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3-7.諸所で動き出す(2)

 幼馴染の公爵令嬢の邸宅は王城を出て、ほどなくといった場所にある。

 王城と王都が広いため、徒歩ではなく馬車を使ってのほどなくではあるが。

 それでも人口過密気味のこの王都で庭園付きの邸宅など、貴族の王都屋敷でもこのあたりだけだ。あとは郊外か。

 女帝が建てた宮廷劇場と旧国王の居城であったという宮を結ぶ、劇場通りと呼ばれる大通りに面した一等地。

 

「ヨハン殿下が我が家を訪ねるなんて何年ぶりかしら。もう幼い頃とは違いますのに。大丈夫なのですか?」

「……問題ない。私はまだ正式に公務の場に出てはいないからな。兄上達と違いまだ自由がきく」


 顎先で切り揃えられた、真っ直ぐな金髪を軽く掻き上げるようにしながら、勧められた席にヨハンは腰を下すと背筋を伸ばした。

 その所作のたびに、香る花びらでも零れ落ちているような錯覚を起こさせる優雅さで、ティーポットを持ち上げて傾けた相手に彼は澄んだ青い瞳の眼差しを向ける。


「それにこの家を訪ねたところで、別に大きな問題は……」

「ありませんわね。自由がきくうちに、妹のヘルミーネと語らいにと皆様お思いになるでしょうから」


 家柄、資質、容貌、その立ち居振る舞いにおいて令嬢達の鑑と名高い令嬢。

 “美の女神に愛されし”、“若くして数々の功績を打ち立てる”、ヨハン次兄。第二王子フリードリヒの婚約者にかつては最も相応しい人物とされていた。

 現宰相の娘、五公爵家筆頭のメクレンブルクが長女――クリスティーネ・フォン・メクレンブルク。

 幼い頃からヨハンは彼女が苦手だ。

 ヨハンの幼馴染は彼女の妹ヘルミーネだが、姉妹なので顔を合わせる機会があった。


「少しばかりの間を置いて、あれこれ並べ立てるのはヨハン殿下が後ろめたい時の常。ヘルミーネを思っての訪問ではないからかしら?」

「お姉様……互いにそんな気持ちはありませんってわかっていて……」

「だってかわいらしいのですもの、あなた達」


 静かに芳しき香気を漂わせるお茶がカップへと注ぎながら、「ヨハン殿下のようなかわいい弟なら歓迎しましてよ」とクリスティーネからにっこりと優しい笑顔をに向けられる。

 薄い紫色の瞳を細めたその表情は女神のようであるが、反射的に首を横に振りそうになったヨハンは鉄の意志でそれを抑え込んだ。


(なぜか猛禽類に捕食される、小動物にでもなったような気分になる……)


 どうぞと差し出されたお茶の湯気の向こうに、困ったように微笑む幼馴染のヘルミーネの姿が見えた。

 ヘルミーネの表情に隠された「ありがた迷惑」といった文句が読み取れないヨハンではないが、気になったのだから仕方がない。

 王立学園在学中に王族である彼への不敬など恐れず……いや、若干こけにされていた気もするが、とにかくヨハンと忌憚ない友人付き合いをしていた少女。

 ヘルミーネの隣に座る、ピンクブロンドの珍しい髪色が人の目を引く学友のロッテ・グレルマン。

 平民の身の上で学年首席、その座をヨハンに一度も譲らなかった優秀さであった学友の少女が、この筆頭公爵家の手に落ちて利用されるようなことになっては、彼としても心穏やかではない。


「三日後に訪ねるなんてお手紙をいただいて、慌てましたわ」

「すまない、ヘルミーネ。予定の繰り合わせが今日以外にできそうになかった」

「年明けには公務に入りますものね。そんなに気掛かりですか」

「当たり前だ。ロッテく……ロッテ嬢、いや、辞令は出ているのだからグレルマン秘書官補と呼ぶべきか?」

「……ロッテでいいですけど」

「それは、いくら学友とはいえ懇意の令嬢のようで」

「ヘルミーネ様は? やっぱり婚約者?」

「違う、父に仕えるメクレンブルク公の娘で幼馴染だ。それに婚約者候補で……いいのか、そう呼んでも」

「いいですって。相変わらず変なところで生真面目ですよね、ヨハン殿下って」

「君こそ学園を卒業しても変わらんな……とにかく、ヘルミーネからメクレンブルク家の客分になっているなどといった手紙をもらってはだなっ!」


 こうしてその様子を見に、もとい公爵家の真意を探るべく出向きたくもなる――とは、さすがにクリスティーネとヘルミーネもいる前では言えない。

 

「クリスティーネ嬢……其方は社交の季節が過ぎたら、婚家の辺境伯家へ戻るはずでは。来年の春には婚儀だと聞いた」

「ええ、来年の春までわたくしはメクレンブルク公爵令嬢ですわ。王都の貴族社会に不慣れだからと妹に頼まれた、優秀な学友のお嬢さんのお手伝いで少しばかり予定を遅らせる程度、なんでもありません」


 にこにこと貴族令嬢のお手本のような微笑み絶やさずヨハンに応じたクリスティーネに、頬の肉がひくっと引き攣るのを彼は感じた。

 そんな親切な善意の人ではなかったはずだ、これはロッテになにか価値を見出したに違いない。


「わたくしがロッテさんを助けることに、なにか?」

「いや、上級官吏への登用を前提に、見習いとして兄上の下で働く彼女にとって、公爵家と親しいことは周囲への牽制になるだろう」

「実にくだらないことですが、己に自信のない脆弱者ほど愚かな形で身分に固執しますものね」


 穏やかな口調が紡ぐ言葉が、怖い。

 そもそもこの筆頭公爵家の長女は、令嬢の域を出る権謀術数に長けた手腕の持ち主である。

 幼い頃に彼女が恋心を抱いた平民同然な騎士の息子であった少年を、彼女の夫に相応しい者とするべく次期辺境伯領主へと押し上げられるくらいには。

 いくら想い人である少年の努力や才能を見込んだとしても、年端もいかない少女が計画し、十年余りで成し遂げられることではない。その執念深さも怖い。


「……しかし、こういった形で君がヘルミーネを頼るとは少し意外だった」


 円卓を挟んでクリスティーネのほぼ対岸、少し間隔を空けたヨハンの隣席に座るロッテへと彼は顔を向けた。

 意外だったのは事実だ。

 この少女は平民ゆえなのか、独立心旺盛なのか、自身の事では人をほとんど頼らない。


「違います。ロッテさんが、下町で宿暮らしなんて手紙を送ってきたものですから」

「なに?」

「そうなんです。ヘルミーネ様が下町の宿暮らしなんてとんでもないって。市場で食べ物買って宿に帰ったら、ばーんって公爵家の使いの馬車がいて驚いたのなんの」


 ばーん、じゃない。

 ロッテの言葉にヨハンは頭を抱えたくなった。

 学園にいた頃と同様、この少女は能天気が過ぎる。自分が誰の下で働くことになっていて、それがどういうことなのか理解しているのだろうか。


「驚いたのはヘルミーネの方だ。見習い官吏とはいえ、君の配属先は兄上のところだとわかっているのか!?」

「はい、もちろん。第二王子殿下付って辞令もいただいてます」

「わかっていないだろう。まったく……よくやった、ヘルミーネ」


 文官組織の長である第二王子付きだ。

 見習いとはいえ、機密にも触れられる立場の者であると周囲は考える。

 まだ成人年齢にも満たない、少女といっていい年若い女性。おまけに一人で無防備に下町で宿暮らしなどと、悪事を目論む者に誘拐してくれと言っているようなものである。


「王家に仕えし公爵家の令嬢というだけでなく、わたくしもロッテさん同様、年明けにはフリードリヒ殿下付きの見習い官吏ですから着任早々面倒などご免です」


 つんと澄ました様子でカップを口に運ぶヘルミーネだったが、王城に近い安全な宿や下宿など世話するだけで済ませることもできる。

 助けるにしても、ロッテのような身分の少女を公爵家に客分として招き、滞在させたとはなかなか友情に厚い。


(それだけで済んでいたらヘルミーネに感心し、よかったで済んだのだがな)


 彼女の姉も公爵家に留まっているとなれば話は違う。

 クリスティーネは王都とは勝手の違う、南方の辺境伯領にいち早く慣れるためと婚前のうちに移ったはずだ。

 しかも結婚したいがために次期辺境伯領主に押し上げた、愛する夫が待つ地。

 ロッテを理由に先延ばしにするなど、なにもなしではあり得ない。


「それで、公爵家に戻っているクリスティーネ嬢が貴族社会のことを教えると手紙にあったが?」

「クリスティーネ様は女神です! 美しいし、優しいし、どこの馬の骨かもわからない孤児で平民のわたしにとても親切に色々教えてくださるのですよ!」


(クリスティーネ嬢が、ロッテの身の上を調べることもせず面倒を見るとは思えない)


 少なくともメクレンブルクにとって懸念はないということか、とヨハンは胸の内でひとりごちた。

 王宮での出世の道が開ける王立学園でもあるから、経歴に怪しいところはないか入学の際にそれなりに調査はされる。だが、メクレンブルク家の調査の方がより確実である。

 (はしばみ)色のきらきらとした目をクリスティーネに向けているロッテに、先が思いやられるとヨハンはため息を吐いた。


「ロ……」

「ろ?」

「んんっ! 王宮で、己のことをそのように口にしようものなら、すぐさま揚げ足を取られるぞ。公爵家にも迷惑をかけるだろうな。君の言う、“人生一発逆転”など程遠い」

「えーっ、マーリカ様と同じようにはなれませんか?」

「未来の義姉上(あねうえ)とは……また随分な高みを目指したものだな」

「だって素敵ですから!」

「ロッテさん、かなり以前からマーリカ様に憧れていますものね」

「そうなのか? ならよく聞くといい。由緒ある伯爵家の令嬢で、最初から王家に仕えし臣下の上級官吏だった義姉上でも、丸二年も不遇の目に遭っている」

「はあ〜ですかあ」


 王宮を甘く見るな、と肩をすくめてカップを口に運んだヨハンだったが、彼はロッテが見習いで終わるとは微塵も思っていなかった。メクレンブルク家の調査が問題ないのは、ヨハンにとっても安心材料ではある。

 いずれ要職を任せようとなった時、身元の点で支障はない。


(時期を見て養女に迎えてもらえそうな家を探すか。その前にクリスティーネ、もといメクレンブルクと適度な距離に置かなければ、見つかるものも見つからなくなるが)


 次兄フリードリヒの婚約者マーリカの発案した制度通りに、ロッテは上級官吏に登用されるはずだとヨハンは考えている。そうなるまでの間、正直、メクレンブルク家はロッテにとってこれ以上ない後ろ盾ではあるものの、彼女をどう利用するかわからない。

 宰相メクレンブルク公に使える官吏と囲い込まれては、引き剥がすのは至難で最悪である。

 ヨハンは、彼のほぼ真正面に座るへルミーネを見た。


(ヘルミーネが容認するとも思えないが。次女で姉ほど腹黒くもない彼女が、姉と父親に歯向かいロッテを守れるとも……むしろ二人揃って言いくるめられそうだ)

 

 ロッテは文官希望で、ヨハンは武官組織で長兄の王太子ヴィルヘルムの補佐につくことが決まっている。

 しかし、武官組織だからといって文官が皆無なわけではない。


(彼女を取られるわけにはいかない……)


 そんな考えを巡らせながらカップを傾けていたヨハンは、ふと、にこにこと彼の様子を眺めているクリスティーネに気がついた。気がつけばヘルミーネが額を押さえている。


「どうした、ヘルミーネ?」

「なんでもありません……ご自覚がないのでしたら、どうにもできませんわ」

「あら、ヘルミーネ。ヨハン殿下の婚約者候補の貴女が、意地悪をいうものではなくてよ」

「いくら残念王子だからって、婚約者になるお相手を無表情でじーっと見ながら、ヘルミーネが……とかなんとか、ぼそぼそカップの中に呟くのは怖過ぎです」


 違うっとヨハンは声を上げかけ飲み込む。

 そんな反応を見せれば、クリスティーネを楽しませるだけである。


(それより、どこからどこまで声に出していた!?)


 ヘルミーネを庇うように身を傾け、じとっとヨハンを非難するような目を向けたロッテの様子を見るに、考えめぐらせていたことすべてを口にしていたわけではなさそうである。


「お姉様、ロッテさんもお戯れがすぎます。それと、わたくしだって好きにしていい権利はあります」

「あ、えーと……ヨハン殿下、気を落とさず」

「何故、気を落とす必要がある」 


 今度は哀れむような目を向けてきたロッテに、人の気も知らないで暢気にもほどがあるとヨハンは胸の内でぼやく。どうせ半ば遊んでいるに決まっている。

 しかし、ヘルミーネも一緒になってそのきっかけを作るような真似をするのは珍しい。

 公爵令嬢であるだけに、ロッテに便乗はしても自ら王族であるヨハンをからかうことはしない。

 この席でも、クリスティーネにもヨハンにもつかず中立といった様子でいたのに。

 

「随分と人慣れしましたこと。フリードリヒ殿下の他には、毛を逆立てた子猫のようでしたのに」

「まだ人をからかうのか……クリスティーネ嬢」

「いいえ。お兄様べったりなヨハン殿下も、オトマルクの王子として成長されていると安心しました。ゆくゆくは武官組織を担う王子。次期辺境伯夫人としてお助けしたいですもの」


 ふふっ、とロッテへ視線を向けて微笑む紫水晶の眼差しが、宰相メクレンブルク公の威圧的な眼差しと重なる。

 なんとなく不愉快に思えて、ヨハンは口元を引き結んでカップを円卓に下ろした。


(大兄上はいずれ国王を継ぎ、武官組織は私が預かる。私に助ける価値があるのかと問われているようだ)


 メクレンブルク公は有能な者を己の配下に置いて重用するが、一方で使い捨てられた者も多くいると聞く。

 王子としてしっかりやってくれなければ困ると、ロッテを人質に取られたような気分だ。

 辺境伯家はその爵位が示す通りに、辺境すなわち国境の領地を代々護ってきた家である。王家の忠臣であるが、万が一にも裏切られたら国の存亡に関わる影響を持つ。


「そうなんですよ、クリスティーネ様!」

「はい?」


 ぱん、と手を打って唐突に間に割って入ってきたロッテにヨハンは我に返る。

 さすがのクリスティーネも虚をつかれたのか、彼女らしからぬ随分と間の抜けた声を発した。

 ヨハンはひっそりと苦笑する。

 本当に、王族であるヨハンに対してもだが、高位貴族令嬢達を統率するクリスティーネ相手にも物怖じしないロッテの豪胆さには心底感心する。


(黙っていれば、とても平民と思えない可憐な美少女であるのにな)


 公爵家が用意したものだろう。彼女の手持ちではとても購えない、淡い空色に黄色い刺繍をあしらった清楚な雰囲気のドレスがよく似合っている。公爵家の使用人達によくしてもらっているのかピンクブロンドの髪は艶が増しているように思えるし、色白な頬も滑らかで少しばかり指先で突いてみたくなる。

 (はしばみ)色の瞳は生き生きとしていて、淡く色づく唇が学園にいた時と比べ少し大人びて見えるのは気のせいだろうか。見た目だけなら、どこかの名家の令嬢と通用しそうなロッテである。


「学園にいた頃も、お兄様の第二王子殿下がちょっと気持ち悪いくらい大好きだったんですよ。でも、視察にいらしたマーリカ様と第二王子殿下を見て、兄離れできたみたいですっ」


 また人のことを好き勝手な解釈で語ってくれると、ヨハンは嘆息した。

 本当に……黙ってさえいれば、美男美女を見慣れたヨハンでも、少しばかりときめかないでもない美少女だというのに。残念すぎる。


「それに、ちょっと残念なところはありますけど、ご自分の重みをわかってらっしゃいますから。将来有望間違いなしです! ロッテさんが保証し……っ、ひゃいっ」

「いい加減にしろっ! 人のことを言う前に、貴族社会のことを教わっているという成長を見せてはどうだ?」


 王族が背負うものは重い。簡単に保証するなと、そう思ってくれているのならとの間でロッテの言葉にたまりかねて、彼女の頬を軽くヨハンはつまんだ。

 円卓の隣の席に座っているから腕を伸ばせば届く。

 思いの外柔らかく、焼きたてのパンのようだった驚きにすぐに離した。ロッテは頬を押さえたが、つまんだのは一瞬であるし痛くはしていないはずである。


「支持したのに、ひどい」

「随分と気が立っていらっしゃいますわね。それにしても……ふふっ、なんて歯がゆい。こういうところはご兄弟で似るものなのかしら……ふ、ふふっ」

「お姉……様……?」


 声を立てて笑いたいところをぐっと抑えるように、座っている椅子の背もたれの縁にすがって身を震わせるクリスティーネに、彼女以外の円卓の席につく全員がぽかんと信じられないものを見たように唖然とした。

 

「はーっ、こんな楽しいお茶の席はなかなかありませんわ。お礼にヨハン殿下に一つお伝えしましょう。先日、身内の小さな集まりがあって、折角ですから彼女も参加させましたの。官吏にとって損はないでしょう?」

「メクレンブルク家の……」


 身内の小さな集まり、身内とは一体どういった範囲なのか。

 筆頭公爵家の近しい親類だけでも相当な集まりとなるはずだ。公爵家傘下の貴族の当主達という意味であっても、これもまた大変な集まりとなる。どう考えても小さな集まりにはならない。

 思わず勢いよくヨハンはロッテを振り返った。人が心配しているというのに、当の本人は間の抜けた様子で小さく切り分けたケーキを頬張っている。

 そのことに少々苛立ちを覚えながら、それでもヨハンはロッテにそっと気遣うように尋ねかけた。

 

「大丈夫だったのか?」

「なにがです?」

「いや、その……っ〜〜、一見、可憐そうで話すと残念令嬢だからなっ! 楽しいことにはならなさそうで」

「失礼な、楽しかったですよ! 貴族の夜会なんて初めてで緊張しましたけど。クリスティーネ様に紹介いただいた招待客の皆さまとても親切で、特に下顎髭をつまむのが癖なお爺ちゃんとのお話は面白かったですし」


 突然、ロッテが口にした謎の人物にヨハンは誰だと首を傾げた。


「……下顎髭のお爺ちゃん?」

「我が家の遠縁の者です。外交絡みの職務を担う方で。彼女と気が合ったのか、随分とお話が弾んでいましたわ」

「遠縁……外交……下顎髭……」


(それは、外務大臣ではないのか!?)


 外務大臣はメクレンブルクの遠縁の侯爵家の人間だ。ロッテはお爺ちゃんなどと口にしたが、大臣の中で最も若く、官吏の選り好みが激しい男であったはずである。


「クリスティーネ嬢……」

「あのような利発な娘がいたら楽しかろうと、あの気難しい方がそれはご機嫌で」


 そういえば、息子しかいなかった気がする。

 家はとうに長男に継がせて任せていたはずだ。

 

「見込みがあっても、いまのままではマーリカ様と同じ(・・)ようには……わたしくも、妹が仲良くしているお嬢さんが苦労するのはしのびないですもの」


 妙に含みを持たせた微笑みで、ヨハンは不覚にも顔を(しか)めてしまった。

 今度はお茶を飲んで満足そうに弛緩した表情を見せているロッテと、そんな彼女をにこにこと眺めているクリスティーネの間でヨハンは視線を彷徨わせる。

 不意に、二人の間の席にいるヘルミーネが目に入る。ヨハンが目を留めたことに気がついたヘルミーネは、何故か諦めたように首を横に振った。


「ヘルミーネ?」

「いらしてからずっと……ヨハン殿下の鈍さに呆れます」

「なにがだ?」

「お姉様にしては珍しく善良な活動です。慈善事業といっていいかもしれませんわね」

「あら、ヘルミーネったら。まるでわたくしが悪女のような言い草ね」

「聖女か悪女かと尋ねられたら、間違いなくお姉様はそちら寄りだと思います。とにかく、ヨハン殿下がご心配することはありませんから安心くださいませ」

「……わかった」


 よくわからないがヘルミーネの言葉を信じるのなら、ものすごく怪しく思えるもののクリスティーネおよびメクレンブルクに他意はないらしい。

 たしかに養子縁組の相手として、ロッテに不利益はなさそうに思える。

 宰相メクレンブルク公に次いで、優秀な人材を評価し離さないことで評判の大臣でもある。気難しいが懐に入れた相手には情に厚いとも聞く。

 なにより養父が大臣職にある侯爵令嬢なら、上級官吏となった後の憂いも少ない。

 養女となれば、弱小伯爵家の三女であるヨハンの未来の義姉よりも、ずっと順調にやっていけそうである。


(それに、友人に降りかかるだろう厄介事を払えるくらいの力も持てなくてどうする)


 そうだ、と小さく頷きながらヨハンはお茶を口にした。

 

 *****


 ヨハンがメクレンブルク家のお茶の席にいた頃――大陸の北西、ラティウム帝国も突き抜け海を渡った、白い岸壁を見せる島国。

 五大国で最も繁栄を誇る孤高の大国、アルヴァール連合王国首都の宮殿。

 薄暗い一室に彼女は一人佇んでいた。

 光があれば、眩いばかりの豪奢な部屋に似つかわしい優美なテーブルの上に、まったく似つかわしくない粗雑な紙に印刷された大衆誌が(おびただ)しい数、並べられている。

 きっとなにか式典時に撮ったのだろう、人物の写真が刷られた記事に細く手入れの行き届いた白い指先が触れて、映った人物の姿をなぞる。


「お兄様のご友人、フリードリヒ殿下……」


 ふふ、うふふと薄暗い部屋を愛らしい笑い声が満たす。

 彼女が欲すれば、大抵のものが手に入る。

 どんな宝石も豪奢な衣装も、素晴らしい馬車も、どんなくだらないガラクタも、彼女の側に置く人間も動物も、彼女が欲すれば彼女の元に届けられる。

 これもまた、彼女の元に届く手配がされたらしい。

 要望はすでに伝えてある。

 彼女はそういった立場にあった。


「本当、綺麗な人。新興国の王子にしておくのは勿体無い……お会いするのが楽しみ」


 淑やかな衣擦れの音がわずかに続いて。

 バタン、と扉が閉まる音に薄暗い部屋は閉ざされる。

 彼女の秘密を塗りつぶす、真っ暗闇に。


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