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アマト姉様と私

「アマト姉様」


 かけられた声に絵を描いていた手を止めた。

 自分をそう呼ぶのは、もうこの世に一人しか居なくなってしまった。

 黒い髪と濃い紫色の瞳は、自分達が生まれ育った村で多く見られた色合いだ。


「ルリア、どうしたの?」


「あの、」


 言葉を探す様に視線をさ迷わせる彼女を待ってやる。

 眉間に寄った皺も、服の裾をギュッと握り締めているのも、彼女が何か相談事がある時によくしていた動作だ。


「姉様」


「うん」


「私はどうしたらいいのでしょう?」


「……」


 やっと発せられた言葉は、迷子の子供が泣く寸前のような響きをしていた。

 何の事を指しているのか分からない言葉に続きを待つ。

 彼女の中でもきっとまだ、言葉が纏まっていないのだろう。


「今の姿が真のモノでは無いと、分かってはいたのです。だから、それとなく線引きもしていました」


 お茶を入れて向かい合わせに座り、そうして少しした頃にポツリポツリと彼女は話し出した。

 相談と言うよりは独白の様なソレを、ただ静かに聞く。


「けれど、いい人だということも知っています。優しい人だということも分かっています。でも、それでも……」


 一度グッと唇を噛んだ彼女は大きく息を吸い、吐き出して、そして震える声で続けた。


「それでも、人間はやっぱり嫌いなんです」


「……」


 深い、深い、深い、傷を負わされてしまったのだ。自分も彼女も。

 同じ種族でありながら、心底憎み、恨み、嫌悪してしまう程には自分達が負わされた傷は深く、未だに癒えそうもない。

 それでも目の前の彼女は、今話した人物に対して悩み、考え、自分に相談してきた。

 "人間であるから嫌い"だということに心を痛め、それでもやはり、"人間である"という壁を越えられない事に悩んでいるのだ。


 それは、何と大きな一歩だろうか。

 どんなに関わりたくないと思っても、自分達も同じ人間である以上、必要最低限の関わりは生まれる。

 それでも、必要だからと割り切り、仕事だからと諦めた。

 けれど今彼女は、そのどちらでもない人間との関わりについて悩んでいるのだ。

 憎み、恨み、嫌悪してきた人間に対して、初めて抱いた……否、ずっと昔、まだ私達の村があった頃には当たり前に持っていたそれ以外の感情の扱い方が分からないのだ。忘れてしまったのだ。

 

「ルリア。ルリア、私の愛しい子」


 昔やっていた様に優しく抱きしめ髪をすく。


「人間であるかどうかの前に、その人の事が好きか嫌いか考えなさい」


「……好き、です」


「そう。ならそれでいいのよ。好きなモノは好きでいいの。それを"人間だから"と嫌いになるのはあまりにも悲しいわ」


「悲しい……」


「いい人だと思えたのでしょう? 優しいと思えたのでしょう? 人間だと納得しても、離れ難いと思ったのでしょう? なら、それでいいのよ」


「……」


 優しく優しく、歌う様に囁く。

 愛しい愛しい、優しい子。

 どうか、どうか、この世界に残された私と同じ痛みを知る唯一の存在である貴女が幸せな未来を歩けます様に。


ーーーーー

ーーー

 一定の間隔ですかれる髪が懐かしい。

 温かな抱擁の中、ルリアは安心したように息をついた。


 最初は軽い感じで相談するつもりだったのだ。

 ウィードと喧嘩してしまってモフモフ、フニフニ出来ないと。

 どうしたらいいのだろか、と。

 けれど、姉様の優しい雰囲気に触れてしまえば心の奥底に仕舞った本心が出て来てしまった。

 ウィードの事は好きだ。……と思う。

 少なくとも彼の人間の姿を知ってしまい、更には言葉まで理解できる様になってしまっても突き放す事が出来ない位には好きなのだ。

 だからこそ分からなかった。

 今は魔獣の姿でも、何れ人間に戻る彼とどう接するべきなのか。自分はどうしたいのか。

 分からず、グルグルと悩んで、それでも最終的に"人間だから"という理由で彼と距離を置こうとする自分が嫌だった。


 人間は嫌いだ。

 それは今も変わらない。

 それでも、『なら(ウィード)は?』と考えると途端に答えに詰まってしまう。


 それでいい、と姉様は言った。

 優しい声音でそう言ったのだ。


 だから、きっと、これでいいのだろう。


 人間は嫌いだけれど、ウィードは好き。


 これが答え。

 なんて単純で、なんて複雑。

 出た答えに思わず笑ってしまった。


「ウィード、少しお話ししませんか?」


『ガウ?』


 「話し?」と聞こえて来た声に微笑む。

 抱き上げた温もりにホッと息をついた。

 彼の傍は姉様と同じ安心感があるのだ。

 もう暫くは、少なくともこの旅が終わるまでは彼の傍に居る事が出来る。

 出た答えの"好き"がどの様な形のモノなのか、この旅が終わる前にはっきりすればいいと思う。

 だからこそ、自分は彼と話さないといけないのだ。

 言葉を交わし、心を通わせないといけないのだ。


 もしかしたら彼はほくそ笑むかもしれない。

 自分が人間嫌いだと知っている彼は、二人の距離が縮まれば自身が元の姿に戻った時に道半ばで置いていかれる可能性が低くなると、笑うのかもしれない。

 それでもいいのだ。

 やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がずっといいと知っている。

 だから、先ずは言葉を交わす事から始めよう。

 彼を知り、自分を知って貰う事から始めよう。


「そうですね、ウィード。先ずは自己紹介からやり直しましょうか。あなたの言葉で、あなたの事を教えてください」


 朝焼け色の瞳が瞬いた。

 その色が人間の時の彼と同じモノだと気付き、何故だか少し嬉しくなった。

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