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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
本編

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24/105

23.馬、贈ろうか?


「分かったよ。亜希ちゃんの言う通りに買ってみよう。どうだ? 一緒にレースを楽しまないか?」


 パドックを見やれば、騎手が乗馬している。

 ファンのための時間はもう終わりらしい。更に一回りしてから馬たちは本場馬に向かう。そうしたら、直にレースだ。

 亜希は城戸を見上げて、こくんと頷いた。    


 城戸は携帯電話を操作しながら地下通路の入口に向かって歩き進む。ネットで馬券を買い終えると、亜希に振り向いて、馬場内の方を指し示した。

 どうやら今日は人の多いメインスタンドではなく、馬場内にある芝生エリアで観覧するようだ。


 地下通路を抜けて馬場内に出ると、今日のメインレースであるフローラルステークスの話をしながら、1コーナー手前の芝生エリアに向かって歩いた。そこではレジャーシートを広げて座っている人の姿がちらほらと見られる。


 スペースを見付けると、城戸は芝生の上に無造作に尻をついて座った。

 春の日差しがぽかぽかと暖かい。太陽はすでに西に傾いていたが、まだまだ気温は高く、柔らかな風が心地よかった。


「うーん!」


 両手を蒼い空に向かって掲げ、一度伸び上がってから亜希は腰を下ろした。

 その時、亜希の耳が機械音を拾う。驚いて振り向くと、城戸の携帯電話から着信音が流れていた。城戸は目だけで亜希に断りを入れて、通話ボタンを押した。


「――お前か。今? ――いや、まだ競馬場だ。――ああ、そうだな。――分かった」


 短い言葉をいくつか発しただけで、通話を終えたようだ。 城戸は携帯電話をだぼっとしたズボンのポケットに仕舞い込むと、少し困ったような表情を浮かべて亜希に振り向いた。


「どうかしたの?」


 余計なことかもしれないと思いつつも、亜希は城戸に尋ねる。


従弟いとこなんだが、もうすぐここにやって来る。まあ、そう気を遣うような相手じゃないから、気にしないでくれ」


 気にしないでくれと言われても亜希の胸に不安が過る。城戸の口から従兄の存在が語られたのは、初めてだった。

 そもそも城戸自身だって、付き合いは長くともよくは知らない男だ。どこに住んでいるのかとか、普段何をしているのかとか、知らないことの方がずっと多い。

 更に知らない男がもうひとり増えるとなれば、さすがの亜希も戸惑いを覚えた。

 ――とはいえ、嫌だから呼ばないでとは言えないのが亜希だ。まあ、どうにかなるか、と性善説を信じることにした。


 再び着信音が鳴ったのは、レースを二つほど終えてからだ。次のレースを待ちながら、レースの予想を話していると、城戸のズボンのポケットから着信音が漏れ聞こえてきた。

 城戸はすぐに携帯電話を取り出して耳に当てた。


「今、どこだ?」


 先程と同じ相手のようだ。


「迷っていないだろうな。迎えが必要か? どこにいる?」

「――必要ない。ここだ」

「ああ?」


 携帯電話を耳に当てたまま城戸が振り返り、亜希もつられるように振り向けば、城戸と同じように携帯電話を耳に当てながらこちらに向かって歩いて来る男の姿が見えた。

 亜希は目を疑って、思わず、えっ、と声を小さく漏らす。その男は亜希も知っている人物だった。


「なんで?」

「こんにちは、亜希ちゃん」


 ゆっくりと近付いて来た男は、亜希を眩しそうに目を細めて見やり、にこやかに挨拶をした。

 亜希も彼を見上げる。今日はラフな印象の服装で、紺のジーンズに淡い色のポロシャツを着ていた。


「早かったな。急いで来ただろう?」

「当然だ。亜希ちゃんが帰ってしまう前に着かなきゃならないだろ」

「事故らなくて何よりだ」

「あ、あのう……」


 どこかで止めなければ永遠に二人だけの会話が続きそうな彼らに亜希は片手を顔の前で掲げて口を挟む。


「日岡さん?」

「うん。どうしたの、亜希ちゃん?」

「日岡さんが城戸さんのいとこ?」


 日岡を指差してから城戸に指先を移動させる。ああ、と城戸は亜希の戸惑いを理解したように頷いた。


「亜希ちゃん、こいつと知り合いなんだって?」

「知り合いっていうか……」

「亜希ちゃんは、俺の例の本を読んでくれているんだ」


 日岡が亜希の言葉に重ねるように言った。


「ああ、あの呪いの書か。――面白いか?」

「え、呪いの書?」 


 親しい間柄ならではの冗談だろうか。

 面白いかどうかを問われたことに対して亜希は小首を傾げてしばし考え込み、日岡を、そして、城戸を見上げて答えた。


「友達が面白いと言って読んでる」

「友達が?」

「あと、もうひとりの友達も読み始めたし、同級生の男子で熱心に読んでいるヤツがいる」

「ほう?」


 亜希自身の感想は避けつつも、みんなで読んでいるよと告げれば、きっと作者である日岡も悪い気はしないだろう。

 そう思いながら日岡の表情を窺い見ようとした時、ファンファーレが響き渡った。

 亜希は、ぱっとゲートの方に振り向く。いよいよ本日のメインレース――フローラルステークスのスタートだ。

 モニターに馬たちがゲートに収まる様子が映し出された。緊張感がぴんと張られた糸のように競馬場全体を支配する。

 息を呑む。そして――。


 ダッ、と走り出した馬たち。

 まるで地球を揺れ動かしているかのように響いてくる蹄の音は、亜希の心臓の音と重なる。

 蹄の音なのか、心臓の音なのか。区別がつかなくて亜希は胸を両手でぐっと押さえた。


 わぁ、と歓声が聞こえた。それはメインスタンドから地響きのように聞こえてくる。

 亜希は固く拳をつくった。そして、次の瞬間、ぱっと明かりが灯るように電光掲示板に数字が表示された。


 まず亜希が城戸から借りた双眼鏡を覗き込んで電光掲示板を確かめ、得意げな顔をして双眼鏡を城戸に返した。

 ところが、城戸はそれで確かめるまでもないという手ぶりをして、双眼鏡をそのままズボンのポケットに押し込んだ。


「亜希ちゃんの予想通りの結果になったな。今日はたくさん勝たせて貰えたから、お礼をしなくてはならない」

「何かおごってくれるの!?」


 亜希は満面の笑みを浮かべた。今日はピタリと予想が的中して気分がいい。

 嬉々として言えば、にやりとして城戸が聞き返してくる。


「何か食べたいものがあるのかな?」

「大穴ドーナツ! あっ、やっぱり本命ドーナツ!」

「はははっ、そんなので良いのなら、お安い御用だ」


 ふと、自分のことをじっと見つめてくる視線に気付いて、亜希は日岡に振り向いた。 


「なんですか?」


 目が合うと、日岡は微笑む。


「亜希ちゃんは、馬が好きなんだね」

「ええ。まあ」


 今さら何を言っているのだろうか、というのが亜希の正直な気持ちだ。

 好きでなければ、こんなところに女子中学生がたったひとりで来ているはずがない。

 不審に思う気持ちを全面に出しながら、日岡を見上げれば、彼は構うことなく問いを重ねてきた。


「どういうところが好き?」

「どういう……、えっ、馬の好きなところですか?」


 亜希は思わず考え込む。

 日岡から目を逸らし、馬たちが旋風のように一直線に駆ける姿を脳裏に思い浮かべながら、日岡に答える。


「なんか無条件で好きって感じです。 全部好きっていうか。でも、それでも敢えて上げるとしたら、走っている姿が好きです。走っている時の蹄の音も好きで、あと、なんだろう。フォルム? あの体に抱き着きたいです。触ってみたいし、撫でてみたいし、乗ってみたい! 一番速い馬に乗って、誰よりも速く駆けたい。――そう思わせてくれるから、馬が好きです!」


 言い切ると、亜希はぐっと唇を結んだ。途中から熱が入ってしまい、自分でもちょっぴり恥ずかしくなるくらいに力説してしまった。

 頬を赤くしてうつむけば、くくくっ、と笑い声が漏らされる。喉の奥の方で笑ったかのようなその声に、亜希は眉を顰めて日岡を見上げる。


「なるほど、わかった。――それで、もし俺が君に馬をプレゼントしたいと言ったら、君は受け取ってくれるだろうか?」

「……はあ?」

「君に何か贈りたいんだ。喜んで貰えそうな物が馬しか思い浮かばない。受け取ってくれるかな?」

「馬を? それって、競走馬?」

「そう」


 亜希はあんぐりと口を大きく開いた。


「冗談ですよね? だって、安くないですよ?」


 血統によって値段は大きく異なるが、安い競走馬でも数十万はする。そして何よりも、競走馬は購入して終わりというわけにはいかない。

 2歳のデビューまで牧場で育てなければならないし、調教だってしなければならない。その費用が月に数十万だ。

 レースに出場させることを考えたら、もっといろいろな費用も掛かってくるだろうし、手続きも面倒くさそうだ。


 だいたい、競走馬を所有するということは、馬主になるということで、馬主になるためには審査を受けなければならないはずだ。

  所得が1700万円以上とか、資産が7500万円以上とか、たしか、そんな条件があったはずである。

 亜希は顔を強張らせてぷるぷると頭を左右に振った。


「貰っても、めちゃくちゃ困ります」


 せめて乗馬用の馬を、と一瞬頭を過ったが、乗馬用だって月々数十万の費用がかかるのは変わらない。犬や猫じゃないから自宅の庭で飼うことができないため、預託料がかかるのだ。

 やれやれ、と呆れたように肩を竦めたのは城戸である。


「お嬢ちゃん、ごめんな。こいつの話は本気にしないでくれ」

「そ、そうだよね。びっくりした」


 ごめんな、ともう一度謝罪して、城戸きどは地下通路の方に足を向けた。城戸にドーナツを買って貰うために、亜希も彼の背を追うように歩き出すと、日岡も亜希の後ろからゆっくりとついてくる。


「パン屋はどこだったかなぁ」

「3階の31番柱あたりだったと思う」

「うん、すまん。31番柱の位置がわからん」

「正門の方だよ。フジビュースタンドの3階をぷらぷら歩いていれば、たぶん着く」

「おう、雑だな」










【メモ】

城戸きど あきら       

 日岡の4つ年上の従兄。30歳。

 見上げるほど背が高い。ギョロリとした大きな目。

 ゴツゴツと頬骨が張った厳つい顔。だが、時折見せる警戒心のない笑みに愛嬌があって、亜希は親しみを抱いている。

 亜希とは4年前から競馬場でよく会っている。亜希の母親にも会ったことがあり、亜希のことを「息子のように思っている」と発言した。

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