挿話14. 護衛騎士の失態
――二十分後に出直して。
冷め切った空色の眼差しを向けられ、不機嫌を隠さない声音と共に目の前でバタンと無情に閉じた扉を前に、アンハルトは新年早々、大きなため息を吐いてがっくりと背を曲げて項垂れた。
警護で廊下に配置されている衛兵の視線も構わず、両腿に手を置いて腰を落としてがっくりと。
(判断を誤ったにしても、失態が過ぎる……)
アンハルトが伝えた情報に対し、フリードリヒは恐ろしく無関心だった。
理由は明白だ、彼にとっては問題にもならないような出来事だからである。というより、会話を振り返るとすでに知っていたか予測していたことだったのかもしれない。
迷惑にも新年の明け方に届いた一報を告げようとしたアンハルトに、彼は「新年の朝から来るだけの用件だろうね」と念押ししている。
冷静に考えれば、そもそも隣国の君主が重篤な状態といった一報自体はそれほど慌てることでもないのだ。
(例の事件で第二公子も責任を問われ、後継者問題は振り出しに戻った。疑惑の第二公子が即現君主と取って替わることはない)
いくらメルメーレ公国という、こちらの王侯貴族を巻き込んだ事件を二度起こし、五大国の一つであるルーシー大公国とも陰謀めいた繋がりが危惧されている国とはいえ、過剰反応し過ぎている。
それに、アンハルトが本来仕えるのは王太子ヴィルヘルムだ。
彼は秘匿された王太子の側近であり、フリードリヒはあくまでヴィルヘルムの命を受けて仕えている護衛対象でしかない。近年その線引きが、フリードリヒとの関係性のなかで曖昧さを帯びてきているものの、指示命令系統においてはアンハルトがヴィルヘルム直属の武官であり臣下だとはっきりしている。
それなのに真っ先にフリードリヒのところへ向かってしまったのは、彼から第二公子とアルヴァール連合王国王族との細い糸の繋がりの可能性を聞いていて意識していたためだった。
つまりは届いた情報に対し、脊髄反射的に謀殺の線一択で動いてしまったのである。
(公安と対諜報を担う諜報部隊第八局長が聞いて呆れる。日頃から、「情報の精査は徹底しろ」と部下に言っている側の人間がこれか……)
普段のアンハルトならこんな失態は起こさない。メルメーレ公国に潜伏させている者からの一報は昨晩届き、彼はその時、クリスティアン公爵令息の立場で父親と共に年越しの夜会の場にいた。
実に二週間ぶりに顔を合わせた妻をエスコートして。
表向きの彼の職は第二王子付きの近衛騎士である。非番の時は、諜報部隊の第八局長の職務とヴィルヘルムの密命にあたっているからといって、不審に思われないよう激務の疲労など出せない。
そう、言い訳をさせてもらえるのであれば、アンハルトは疲れていたのである。
(エスター=テッヘン殿が疲労で理性を失ったと話していたが、いまなら身をもってわかるな……諜報部隊の休憩、休暇の運用強化を図ろう……)
ここ半年ばかり、アンハルトは稀に見る激務の日々が続いている。
ルーシー大公国への警戒とアルヴァール連合王国の調査分析いった大型特務が発生している中、メルメーレ公国とバーデン家の監視も続いている。通常任務も当然ある。
たとえば、水面下で敵対関係にあるラティウム帝国の動向だとか、国内の不穏分子の動きだとか。
現場に出ることは少ないアンハルトだが、副官が整理してくれていても膨大な情報を精査分析し、各隊に指示を出し、王太子や必要に応じて彼の父親である騎士団総長にも報告を上げなければならない。
表向きの彼の職である、近衛騎士班長としての管理業務もある。
あらゆる仕事が一時期に重なり、普段なら某黒髪の文官令嬢でなくても殺意を覚える、フリードリヒの気まぐれによる遠出も骨休めの機会とありがたかったのだから相当だ。
(とはいえ、それは言い訳にもならない)
わかってはいる、十割、自分が悪い。
判断を誤り、主従と命令系統における優先順位も取り違えている。それに……。
(あれは、絶対、関係を進展させようとしていたのを邪魔した。エスター=テッヘン殿は誤解だと言わんばかりだったが)
オトマルク王国は、現王太子の次の世代まで後継者については安泰である。
控えの役割から解放されている第二王子夫妻の進展など、臣下としても知人や同僚としても、アンハルトにとっては至極どうでもいいことだが、どうやらいまだ白くも清い関係であるらしい。
(彼女の性格を考えると、婚儀を終えるまではきちんと結婚したことにはならないとしてはいそうだ。だからといってあれは厳しいな……男としては心折れる)
自身も含めてすべての人間は替えがきくとしている、あのフリードリヒにわかりやすく執着されて囲い込まれ、公も私もなく口説かれ、結婚を前倒しもされて、寝台を共にしていても陥落しないとは。
(正直、同情を禁じ得ないが、一言こちらも言いたい……二週間ぶりに顔を合わせた妻子との時間を邪魔されたのは私も同じだ!)
わかっている、部下に罪はない。彼等は自分の仕事を忠実に果たしただけ。
冷静に新年明けるまで経過を見るとしておけば、近衛騎士の制服に着替えて登城する必要もなかった。
全部自分が悪い。わかっている。
(大体、貴様ら兄弟のせいでなかなか家に帰れず、夫婦円満なのに不仲説が根強くて迷惑被っている。息子達との約束を何度も仕事で反故にされ、なにかにつけ「父上は仕事ってわかってるから」と暗い目で先回りして言われるように……はあ、しかし)
フリードリヒのあの目を見たのは久しぶりだと、アンハルトは思った。
それにいつまでも、第二王子と王子妃の私室の前で項垂れていても不審過ぎる。姿勢を正してひとまず指示された時間となるまで、衛兵の控えの間で彼は時間を潰すことにした。
(エスター=テッヘン殿とのことを邪魔して不興を買ったというより、随分な失態だといったところか。元々、私はフリードリヒ殿下にとって誰にとってかわろうが構わない)
お前のことなどどうでもいいといった無関心に冷め切った空色の瞳。一人の人間としても見ていない。
アンハルトがまだ十二歳の少年だった頃の、本能的な恐怖を感じた記憶とも結びついている。
懐かしさを覚えるフリードリヒの眼差しだった。
まずいな、とアンハルトは脳裏で呟いた。とてもまずい。
(このままだとヴィリの命を遂行できなくなる――)
はあ、とため息を吐いてアンハルトは廊下を歩いた。衛兵の控えの間は当然ながらがらんとしている。
壁際に並べてある椅子の一つにどさりと腰を下ろす。
六歳からずっと、三十をいくらか過ぎた今日まで。アンハルトはずっとオトマルクの王子に振り回されている。
だがそれは自ら望んだことだ、だから仕方がない。
いまアンハルトに取って重要なのはただひとつ。二十分後にいかに失態を挽回するかであった。






