Ⅱ557.兄はやめてほしい。
先ず、ステイル・ロイヤル・アイビーの朝は俺が思っているより遥かに早かった。
従者として早起きは慣れている。
特に俺は住み込みではなくて実家から通っているから日が昇る前には家を出てる。けど、王族の朝がこんなに早いとは思ってもみなかった。
ステイルの専属従者として勉強しながら付く一日目。先輩達の話を聞くと、特にステイルは王族三人の中では一番身支度が早いらしい。侍女が朝支度の為に部屋に入る時には、既にベッドから出ていることも多い。本を読んでたり、仕事書類を進めている。
第一王位継承者の補佐でもあるステイルは、もともと従者的役割として自分の着替えも含めて一人で済ませられるようにしている。侍女から着替えを用意されたら全部を侍女任せにしない分、身支度をも早々に済ますことが多い。
今はまだ覚え中だから専属侍女のアルマさんとジャニスさんの手伝いをしながら流れを覚えるだけだけど、専属従者になったら俺一人でもっと早い時間に目覚めているかの確認と紅茶や水を伺う役目もあると言われた。
今までステイルに付くことが多かった従者は、朝も王族間の連絡報告を伝えるくらいだったけど〝専属〟である俺は専属侍女と同じ程度の密接な仕事内容も課せられる。
まぁ侍女と違って王子と同性の男ってこともあるんだろう。ステイル自身の希望で、侍女が部屋に来る時は絶対に一人以上で来るように命じているらしい。「プライド第一王女の補佐として良からぬ噂が一つでも立ったら困る」という理由らしい。そういう理由だからか、ステイルの専属侍女は二人とも当時の侍女の中でも年長の二人だった。二人ともリネットさんより遥かに年上だ。……お陰で専属従者の俺は専属侍女の二人にはかなり歓迎された。
力仕事とかまぁ俺に任せてくれればと自分でも言ったけど。きっと専属として他の人に任せられない仕事もあったんだろう。
ステイルの部屋には、太陽も昇ってない時間は急用がない限り誰も入らないように本人が命じている。既定の就寝時間中は基本的に部屋に人が入ることはできない。勝手に入って良いのは姉妹か、信用できる騎士だけだと。あのジルベール宰相さんもステイルの部屋には勝手に入れない。
しかも本来主人がいない間に部屋の掃除や荷物を運ぶ役職である使用人にも、就寝時間中は勝手に部屋に入らないどころか扉越しに呼びかけるのも基本的に控えるようにと言いつけている。
「就寝時間は身体を休めることに集中したいので」とか言って、結局就寝時間にも起きているというところは子どもの頃ともあんまり変わってないなと思う。
今まで俺が働いた屋敷の中には、使用人は空気同然でどんな状況でも見られても部屋に入られても何があっても気にしない主人もいた。もちろんステイルみたいに掃除どころか誰も部屋に入るなって秘密主義みたいな主人もいたけれど。
ステイルも、掃除でも部屋の家具はあまり触らないように言いつけている。しかも家具を見れば施錠がしっかりついている物ばかりでまさか使用人にはまだ警戒してるのか、警戒しないといけないようなことがあったのかと少し心配になった。……将来的に、〝専属従者〟の俺は朝なら無断に部屋に入っても良いと言われたから余計に。本当に信用できる奴少ないのか?
身支度を終えると、朝食までいくら時間が残っていても一息吐く間もなくステイルは部屋を出る。
早めに朝食へ行くのかと思えば、階段を昇って上の階にある第一王女の部屋だった。近衛騎士が既に控えているその部屋前で毎朝王女の身支度を終えるのを待つのが日課らしい。
こういうのも従者的な役割の一つなのかとも思ったら、少しして今度はティアラ様まで同じように合流したから驚いた。
「おはようございますっ」と俺達に手を振って、ステイルと肩が触れるくらい仲良くくっついて並ぶティアラ様は俺を見るなりすぐ気づいて笑いかけてくれた。アムレットが世界一可愛いけど、ティアラ様も可愛い。
扉の前で並んでいる間も、兄様兄様と声を弾ませてこそこそ話をするティアラ様とステイルは普通に仲の良い兄妹だった。よく考えれば今じゃステイルも俺と一緒で妹のいる兄だ。
プライド様が部屋を出てきたら、全員で固まって朝食を食べに食堂へ向かう。
その間も階段を降りるプライド様の手をステイルが堂々と取っているのは驚いた。こういうのも王女補佐の仕事なのかと思うけど、俺がモーズリー家で奥様にやっていたようなことをしている。
朝食中も全くぎこちなさもなくプライド様とティアラ様と雑談をして、今日はどういう予定かとか休息時間にはとか互いに確認をする。
ここでの給仕は、俺や専属侍女じゃなく食堂用の給仕係が全て担うから、従者は王族の会話の邪魔にならない位置で手短に使用人同士で予定の確認と再調整をする。
ここまでは今までの従者としての仕事とも大して変わらないから、わりとすんなり済んだ。
朝食を終えると、ステイルはティアラ様と一緒に建物を移って王宮へ行く。ここで専属侍女も含めて侍女全員離れる。そして摂政の執務室まで入れば、また別の侍女達や衛兵と一緒に俺も含めた従者全員が廊下で待つことになる。
侍女は茶の用意とかで時間ごとに動くこともあるけど、他は全員呼び出されるまで待機だ。……この長さが、俺はわりと一番落ち着かなかった。
今までは従者として主人が用事がない間は、部屋の清掃とか茶の用意や庭の整備とか馬車の手配とか色々兼任して忙しく動いていたけど、城じゃそれぞれ仕事をする専任が山のようにいる。俺がステイルの部屋掃除をしなくても、とっくに別の侍女達が掃除を済ませている。俺が茶を用意しなくても、王宮専任の給仕役の侍女が常に控えている。庭の整備は完全に庭師の管轄で、馬車の手配を言われてもそれは専属従者は任せるだけで実際に動くのは別の従者だと。……仕事が山のようにあるようで全くない気もする。
何もせず、しかも静かで普遍な廊下で立ち続けているのは結構眠くなった。あれだけ大勢が廊下に整列していて全員が無言という光景は、ある意味一番王族の住まいらしい光景だった。
専属従者にもなると、主人に呼ばれるまでは近くを離れず常に控えていないといけない。
主人からの命令があれば何でも絶対達成させる、と言われれば凄い仕事にも聞こえるけれどつまりは命令がなければ棒立ちの時間が圧倒的に長い。時々ステイルは摂政の代理として部屋を出てきては宰相や王配の執務室、プライド様の部屋へ書類や報告で足を運ぶこともあるらしいけどそれ以外は部屋から出ない。
昼食の時間になると、ステイルからの命令を聞いてから昼食を侍女が運んでくる。昼は基本的に仕事をしながら軽食で済ませることが多いらしい。代わりに定期的な紅茶の入れ替えが多い。
休息時間を得ると、必ず早足で王宮を出る。休息時間は昼食と同じく時間はその日の流れでずれるらしいけど、ステイルが足を運ぶ先は基本的には二か所のどちらかに決まっているらしい。プライド様の元か、第一王子専用の稽古場だ。
特殊能力を必要以上使いたがらないステイルは、走っていると勘違いするほど早足でズンズンとプライド様の部屋に一直線だった。そりゃもう、今日一番の早足で。
「姉君、僕です」と一言で部屋に入ることを許されたステイルに、さっきと同じように部屋で控えようとそこで立ち止まればそこでいきなり振り返られた。それまで一回も俺の方に顔も向けなかったくせに。
人差し指を曲げてくいくいと「来い」の意思表示をされたと思えば、次の瞬間には先輩従者に見えないように背中を押された。プライド第一王女の部屋に入るのが許されるのは弟であるステイル本人だけで、基本的に他の従者や専属侍女すら廊下に控えているらしいのに、専属従者の俺だけ入室を許された。……ちなみここは先輩から教わっていない。
何をすれば良いかも、どうして俺だけ許されたのかもしっくりとはわからずそれでも俺を待つように扉の前で佇むステイルを待たせない為に急いで後に続いた。ステイルに続いて、従者としての礼儀通り入室すればプライド様にも何も言われなかった。
プライド様の部屋には扉脇に控える近衛兵一人と、プライド様の専属侍女二人。近衛騎士二人と、あとはプライド様とステイルだけ。先輩曰く姉弟妹の間で一番大事な時間らしく、数も限られているらしい。
ティアラ様がいる時も、基本的に専属侍女も従者も部屋の外で控えている。
部屋に招かれた俺はとにかく従者として振舞うしかなく、取り合えず壁際済みに控えることにした。従者として主人のすぐ近くに控えている程度はよくあったし、無音の廊下じゃなくて王族同士の会話が聞ける分まだ飽きない。ただし
ものっそいものを、見た。
先ず、近衛騎士。
基本的に従者が部屋内を不躾に見ることは許されない。だからこそ一方向に顔と目を向けたまま、視界の範囲に映るその騎士に俺は最初は会話も頭に入ってこなかった。
二人の内片方が前回紹介された騎士とは別の騎士で、……なんかすげぇ見たことがある気がして仕方がない。
すらりとした高身長に、騎士らしい体付き。白の団服に馴染む銀色の長い髪を頭の上で一本に括った蒼眼の騎士。あっちも俺に覚えがあるのか、なんとなく視線がこっちに向けられている気がする。腕を背中に組んで直立不動で佇む姿に、一瞬アムレットの学校で守衛として立っていた騎士の誰かかなと思う。いやでもそれにしては妙な違和感も感じる。
腹の中がそわそわと羽で撫でられるような感覚に、俺も暫くは表情も意識して姿勢を正した。
ステイルとプライド様の会話も耳を傾けてみれば落ち着いた会話だった。最初は。
王族らしい、午前過ぎに定期訪問で訪れたレオン王子の話題だ。王族同士の会話というだけでも興味はあったけど、隣国の学校についてと聞けば余計に耳で集中した。学校をフリージア王国以外でも建てようという動きがあるって噂は聞いたけど、アネモネ王国はもう建物にまで着手していると初めて知った。
学校に寮は無しに、と。それに思う所はあった。
俺もアムレットもフリージアの人間だけど、アネモネにも俺らみたいな生活の人はいる。数が多かろうと少なかろうと、そういう人の為にも寮はあって欲しい。アムレットからも、女子寮にいる子には屋根と壁のあるところで寝れるのを喜んでいる子がいるって聞いた。
俺とアムレットだってガキの頃に住んでいたのがあの街じゃなかったら路頭に迷って野たれ死んでたかもしれない。数が百人でも千人でも、……十人でも一人でも俺としては作れるなら小規模でも作って欲しい。アムレットみたいな個室とか贅沢がなくても、ただ屋根と壁があるだけで良い。食堂がなくても、パンと水が貰えるだけでも助かる命はどこにでもある。
相手が王族じゃなくてパウエルの友達とかだったら一人も千人も変わらないから見殺しにするなと言いたいくらいには思う所もあった。
そしてステイルだ。
さらっと、ほんの二十分そこらで打開策を提案した。国一番の天才とか優秀な補佐とかはアムレットからも噂でも聞いたけど、ここまでかと驚いた。
流石はずっと王族として勉強してきただけあるって驚いたし、こっち側の生活をちゃんと守ろうとしてくれているのにはかなり一人感動した。……なのに。
途中で、破顔した。
ガキの頃から整った顔が、急に。
プライド様に絶賛で褒められた途端、顔が緩むし遠目でもわかるくらい赤面するしさっきまでの流暢な口が嘘みたいに口下手になる。今朝ティアラ様とこそこそ話で仲良くしてた時はそんなことにならなかったくせに。
ガキの頃はリネットさんや大人に褒められたらにこりと笑うくらいで、年の近い女子に褒められても頭撫でられても抱き着かれても手を握られても繋いでもらってもそんなデレデレに顔を緩ませることなんかなかったくせに。
いやわかるわかるわかる。プライド様は可愛いというより絶世の美女だし、俺だって姉弟として育ってもあの美人顔が見慣れる気がしない。現に今もアムレットが可愛くて可愛くて仕方がない。
特にプライド様は、目つきが鋭いからキリッとした印象あって微笑まれても委縮するくらい圧倒されるのに、そんな王女様が真正面から急に子どもみたいな純粋な笑顔できらきら紫色の目を輝かせてベタ褒めしてきたら俺だって顔燃える。けど、なんか、なんかよ、……俺やジルべール宰相ともティアラ様とも態度違い過ぎねぇか?!!!
アムレットが話していたジャンヌの話題を思い出す。
バレるのが怖いからもうできねぇけど、学校でジャンヌ達三人がどんな様子だったのかアムレットとパウエルに聞いてみてぇ。ボロ出すからバレるし絶対聞かねぇけど。
多分ステイルが俺の名前使ってたから、アムレットもフィリップの話題出さなかったんだろうな……。兄ちゃんもっとアムレットから友達の話男でも女でも良いから色々聞きたかったのに。
本当にコレがステイルなのかと、もう何度目かの疑問が浮かぶ。どうやればあんなに顔の筋肉使うようになるんだ。
しかも近衛騎士や専属侍女の人達の微笑ましそうな表情を見ると、たぶん珍しいことじゃない。リネットさんにもあんな顔絶対見せたことねぇだろお前!!!!
『表情に出すの苦手なんだ。……疲れるから。わざわざ顔に出さなくても喜んでる時は喜んでるよ』
子どもの頃のステイルの発言を、そのまま今のステイルに聞かせてやりてぇ。
にやにやじゃねぇか、ゆるゆるのにこにこの顔して周りにも駄々洩れてる!!!アムレットや噂で「優秀でどんな時でも冷静沈着な未来の摂政」「とても落ち着きのあるまさに王子様」とか聞いたことはあったけど、絶対違う。性格悪とこっちが素だ絶対!
王族の噂なんか良いもんも悪いもんも所詮は噂と思ってたけど、取り合えずステイルは大分違う。「慈悲深く優秀で女性の憧れの第一王女」のプライド様や、「心優しく博識で常にだれに対しても天使のような守ってあげたくなる第二王女」のティアラ様と違って、ステイルの噂だけなんか事実とずれてる気がして仕方がない。そりゃあプライド様だって俺らが子どもの頃は性格悪くて自己中心の我儘姫様って有名だったけど。
あの城下視察で一目見た時からわかっていたことだけど、ここまで見ると俺まで顎が外れる。休息時間に最低限の人員以上が部屋に入れない理由がよおおおくわかった。
「それにー……」
そこまで考えていると、急にステイルの視線がこっちに投げられた。
さっきまでどころか、この部屋に呼ぶ時以外目もくれなかったステイルがまた急に。
思わず身体がびくりと揺れると、ステイルだけじゃなく向かい席に座っていたプライド様まで俺を見た。目が合ったと思った瞬間口元が笑って、まるで笑いかけられているような錯覚を覚える。
ジャンヌの時はただの美人くらいにしか思わなかったのに、今は目玉ごと奪われそうになる。ていうか待て!ステイル!!俺に振るな!!
「ジルベールに紹介された新しい従者が。他所とは言え学校に寮の要素がなくなることがとても、それはもうとても残念そうなのが視界に引っ掛かったもので??」
マジ振るな!!!!!!
わざとらしいねちっこい言い方と、ニヤリと清々しいくらいの悪い笑みに血の気が引いていく。ダラダラと脂汗を額から目に入るほど溢れ出しながら、必死に従者らしい表情を守る。うっかり動揺し過ぎてないか不安になって自分の顔を揃えた四指の腹で無意味に触れる。べたついた感触しかなかったけど、頼むからここで能力が変に乱れるなよと自分に言い聞かせる。頬に触れる指の先だけが妙に冷たく感じて気持ち悪い。
確かに思う所があったのは本当だしガキの頃のアムレットとか元下級層か奴隷だっただろうパウエルのこと考えると寮はどこにも欲しい!!!俺がガキの頃だったら寧ろ学校の勉強よりアムレットとの生活の学校寮の方が死ぬほど嬉しかったからな!!
けど、それは今この場で俺に発言権はない。第一王子の専属だろうが結局は従者で、しかも最近入ったばっかの新入りだ。
プライド様にはご挨拶したけど、あくまでもう今はジャンヌの兄ちゃん気取りじゃなくてステイルの従者だ。従者は自分から発言なんかしねぇしするとしてもそれは自分の我を通す為でも雑談に入る為でもなくて─
「なぁフィリップ。お前もこっちに来て話を聞かせてくれ。ついでに紹介したい奴もいる」
……主人に、意見や会話を求められた時。
ああもうクソわかったよ。
思いっきり顔が引き攣ったままなのを自覚しながら、少し大股気味に俺は壁際からステイルの座るソファーへ歩み寄る。「失礼致します」と礼をして、ステイルの背後に立つ。
早く一人前まで認められて、誰の目もないステイルの部屋へ早朝に入って二人きりになったところで「俺で遊ぶなよ!!」と怒鳴りつけてやりたい。
苦笑気味の表情で固まったプライド様とまた目が合った気がしながら、一度俺は口の中を噛んだ。
まさか、この後すぐに俺の化けの皮を剥がしにかかられることになるとは思いもせずに。
「従者の立場でありながら出過ぎた真似、大変申し訳ありません」
「いつもの口調にしてくれ。その為にこの部屋に呼んだんだ」
……アムレット。今からでも〝ステイル様〟を目指すのだけはやめてくれ。




