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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
その後の話

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【20歳 睦月 律子さんの弟】 


 なあ、と森内が亜希の方に体を寄せて囁いてきた。


「またあいつだ」


 振り向くなよと言うので、亜希は体を強張らせるだけに留めた。


 亜希が最初にその男の存在に気が付いたのは、中山金杯の日だった。

 新年最初の重賞レースである中山金杯は、『一年の計は金杯にあり』なんて言われている4歳以上の馬によるGⅢレースだ。

 残念ながら、亜希が騎乗したのは中山金杯の後に行われた4歳以上2勝クラスのレースだったが、これに勝利して『一年の計は元旦にあり』を為すと上機嫌で帰路についた。


 中山競馬場から歩き、船橋法典駅から武蔵野線に乗った時にはあまりにも混雑していたため気が付かなかったが、その後、新松戸駅で常磐線に乗り換えた時に強い視線を感じて、その男に気が付いた。

 男は厚手の黒いコートを着て、灰色のマフラーで口元まで覆っている。若そうに見えたが、顔が隠されているため確かではなかった。


 柏駅で電車を乗り換えた時も、その男は亜希と同じ電車に乗ったので――偶然である可能性も捨てきれなかったが――隆哉に連絡をした。

 いつもなら、ひたち野うしく駅で電車を降りてタクシーを呼んで帰宅するところを、隆哉の言葉に従って土浦駅まで乗ると、人混みに紛れるようにして電車を降りて、階段を上がり、急いで反対ホームの階段を下りた。

 そして、上野行の電車でひたち野うしく駅に戻って、迎えに来てくれた隆哉の車に乗ったのだ。


 その日から、その男の姿を見かけるようになったので、亜希は森内や藤崎に頼んで、同じ競馬場で騎乗する日には一緒に帰って貰うことにした。

 今日は、藤崎は京都競馬場でレースだが、亜希と森内は中山競馬場でレースだったため、森内と一緒に帰りの電車に乗っていた。


「おい、旦那に連絡しておけよ」

「今してる。今日は東京で仕事をしていたはずだから、まだ車で移動中なんだよ。すぐには返信が来ない」


 などと言っていると着信がある。もちろん隆也からだ。

 電車の中なので、通話ボタンを押すのを躊躇って、ブーブーと振動音を長く長く鳴り響かせてしまう。


「無理だよ。出られないよ。電車の中だもん!」

「スマホに向かって言うな。メッセージ送れよ」

「向こうが切ってくれなきゃ送れなくない?」

「通話拒否すればいいだろ」

「ええっ。そんなことしたら隆哉さんが傷つくじゃん」

「知らねぇよ。出られないんだから仕方がないだろ」


 それもそうだと亜希は、ごめん、と言って通話を拒否する。そして、すぐにメッセージを送った。

 しばらくして隆哉からメッセージが届く。


「なんだって?」

「今、つくばだって。常磐道を降りたとこ」 

「なら、旦那の方が早く着くんじゃねぇ?」

「うん。このまま、ひたち野うしく駅で降りていいって。森内と一緒だって伝えたから、寮まで送ってくれるよ」

「助かるー」


 電車が柏駅で停車してドアが開くと、乗客がどっと電車を降りて行ったので森内が亜希の腕を引いた。


「車両を変えようぜ」


 亜希たちは人が空いた隙に移動して、降りる客が途切れたと同時に乗り込んできた人たちの中に紛れる。

 我孫子、天王台、取手、藤代、と過ぎても変わらず電車の中は混雑していて、龍ケ崎市を過ぎるとだんだんと身動きが取りやすくなる。

 牛久駅も過ぎた。駅に着く度に、例の男が電車を降りていないかと確かめるが、ホームにそれらしき姿がないので、きっと男はまだ同じ電車に乗っている。

 亜希のスマホが振動した。隆哉は既にひたち野うしく駅に到着しており、先ほどから次々とメッセージが送られてきていた。


「あと3分くらいで着くよ、っと」

「――って送っているうちに、もう着くけどな。お前、文字うつの遅っ!」

「これでも早くなったの! 森内も遅いじゃん」

「俺の方が絶対に早い」


 じつは、どっちもどっちだった。

 2人ともスマホを使う時間が極端に少ないので、いろいろと操作に慣れていないのである。

 そうこうしている間に電車にブレーキがかかる。やがて、ひたち野うしく駅のホームに電車が停車したので、ドアが開くのを待って亜希たちは電車を降りた。

 他にも数十人ほどの乗客が降りたので、彼らに紛れるようにして改札に向かう。

 階段を上り切ったところで森内が亜希の肩を肘で突っついた。


「いるいる」

「うわぁ。マジかー」

「先々週みたいに土浦まで乗って、巻いた方が良かったんじゃないか?」

「それがさ。先週、土浦では改札を出ていないことがバレたんだ」


 先週は藤崎と一緒に電車に乗っていた亜希は土浦駅で反対側のホームに移動して、ひたち野うしく駅に戻ろうとした。

 だが、土浦駅から乗った電車に例の男も乗り込んでいると分かり、ひたち野うしく駅で降りる事ができず、龍ケ崎市駅まで戻り、人混みに紛れて巻いてからひたち野うしく駅に向かったのだ。


「今日でついに、ひたち野うしくで降りることが知られたわけだ」

「よろしくないね」


 亜希たちは改札機にスマホをタッチさせて改札を抜けると、東口に向かう。エスカレーターを降りてバスロータリーに出た。

 既にほとんどのバスが終わっているので、多くの人たちは歩行者デッキを真っ直ぐ東へ進んで行き、ロータリーまで降りて来たのは亜希たちくらいだ。

 すぐに隆也の黒い車を見付けて亜希は駆け寄った。


「隆也さん、お待たせ。森内、早く乗って」


 助手席のドアを開けて隆也に声を掛けると、後部席のドアを森内のために開けてやる。

 その時に視界の端に例の男の姿が見えて、亜希は森内を急かした。


「来てる! 来てる!」


 森内を車の中に押し込んだ後、亜希も助手席に乗り込むと、隆也がバックミラーに視線を向けて言った。


「どこ? ……ああ、あれか。ちょっと待ってて。行ってくる」

「ええっ!?」


 引き止める間もなく隆也は車を降りて行き、遠巻きにしつつもこちらを見つめている男の方に歩いていった。


「うそっ。信じられない」

「もしかしてバトルが始まっちゃうかんじ? 俺の嫁に近づくんじゃねぇって」

「隆也さんはどちらかと言うと頭脳派だから、暴力的なことはしないと思うけど」


 理詰めにして言葉の暴力は振るうかもしれない。

 不安を抱きながら視線を送っていると、隆也が例の男に話し掛けている様子が見えた。


「なんかしゃべってるし!」

「わりと親しげじゃねぇ?」

「分かんないけど、何を話してるんだろう?」


 5分くらいだろうか。しばらくして隆哉が車に戻って来た。男はエスカレーターを上って、駅の改札の方に戻って行く。

 隆哉が運転席に乗り込んでくるのをうずうずしながら待って亜希は尋ねた。


「何を話していたの?」

「待ってて。亜希ちゃん、森内くん、シートベルトして。走らせるよ」


 隆哉がエンジンを掛けたので、亜希はシートベルトをする。後部座席でも森内がシートベルトをカチッと金具に差し込む音が響いた。

 隆哉はハンドルを握る前にスマホホルダーに立て掛けてあるスマホを操作して通話ボタンを押した。画面には律子の名前が出ている。

 すぐに画面が通話画面に切り替わって、律子の声が車内に響いた。


『もしもし?』


 その声を聞きながら隆哉がアクセルを踏み、口を開く。


「おい」

『隆哉さん? あら、久しぶりね』

「どういうことだ?」


 随分と険のある声を出して隆哉は前方を睨むように車を運転をしていた。

 

「――律子の弟が今こっちにいるぞ」

『あらまあ』


 律子の驚いた声を最後に車内がしばし沈黙する。

 森内はもちろん気配を消しているし、亜希も固唾を呑んで隆哉と律子のやり取りに耳を澄ませていた。


『ついにこの時が来ちゃったという感じね。でも、そうね。お正月に会った時に嫌な予感がしたのよ』

「何があった?」

『……今、隆哉さんひとり? 亜希ちゃんは?』

「隣にいる」

『えっ、いるの!? やだぁ、先に言ってよ。亜希ちゃん、久しぶり! ねぇ、声を聞かせて!』


 律子の声のトーンが高くなる。急に呼び掛けられて亜希はぎょっとして、思わず隆哉に振り向いた。

 視線に気付いた隆哉が、一瞬、目だけを亜希に向けて頷く。亜希はおずおずと隆哉のスマホに向かって声を掛けた。


「律子さん、お久しぶりです」

『いつも亜希ちゃんのこと、テレビで見ているわよ』

「えっ、競馬中継ですか?」

『そうよ。毎週録画しているの。亜希ちゃんがどのレースに出るのかって、木曜日の夕方に分かるじゃない? それをチェックしてテレビで中継されていたら録画するし、テレビで見られないレースならネットで見ているのよ。もちろん全部は見られていないけれど』

「うわぁ、嬉しい! 全部見るとか無理だから、十分嬉しいです!」

『亜希ちゃんのおかげで競馬に詳しくなっちゃった。じつはね、推しの馬がいるの』

「えー、なんですか!? 聞きたい! 聞きたい!」

『あのね……』

「ストップ!」


 律子の声を隆哉が遮って止める。


「その話は後にしろ。それで、律子。弟に何があった?」

『もうっ。隆哉さんったらずるいわ。貴方は毎日、亜希ちゃんのことを独り占めにしているけれど、私は亜希ちゃんが中学校を卒業してしまってから数えるほどしか会っていないのよ。久しぶりに話すのに』

「律子」

『分かったわよ! ――あのね。亜希ちゃん、有馬記念のCMに出たでしょ?』

「有馬記念のCM? あれは出たと言うより、ちらっと映っちゃったと言うんですよ」

『それをね、浩輝ひろきが見ちゃったみたいなの。私がお正月に実家に帰った時に、浩輝が競馬中継を見てて、今まで興味なんかなかったはずなのにどうしたのかしらって聞いてみたら、そういうことでね。CMに映った亜希ちゃんの姿を見て、ビビッと来ちゃったみたいなのよ』

「ちょっと待ってください。理解が追いつかないので」


 亜希は頭を抱えたくなった。

 だって、CMに映ったと言っても、1秒か、2秒のことで、本当に一瞬だったはずだ。

 メインは亜希のライバルとされている兼平かねひら晴菜はるなとテレビドラマでよく見かける若手俳優だ。

 有馬記念があるから競馬場に遊びに来てねという感じのCMで、馬が走っている姿と走り終わった後に軽く流している姿が映る。その軽く流している時に兼平が騎乗した馬の後ろで、亜希が別の馬に騎乗した姿でちらりと映ったのだ。


『あの子ね、亜希ちゃんが映ったところの静止画像をプリントしてたのよ。いったい、この子は誰なんだと思ったらしくて、検索して、名前を突き止めて、亜希ちゃんが騎乗した今までのレースをとことん調べて、全部見たらしいの」

「ええっ。怖っ‼ ――あっ。ごめんなさい。律子さんの弟なのに」

『いいのよ。私も怖い子だわって思うから。でもね、あの子って、昔もそうだったじゃない? 感情のコントロールが上手うまくなくて、気持ちを言葉にして伝えるのが下手なの。それでいて執念深くて、一途いちずって言えば聞こえがいいけど、しつこいのよねぇ。嫌だわ、厄介なところばかり父親に似てしまって。――ねえ、隆哉さん』

「………」

「…………え?」


 亜希は隆哉に振り向く。その横顔を見ながら、律子の言葉を繰り返した。


「父親って? 律子さんの弟だよね? 昔からって………ええっと……?」

『亜希ちゃん、忘れちゃったのかしら? 前に話したわよね。私の弟、生まれ変わる前は峨驕だったって』

「うっわぁーっ‼ 思い出した!」


 車内に大声を響かせて亜希は両手を上げる。

 そう言えばそんな話を中学校を卒業した日に律子から聞いた覚えがあった。


 そして、峨驕に関してはいろいろとある。

 蒼潤としては、彼は峨鍈の息子であるから、自分も彼のことを息子や弟のように思って家族として接したつもりだった。

 ところが、峨驕の方は蒼潤の想いとは異なる。蒼潤を親や兄とは思っていず、蒼潤に対して強い恋情を抱いていたのである。

 そのことを蒼潤はかなり晩年になってから気付き、気付いた以降は峨驕を遠ざけるようになったが、それにも関わらず峨驕はずっと蒼潤に執着し続け、蒼潤の死後も変わらず蒼潤の面影を追い続けたのだという。


「ええっ。じゃあ、さっきのストーカーって、峨驕だったの!?」

「律子。念のため言っておくが、浩輝は俺の息子ではないからな」

『分かっているわよ。私の両親の息子で、私の弟よ。――亜希ちゃん、ごめんなさいね。浩輝のことは私がガードしているって言っていたのに』


 そう言えば、そんなことも言っていたなぁ、と亜希は思い出す。

 運命なのか何なのか分からないが、放っておくと前世で縁が深かった者たちは自然と会う流れになってしまうので、律子は弟が亜希と接触しないように気を配って防いでくれていたらしいのだ。

 だとしたら、むしろ今の今まで頑張ってくれた律子にはお礼を言うべきで、責めるわけにはいかない。


「仕方がないですよ。律子さん、結婚して、去年2人目が産まれたばかりじゃないですか」

『そうね。あともうひとり産むつもりよ』

「子育て大変なのに、私のことで煩わせられないです」

『何言っているの! 亜希ちゃんは私の永遠の推しなのよ。血を吐いてでも亜希ちゃんのために力を尽くすわ! ――なんて言っても、浩輝に亜希ちゃんを知られちゃったのだから説得力がないわよね』


 律子の声が落ち込んで聞こえたので、亜希も気持ちがしゅんとなる。

 隆哉がゆっくりとブレーキを踏んで、穏やかに車が停車した。赤信号で停車したのだと気付いて、景色を見渡す。

 いつの間にかトレーニングセンターの横を走っていた。もうしばらく走れば競馬会館で、さらに走れば若駒寮だ。

 亜希は若駒寮で生活したことはないが、寮の向かい側に調整ルームがあるため、この道は馴染みの道である。

 やがて車が若駒寮の前に着くと、亜希は隆哉のスマホに向かって声を掛けた。


「律子さん、ちょっと待ってて。――森内」


 続いて後部座席に振り返る。


「今日はありがとう」

「いや、いいけど。……もしかして、あのストーカー、知り合いだったのか?」

「うーん?」


 知り合いと言っていいのか分からず、亜希は首を傾げる。

 すると、まあいいや、と森内が言って車のドアに手を掛けた。そのドアを開ける前に森内は運転席に視線を向けて隆哉に声を掛ける。


「日岡さん、送ってくださってありがとうございます」

「こちらこそ亜希ちゃんと一緒に帰ってきてくれてありがとう。今日は本当なら15時のレースで最後だったのに、最終レースで騎乗する亜希ちゃんを待っていてくれたんだろ?」

「たいして待ってないです。それに先輩方のレースを見るのは勉強になりますし、ひとりで帰るより久坂としゃべりながら帰る方が楽しいですから」


 森内は相変わらず亜希ことを『久坂』と旧姓で呼ぶ。市川もそうなのだが、もはや『久坂』はあだ名だ。

 もう一度、森内は隆哉に礼を言ってから車を降りて行った。

 その姿に亜希は手を振り、隆哉は車を走らせた。


『あらやだ。他にも誰かいたのね。聞かせても良い話だったかしら?』

「大丈夫です。森内は自覚のない郭元かくげんだから」

『誰かしら?』


 聞き返されて、そうかと亜希は思う。

 梨蓉と郭元に接点はなく、律子が郭元を知らないのも当然だった。

 郭元とは、蒼潤が率いていた深江軍の兵士のひとりだ。蒼潤の死後、甄燕が将軍になると、郭元は甄燕の配下となり、長く支え続けたのだと志保から聞いている。

 ちなみに『自覚のない』というのは、森内には前世の記憶がないという意味だ。


「森内くんは亜希ちゃんと仲良しで、信用ができる子だから大丈夫だ。――それより、律子」


 隆哉は自宅へと車を走らせながら言った。


「浩輝のこと、どうしたらいい?」

『そうね……』


 まったく知らない男がストーカーの正体だったら警察に通報すればいいだけの話なのだが、律子の弟で、前世が峨驕だとなると、そうはいかない。

 亜希には――と言うよりも、蒼潤には峨驕に対する情がある。もちろん、隆哉にもあるだろう。

 どうやら隆哉は現世においても律子の弟として彼と接したことがある様子だった。


『こうなったら、浩輝を亜希ちゃんと会わせてみたらどうかしら?』

「はぁ? 会わせるわけないだろうが」

『でも、あの子のあの性格だと、納得しないと思うのよ。私がもうやめなさいと言っても、亜希ちゃんに近付こうとすると思うの。毎週末の亜希ちゃんのレースを調べて、競馬場で出待ちして、尾行すると思うわ』

「……」

『すっぱり諦めさせる必要があると思わない? 亜希ちゃんは結婚しているわけで、夫婦円満で、幸せいっぱいなんだって、分からせてあげた方がいいわ』

「……………亜希ちゃん、どう思う?」


 隆哉が律子への返答に詰まって、亜希に話を振ってきた。

 

「よく分からないけど、でも、このままずっと尾行されているのは嫌かな。怖いし……。それに、律子さんの弟さんにとっても良くないと思う」


 峨驕のようにずっと蒼潤に囚われ続けて欲しくはない。

 

『それなら、やっぱり一度ちゃんと顔を合わせて話してみたらいいと思うの。もちろん私も立ち会うし』


 次に東京に来る日はいつかしらと律子が尋ねてきたので、たぶん来週と答える。

 レース確定前なので、たぶんとしか言えないが、奇しくも来週から東京レースが開催となるのだ。


『日曜日の夜ってことよね?』

「月曜日の昼間でも大丈夫です」

『月曜日の昼間は、弟は仕事だと思うの。――いいわ、弟に連絡して決まったら亜希ちゃんに連絡するわね』

「はい、お願いします」


 それじゃあまたね、と律子との通話が切れたタイミングで自宅に着く。

 ビルドインガレージを開けて、その中に車を駐車させると、隆也がハンドルに両手をついて頭を抱えるようにうずくまった。

 はぁぁぁ、と大きなため息をつく。


「亜希ちゃん」

「うん?」

「どうして勝手に決めちゃうかなぁ」

「だって、隆也さんが私に話を振ってきたんじゃん」

「そうだけど、もっと慎重に考えて」

「考えてどうにかなる? 相手は峨驕だよ?」

「そう、峨驕だ。昔から君は峨驕に対して甘い。強く拒めないじゃないか」

「だって仕方がないじゃん。峨驕は峨鍈の息子で、峨鍈に顔がそっくりだったんだもん。――あっ、そっか。そうだよ、隆哉さん!」

「何?」


 機嫌がよろしくない声を響かせて隆哉が亜希の顔を見つめてくる。

 彼の眼差しをしっかりと受け止めて、亜希は、大丈夫、と両手で拳を握った。


「だって、その浩輝さん? ――っていう人は、隆哉さんの息子じゃないし、隆哉さんとは顔が似ていないわけでしょ? だったら、私、大丈夫だと思う」


 生まれ変わって、亜希も隆哉もみんな、前世とは異なる顔立ちになっている。

 前世での親子も現世では赤の他人なのだから、当然、隆哉と浩輝は似ても似つかぬ顔をしているはずである。

 ならば、亜希には浩輝を拒めなくなるような要素がひとつもない。


「君は俺の顔が好きだったのか?」

「えー、違うよ。峨驕の姿を見ていると、峨鍈を思い出しちゃうってことだよ。峨鍈が若い頃はこんな風だったのかなぁって思って、蒼潤はドキドキしちゃっていたんだ」

「ほぉ。それは初めて聞いたな」


 隆哉がまんざらでもないという顔をしたので、亜希は密かにホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら彼の機嫌は上向きになってきたようだ。


「ねえねえ。早く家に入ろうよ。お風呂に入りたい」


 1月の末である。もっとも寒い時期なので、一刻も早く温かい湯に包まれたかった。

 隆哉の表情を窺い、もうひと息かなと思って亜希は言葉を続ける。


「一緒に入っていいから」

「分かった」


 即答だ。

 隆哉はシートベルトを外してドアを開き、車から降りた。その動きときたら、異様に素早い!

 なんだか可笑しくなって亜希は笑みを零しながら車から降り、隆哉に駆け寄った。





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