Ⅱ522.発明家は不貞腐れ、
「あーーうるっせぇええどいつもこいつも」
けっ‼︎と発声しながらも、リュックの紐を握る少年は最後に一人舌を出す。
学校を終え、やっと下校時刻になった少年は待望の帰宅であるにも関わらず機嫌が傾いていた。
今日は重要な日なのに、それとは関係なくここ最近いつもと違うことが多過ぎたせいで調子を狂わされたこともある。ただでさえ今まで自分にとって親しかった相手である四人が学校から一度に姿を消してしまった。
それからも昼休みにそれなりに話す相手もできて平和に過ごしていたが、何故か昨日はパウエルがいなかった。
まさか愛想を尽かされたのかとも少し考えたが、その途端にヘレネから「パウエルなら今日は用事があってお休みするって昨日話してたわよ」と言われ勉強を教えてくれる双子からは「アムレットと一緒だ」とよくも知らない女子生徒の話題まであげられた。
パウエルが用事があっての不在なのは良いが、なんで自分だけ知らなかったのかも腹立たしい。しかもディオスとクロイに至っては〝アムレット〟という生徒のことで雑談を始めたからその間ずっと自分はつまらなかった。
実際は彼も二度はジャンヌと一緒に会ったことがあるのだが、本人にとっては〝知らない〟に等しい。
そんな奴より自分に勉強教えてくれよと唇を尖らせれば、やっとヘレネが「ごめんね二人が盛り上がっちゃって」と相手をしてくれた。
そして今日、四限も無事終えすぐに帰ろうと思った。が、そこで教師の口から重大発表がクラスへ投じられた。
〝奨学生〟制度の導入。
志がある生徒であれば一定の成績維持を条件に、数々の特典を受けられる教育制度。特待生との両立が不可能ではあるが、勉学に集中できる環境を整えられるそれに、目を輝かせる生徒は多かった。もともと多くが勉学の為に通っている生徒なのだから。
詳しい情報は明日の早朝に掲示されると教師が伝えた後も、生徒達の興奮は冷めなかった。特待生よりもこっちの方が得かも、だけどお金は出ないんでしょ?でも人数無制限だしと騒ぎはしゃぎ回る生徒の波からネイトは両耳を塞ぎながら抜けてきた。
最近も女子の選択授業である被服授業の担当講師が急遽変更になると連絡で、惜しむ女子生徒のキンキン声と「新しい被服の先生も優しかった」「楽しい」と騒ぐはしゃぎ声が合わさりうんざりしていたから余計に腹が立った。
この学校は本当に毎日うるさいし落ち着かないとネイトは思う。被服の講師だって、選択授業も当然取っていなければ男である自分には関係ない。自分にとってはどれも興味のない話題ばかりで賑やかになるのが腹の中をぐるぐる虫が這い回るように不快だった。
どうせなら少し前のようにジャンヌやフィリップ、ジャックの話題の方が良かったと思う。
「奨学生とか興味ねーし、なんで皆あんなに勉強したがるんだよ馬鹿じゃねぇの……」
周りの声を手のひら以外で塞ぐように、ネイトは独り言を耳の中に響かせる。
他の生徒達と違い、もともとネイトには勉強への意欲はない。伯父の借金がなくなった今では下級層の生徒どころか中級層の中でもまともな暮らしの方だ。
何より今は奨学生になるよりも確実に稼ぐ方法もあれば、同時に奨学生や特待生など関係なく真面目に授業を受けて学ぶ必要もある。
『努力を怠って才能だけに足を組むような〝馬鹿〟じゃ、いつ巻き込み事故も起こしかねない』
「俺なんか今日も試験なのに……」
ぼそり、と今度は呟いた声も口の中で消えた。
他の生徒と異なり、特待生にも奨学生にも興味がないネイトだが大事な試験が控えている。しかも彼は必須科目だけでなく選択授業にも手を抜けない。
そんな中、わざわざ試験や成績維持を自分から望んで課せられる生徒達は全員頭がおかしいとすら思う。
今も歩きながらぐるぐると授業で習った内容を目まぐるしく頭の中で回し続ける。レオンに指定された通りの選択授業も取り、遅れを取り戻すべくそれからは一度も授業をさぼっていない。
今までは良くも悪くも発明のことだけ考えれば良かった頭が、今は全く別のことばかり考えるので忙しい。足をぐいぐいと前へ前へ動かしながら、早く今日の面倒ごと全て終わらせて発明に戻りたいと思う。
しかし帰っても客が来るまではずっと勉強だと思えば、学校から去るべく急いでいたはずの足が急激に重くなった。さっさと勉強しなきゃ時間がないと思う反面、このまま現実から目を逸らして後回しにしたい。
レオンに課せられていた学力確認の日。
これにもし合格しなければ、最悪の場合取引自体を無効化されてしまうかもしれない。そう後ろ向きに考えれば、ネイトは歩きながら地面ばかりを見てしまう。
実際はあくまで〝確認〟だ。
確認した学力が悪くとも、最初の一度や二度の成績不良で見切りを付けるレオンではない。むしろネイトが理解できるようになるまで気長に待ち続けようと考えているが、それを当人が察するわけもなかった。
今まで伯父に騙され、過度の発明を課せられ強要され続けていたネイトには未だにレオンを正確には掴み切れてもいなかった。更には今日訪れるのはあの自分を助けてくれた第一王子でもない、アネモネ王国の
「……からむ⁇」
「!来たか、ネイト。すまないが少々門前で待たせてもらった。ご両親は不在か?」
ー 使者……、ではなかった。
いつの間にか自分の家が肉眼で捉えられる距離まで辿り着いていたネイトは、見覚えのある白の団服が目に入ってから完全に見開いた。
嘘だまさか気のせいだろと疑ったが、近付けば近付くほど自分の知るフリージアの騎士でしかない。ぽかんと口が力なく開いたまま、さっきまでぐるぐる捏ねていた頭まで白くなる。何故この時にカラムが自分の家の前にいるのかネイトには全く理由すら思いつかない。
首を捻り、傾いた頭のまま声の届く距離までくればやはりカラムだ。
当たり前のような口調で自分に話しかけ、壁にも玄関にも寄り掛からず直立でネイトの帰りを待ち続けていた騎士は、前髪を軽く指先で払いながら向き直った。
十五分以上間から辿り着いていたカラムだが、新調された扉をノックしても返事はなかった。
驚いている様子のネイトへ自分から歩み寄りながら、どうやら戸惑っているようだと理解する。
彼の反応自体はある程度想定していたが、それ以上の反応だった。これは最初にそこから説明した方が良さそうだと検討づけながらネイトへ距離を詰める。
正面から歩み寄り、彼が大事に背負っているリュックに見覚えがあると気付けば先に小さく口が笑む。どうやら問題なく使いこなしてくれてるらしい、と考えながら手を差し出した。
重くないか?持とうか、と説明をしようとした口で先に荷物を変わろうかと提案すれば、そこでやっとネイトも現実に追いついた。
はっ‼︎と息を飲み、背中を大袈裟に弓なりに反ってから「勝手に触んなよ!」と思いつくままカラムに怒鳴る。
「なんでここにいるんだよ!お前もう騎士になったくせに!来るの早いんだよ!!」
「私は最初から騎士だ。今日は、城からの命で任じられた」
予想していたよりも遥かに早いカラムとの再会に、若干気恥ずかしさも手伝い耳の先が赤くなる。
八重歯を向いて大声を上げるネイトにカラムは冷静に言葉を選んでいった。来るのが早い、ということはやはり自分が家に訪れたことに不満があるわけないらしいと汲み取る。
ついこの前別れを告げたばかりの騎士がもう現れれば彼が驚くのも無理はないとも考える。
「城からの??」とカラムの言葉に首を九十度傾けるネイトへ、先ずはもう一度「ご両親は」と尋ねる。
すると先ほどは返事すら貰えなかった問いへ前のめりに「父ちゃん仕事で母ちゃんジジイんとこ!!」と叫ばれた。父親と同じ職場を辞めて家を守ることに専念することにした母親だったが、生活の基盤が落ちついてきてから糸が切れてしまった。
借金とネイトや、彼がアネモネ王国に発明を卸すという事実にとうとう昔馴染みである医者に「休め」「取り合えず一回話聞かせろ」と今までさぼっていた健康診断ついでに呼ばれていた。
まさか今日がネイトの大事な日であると本人に聞かされていないとは思いもせずに。
答えてやったんだからこっちの質問に答えろと目を尖らせ出すネイトへ、カラムは少しだけ眉を寄せて考える。
せっかくなら彼と保護者の前で纏めて説明したかった。しかしここまでくれば仕方がない。時間が多めに貰っているのだからギリギリまで待たせて貰い、駄目なら自分が医者の元まで説明に行こうと考え直す。
先ずはネイト本人へ、今日自分が訪れた主用を説明することにする。
「城から正式に任せられた。今後、君の学習状況確認と発明の取引は私が担当させて貰う」
アネモネ王国からから試験用紙は預かっている、と。
そう続けたカラムは、騎士団経由で預けられたネイト用の試験用紙を懐から一枚取り出した。まだ最初の基本というだけで識字の確認と常識問題。そしてレオンが課した受講科目は何だったかという最低限の問題内容だった。
これならば授業に着手したばかりのネイトでも今回の問題には回答できるだろうとカラムは考える。
発明の代金も今後は自分が預かり支払うことになるが、今回はネイトから商品を預かるのみ。
今回の商品代金を次回までにアネモネ王国の使者から自分が預かり、ネイトの親に支払うと。そこまで順を追って説明したカラムの言葉に、ネイトは理解半分に瞬きもしなかった。
金を貰えるのが次回というのはまだわかる。自分の発明が売れるかもわからないのだから。
試験があることも把握していた。その為にレオンから大人が派遣されることもわかっていた。しかしてっきりアネモネ王国の使者か騎士だと思っていた。
首が微妙に傾いたまま治っていない。「なんでカラムが……⁇」とネイトにしてはまるい言葉で尋ねれば、カラムも一度唇を結んでから答えた。あくまで形式上の名目であり、事実など言えるわけもない。
プライドのゴーグルへの〝謝礼代わり〟に自分の派遣をステイルに提案されたなど。
Ⅱ277-2
Ⅱ383.414




