3−8.師匠は認めない(2)
マーリカの実家、エスター=テッヘン家の領地屋敷は少々造りが変わっている。
主棟を中心に、渦を描くようにいくつかの棟があり、二棟の細長い建物を鉤型につなげた先に城門が建っている。
「私が通されていた応接間は一番奥にある主棟の部屋なのだね。ようやく位置関係が把握できた」
「最初から、家族の場所に案内していたなんて……」
「実に光栄だ。オトマルク建国以前の時代の様式を維持する屋敷なんてそう多くはないからねえ」
「そうでしょうか」
フリードリヒに応じて、マーリカは首を傾げる。
渦の中心である主棟から、渦の外側の庭に面した建物へと渡って内部を簡単に案内し、外庭へ出て、細長い二棟と城門について手で示しながら説明し終えての会話だった。
初めてフリードリヒが屋敷を訪ねたのは婚約前だ。求婚すらされていない。王子の立場での正式な訪問ではなかったとはいえ、歓迎か不敬か微妙なところではとマーリカは思う。
そういった訪問に応じるための建物や部屋は、別にあるのだから。
「古いだけなんて君は言うけれどね。なかなかどうして……さすがに由緒ある伯爵家だけはある」
家族の生活の場である主棟は、木の梁と漆喰で塗り固めた石積みの壁、木彫装飾の目立つ建物だ。王宮の優雅で煌びやかな部屋とはかなり趣が異なる。
旧帝国領内からこの地に移る際、屋敷の一部を解体して建材ごと運んで移築したものらしい。屋敷内では最も古い部分だと、マーリカは幼い頃に屋敷を管理する家令から聞いている。
「殿下がそう仰るのなら。普段その用途で使わない部屋でもあったため……父の対応に正直驚いています」
「普段はどういった部屋なの?」
「家族で寛いだりお茶したりする場所でしょうか」
「なら、親しみを示してくれたかな。君のお父上は私の父とも懇意だからね」
そういえばそういった繋がりもあった。ようやくマーリカは腑に落ちた。
そもそも休暇で帰省しているマーリカの側にフリードリヒがいるのも、彼が国王ゲオルクからこの家の長男誕生祝いの品を任されたからである。
「客人の立場やこの家との付き合いの度合いで通す場所が決まっているわけか。渦の内側ほど家族や身内向けの場所なのかな」
「仰る通りです」
「慣れない人は迷いそうだしねえ。外部より親族との付き合いが密な家のようだし、棟ごとに立ち入りを区別するのはそのためなのだろうね」
外庭に立ってエスター=テッヘン家の屋敷を眺めているフリードリヒに、相変わらず変なところで観察眼と洞察力が働くとマーリカは胸の内で呟く。
フリードリヒから三歩程離れた位置に立ち、マーリカはそっと彼の横顔を見た。
一通り簡単に案内しただけなのに、内側へ向かうほど身内向けの建物とどうしてわかるのだろう。目敏いとでもいうのか、そういえば王立学園での視察でも、崩れかけた倉庫が怪しいと一早く察していた。
(それはそうと……)
黄色みを帯びた夕方近い日の光が、フリードリヒの淡い金髪をきらきらと輝かせていてとても綺麗だ。
屋敷全体を眺める瞳は澄んだ空色で、長いまつ毛の淡い影がその色に深みを与えている。
端正な横顔は、美の女神に愛されたなどといった人々が口にする言葉通り。
領地検分に来た高官職の官吏といった設定を意識してなのか、王宮にいる時と違って渋い色味の装飾も少なく目立たない服を着ているけれど、残念ながら美貌のためにそう見えない。
紺青色のウェストコートに、同色の飾り気のないフロックコートを羽織る地味な姿だろうと、どこからどう見ても高貴な王族だ。
「ん、なに?」
「いえ……その目敏さを仕事にも生かしてくださればと考えていただけです」
マーリカの視線に気がついて、斜め後方に控える彼女を振り返ったフリードリヒに、少しばかりどきりとしながらマーリカは愛想のない調子で返答する。
そう考えてもいたので、動揺を誤魔化したわけではない。
「マーリカ、そろそろ仕事は忘れたら? いつの間にか控える位置にいるし」
「そうなのですが、殿下といるとこれが当たり前で……つい」
「まあデートでも視察みたいなこと言うしねえ。でもさあ、君の実家で二人でいるのだよ」
「いくらわたしの家でも、護衛なしはどうかと思いますけれど」
子供部屋を出た時から二人で行動している。
もちろん使用人がそこかしこにいて人目はあり、二人きりというわけではない。
「殿下の方が、休暇で帰省しているわたしよりもずっと休暇らしいですね」
「領地検分なんて偽装だし、本当の用事は済んだからね」
大抵着けている手袋すらしていない。
もっとも格好だけならマーリカも、少しくすんだ水色の絹タフタのドレスは普段着のもの。襟元の珊瑚色のフリルとリボンを除けば目立つ飾りもない。
普段結い上げている黒髪も、いまは簡単に左右を編み込んでリボンを結び、後ろは下ろしている。
「クリスティアン子爵や他の方々はいまどちらに?」
「三人ほど私の客間に、あとの人員の半分は馬の面倒、残る半分は別棟に案内された彼等の部屋で寛いでるかな。アンハルトは監督指揮。今回全員武官だからね」
王城から交代している様子もなくほぼ休みなしで働いているアンハルトにマーリカは同情しつつ、左様ですかとフリードリヒに答える。
第二王子付は武官も大概激務だ。本業が別にあるようだし体を労わってほしい。
「せっかく可愛い伯爵家のご令嬢なのだから、補佐官じゃなく婚約者の位置においで」
おいでと言いながら、自ら距離を詰めたフリードリヒにマーリカは手を取られる。
だが口元へ持っていくわけでも、エスコートで手を引こうとするでもなく。
中途半端にフリードリヒの首元の高さへ持ち上げられたままにされて、マーリカは少しばかり困惑した。
振り払うわけにもいかない。
どうしたものかと考えて、マーリカはフリードリヒに主棟へ戻りましょうと声をかける。
先を案内するそぶりで背を向けて、彼の手をほどく。すんなりほどけたのでどうやらフリードリヒも考えあぐねていたらしい。
ここのところ接触に関して、とても紳士的だ。昨晩の狩猟館でも結局はそうだった。
王太子ヴィルヘルムの執務室での一件でマーリカが怒ったことが効いているらしい。むやみに動揺させられたり、節度を巡って攻防する面倒はないけれど、そこまで気にしなくてもいいのにとマーリカは胸の内で呟く。身勝手なのはわかっている。
「帰りは近道で。建物を順に巡りましたが、階段と渡り廊下をうまく繋ぐと短縮できます」
「何通りもの順路の組み合わせがあるわけか」
渦の一番外側の建物の螺旋階段へとフリードリヒを誘導し、蝶番が軋む鋼の扉を開ける。
上階の壁を四角くくり抜いた、小窓から射す光で階段は薄明るい。
マーリカはスカートを軽くつまんで足先をのせ、フリードリヒの先に立って上っていく。
最初の踊り場が、別の棟への短い渡り廊下となっていた。
「大体把握はしたけれど、迷宮のような屋敷だねえ。マーリカ子供の時に迷子にならなかった?」
「四つか五つの頃、一人でこっそり出歩こうとして迷ったことが一度だけ」
「たった一度?」
「普段は侍女か誰か側に付いていましたから。使う部屋も決まっていましたし」
(たしか……武器庫の廊下に迷い込んで、マティアス兄様が探しに来てくれて……)
階段を登りながら、マーリカは幼い日のことを回想しはじめた。
*****
まだ幼い少女の目に壁にずらりと並ぶ鹿の首や角の剥製は怖しく不気味に見えた。
振り返れば、歩いて来たはずの通路は黒い虚空を見せて左右に分かれ、どうやってきたのかもわからない。
『っ……ぅ……』
あっという間に視界が涙にぼやけて、ますます自分がどこにいるのかマーリカはわからなくなった。
行ったことのない中庭へ行きたかっただけなのに、どうしてこんなところにきてしまったのだろう。
目の前に続く廊下の奥へと目を凝らせば、無造作に置いてある無数の錆のついた剣や盾が怖かった。立て掛けてある古い甲冑にギロリと睨まれた気がして、ひっとマーリカは息を引いて反射的にうずくまる。
怖くて置いてあった樽の陰に身を隠す。恐怖と心細さで動けない。
一度引いた涙が再び滲んできたその時だった。
『こんなところに隠れていた』
『……まてぃあすにいさま?』
マーリカの九つ年上の従兄。
『おいで』
深く澄んだ緑色の目を柔らかく細めた彼に抱き上げられ運ばれた。
主棟に着けばなんだか落ち着かない雰囲気だった。廊下に出てきた使用人の女性がマティアスに抱えられたマーリカに気がつき「お嬢様っ」と声を上げかけて止める。マティアスが、静かにとたしなめたからだ。
『武器庫の前で怖がっていた。落ち着かせて居間に連れていくから皆にそう伝えてくれる?』
『あ、わたし』
『マーリカ、そこの部屋へ行こう。ぬるくていいから温めたミルクを持ってきてくれるかな?』
従兄にしがみついて運ばれている間にとっくに落ち着いていたけれど、平気だと言う前に小部屋に連れて行かれてマーリカはそのままソファに腰掛けたマティアスの膝の上に乗せられる。
『マーリカがいないと皆が心配して、屋敷中大騒ぎだ』
声を低めたマティアスの言葉にこれは叱られるとマーリカが謝れば、彼は微笑んでそれは彼女の父と母に言うことだと教えられる。
ミルクの入ったカップが届いてマティアスが受け取る。
温度を確かめるようにカップを手で包み、少し間を置いてから彼はカップをマーリカに渡した。
『さ、お飲み。火傷しない熱さだよ』
泣いて喉が乾いていたのか甘くて美味しかった。
飲んでいる間、ゆるゆるとマティアスに頭を撫でられて眠くなってくる。
『マーリカが眠ったら、親父殿のところへ連れていこう。それなら叱られない。目が覚めたら謝るのだよ』
優しい少年の声がさらに眠りに誘う。うとうとしながらマーリカは頷く。
ミルクのカップはいつの間にかマーリカの手から離れていた。
『まだ小さいのだから、黙って外に出てはいけない』
ゆったりと甘い声、一定の調子で頭を撫でられる心地よさにマーリカは再び頷く。
『これから行きたいところは教えてくれるね』
眠くて、頷く代わりにマーリカは彼の上着にぺたりと頬をつける。
くすりと笑んだ声を聞きながら、マーリカは目を閉じてマティアスに小さな体の重みを預けた。
*****
コツンと響いた足音とマーリカと呼ぶ声に、彼女ははっと幼い日の記憶から我に返る。
足を止めて、フリードリヒを振り返れば二段下にいる彼と目線が合った。
「マーリカ?」
「あ、いえ。殿下に聞かれて、迷ってしまった時の事を思い出していました」
「ああ。迷ってどうなったの? 家の中とはいえ探すのは骨が折れそうだ」
「屋敷に滞在していたマティアス兄様が見つけてくれました」
「教授殿? 親族の集まりかなにかで?」
「いいえ、昔はよく屋敷にいて。ふらっとやって来る彼を父が預かっていたようです。彼の母親は私の父の姉ですから」
あらためて思い出したら、記憶の従兄の過保護さと甘さに驚く。
たしかにこれはフリードリヒに甘やかされていたと言われても仕方ない。
先程まで庭で少し過ごして、階段を上り始めたばかりだというのに、突然「休憩」と言いだして螺旋階段の壁にフリードリヒがもたれる。
置いて先に行くわけにもいかないので、まったく気まぐれなのだからと思いながら、マーリカも彼と並ぶように壁に背をつけた。
(あの後どうなったっけ、叱られた覚えもないけれど。侍女が絶対付くように……って、もしかしていつも誰か付いてたのはその延長?)
家を出るまでそうだったけれど、よく考えたら姉達はそんなことはなかった。
十八になっても、まだそんな子供だと思われていたのだろうか。
「再従兄殿は?」
「クラウス兄様ですか? その頃は子供達の集まりくらいでした。殿下と同い年でまだ十やそこらですから」
「なるほど。やはり教授殿か」
顎を掴んでぽつりと呟いたフリードリヒの言葉に、マーリカは首を傾げてほぼ同じ高さにある彼の横顔を見る。
なにか考えこむような表情に、「なにか」とフリードリヒに尋ねれば、「いいや」と彼は表情を緩めた。
「自称師匠なだけはあるね。マーリカがそんな小さな頃から彼に構われていたとは」
「たしかに滞在中は遊んだり、本を読んでもらったりはしましたね。それから、わたしのおやつ係とか」
「おやつ係?」
不可解そうにフリードリヒが表情を歪めたのを横目にみて、マーリカは思い至る。
フリードリヒが時折口にする、“マーリカを甘やかしたい欲”などという酔狂の元凶になった話はきっとそれだ。
「ええ、おやつ係。殿下が二人から聞いた話はきっとそれです。マティアス兄様のお土産のお菓子をわたしが食べすぎてお腹を壊すからって、おやつ係と称していつも数を決めて食べさせられていただけのことで……」
「それはまた」
「途中からクラウス兄様もですが。ですので、甘やかすというより戒めに近いかと」
「マーリカから聞いても甘やかされていた話でしかない。しかし、教授殿も過保護だねえ」
「一度こっそり缶から勝手に食べてお腹を壊したからで……熱まででて」
「ふうん、熱……さて、そこの踊り場までかな?」
ひらりと上着の裾を翻して、マーリカを追い越したフリードリヒに急に休んだと思ったらこれなのだからと、胸の内で彼の気まぐれさにぼやいてマーリカは彼を追った。






