手を身体の横に、旋毛が見えるまで頭を下げて断じるフィリップに今度はプライドも断念した。
そうですか……となるべく落ち込んだことを気取られないように声のトーンに気を付けながら言葉を返す。ステイルも頬杖を手のひらから手の甲へと置き換えると、そこで短く息を吐いて彼を見上げた。
「いっそ声も変えられたらこの違和感も拭えたんだがな……。お前の声でこういう話し方されるのも慣れない。この時くらいは姿を戻せないか?」
「どちらにせよ話し方は絶対変えたくありませんが、それでも宜しいでしょうかステイル殿下」
「……。違和感が増すだけか」
ハァ、と今度は音に出して大きめの溜息を吐き、眉を寄せると共に目を閉じる。
昔からフィリップの特殊能力は知っている手前、声を変えろという無茶ぶりを言うつもりもない。しかし、その声だけ変えてくれれば姿が別人の彼にここまで自分が意固地になることもなかっただろうにと自覚していた。
ステイルとしてはフィリップの顔も声も話し方も性格も、全て本来の彼の方が好ましい。だからこそ、そんな従者として型にはまった彼の発言が耳に届くだけで引っ掛かってしまう。
まだ仕事も覚え途中の彼に、これ以上無茶も言えないとそこでやっと話し方についても時間をかけるべきかと少し頭も冷めた。これにはプライドだけでなく、専属侍女のマリーとロッテも苦笑してしまう。
近衛兵のジャックと同じく彼女らもプライドを通してフィリップの事情は大まかに把握している。むしろフィリップの特殊能力を示唆するような会話に、興味津々に耳を立てた。
「そういえばフィリップ、これからも城で働く時はその姿で過ごすつもりなの?」
「ええ、やはり従者としてはこちらの格好が落ち着きますし、万が一にも街の人間に見られたら困りますので」
「俺としては姿などどうでも良いのですがね。まぁ、……レオン王子に少々似ているのが気になりますが」
じ……と、ステイルはそこでプライドの問いに優雅な笑みを浮かべてみせるフィリップを上目に睨んだ。
ステイルからの適格な指摘に、フィリップも遠い目で頬を指先で掻く。もともと自分の今の美青年に見える姿も全て、参考にしたのは指摘通りの人物を目にしてだ。
あくまで似ている程度で留まるように髪の色は子どもの頃に街でもモテモテ男だった何処ぞの現王子を参考にしたが、それでもやはりレオン王子に寄せすぎたかなぁと改めて反省する。
プライドもフィリップの顔を見ながらやっぱりレオン似よねとその顔を始めてみた時からの印象を思い出す。黒髪や目の色はフリージアでも珍しくない髪や瞳で統一されているが、全体の顔つきのパーツはレオン寄りだ。
「アネモネ王国の王族を傅かせているとでも噂が広がったら大変だ。城の人間に覚えられる前に少し顔を弄ってみたらどうだ。」
「しかしもうジルベール宰相殿にも覚えられてしまいましたし……」
「安心しろ、あの男もこちら側だ」
言い切った直後、ステイルはコクッと紅茶を一口含んだ。
確かにジルベールであれば顔の黒子一つ増やしただけでも一発で気付くだろうとは考えるが、たとえ気付かれたところでそれも知られるのが遅いか早いかの問題だ。
それよりも今後関わるであろう使用人達や第一王子である自分を通して知り合う王侯貴族達に特殊能力を勘付かれることの方が面倒な問題だった。
ステイルからの断言に、フィリップは少し惑う。顔の良い人間を参考に折角自分なりの美男顔を作れたのに、それを台無しにするのは少し勿体ない。だが、同時に以前の使用人達の反応を思い出せば危機感もわりと持てた。自分としてもアネモネ王国の関係者という誤解は招きたくない。
そんなに似ていますでしょうか、とわかっていながらすっとぼけるように苦しい切り返しをすれば次の瞬間には「レオン王子と背も手足の長さも違うがな」と最も痛いところを刺し貫かれた。
「そもそも何故その顔にしたんだ。レオン王子にお会いしたことでもあるのか」
「……城下視察にいらした時に一度お見掛けしました。なるべく顔の良い男に見せたかったので、勝手ながら参考に」
「セドリック王弟でも呼んでやろうか。奴も顔が良い」
「す、ステイル??王族を混ぜたらあまり変える意味がっ……」
ちょっと見たい気もするけれど!!!と、心の底で思いながら慌ててプライドが待ったをかける。
少し噛み気味に自分へ手を伸ばし額を湿らせるプライドに、ステイルもすぐに「冗談です」と真顔で返した。しかし、同じ城内にいるとはいえ異国の王弟を出前感覚で呼びつけようとしていたステイルの目は冗談ではなく本気だったと、プライドとアーサーは言葉には出さず確信する。
楽しんでやがるなコイツと、アーサーはわざと少し冷ややかな眼差しをステイルへ向ける。あのステイルに、自分以外でここまで素のままにからかえる友人が増えたことはアーサーも良かったとは思うが、彼の悪い癖がまた出ているとも理解した。
するとアーサーの窘める眼差しに気付いたステイルもすぐに口を一度閉じた。眉間を寄せアーサーを睨み返すと、そこで「ならば」と顎で真っすぐに漆黒の眼光でフィリップに指示した。
「そっちの騎士はどうだ?レオン王子と違いいくら似ていても幾分は問題ない」
「ッぶわっか‼︎‼︎ンでその話の流れで俺になンだよ?!」
「仕方ないだろう。俺に似せさせるわけにもいかない」
不意打ちのように矛先を自分に向けられ、弁えていたアーサーもとうとう声を上げた。
ふざけンな!!と荒げれば、隣に並ぶエリックも半分笑った口で「護衛中だぞ」と軽くポンと肩を叩いた。エリックに止められ唇をぎゅむりと絞るアーサーだが、それでも蒼色の眼光は鋭くなったままだ。自分の容姿に何の自覚もないアーサーにとって、突然自分に矛先を向けられたのもステイルからの嫌がらせとしか思えない。
ハッ!とそこで我に返るアーサーは、視線の先をステイルからフィリップへと移す。ぽかりと口が開いたまま向けられる丸い目に居心地の悪さを今は感じながら、しかしそれでも最優先で念を押すべく「絶対やめて下さい!!」と勢いつけて頭を下げた。




