真夜中に、貴女と
挿絵がありますので、苦手な方はご注意下さい。
「シアン」
葉の一枚さえ残っていないのを哀れに思ったのか、焼けて黒ずんだ木に引っ掛かっている月。閑寂な空気の中、それを見るともなしに見ていたシアンは、声の主を見下ろした。
「……隊長」
「隣、いいか?」
「はいッス。もちろん」
ピンヒールで瓦礫の山を登ってくるエリシアに、シアンは手を貸す。シアンの隣に掛けたエリシアは、ゆっくりと空を見上げた。
「まだ少し、スモッグがはってるな」
「そうッスね」
「……具合はどうだ?」
「頭痛ももう治まったし、ちょっと休ませてもらったんで、すっかり元気ッスよ!」
「そうか。……」
エリシアは物言いたそうな顔で、じっとシアンを見つめた。シアンは首を傾げる。
「? 何スか?」
「……いや……反逆者を逃がして落ち込んでいるかと思っていたんだが……何だかふっきれたような顔をしているな、って思って……」
「……あー……。それは多分、『心境の変化』ってやつッス」
シアンは大聖堂でエリシアと別れてから起こった出来事を、全て話した。それから苦笑気味に後頭部を掻く。
「オレ、これまでも、危険な目に遭っている人がいたら、助けたいとは思ったし、実際、自然に身体も動いてた。けどそれって、前にも言ったけど『自分のため』でもあったんスよ。街を襲う猛火とオレは戦っているんだって……二年前の無力な自分とは違うんだって思いたくて」
エリシアは黙ってシアンの言葉に耳を傾けていた。シアンは俯き、自身の膝の間で組んだ手を見下ろした。
「……オレ、多分心のどっかで、自分だけが不幸な気でいたんスよね。被害に遭って、家族や友達を亡くしたのはオレだけじゃないのに。沢山の人が、やるせない思いを抱きながらも、反逆者が捕まるまで待つしかない身なのに……」
「……でも」と、シアンは顔を上げた。
「でも、隊長がキルギスに言った言葉や、オレに助けを求めてきた女の子の言葉で、やっと心から思えたんス。反逆者を捕まえる術を持ったオレが、オレのためだけに動いてちゃダメだって」
エリシアは不意を突かれたように、ロゼ色の目を見開いた。その仕草がちょっと幼く無防備に見えて、シアンは胸が温かくなった。シアンは彼女の手を握って囁く。
「人のために何かしようと思えるように成長出来たのは、隊長のお陰ッス。ホント、隊長には救ってもらってばかりッスね。さっきの件もそうだし、『災厄の埋み火』のあともそう。何時だって、どうにかなっちまいそうなオレを引きとめるのは隊長だ。……隊長?」
シアンが話している途中で、エリシアは目を伏せてしまった。さらりと流れた金糸の前髪が、彼女の表情を隠してしまう。
「隊長? どうかしたんスか? 具合でも――――」
「救われたのは、私の方だ」
シアンがおろおろし始めたところで、エリシアはやっと口を開いた。少し躊躇ったあと、エリシアはシアンの手を握り返す。エリシアの手は、寒くもないのに少し震えていた。
「私は、貴様が思ってくれているほど、ヒーローみたいな存在じゃない」
「……え?」
どういうことかと、シアンは疑問符を浮かべる。エリシアは自嘲の笑みを浮かべた。
「二年前、国王様を失った私は自暴自棄になっていてな。国王様から同様に信頼を得ていたノーヴェが犯人捜しやリゼ様を守るため奔走していることに、取り残された気分になって、王都から逃げるように視察へ向かい、そこで貴様の故郷の惨状を見た……」
エリシアの口から直接当時のことを語られるのは、初めてだった。シアンは一言も聞き逃すまいと、耳をすませた。
「国王様の死に報いるために何かしたいとは思っていたが、何をすればいいのか分からなかった私は、ルーン村の惨状を見て、また何も出来なかったと絶望した。だから……」
エリシアは慈しむように、シアンの頬を撫でた。
「浜辺に倒れているシアンを見つけた時、嬉しかった。貴様が私に縋ってきた時は、もっと嬉しかった。私を必要としてくれる人間が、まだいたこと。国王様を救えなかった不甲斐ない私にも、まだ誰かを救えると希望を持てたこと。……全て、シアンのお陰だった。シアンの存在が、悲しみに囚われる私の心を救い上げ、復讐心を、民を守る意識へ変えてくれた」
エリシアはコツンと、シアンと額を突き合わせた。シアンの瞳に映るエリシアは、月も霞むほど綺麗に微笑んでいた。
「シアンが必要としてくれたから、私は自分のためだけでなく、人のために進むことを決意出来たんだ」
「…………」
「…………ありがとう、シアン」
サアッと、二人の間を夜風が吹きぬける。死地の臭いがするはずなのに、何故かシアンは、花の嵐が吹き荒れたような心地がした。
「………。隊長……オレ……っ!?」
胸がいっぱいだ。
何て返せばいいのか分からないが、シアンは衝動的に声を発する。が、羽根が掠めるような柔らかい感触を頬に落とされて、言葉の続きを奪われてしまった。
「……これは私からの礼だ。取っておけ」
頬を桜色に染めたエリシアが、そっとシアンから離れていく。シアンはその場で、ネジの切れた人形のように固まってしまった。
「……何だ。不服か?」
シアンの態度が不満だったのか、エリシアは拗ねたように言い、艶めいた唇を尖らせる。
一方シアンは、思ってもみなかった告白をされただけでも一杯一杯だというのに、エリシアの唇が自分の頬に触れたなんて、完全にキャパシティーオーバーだった。
シアンは耳まで真っ赤にしながら「な……。んなわけ、ねッスよ……」と、怪しい呂律で呟き、頬に残る感触が消えないようにと強く願った。




