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出あうことのない二人、出逢う  作者: 柿ノ木コジロー
第3章 夕 ― ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
10/18

―― 私。画集の切れ端

 貴方の告白は意外ではなかった。カラヴァッジョの話が出た時、自然にその画えが見えたから。


 なぜ? 最初は意味が解らなかった。

 見えていたものが何なのかにはすぐに気づいた、カラヴァッジョの作品。でも、全て細かく引き裂かれていた。そして金色の光の中で漂うように揺れ動いていた。



 貴方は学生の頃油絵を専攻した、でも途中から美術史に興味を持ち、大学院に進んだ。制作での類まれなる表現力、芸術に向ける真摯な探究心、知識の豊富さ。

 目の中に漲る自信は貴方の豊かな才能ゆえ。教授からも、同期からも一目置かれていた。その上、人を惹きつける魅力に長け、取り巻きは多かった。

 仕事でも、貴方は煌めいていた。最終的に、引き抜きで入った会社ではめきめきと頭角をあらわし、そのうち大きな展覧会の企画運営チームで欠かせない存在となっていった。


 それでも、貴方は孤独だった。


 貴方はあまりにも完璧を求め過ぎていた……仕事でも、生き方でも。そして恋愛でも。


 貴方のつぶやきと回想の断片に、私は心を寄せる。




「一月も終わろうとしているのに、今さら新年会。しかし仕方ない。ヨーロッパでの大きな買い付けを上首尾に済ませ、先週帰ってきたばかりのミサキがいなければ、このセクションでの宴会など塩の入っていないスープのようなものだ」



 彼が深く関わっていた『ブリューゲルの世界展』も、ちょうど無事に終わったところだった。企画は各方面から賞賛され、マスコミの話題ともなった。来館者数は普段の特設展と比べても優に2倍は多かった。


 新年会では、並んで座っていた彼とミサキ、どちらもおだて上げられ、次々と乾杯を求める者が席の前についた。彼が企画部長からのビールを飲み干そうとした時、脇のミサキが自分のグラスをみたまま、「今夜は泊まるんでしょ」普通の口調で告げた。


「あまり酔っぱらうと、こないだみたいに出来なくなっちゃうわよ」


 彼は屈辱的な言い草に少し目を細め、それから当てつけるようにグラスの酒を一気に飲み干す。


 それでも、二次会の後にはちゃんと彼女と腕を組んで、渋谷の駅前から少し登っていつものホテルへと向かっていた。


 ホテルの入り口にさしかかった時、ポケットの携帯が震えた。彼はナンバーをみて顔をしかめる。

「誰?」顔のしかめ方を注意深く観察しながらミサキがこう聞いた。

「女の子? もしかして同棲してた子? 学生時代に」

「もしもし」応えるより一瞬はやく、彼は電話に出ていた。

「ああ……お疲れ様です」会社関係? 小さく脇でつぶやくのを空いた方の手で止める。

「うん……はい、はい」少し困ったように暗い夜空を見上げ、電信柱にまで視線を落とし、それから地面をみた。


 ミサキはすぐに気づく。漏れてくるのは、かなり高い、女の声だ。しかも、仕事絡み?


「はい……いえ、今もう新宿です、もう帰るんで、えっ?」

 しばらく黙って聞いてから、そのまま電話を切る。

「誰なの」

 少し口調を強くしてミサキが聞くと、彼はあっさりと答えた。

「社長秘書の子。モリさん」

 ミサキは声をかたくしたまま「モリ・アイコともつき合ってたの」

 不承不承、彼はうなずく。肩をすくめて聞かれもしなかった電話の内容を語り出した。

「クリスマスにくれるつもりだった画集がようやく手に入ったんだって。ちょっと今から出てこれないか、とさ」彼女の顔をみてあわてて付け足す。

「行けるわけないよ、1時間で来いなんて」

「どこに」

「バーだよ、彼女行きつけの」

「ということは貴方も行きつけね。どこのバー?」

「バー・クラナッハ渋谷」

 すぐ近くじゃない、目を丸くしてミサキが大声を出す。信じられない、同じ街で違う女を連続で抱くの?

「そんなこと思う訳がないじゃないか」彼らしくなく、少し弱気な声。ミサキは彼より5歳年上で、少し頭が上がらない。しかし実際、最初強引にアプローチを仕掛けたのは彼の方だった。

「あっちには行くもんか、来てくれなきゃ死ぬ、なんて言葉は陳腐だよな」

「そんな事言ったの」

 彼は片手で携帯をいじっている。「なにしてるの」と聞かれ、「チャッキョにした」と簡単に答えた。

「何度もかけてきたら、うるさいだろ?」普段から、魅惑的だと同性からも異性からも認められているとびきりの笑顔で、彼女の肩を抱いた。

「もうアイコとは別れたようなものだから……心配かけてごめん」

 ミサキは身をかたくしたままその場に立ちすくむ。


「彼女、急に来て、って? 私たちが飲んでたの知ってたんでしょ?」

「まあね、同じ会社だし」

「貴方と私のことも、知ってるよね」


 彼はあいまいな笑顔をホテルの外壁に向けた。実際、愛呼あいこはこう言ったのだ。


――ミサキさんと、今からホテルにでも行くんでしょ。でも必ず来てよね、こっちに。


「本当、莫迦らしい」

 彼は鼻をならし、ミサキの肩をぐいと抱き寄せる。

「いいんだよ、さ、入ろう」



 その次の日、社長秘書の森は会社を無断欠勤した。


 翌日、訪ねてきた愛呼の妹がマンションの浴室で手首を切ってすでにこと切れている彼女を発見した。遺書はなかったが、高価そうな画集のカラーページがずたずたに引き裂かれて、彼女はその切れ端を湯に散らしてその中にながく、横たわっていた。

 何も事情を知らない妹は、葬儀の際、会社の数人にその画集の話を聞かせた。ミサキは葬儀に参列した同僚からその話を聞き、すぐに気がついた。

「彼女、妊娠していると思っていたらしい」

 それだけを告げ、ミサキは彼の元から去って行った。



―― 貴方はそれから、その画集を二度と開くことができなくなった。イタリアで一度、同じ物を手に入れるチャンスがあったのに。彼女のことがあるまでは喉から手が出るほど欲しかったはずなのに。


「もう画集は必要無くなったんだ、本物の光と闇を見てしまったから、あの時。

 カラヴァッジョの絵の断片を浴槽に浮かべ、その中にしろじろと横たわる彼女を、僕は見てしまったから。


 つき合ってたから、何度も彼女のマンションに行ったことはある、風呂場もよく知ってるよ、照明がいっぷう変わっていて、金色の光に満ちている。臙脂の縁どりのついた黒い壁に象牙色のバスタブ、落ちついたムードのある浴室、二つあるうちのひとつの照明がよく壊れるんだ、すると急に陰影が濃くなって、私たちまるでバロックの絵の中に閉じ込められたようね、と愛呼が言ったものだ……だからすぐに見えたよ、ことばが蘇ると同時に、そこで


 彼女の死んでいる様子が」

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