災厄の襲来―邂逅―
挿絵がありますので苦手な方はご注意下さい。
キルギスは灼熱の地面へ座りこみ、すすり泣いた。その涙は、クーデターを計画した後悔よりも、命を狙われている恐怖心からくるものだった。
「何て馬鹿なことを……!」
エリシアは度を越した怒りを押さえこむのに必死になって言った。
「評議会全員が、内通者だったという訳ですか……!? 謀反人は例え政治家であろうと、死罪です……!!」
「ひ……っ」
エリシアの射殺すような気配を感じたキルギスは、シアンの両手を掴み、揺さぶった。
「ゆ、許してくれ! 思い上がっておった。おぞましい者を祭り上げようとした自覚もある。だから、な? 一年前、ワシらはあの方の逆鱗に触れたせいで裏切られた。もう手を組んでないんだ。本当だ。だから、頼む、後生だ、守ってくれ……ワシらはあの方の不興を買った……魔石のことは関係なく殺される! 実際、魔石の隠し場所を吐いたのに、リブルハートは殺されたんだ……!」
「シアンの手を離せ! 貴様がシアンに触れる権利はない!」
エリシアは、シアンが汚されるとばかりにキルギスの手を引き離した。
「どれほど面の皮が厚いんだ……貴様ら評議員の馬鹿な企みのせいで、シアンは家族も故郷も失ったんだぞ! そんなシアンに助けを乞うなど――……」
「そ、それは――そうだが、『災厄の埋み火』は、わ、ワシらのせいでは……」
「まだ言い訳をする気かっ」
エリシアはいきり立ち、大上段に手を振り上げる。その手を、シアンは静かに止めた。
「……隊長、いいッス。こんな奴のために、隊長が手を痛めること、ないッスから」
自分でも驚くほど、冷淡な声が口から滑り出た。無様に取り縋る中年を見下ろし、シアンは鈍く痛む頭で考えた。
(……こんな奴のつまらない野望に、一体何人の人生が振り回されたんだ?)
息が上がるのは、火災のせいで酸素が薄くなっているからだろうか。だからこんなに、頭がぼんやりするのに、同時にカッと火照ってもいるのだろうか。目の前が真っ赤に染まる。
上手く回らない頭で、シアンはキルギスを壁に突き飛ばし、彼の髪をわし掴んだ。
「……反逆者の正体を吐けよ」
「え……は……」
「反逆者の正体だよ!! 誰なのかって聞いてんだ!」
シアンは喉が切れるほど怒鳴った。怒りに呼応してか、火が迸るようにリングが光る。エリシアはキルギスからシアンを引き離し、距離を取らせた。
キルギスはカエルが潰れたような悲鳴を上げる。
「ゆ、許してくれ! 言う! 言うから! けど、貴様、まだ気づいてないのか? 反逆者は貴様の――――……」
ゴポリ。
そんな音がしただろうか。キルギスの背後の壁が、煙草の火のように赤く染まった。そうかと思うと、高温でガラスが溶けるように石壁がどろりと溶け――次の瞬間、火炎が内側から壁を突き破って、キルギスを吹き飛ばした。
大聖堂の壁に、砲撃を受けたような風穴が空いた。
「キルギス評議員!」
エリシアがキルギスの元へ駆け寄り、火だるまの彼へ水を浴びせる。後頭部の髪が皮膚ごと焼け落ち、背中が酷くただれたキルギスは、ピクリとも動かなかった。
エリシアは意識のない彼の口元に、さっと手を当てる。
「ショック死……はしていない、息はある! だが急いで医療部隊の所まで運ばねば――――シアン?」
シアンはエリシアの声が聞こえていなかった。蜂蜜色の瞳で、壁に空いた穴から覗く大聖堂の内部を凝視する。そこにいた人物に、シアンの視線は縫い止められてしまった。
丸くくりぬいたように側廊と列柱の一部が溶けた内部には、採光用の高窓からおどろおどろしい空の光が差し込み、椅子のなぎ倒された身廊に佇む人物を赤く照らしていた。
烏のような装束とは対照的に、表情のない白の仮面。そして手元に握られた、透明な風の魔石。異様な出で立ちは、一瞬でシアンに伝えた。
こいつが仇だと。
シアンの心臓が、ひっくり返ったような、奇妙な脈の打ち方をした。喉が焦げついたような感覚に襲われる。指先に電気が走った。
「大声でいらぬことを喋りすぎだ、キルギス」
聞き覚えのない声が言った。
シアンたちが隠れていることに気づき襲ってきたのだろう。仮面を被った声の主が、キルギスに残酷すぎる仕打ちをしたことは明白だった。
「お前が……オレの村を襲った反逆者か……?」
渇いた唇をこじ開けて出た言葉は、はたして反逆者に届いたのだろうか。
反逆者は身を翻すと、入り口とは逆の位置にある内陣を突っ切り、祭壇がある奥のサンクチュアリへと向かった。
キルギスを支えながら様子を窺っていたエリシアは、血相を変える。
「……まずいぞっ。大聖堂から引きずり出せシアン! そこは法律の及ばない聖域だ! 反逆者め、大聖堂の庇護を受けられる聖域権に頼るつもりかもしれん!」
「そんなの関係ねえッスよ! 神が許そうと、オレがあいつを許さねえ!!」
シアンは壁の穴から内部へ入り込み、反逆者の背を追った。
「隊長はキルギスを早く街の外へ! そいつにはまだ生きててもらわなきゃ、聞きたいことが山ほどあんだ!」
「ああ、分かっている――――シアン!」
エリシアは壁へ向かって叫んだ。もう大聖堂の側面に空いた壁の穴から、シアンの背中は見えない。それでも、エリシアは祈るように叫んだ。
「信じているからな、シアン! 貴様が私との約束を破るはずがないと!」
シアンは返事をしなかった。代わりに耳元で風を切る音が鳴るくらい、ますます走る速度を上げた。
だから、拾うことは出来なかった。
「……あまり無茶をしてくれるなよ……」
不安で押し潰されそうなエリシアの声を。




