そして返事を得る。
ぶはっ、と噴き出して同じように床に足を崩して座りながら大口あけて笑う。
昔は俺が一方的に笑ってたのに、今はお互い笑ってると思ったらまた目尻が熱くなったから首を左右に振って誤魔化した。やっぱり、まだアレは泣かずに言えそうにない。
昔みたいな話し方でもないし、表情も変わるしいろんな顔で笑うし、性格も悪くなったけど、…………それでもやっぱりあのステイルだって、五感全部で確信する。
せっかく上等な客間でテーブルもソファーもあるのに、大の男二人が床に座ってるのが変な感じで、しかも俺は従者服でステイルは王子で余計変な感じがした。そう思ったら笑いもだんだん収まってきて、最後は大きく息を吸い上げ吐き出した。
はーっって溜息みたいな音で深呼吸したら信じられないくらい胸がすっとする。
「……それで。いつまでその姿を俺にしているつもりだ?」
なんだか意地の悪そうな低い声に目を向ければ、今度は予想通りの顔でニヤリと笑っていた。本当に色々な顔するようになったなコイツ。
言われてみて、自分の頬をまた触る。「どうせ触ってもわかんないだろう」って言われても、不安になるとついつい顔の部位に触れられないように頬に当てちまう。
元の顔に戻そうかと思ったけど、……なんとなくまだ気が引けた。ついさっきまで顔向けできない相手だと思ってたから、余計に。
「別に、良いだろ。こっちの顔の方が奥様受けが良いんだよ」
「生憎俺は男だ。それに顔立ちの良い人間は見慣れている。十年来の友人の顔の方が見たい」
本当に、不思議なくらい普通に話せる。
十年ぶりなのに、相手は王子なのに、一生口を利くこともないと思っていたのに。
ニヤニヤと悪い笑みで俺の顔を覗くステイルは悔しいくらい美男子だった。ジルベール宰相さんもそうだけど、ステイルにも俺はこの顔で並んでも勝てないだろう。
すぐには顔を戻そうとしないで唇を尖らせる俺に、ステイルは「まぁ良い」と一度話を切った。笑い過ぎて少しずれた黒縁眼鏡の位置を指先で直してから俺と目を合わす。
「今日、ジルベール宰相に頼んでお前を呼んだのは他でもない。…………提案がある」
「提案⁇」
触れた途端、湿り切った顔のべたつきを確かめながら自分の目が丸くなる。
やっぱり偶然じゃなかったことより、十年ぶりの俺に提案の方がわからなかった。さっきは俺に忘れられても良かったって言ったくせに。
噂でステイルが王族として信頼や功績を得ていることは知っている。国一番の天才、聡明って呼ばれて、国中に人気者のステイルが俺に今更会いに来る理由なんかない。俺を恨んでるわけでもないなら余計に。
首を捻り、僅かに眉が中心に寄りそうになる。鼻を啜って、丸まったハンカチを手の中に握りながら続きを待つ。するとステイルは、一度口を結んでから眼鏡の黒縁を今度は押さえた。
「まだ詳細は言えないが」と前置いて、さっきより抑えた声になる。
「最近、本当に偶然だがお前が従者をしていると知った。だから誘いに来た。……今からでも俺の元に来てはくれないか?」
「……え?」
間抜けな声が出た。
あまりにも単刀直入過ぎて、逆にわかりづらい。
目が皿どころか転がり落ちそうなくらい開いて、口までぽっかり開いた。なに言ってるんだこいつ。
ただでさえこうして会うことすら偶然じゃなかったら違反かもしれないのに、それどころかステイルの元で働くなんて絶対駄目に決まっている。
二人揃ってどころかジルベール宰相さんまで今回協力したせいで巻き込みかねない。あんな人の良い愛妻家まで巻き込んでいいわけがない。
まさか何かあったのかと、ひと月以上前にあった奪還戦を思い出す。もしくは逆に俺の生活を助けるためにとかも考えたけれど、相変わらず貧乏なだけで借金もないし生活に困ってない。アムレットと喧嘩することが多い以外は平和なもんだ。
「今からでも」って、本当になんでいきなり俺をと疑問が頭に何個も浮かんで宙を泳いだ。優秀な次期摂政と評判のステイルが、十年も経ってから違反行為をする意味がわからない。せめてそんな危ない橋を渡るなら俺じゃなくてリネットさんにだろ。
なのにステイルは顔色も変わらない。落ち着いた表情のまま、笑みだけ消えて真剣に鎮まった眼差しに俺を映す。
「城で雇われ、そして俺付きの従者になって欲しい。あくまで俺の過去の関係者としてではなく〝フィリップ・エフロン〟として。それなりに敷居は高いが、配属先は上から下まであるから城の使用人になるだけなら一定以上の技能でなんとかなる。どうにか合格してこっちに来てくれ。城で雇われてさえくれれば、後は俺が指名で専属にできる。幸いにも専属侍女はいるが未だ専任の従者はいない。俺自身がプライド第一王女の従者としての役割もあったから」
「いや待てって!!!駄目だろそれ!!俺がそんなっ……あと規則はどうした?!こんなのバレたらお前の立場っ……」
「問題ない。既に第一王女と最上層部三人の許可は得ている」
は?!?!?!!!
今度は声にも出せず絶句した。
いよいよ意味がわかんねぇ。おかしい、規則では前の家族にも会ってはいけないんだろ⁈だからリネットさんにも一度も会いに来なかった。
確か最上層部って女王とか入っている筈でそんな偉い人がどうして規則違反を許すんだ⁈しかもこんな十年来の庶民を城に招き入れるとか絶対間違っている。
一体どんなまずい取引したんだと、気付けば顔中の筋肉に力が入っていく。肩も上がって、鼻先が当たりそうなほどステイルに前のめりになった。
昔のステイルならまだしも今のこの腹黒そうなステイルじゃ何を考えているのかもわからない。
気付けば睨んだ眼差しになる俺にステイルは一度肩を落として笑った。「悪いことは言っていない」と首を傾けながら、ゆっくり改めて静けた声を出す。
「昔の関係者に〝姿を変え映す特殊能力者〟の〝覚え〟がある。才能を見込んで今後プライド第一王女を守る為に俺の従者として雇い入れたいと。……希少な特殊能力を持つお前ならば充分に、俺の従者となる資格がある」
あくまで〝昔の関係者〟とだけ、特殊能力以外は俺の名前も正体に繋がることは何も出していない。宰相さんは俺の特殊能力もまだ知らない。そう続けられて俺は遠くなりかけた意識がすぐに引っ張り戻せた。
ステイルのことがあってからもずっと俺は自分の特殊能力については極力隠している。知ってるのもアムレットとパウエルぐらいだ。あと最近じゃジャンヌ達か。
能力が能力だったから、子どもの頃からなるべく人にバレないないようにしていた。
城で働くのに、特殊能力が重視されることは俺も知ってる。でも昔は興味がなかったし、ステイルが養子になってからは絶対近づかないと決めていた。
「それに俺が許可を求めたのは〝勧誘〟と〝城で使用人になったあとの元関係者を懐に入れること〟だけだ。城の門を潜れるかどうかはお前の実力と努力次第になる」
「いや……俺には無理だろ……上級貴族どころか中級貴族の屋敷ですら働いたことねぇのに」
「日雇いも含めて五つも仕事を掛け持ちするのと比べれば楽なものだろう?」
ぎくっ、と肩が揺れた。
まさかそんなところまで調べが付けられてたのか。ジルベール宰相さんにもそこまでは話してなかったのに。
やっぱり国の王子になるとそういう情報も簡単に手に入るんだなって思う。俺の仕事の数なんてアムレットにもちゃんとは把握されてないのに知ってるとか、俺がモーズリー家で働いてたこともそうだけど調べたやつは大分粘着質なんじゃないのかと八つ当たり半分に思う。やっぱり城の人間皆が皆ジルベール宰相さんみたいな人の良さとは限らないらしい。
口を結ぶ俺にステイルが重ねて「従者の業務自体はどこも大して変わらない」「お前の特殊能力さえ面接時に明かせば受かる可能性は跳ね上がる」「明かしたくないならこの話もなかったことにする」「城で働いている間も特殊能力者としての秘密は守られる」と続けられれば、余計にどっちが正解かわからなくなる。だってアムレットにも城はって言ってて、規則が引っ掛かるかもしれないしステイルにも迷惑が…………、…………?
「……俺が、……〝関係者〟が働くことは規則に反しないのか……?」
「反しない。関係者を理由に職務を与えるか取り入れることは禁じられるが、職務関係で偶発的に接近するのは禁じられていない。お前が俺を〝ステイル・リーリヤ〟ではなく〝ステイル第一王子〟として徹底してくれれば何ら罰せられることはない」
家族との橋渡しや情報流出は厳罰だが。そう言い切るステイルに、すぐには頭が追い付かない。
「ならやっぱり違反だろ」と「良いのか⁇」の二つが混ざりきらずに合わさって、すぐには返事もできなかった。
右肩だけ上がって首も変に傾く中、ステイルから「だから俺から母上達に許可も前もって得たんだ」と少し強い口調で繰り返される。庶民の俺にはそういう難しい規則も法律もわからない。
「本来であればお前を使用人から俺の専属にすることは確かに抵触の恐れもある。だが、お前の特殊能力は希少だ。だからこそ俺個人は〝特殊能力者〟の人材として欲しいと主張した。我が国が重視するのは家柄でもなく特殊能力であることは俺が身をもって知っていたからな。…………幸いにも、俺もこの十年でそれなりに信頼を得られたお陰もある」
言いながらゆっくりとステイルはその場から立ち上がった。服の埃を払い皺を伸ばすと、今度はカップが置かれたままのテーブルの前に腰かける。
最初の方はまだよくわかんねぇけど、最後の方はわかる。城下でも評判になって噂になってたくらいステイルはもう立派な第一王子だ。だからこそ女王たちにも信頼された。…………過去の関係者を抱え込んでも、こいつはもう王族の人間なんだと。
ステイルもその自信があるから、最初から隠すことなく俺を関係者と言った上で許可を得た。この十年、ステイルが本当にどれだけ頑張って王子として生きてきたのかがそれだけでもわかる。
ソファーの背凭れに一度体重を預けたステイルは、そこからトレイの上のカップと受け皿だけを手に取った。自分の手元に置き、指をかけてからもう冷め切った珈琲を口につける。
どこでも出せる珈琲の筈なのに飲まれる直前肌がざわついたのは、こいつは十年前のステイルだからか、それともこの国の王子だからかわからない。
一口分飲み切り、カップを置いた。口元だけ笑んだまま、俺の方を向くステイルは呼吸音を往復させてから口を開く。
「でもまだ、まだ足りない」
なだらかな声で言い切った後、ステイルは不敵に笑った。
黒縁眼鏡の奥が細く光って、俺は両肩が強ばり固まった。こんな声が出たのかと思うくらい低い声で、やっぱり王族だと形もなく思い知る。
何が足りない?何が欲しい?俺の特殊能力が希少なのは知っている。だけど既に王族としてこれ以上ないくらい成功しているステイルに、俺が何ができるかなんかわからない。
今まで俺の人生で役立った時なんてこうして別人になり済ますくらいだ。
国中の人間が羨む第一王子がなりたい人間なんか思いつかない。まさか別人に成りすましてステイルが国外に逃げるつもりなんじゃないかとまで考える。いやでもさっき幸せだって
「俺はもっと欲しい。信用できる味方を一人でも多く」
そんなに味方いねぇのか?
敵だらけの中にいるにしてはステイルの笑みは力強い。いないどころか背後にずらりと並んでいるような空気を放ってた。
再会してまだ一時間も経っていないような俺に、なんでそこまで言えるかわからない。ステイルにとって俺は十年前で終わった関係者で、俺はあの日から見捨て続けたようなやつなのに。
顔の前に上げた手で、四指を曲げ伸ばしして俺を呼ぶ。口を閉じてても近くに来いと言ってるのがわかる。本当に別人みたいで、だけどやっぱりステイルだ。
膝を立てて、立ち上がる。ふらふらと足取りもまともじゃないままテーブルに近付けば、躊躇いなく向かいのソファーに腰を降ろせた。
ぼすんっと、力が抜けたまま音を立てて柔らかくソファーに身体を埋めればステイルとまた目の位置が合った。
「選択も、日取りも任せる。あくまで旧友としての頼みだが、強制はしない。ただ、母さんはさておきお前やアムレットが城で働こうと思うなら俺は〝ステイル・ロイヤル・アイビー〟として歓迎するとだけ覚えておいてくれ」
アムレットに対しては力添えができないが。そう当たり前のことを付け足しながら言うステイルに、口の中が腫れるほど噛んだ。
なんでもないことみたいに付け足された言葉で、一気に幕が開かれたような感覚に襲われた。ステイルも全く知らないところで、その言葉に安堵で目が眩んだ。座ってなかったらその場にふらついていたぐらいに。
さっきまで耳を塞ぎ続けたのが、話した途端いきなり馬車道に放り出されたような感覚だった。胃が落ちたような脱力感で深く沈んだ。
一口だけしか口をつけていなかった冷たい珈琲を、それを最後にステイルは砂糖もミルクもいれず飲み切った。「悪くない」と口元を拭いてから、組んだ足の上で指を結び肘をつく。
「来てくれたらその時は、ステイル・ロイヤル・アイビーの信頼できる人間を存分に自慢しよう。俺にも親友ができたんだ」
フフン、と最後の最後の笑みは今までで一番得意げな笑みだった。
親友⁇って俺もうっかりそのまま聞き返した。十年前は自分からそんなこと言うやつでもなかったし、何より特定の仲が良い奴なんかいなくて分け隔てなかったステイルが胸を張って言う奴ってどんな奴だ?
更には俺の聞き返しに「相棒でもある」ってはっきり言い切った。あのステイルはそこまで言う奴なんてよっぽどだ。
貴族かどっかの王族か。最近のウワサならレオン王子とかセドリック王弟かなとか考えながら、紹介されるのが楽しみなような怖いような気持ちになって……気付けばもう自分の中では決まってた。
「……なぁ、ステイル」
返事をすぐするのは勿体無くて、呼びかけながら代わりに特殊能力を解く。
見せる顔もなかった筈なのに、今は見せて良いと思えた。
「なんだ」ときょとんとしたその顔が、今日会った中で一番昔のステイルに近かった。俺はたぶん、ステイルよりもずっと顔も何も変わってない。
ステイルにとって十年ぶりに見る俺の顔はきっと面影だらけだろう。特殊能力を使った時の顔と比べて全然男前でもないし地味でつまんない顔だ。……なぁ、ステイル。俺本当は
三年前にもお前を見てるんだ。
『あっちだ!王族の馬車があるだろ⁈プライド様だ‼︎』
『ティアラ様も居られたぞ‼︎おい誰か肩かしてくれ!一目だけでも』
『どうしよう?!ステイル様も居られるなんて‼︎』
『待ってもう一人っ……ッキャアアアアッ!』
仕事から次の仕事へ向かう途中。
本当の本当に偶然だけど、王族の視察に鉢合わせた。馬車よりも何よりも人混みがすごくって、……ステイルの名前を聞いて堪らず止まった。
バレたくなくて気付かれたくなくて姿も変えて、人混みに紛れて俺もお前を探した。あの頃からプライド様と一緒ですごい人気だったお前は、一目見るのも本当に一苦労で。だけど、この目で確認せずにはいられなかった。
あの頃はもっとずっと怖かった。ステイルが王族として変わっちまってないかとか、不幸になってないかとか、大昔の噂が本当だったらとか。……だけど。
『今日のお花屋さんも素敵なお店でしたねっ』
『ええ、内装も可愛かったわ。花束もどれも凄くお洒落で迷っちゃったもの。……だけどレオン、ステイル。わざわざこんなにたくさん買ってくれなくても……』
『良いじゃないか。プライドもティアラも似合うから贈りたくなるのは当然さ。ですよね、ステイル王子』
『レオン王子殿下の仰る通りです。姉君とティアラは、どの花束を自室に飾るか馬車の中でゆっくり吟味して下さい』
『ふふっ、そうね。ステイルも好きなのを持っていってね。ヴェスト叔父様付きになってから忙しいでしょう?少しでもお部屋で癒しになれば嬉しいわ』
『ありがとうございます。こうしてレオン王子との定期訪問にたまに御同行させて頂けるだけで充分嬉しいです』
そんなこと言って、優しそうな姉妹や人間じゃないと思うくらい綺麗な顔した王子と一緒に楽しそうに笑ってた。
途中までは見慣れた無表情だったステイルが、プライド様の言葉にはにかんでいたのは衝撃だった。護衛の衛兵越しに見た横顔は本当に本当に俺が見たことのない笑顔で。……あの日も、確かに救われたのをよく覚えてる。だから
「っ……お前が幸せそうで、本当に良かった……っ」
やっと言えた。もうひとつ。
でもやっぱり感極まって、食い縛りながら元の整ってもいない田舎顔ですぐ目を擦った。
あの日、あの時、前に出れなかったし話しかけることすらできなかったけど、ずっと言いたかった。「よかったな」「幸せそうじゃねぇか」って他人事みたいな無責任だとわかりながら当たり前にそこに返事が欲しかった。
俺の自己満足でも、罪悪感を減らせるからって理由でも、王族に囲まれて昔よりずっと自然な表情で笑うステイルがただただ嬉しかった。
「ありがとう」
そう、またステイルは笑った。
照れたように指先で頬を二度掻いて、それから眉を垂らしながらでも嬉しそうに。
あの日、本当に言いたかった言葉に俺はまた何度も何度も手の甲で目を擦った。
Ⅱ21.172-3
本日アニメ第8話放送です。宜しくお願い致します。
また、本日二話更新分、明日は更新お休みになります。
来週また宜しくお願い致します。




