人間のウィード
「お前は誰の為に剣を奮う?」
あぁ、父の言葉だ、とウィードは瞬時に気がついた。
そうして、これは夢であるということも同時に理解した。
ウィードの父は死んでいるのだ。まだウィードが10歳にも満たない時に起こった隣国との戦争で命を落としている。
けれど、この時の事をウィードはよく覚えていた。自分が剣を握り始めた頃の記憶だ。
家の裏手にある空き地で父に剣の稽古をつけて貰っていた。夕陽を背にした父の顔はよく覚えていないけれど、その言葉だけは鮮明に思い出す事が出来る。
「お前は誰の為に剣を奮う?」
再び、夢の中の父が問う。
記憶の中の父と同じで、夕陽を背にした彼の表情は分からない。
対するウィードは、今の年齢と同じ姿で立っていた。
久しぶりの自分の姿に僅かな懐かしさを覚えつつ、ウィードは目の前に立つ父を見る。
父は無口な人だった。剣の腕は確かなのに、ウィードと同じく出世になど興味の無い人だったから王宮付きの騎士隊に入ろうとはせず、民衆を守る警邏騎士隊に所属していた。
剣を教える時も無口だった父との会話は、殆ど無かった。
けれど、この時だけ父は饒舌に語ったのだ。
父が剣を握るに至った訳を。その時の気持ちを。今の気持ちを。今、剣を奮う訳を。
そうして最後に父はウィードに問うた。
まだ幼かったウィードはその問いに対する答えを持っておらずただ黙ってしまったけれど、父はそれに怒るでもなくいずれ見つかると頭を撫でてくれたのだ。
その後父が死に、ウィードは騎士になるために王立学園へと特別枠入学で進学し、そこでレオルドと出会った。
彼の為になら剣を奮ってもいいかもしれないと、幼い頃の父の言葉がずっと残っていたウィードはそう思ったのだ。
それからは学園を卒業後すぐレオルドの護衛隊にスカウトされ、数年の内に気がつけば隊長にまでなっていた。
「お前は誰の為に剣を奮う?」
三度目の問いかけ。
「民の為に」
「他は?」
答えた言葉に父は更に聞いてきた。
「レオルド様の為に」
「他は?」
「……っ、」
繰り返された同じ問い。
三度目の答えは、喉の奥に引っ掛かって言葉にならなかった。
「他は?」
もう一度問われた言葉に、ウィードは顔を歪めた。
剣を奮える体ではなかった。そもそも人の姿ですらなかった。
それでも、いつの間にか何をおいても守りたいと思ってしまっていた存在。
騎士であるからとか、元の姿に戻る為に必要だからとか、そんな事を抜きにして、ただウィードがウィードとして守りたいと思った人物。
彼女の名を口にしようとして詰まり、ウィードはギュッと拳を握りしめた。
「ウィード、他は? お前はいったい誰の為に誰を守りたい?」
「誰の為に……?」
現実では問われなかった質問だ。
ポツリと呟いたウィードに父が一歩近寄る。
「分かっている筈だ、ウィード。お前は強くなったのだから。その剣を捧げる相手を見つけたのだから。迷わず進め、お前は俺の息子なのだから」
トン、と拳を胸に当てられる。
仰ぎ見た父の顔は笑っていた。優しく不器用に笑っていた。
あぁ、自分は父にそっくりだったんだと、ウィードは初めて知ったのだった。
そうして、姿が少しずつ掠れていっている父に向かって自分も笑ってみせた。
同じくらいに不器用な笑みだったと思う。優しさが含まれているかは分からないが、きっとそっくりな笑顔だったと思う。
「俺の為にルリアを守りたい」
消えていく父が最後に満足気に頷いたのを見送って、ウィードの意識も闇に呑まれていった。
ーーー
ーー
ー
「っ!! ……ゲホ、ゴホッ!!」
急に覚醒した意識に体が置いていかれる。
反射のように寝ていた状態から上体を起こして激しく咳き込んだ後にふと違和感を覚えた。
自分は今、上体を起こしたのだ。
何を当たり前の事を、と思ってくれるな。サラウィルの子供の姿の時ならばあり得ない事だったのだ。
あの姿の時、仰向けに転がされた事が数度ある。どれもルリアにされた事だ。魔獣の本能としてか、恐怖と服従心が先に襲って来るが、その後に来る人間としての気持ちは筆舌に尽くしがたい。兎に角、ウィードの一番の黒歴史になったとだけ言っておこう。
話は逸れたが、その時に人間の時と同じく腹筋を使って上体を起こそうとしたウィードだったが、残念ながらそれは叶わなかった。まだ子供だから無理だったのか、サラウィルの体の構造により無理だったのかは定かではないが、上体だけを起こすのは諦めるしかなかったのだ。
それなのに今、ウィードは上体を起こした状態でベッドに座っていた。
視線を下げて見えるのは、布団のかけられた自身の足だ。
「……」
恐々と両手を眼前へ持ってくる。紛れもない人間の両手だった。
「は……」
短く息を吐く。
数度、手を開閉して懐かしい感触を確かめる。
「はは……」
戻っているのだ。人間の姿に。
顔も触ってみた。足も動かしてみた。
夢でも幻でもなく、ウィードは確かに人間の姿に戻っていたのだ。
そうして一通り自身の体の感触を確かめた後にウィードはグルリと今居る場所を見渡した。
ウィードが寝かされていたベッドと、その横に置かれたサイドテーブル以外は何も無い、実に質素な部屋だった。
いったいここは何処だと考え込むその寸前で、ウィードは大切な事を思い出した。
「ルリアッ!! ……っ!?」
叫んだついでに立ち上がろうとしたが、何故か上手く立てずに床に転がる。
鈍い痛みに顔を歪めたその時、部屋の唯一の出入口である扉が開かれた。




