騎獣士は拐われました
油断もあったのだろう。
だがそれだけではない。
この森に入った直後から違和感はあったのだ。
グルグルと目が回るような、体を前後左右に大きく揺り動かされている様な感覚。
何時もは敏感に感じ取れる生き物の気配が曖昧にしか分からない。
五感の全てが鈍くなっていたのだ。
けれど、そんなもの言い訳にしかならない事をウィードはよく理解していた。
「待って!! 待ってダメ! 彼はダメ!! ねぇ! 私は騎獣士なの!! 高く売れるでしょう!? 騎獣士なんて珍しいから、きっと高く売れる!! だからその子を離して! 私が行くから!! お願い!!」
悲鳴の様な懇願が聞こえる。
泣きそうに震えるルリアの声だ。
男に蹴られ、木に激突した体は悲鳴を上げている。おそらく骨の何本かは折れているだろう。
それでもウィードは立ち上がろうとした。守らなければいけないと思ったから。
それなのに、そんなウィードに対してルリアはもういいと言う。
ウィードを庇おうと、必死で声を上げる。
『ッ、』
男に首根っこを捕まれ体の自由がきかない。
それでも足掻いてその手から逃れようとしていたウィードは一瞬の浮遊感の後、地面へと思いきり体をぶつけた。
受け身などとれる筈もなく、衝撃が容赦なく体を突き抜けた。
男がウィードを放したのだ。
「あんた騎獣士なのか。へぇ、こりゃ珍しいモンを拾ったぜ。暫くは遊んで暮らせるんじゃねぇか?」
「あぁ、どこに売り込む? 第二王子の派閥か? あそこは羽振りがいいから他よりも高値で買い取ってくれる筈だぜ」
「いや、第五王子の派閥も捨てがたいぞ」
どうやら男達の興味はウィードからルリアへと完全に移った様だ。
あそこがいい、ここがいい、とルリアを売り払う先を話し合う男達の意識はウィードから外れている。
けれどウィードは動けないでいた。
行動するなら男達の隙を突ける今しかないと分かっていても体が動かない。
四肢に力は入らないし、意識すらも朦朧としている。
ルリアを守らなければという思いとは裏腹に、か弱く頼りないサラウィルの子供の体はとっくに限界を迎えていたのだ。
「おい、こんな所でゴタゴタ言ってもどうしようもねぇだろ。一度戻るぞ」
一人の男の言葉に同意した山賊達がルリアを連れて移動を始めた。
『ガウ……』
掠れた声は誰にも届かない。
ウィードの存在など、男達は完全に忘れているに違いない。
『ガウ……ガウ。ガウア!!』
必死に叫んだ声に男の肩に担がれていたルリアが顔を上げた。
紫色の瞳が必死に追い縋ろうと体を起こすウィードへと向けられ、そうして細まった。笑ったのだ。
『ッ!』
息が、詰まった。
血の気が引く。
それは恐怖だ。
失う。失ってしまう。
守りたいと思った存在を、抗う術もなく、自らの無力のせいで失うのだ。
『ガウア!!』
声の限りに叫んでも彼女を連れた男達が止まる事はない。
遠退いて行く姿にもう一度声を上げようとして、ルリアの口が何やら言葉を紡いでいるのに気が付いた。
『ガウア? ワウン……』
彼女が言った言葉に何故か一気に体から力が抜けた。
ヘタリ、と地面に倒れたウィードにルリアは再び笑みを浮かべ、そうしてもう一度口にした。
「逃げて」
たった一言。
距離があった為に実際の言葉としては聞こえなかった。
ただ、彼女の口がそう動くのを確かに見たのだ。
何故だと、最早言葉を発する気力もないウィードは心の中で激しくルリアを責め立てる。
何故、自身の身が危険に晒されているというのに笑えるのか?
何故、助けを求める言葉ではなくウィードに逃げろと言うのか?
何故、全てを諦めたように笑うのか?
何故、なぜなぜなぜなぜ!?
何故、自分はか弱い少女一人守る事が出来ないのか?
何故、こんなにも無力なのだろうか?
『ガウア……』
意識が落ちるその瞬間、自分の名を呼ぶ彼女の声が聞こえた気がした。




