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3−8.師匠は認めない(1)

 エスター=テッヘン家の大本となる家は、いまから約千年以上も昔、大陸のほぼ中央に位置する場所で発祥したと伝えられている。現在でいえばフランカ共和国とラティウム帝国の国境沿い。

 流れる川の両岸と山脈付近で強力な勢力だったらしい。

 本当はそれよりもっと二、三百年ほど古くにフランカ共和国・ラティウム帝国・オトマルク王国他をひとまとめにした大国の宮廷職の長だったとか、諸侯の家政を牛耳る職であったとか、さらなる祖がいたそうだ。

 諸侯をなんらかの形で握る勢力だったせいか、その頃から婚姻で名家から名家を繋ぎ一族の勢力を拡大し、一時はフランカ共和国および以西と、ラティウム帝国からオトマルク北東部、さらに北の小国群も含めた地において影響力を持ったらしい。もはや家というより一大帝国である。


「……その名残がいまのエスター=テッヘンの一族を形作っているのなら大したものだと、子供心に聞かされた一族の伝説が面白く思えたものですよ、親父殿」


 暖炉脇に立っていたマティアスは、無造作に片手に握っていた彼の目の色に似た、緑の色硝子に金彩の入ったデキャンタからもう一方の手に持つグラスへワインを注ぐと、デキャンタだけを飾り棚の上に置いた。

 大体、二百年程度前の品だろう。この家は骨董の宝庫なのでこの程度のものがごろごろある。

 滑り落ちてきたひと束ねにしてる亜麻色の髪を空いた手で払って、マティアスは暖炉の枠に軽くもたれた。


「そのわりに独身を尊んでいるのだから、よくわからんなお前もマティアス」

「自由気儘に人生を謳歌したいもので」


 グラスを口元に会話に応じながら、マティアスは室内を見回す。

書棚や陳列棚も並ぶそこそこ広い部屋である。

 彼のすぐ目の前にはこの家の当主である黒髪黒目の美中年が、深緑の厚く織った布張りの一人掛けソファに掛けて寛いでいる。

 この本家当主の書斎は質実剛健に見えて、絵画やタペストリー、その他調度も素晴らしい。

 物の価値など見る者や時代で変わるものではあるが、少なくとも画家としての才は、このエスター=テッヘン家の屋敷で長く過ごしたことが土台になっているとマティアスは思っている。


「それに一族の話のためか、どうも生まれ育った国とか家といった感覚も乏しいので。大陸全土が家のような?」


 星の数ほど冠を集め、各地を治める王を指名できたなど言うが途方もない。

 とはいえ、栄えに栄えて広げた領土が管理しきれず、あちこちで分裂しその勢力を見る間に落としてしまうのも、古き大国によくある話である。

 ここまでは、まだエスター=テッヘンの名ではない。いまひとつ定かではない古い貴族の話だ。

 離散して本流は絶え、帝国内に女系で血を繋いでいた家が記録にも残るエスター=テッヘン家の祖である。

 

「そういった意味では、お前が一番、エスター=テッヘンらしいな」

「ご冗談を。所詮は小国伯爵家の道楽息子です。親父殿のような傑物じゃありません」

「傑物な……偉大なる女傑に仕えてはいたが」


 当主カール・モーリッツの言葉にマティアスは苦笑した。

 親父殿と呼んでいるが、父親ではなく叔父である。

 幼少期から青年期にかけてあまりに頻繁にこの家に来ては世話してもらっているために、なんとなくそう呼びたくて呼んでいる。

 とくに咎められもしないから、親類の弟分クラウスも含めそのまま定着しているといった具合だ。


「いい加減、家を継ぐなりする頃に思うが?」

「弟へ譲らせる計画を着々と。母はともかく父が頑固だ……まあ、あの人は旅行中の母に恋した、普通の公国貴族ですからね。弟もですが。子供達の集まりも一度きりで」


 一族の子供達を集め、一季節過ごすエスター=テッヘンの教育は集めるといっても強制ではない。

 性質的に向かない子供は自然と参加しなくなる。そういったものだ。一族の資質を継ぐ子供だけが残る。

 元々、親族恒例のただの集まりの体であるし、なんとなくその時の交流で緩く繋がっていく。


「どう考えてもクラッセン家は弟なのに。君主も長子相続ではないのにそこに固執するのがわからない」

「最初の息子というのは、なにかと思い入れが濃いものだ。家の存続に向かずとも、才があるとなればなおさら」

「親父殿が言ってもまるで説得力がない」

「うちは長子相続じゃない。儂など十二才の時にいきなり指名された。その理不尽と比べたら計画など立てられるだけましだ」


 からかうような笑みを滲ませた言葉に、マティアスは肩をすくめた。

 窓の外はまだ明るいが、日が傾きかけていて午後の光は随分と黄色味を帯びている。

 晩秋の日は落ちるのが早く、冷えるのも早い。家によっては昼から火を入れているだろう。

 互いに午後の普段着で、上着も羽織っているが少しばかり肌寒くなりつつある。


「そろそろ暖炉に火をいれますか?」

「そうだな。マーリカはどうしている」

「殿下に屋敷内を案内させられているようです。この家は方向を失いやすい。殿下としては気持ちが悪いのでは。見かけより整然とした思考の人だ」

「だろうな。わざと毎回異なる順路で、一番迷いやすい部屋に通している」

「それはまた、微妙な嫌がせを……」


 エスター=テッヘン家の屋敷は複雑だ。門からしばらくは真っ直ぐな建物が続くが、奥は(うず)状に棟が並び、階段も螺旋や降りたり上がったり。複数ある中庭の風景も似せていて慣れない者は迷う。

 だから来客や使用人は入る通路や区画が分けられ決まっている。

 親族を集める行事も決まった棟だけ使っている。

 大体の場所をわかっているのは、本家の家族とそれに近しい代々仕える使用人くらいだ。


「……親父殿は、殿下を気に入っていますよね?」

「ま、赤子の頃から知っているからな。それにあの方に似ていて、あの方より扱いやすい」

「ふむ」

「お前は気に食わないのだろう? さっさと婿に入ればよかったものを。お前ほどマーリカに執着する一族の男もいないのに。クラウスを当てがおうとするし呆れる」

「自分の妻とかそういったのは違うのですよ。やはり妹分や愛弟子といった感じで」

「ある面ではお前の作品でもあるだろう」


 じろりと向けられた黒い眼差しに誤魔化しは通用しないと、マティアスは知っている。

 カール・モーリッツの近くに並べてある一人掛けのソファに腰を下ろし、緩く波打つ己の髪をマティアスは軽く弄って、「ええ」と答える。

 見た目も、資質も、性格や振る舞いも、どれをとってもマティアスを満足させる水準にある。

 幼い頃から構い倒してきたマーリカを、手の内で、幸せにしている姿を眺めていたい気持ちがあるのは事実だ。

 夫になれば、兄妹のような仲睦まじさでそれなりにやっていけると思うが、それはマティアスが求めるものとは違う。執着しているが少々歪んでいる自覚もあるので自重している。


「怒ってます?」

「多少はな。だが家庭教師兼虫除け程度までしか、お前の自由にはさせていない」

「どうりであともう少しのところで引き離されていた。だからオトマルク王族などに嫁ぐことに」

「本音が出たな。娘には正攻法しか認めんよ。フリードリヒ殿下はよくわかっている。そこがお前と違う点だな」

「あの男で、マーリカは幸せですかね?」

「それはマーリカが決めることだ」


 にやりと笑んだ、歳を重ねても美しい容貌が憎々しいとマティアスは思う。

 この人には勝てない。なにをやっても結局ただ仕える側に回ってしまう。

 あの王子も、盤上遊戯(ボードゲーム)でも現実でもとても勝ちを取ろうとしているようには見えないのに、最後は総取りかあるいは引き分けで体よくことをおさめる。

 口に運んだ酒が、少々舌に苦く感じる。


「お前は器用で賢しいのがいけない。負けない勝負をして、肝心な取り分を取り逃す典型とでもいうのか」

「当たっていますが、本人を前にいいますか」

「そりゃお前、可愛い甥っ子がろくでもなくなるのは嫌だからな。クラッセン家は好きにすればいいが、身は固めたほうがいいぞ。したたかで少々腹黒いくらいの令嬢が楽しくやれそうだ」

「いつから、本家は結婚相談所に……」


 グラスの中身を飲もうとすれば、すでに空であった。

 わざわざ立ち上がって暖炉まで注ぎに行く気もなく、マティアスはやや不貞腐れた気分でぶすりと呟く。


「なにを言っている。ここはエスター=テッヘン家だぞ」

「そうでした」


 婚姻でその血筋を広げ、争いを避け、生き延びることを第一とした一族相互扶助で続いてきた家だ。

 

「愛らしい親類の女の子に、花冠でも編んで普通にあげたらよかったのでしょうか?」

「さあ。だが、お前が教えたことはマーリカの助けにはなるだろうな」

「やはり、師匠と愛弟子ですか……」


 この執着は実を結ばない。

 そうとわかっていて、明かすのも合理的ではない。

 

「ならば、せいぜい親父殿による花嫁の父が与える試練に加勢するとしましょう」

「それはありがたい。儂の次に、お前は微妙な嫌がらせが得意だからな」


 暖炉の火は入れてくれないのかと問われて、マティアスは苦笑しながらソファから腰を上げた。

 己の失恋を認めることと恋敵を認めることは、それはそれ、これはこれ。

 まるで別のことなのである。

 

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