助けに来た彼と気付いた彼女
ひんやりした空気にカビ臭い匂い。
僅かに見上げる位置にある格子窓から入って来る光が今が昼なのか夜なのかを知らせてくれる。
ここはあそこに似ている。
「ウィード……」
呼んだ名前が本人に届く事などない。
そんな事、よく知っている。
ただ、彼が無事であるかどうかは気がかりだった。
もういいと、逃げてと言った時の彼の顔が頭から離れない。
愕然としていた。いや、絶望していたと言った方がいいのかもしれない。
なぜ、と問う瞳と叫ばれた私の名前。
優しい彼は、ちゃんと逃げられただろうか?
傷付いた体で、それでも無事に逃げられただろうか?
せめてギルと合流できれば、あの子は賢い子だから、アマト姉様の所まで飛んでくれるだろう。助けを求めてくれるだろう。
「ウィード」
「なんだ?」
「……え?」
呼んだ名前が本人に届く事などない。
そんな事、よく知っていた。
それなのに。
「ウィード?」
「あぁ」
「……なんで?」
先程まで外からの光が入っていた格子窓。
今はその光が"何か"に遮られている。
「ギルと一緒に助けに来たんだ」
穏やかな声が降って来る。
可愛らしいサラウィルの子供の鳴き声ではない。落ち着いた、低い男の人の声だ。
それでも不思議とそれがウィードの声であると確信が持てた。
「どうやってここを? いいえ、それよりも、どうやって元の姿に?」
「そうだな、色々と話したい事がある。が、先ずはここを出るぞ。制限時間つきなんだ。少し急がないといけない」
「制限時間?」
「あぁ。それについても後で話す。取り敢えずルリア、君の他に捕らえられている人は居るか?」
「ここに入れられる時に三人見た」
「全員地下牢か?」
「うん。ここの2つ隣と、その隣の部屋と階段を降りて直ぐの部屋。それぞれ一人ずつ」
「分かった。ギルの力を貸して貰うぞ」
「あ、うん。それは別にいいけど、あの子、やりすぎる事があるから気をつけてね」
言った直後だった。
物凄い破壊音と共に揺れる建物。天井からパラパラと埃や土が降ってくる。
「……ウィード?」
「……5分経ったら攻撃していいと言っていたんだ。もう5分経ったんだな」
遠くを見る目で言うウィード。
その間にも破壊音は続いており、天井から降って来ていた誇りが壁の破片に変わり始めた。
「取り敢えず優先的にギルを止めて貰ってもいいかな?」
「あぁ、任せろ。……ルリア」
「なに?」
「もう少し、我慢してくれ」
「え?」
「終わったら泣いていいから」
「……え?」
また後で、と言ったウィードの遠ざかる足音をただ、聞いていた。
言われた事があまりにも予想外過ぎて、どんな反応をしていいのか分からなかったのだ。
「……泣く? 私が? そんな事、」
あるわけがない、と続けようとして喉にせり上がってきた熱い何かをグッと飲み込んだ。
鼻の奥がツンとして、目頭に熱が集まる。みるみる歪む視界を一度閉じて、溢れ出しそうなモノを奥へ、奥へと引っ込めた。
「あぁ……そうか……」
吐き出した言葉は弱々しく震えている。
震える唇をギュッと噛み締めて蹲った。
私は泣きたかったのだ。
怖いと口にして、泣き出したかったのだ。
助けてと叫んで、泣き喚きたかったのだ。
それをしなかったのは、それが出来なかったのは、それを向ける対象が居なかったから。
誰に向かって助けを求め、手を伸ばせばいいのか私は分からなかった。
私がそれを出来る人達は、アマト姉様だけを残してとっくの昔に居なくなってしまったから。
「ウィード」
名を呼ぶ。
私を助けに来たと言ってくれた人。
私が嫌っている人間であると分かっても尚、嫌悪を抱く事が出来なかった人。
優しく勇ましい人。
「ウィード」
あぁ、私は彼が好きなのだ。
サラウィルの子供でも人間でもない彼に、彼自身に恋してしまったのだ。
「ウィード……」
ギュッと目を閉じる。
気付いてしまった感情に先程奥へと引っ込めたばかりの涙がまた込み上げて来て、深呼吸を繰り返す事でそれを静める。
我慢してくれと言われたから。
終わったら泣いていいと言われたから。
それまでは我慢するのだ。




