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3−8.師匠は認めない(3)

「しかし、それほどこの屋敷にいたとはね。教授殿は」

「ええ」


 螺旋階段の踊り場から隣の棟へと渡り、廊下を並んで歩くフリードリヒのぼやくような言葉を聞いてマーリカは肯定した。幼い頃に家の中で迷子になった話から、マーリカの幼少の頃について会話が続いている。


「なにか?」

「いや、親戚で出入国制限もないとはいえ、伯爵家嫡男の少年が一人でふらふら他国へ頻繁にと思ってね」


 たしかに常識的には考えられないことだ。

 常識的な考えに囚われることはないフリードリヒではあるけれど、気になったらしい。

 口元に指を当ててなにか考えるような横顔に、マーリカは少しばかり感心した。


(こういうところは、怠惰でもさすがは文官組織を預かる第二王子)


 王立科学芸術協会(アカデミー)への招聘時にマティアスの身元は確認されたはずである。加えて第二王子妃候補であるマーリカの従兄(いとこ)にもあたるから、きっとクラッセン家自体も調査されていることだろう。

 なにしろ、メルメーレ公国の次期後継者が関与しているかもしれない事件が起きたばかり。

 少しでも不審を覚えたら気に留めるのは、フリードリヒのような立場の人間としては正しい。 


「マーリカ」

「はい」


 声を低めた呼びかけに、マーリカは完全に臣下の調子で応じる。

 とはいえ、マティアスが頻繁にエスター=テッヘン家を単身で訪れていたのは、性格的に伯爵家、特に父親との折り合いが悪く家出同然だったのが理由なため、きちんと説明しようと考えながらの返事であった。


「私も、小さな頃のマーリカが見たい!」

「は? なんですか急に」

「教授殿が頻繁に訪ねるほど可愛かったのかと思ってさ……マーリカの肖像画とか写真とか、一族の集まりの記念撮影とかしてないの?」

「ありませんし、していません!」


 感心したのに……と、口の中でぼやいたつもりがフリードリヒになににと問われて、主に集まった親族や交友関係のある客人を泊める別棟へと彼を誘導しながらマーリカはため息をついた。


「わたしの身内でも、不審に思えることを見過ごさないのはさすがだと」


 廊下の角を曲がったところで小間使いらしい少女がいて、マーリカ達を見てぎこちない所作で礼をする。おそらく家族が働いていて最近入ったに違いない。

 フリードヒがにっこりと労うような笑みを少女に向け、すぐさまマーリカとの会話に意識を戻す。


「まさか。エスター=テッヘン家とその親族に疑いなどないよ。大体、君の家のような親類付き合いの濃い一族が本家のあるオトマルクを混乱させる利益がない」


 流れるようなフリードリヒの動作は、視察など外出時によく見るものだ。マーリカが軽く振り返れば少女はぼんやりと放心していた。こんな田舎で間近に王子を見る機会はないから無理もない。

 使用人達の廊下のあたりから、いつになく忙しなく動く人の気配も感じる。おそらくフリードリヒが連れてきた王城の者達は渡り廊下一本で主棟とつながるこの棟を案内されたのだろう。

 

「クラッセン家は保守的なメルメーレ貴族のようだし、教授殿のように気位の高い人が王立科学芸術協会(アカデミー)招聘(しょうへい)に乗って、王都に居を構えるあたり折り合いがよくないと察せられる」


 これは己の認識の方が甘かったとマーリカは反省した。フリードリヒは他人の気持ちはわからないが、人の心理についてはその気になれば容易く推察し読み取れる人だ。マーリカが説明など不要だった。

 これで“無能”なのだから、自身の能力を役立てないにも程がある。


「いいよねえ、貴族の嫡男は。気軽に家出できて」

「……殿下にしては棘のあるお言葉ですね」

「私に対するマーリカほど辛辣ではないよ。事実を言ったまで。そういえば、もう隣の建物だね。連れてきた者達はここで世話になるそうだ」


 特に機嫌を損ねた感じもなく、いつも通りにこにこと穏やかな表情のフリードリヒではある。

 フリードリヒはマーリカの従兄(いとこ)に対してどこか挑戦的だ。

 自惚れたことを考えるならマーリカと親しいからかもしれないけれど、同じくらい親しい再従兄(はとこ)クラウスに対してはそこまでではなかったから不可解である。単に馬が合わないというものかもしれない。


(わたしから見ると、結構近しいものがある二人なのだけど……もしかして同族嫌悪というもの?)


「さすがの私も家出はできないからねえ。せいぜい半日王城を抜け出すくらいで」

「せいぜい半日? わたしがお仕えする前はそんなことが?」

「いや、外出の自由時間〜だったかな。マーリカ、順路が違うようだよっ! 主棟に戻るのなら位置からしてあちらの廊下では?!」


 両手をマーリカの前に開いて振りながら、顎先を横切った廊下へ向けてマーリカの気をそらせようとするフリードリヒに、どんな外出だと思いながら目を細めて彼女は彼を軽く睨む。


「ん?」

「……仰る通りですが、お見せしたくなった場所があって。少し迂回してもよろしいですか?」


 それこそ迷宮のような王城の構造だけでなく衛兵などの配置も完璧に把握している、彼の頭の中は本当にどうなっているのだろう。

 簡単に屋敷内を一通り案内しただけなのに、通りすがりに目に入った廊下を建物の位置関係と照らし合わせて大方掴んでいる様子だ。


「いいよ」


 きょとんと真っ直ぐにマーリカを見る、空色の目に邪気はない。

 エスター=テッヘン家を把握しようなんて考えはきっとない。王城を抜け出すこと自体も、おそらく出来そうだからやってみたら出来ただけにすぎない。

 フリードリヒにとっては、きっとなんでもないことだ。かつて“神童”と呼ばれていたらしいだけはある。


(これほどの資質と能力なのに。まったく、本当にまっったく、やればできることをしないのだから残念すぎる。子供の頃の話をしていて、折角だからお気に入りの部屋を通ろうかなと思ったけれど)


「……やっぱり、止そうかな」

「マーリカ、君、たまに人を翻弄するのよくない」

「殿下相手に、そんなことをした覚えはありません」 

「何度かあるよ……いまだって、気に入りの場所を見せてくれるつもりだったのでは?」


 先回りして言われると恥ずかしさを覚える。

 別棟へ向かう階段は人の気配が遠ざかり、急に静かにもなったから余計に。これではまるで二人きりになる場所へフリードリヒを誘い込んだようである。マーリカは並んでいた彼から一歩半だけ前へ出た。

  

「あれ、ここって」


 目当ての階の狭い通路から、扉無しのアーチを潜れば急に視界が開けて明るくなる。

 フリードリヒが上げた声に、マーリカは振り返った。


「こちらを通ったのですか?」

「あ、うん。今回到着した時にお父上殿の案内で。この広間を境界に私は文官になるようだよ」

「本当に、なにを考えているのかしら……お父様ってば」 


 コツコツと小さな足音を美しく()の入った薔薇色の大理石の床に響かせ、マーリカは広間の真ん中へ向かって進みながら腕組みして呟いた。ここは先程いた棟とほぼ横並びでつながり、主棟の建物の端にも付属品のようにくっついている塔だ。

 まともな部屋はこの展望テラス付の大広間しかない。

 階下は備蓄庫で、他は厨房設備と後付けした昇降運搬設備と動力機械がある。


「いま、とても伯爵家の末娘といった感じだったね」

 

 苦笑したフリードリヒに、はっと彼を振り返り、マーリカは顔を(しか)めた。

 久しぶりにこの部屋に足を運んだ懐かしさに、つい気が緩んでしまった。


「はじめての夜会とかそういったの?」


 まだおかしそうに笑っているフリードリヒに、まさかとマーリカは右腕を上に伸ばし天井を指で差し示す。

 白い漆喰細工が華麗な天井ではあるが、塗られた薄紅色はところどころ剥げ落ち、吊り下がっているはずの照明すらない。


「この有り様をみてそのような催しが出来ると思いますか? 灯りもなく」


 マーリカがそう言えば、何故か声を立てて笑われた。

 父娘揃って同じような返答をフリードリヒにしたとは知らないマーリカは、からかわれているような気がしてますますむっとする。その表情が彼女にしては珍しく明らかに拗ねたもので、フリードリヒが少しばかり目を見張ったことにも気がついていなかった。


「少なくとも伯爵家の当主が、第二王子殿下にお見せするような部屋ではないかと」


 部屋を見回すように首を左右に動かしながら近づいてくるフリードリヒを視界に収めつつ、マーリカも目線を動かして部屋をぐるりと眺める。

 テラスに出る窓を除いた、三方の白壁は繰り抜きの台座には神話の神々の像が立ち、上部に祖先の肖像画が並んでいる。テラスに出れば、代々仕えてくれている人も多く暮らす集落を含み領地を一望できる。


「だけどいい広間だと思うよ。古式ゆかしく燭台を並べての夜会など趣きがあってよさそうだ」

「今風のドレスではすぐ火が移って大惨事です」


 なにしろスカートは大きく広がり裾も引くドレスが主流である。おまけにひらひらした飾りも多い。

 親族で集まってそういった会は開かないのかと聞かれて、マーリカは首を横に振った。

 仰々しいものはあっても晩餐会くらいだ。

 王宮とも疎遠で自給自足で回っているような領地のため、他家との情報交換が疎かでもそれほど支障はない。

 それに控えめとはいえ、母や姉達はそれなりに他家の夫人と交流はある。

 

「もったいないね。素晴らしい眺望でもあるのに」

「だから、わたしや姉達のお気に入りなんです」

「成程」


 マーリカに相槌を打つ声が囁くようで、いつの間にか彼の腕の中にいたが彼女はその場から動かずに頷いた。

 テラスに出る窓の向こうに見える、冬枯れや雪景色になる前の丘や山々を眺めながらフリードリヒに話し続ける。

 マーリカがこんなに自分のことばかりをフリードリヒに話したのは、いまが初めてかもしれない。


「大広間ですが、実質、子供の頃のわたしや姉の遊び場です」

「へえ」

「広いしこの建物はこの大広間しかないですから、多少、駆けたり跳ねたり音をたてたり、散らかしても?」


 姉たちとダンスのおさらいをしたり、運動したり、刺繍や読書をしたり、お喋りしたり、床に布を敷いてピクニックの真似事をしたり、人形遊びをしたのだと言えば、それは楽しそうだとフリードリヒが呟く。


「もったいないは失礼だった。夜会などよりずっといい使い方をしている」


 夜会の場でエスコートされるように腕を軽く引かれて、マーリカがフリードリヒを仰げばテラスの向かいの壁際に置いてある長椅子のソファに座らないかと促された。

 たしかに広間の真ん中近くに立って話しているのもなので、マーリカは彼の提案に素直に従う。


「敷布の上でお昼寝するのが一番好きだったかも。午後の光が気持ちよくて、小鳥の囀りや外の葉擦れの音なんかも聞こえてきて」

「私が執務室で昼寝するのを咎めるマーリカが、子供の頃は床に寝転がっていたなんてねえ……」

「きちんと布を敷いてそういった場所としてです。姉の膝を枕にして、わたしばかり気持ち良さそうに昼寝してずるいとよく言われましたけれど。時折、母や侍女も一緒に……殿下?」


 いつも通り、子供一人分の間を空けて隣に腰掛けているフリードリヒだったが、体ごとマーリカを向いて、けれど無言でどこを見るともない心ここにあらずといった様子に見えて、彼女は少しばかり不安げに首を傾げた。


「申し訳ありません。わたしとしたことが、つい自分の思い出話に耽ってしまって……」


 さすがに少し喋るのが過ぎた。いくら実家で休暇で、フリードリヒも寛いだ様子であってもさすがに緩みすぎである。婚約者として触れ合うのとはまた違う意味で慎みがない。


「ん、私は楽しいけれど。ああ、マーリカの話を聞きながら少し考えていたからかな」

「考えていたとは……?」

「マーリカがすぐ眠くなるのは、姉君もかと思ってね」

「なんのことです?」

「それより、ここでの思い出話にあの二人は出てこないの?」


 あの二人?

 瞬きを二度してからようやくマティアスとクラウスのことかと思い至り、何故あの二人が出てくるのだろうとマーリカは脳裏で呟いた。すぐに浮かばなかったのはここは姉達との遊び場だったからだ。


「おにいさまたちがいたら、そんな遊び方は出来ませんから」


 親類とはいえ他家の令息もいて、中庭ならともかく、大広間の床に座って遊んだり寝転がったりなんてことはできない。そもそも彼等が屋敷にいる時はここで遊んだこともない。

 社交や歓待の間としては使えない寂れた大広間でもあるから、二人には用のない部屋である。

 二人が来た時に使う部屋は、王城の武官と同じ棟にあるけれど主棟とつながる廊下もあるからわざわざこの部屋を通ることもない。


「もしかしたら、入ったこともないかも……父がこの寂れた部屋を通って、殿下を主棟に招いたのが不可解なくらいですから」

「ふうん」

「歴代の当主の絵が飾られている部屋だから? でもお姉様の婚約者が訪れた時もそんなことは……」

「なかった?」


 フリードリヒの問いかけに、はいとマーリカが答えれば彼は眉根を寄せてため息を吐いた。

 なにかぶつぶつ口の中で言ったが、すぐそばにいても言葉は聞き取れなかった。


「殿下?」

「とりあえず認めてはもらえているようでよかった」

「はあ」

「でないとマーリカは心置きなく私と結婚できないだろうからね」

「王家との縁談で心置きなくもなにも……」

「私が憂いなくと思うのだよ」


 そういった気遣いを、ここで言うのはずるい。

 子供一人分空けた距離はすぐ埋まる。

 どちらかが身を軽く寄せれば。互いならなおさら。

 マーリカがフリードリヒの肩へと頭を傾けたのと、彼の腕が彼女の背に回ったのはほぼ同時だった。


「日暮より……少し早い頃の眺めが綺麗なんです。そのことを思い出して」


 ああでも、とマーリカは思う。

 軽く伏せたまつ毛に(かげ)る、瞳の色が揺れる様が綺麗でそちらを見つめてしまう。

 

「まだ少し早いかな」


 そうかもしれない。外庭にいた時よりずっと黄色みを増した光は、淡い金髪をきらきらと輝かせるばかりで、マーリカが彼に見せようと思ったのは、もう少しだけ夕日の色と夜の色が混ざった光だ。

 まだ少し早い。

 マーリカの下ろしている黒髪をフリードリヒの指が梳くように撫でて、触れていいか問われる前に彼女が自ら目を伏せた時だった。


「いや、晩秋の日は傾き始めれば早いもの」


 フリードリヒの言葉を低く静かに打ち消す声。

 マーリカに触れかけた唇が離れて、彼女もまた目を開いたけれど広間に他の者の姿はない。


「とりわけ昼と夜のあわいの光は繊細で、美しい刻を眺めるのなら目を開けていなければね」


 少し暗くなった部屋の境の方向から今度ははっきり聞こえた声に、マーリカがフリードリヒに傾けていた身を起こし広間に入るアーチを見ればそこに人影があった。


「マーリカ、まさかこことは……」

「マティアス兄様?」

「夕食も近い、そろそろ殿下も一度戻られては?」


 現れたマティアスはそう告げて、ひらりと身を翻しひと束ねにした髪を揺らしてまたすぐ姿を消す。

 あまりに突然だったので、マーリカはフリードリヒとかなり近い距離で一緒にいたのを身内に見られたことを意識する間もなく、しばし呆然とマティアスが去ったあとを見つめた。


「マーリカ」

「あ……えっと。たしかにそうですね。暗くなる前に戻りましょうか」

「うん……」


 マーリカが立ちあがるより先に長椅子から離れたフリードリヒに手を差し出されて、その手を支えに彼女も長椅子から離れると主棟につながっている方の出入口へと彼を誘導した。 


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