3−4.エスター=テッヘン家の祝い事(2)
道行きは順調に進んだ。
順調過ぎるほどで、六頭立ての馬車は見た目は美しく走りもよく、マーリカ個人で帰省していた時とは雲泥の差であった。これならおそらく三日とかからずエスター=テッヘン家に到着するだろう。
フリードリヒの気まぐれもなく……というより組み込んであった。
(さすがは、気遣いと立ち回り上手の第三王子と評判のアルブレヒト殿下……)
武官からも文官からも評価の高い、同じ仕事の苦楽をマーリカと共有する同志の采配である。
王城を出発した午には王都のある王領を出た。
街道に近い鉄道駅と連絡する街にある武官組織の支部が休憩所や馬の交換場所として手配されおり、そこそこ高級な食事処が昼食場所として貸切られてもいた。
『うーん、久々に雄牛肉を煮込んだのが食べたいねえ。辛味のあるラディシュと林檎のソースを添えたやつ』
材料の質と仕上げ方は変わるが、下町の食堂でも王城でも作られているようなものを急に食べたがるのが実は結構厄介なのである。
下町美味探求を趣味とするフリードリヒだから王城の外に出て、王城に寄せた料理は望んではいないだろう。
そんなフリードリヒの昼食要望をしっかり叶えられもして、お忍びとはいえ護衛を引き連れたそれなりに高位な貴族には見える彼に見合う食事処だった。
フリードリヒの行動範囲の把握といったマーリカとはまた別の視点で、アルブレヒトは王都流行誌でフリードリヒが覆面人気案内人として寄稿する、“美食王子”の連載コラムを確認しているらしい。彼が「なんとなく兄上の傾向が読み取れる」と話していたのを、ふとマーリカは思い出した。
(そういえば、以前は、服飾小物やおすすめ散策場所、話題のお店や行事案内など幅広い紹介記事を掲載していたのが、近頃、“食”に若干重きをおいているような気も……)
それに王都流行誌と言いながら、地方支局ができたためか王都以外の都市のお店や話題も少し後ろの頁に小さくまとめて載せるようにもなってきている。
文官組織の秘書官詰所付で届けられている、コラム著者への献上分をフリードリヒから下げ渡されているマーリカであったが、年が明けてから定期購読の契約を結んだ。
フリードリヒから渡されたものは官舎の談話室に置いている。
社交界にも市井の流行にも疎いマーリカなので、実はフリードリヒの連載を抜きにして毎号楽しく読んでいる。
それなりに活用もしているのだから、版元への支援は大事だ。
ただの優良読者の一人である――。
「休憩地もですが中間地の王家の別荘泊なら、殿下は鉄道をお使いになられた方がよろしかったのでは?」
王都を出れば、カーテンを開けてもほぼ問題はない。
翌日、午後になって再び街道に戻った馬車の窓から単調な景色を眺め、マーリカは疑問に思っていたことを口にした。
夜は中間地にある王家の別荘で、ここ比較的最近開発された保養地も鉄道駅に近い場所だった。
鉄の道路は、単に人や物資の輸送に大きな変化をもたらしただけではない。
それを通すための築堤や橋や駅といった巨大工事を生み、大規模な公共建築物を整備した都市の開発へと結びついた。マーリカが物心着く頃には、いくつかに分かれる行政管区に鉄道駅が一つもない場所はなくなり、電信用の電線の敷設も進んでる。
あの保養地なら少し大回りにはなるけれど、鉄道駅に近い場所までは鉄道を使い、馬車に乗り換えればわざわざマーリカに合わせて早朝に発つ必要はない。午後までゆっくりできたはずである。
そもそも休暇を取って実家に向かうマーリカと移動する必要があるわけでもない。
二ヶ月前に決まっていたなら、警備も含めてそのような手配もできたはずだ。
「お忍びだからね、あまり目立つことはできない」
フリードリヒの回答は単純明快であった。
たしかに、一等車両にしても警備を考えたら一般客と同乗というわけにもいかない。
春先の王立学園での事件もあるから、やはり警備を担う部署は神経質になっているだろう。
「それに、少し気になることもあってね」
「気になること、ですか?」
「大したことじゃない」
フリードリヒは肩をすくめて、なにが変わるわけでもないことだよ……と、マーリカに答えるでもなく呟いた。
なんだろう、街道沿いになにかあるのだろうか。
とはいえ、なにが変わるわけでもないのなら彼の言う通り大したことではなさそうではある。
「しかし、鉄道も広がったものだよ。私が幼い時とは、都市と呼ばれる街もすっかり変わってしまっているし、いまや大陸各地へ大半乗り継いで移動もできるのだからねえ」
座席の肘掛けに頬杖をついて、窓へと顔を向けたフリードリヒにマーリカも外の景色へと目をやった。
冬に向かう季節でもあり、なんでもない枯野や穀倉地も収穫を終えた枯色か春を待つ土の畑が大半だ。
背の低い灌木が繁る殺風景な、あまり人の手が入っていない寂しい土地もある。
定期的に現れる町や集落、途中大きな都市の側も通るものの、いまや古くからある街道よりも栄えているのは鉄道路線側である。
国内の既存路線のいくつかは他国との連絡路線にもなっていて、さらにその編み目を広げようとしている。
水面下で妙な思惑含みになってきてはいるが、隣国メルメーレ公国との鉄道事業もそんなものの一つだ。
疑惑の部分はあくまで疑惑で公にはなっていない。
鉄道事業としては滞りなく進んでいる。
「なにしろマーリカの実家と、海の向こうのアルヴァールへ行くのと、日数にさして変わりがないのだから」
「言われてみれば……鉄道と船を乗り継げば行けますからね」
帝国帝冠領の鉄道とオトマルクの鉄道は連絡している。大陸をほぼ直線に北西に向かって突っ切り、ラティウム帝国の港から定期運行している大型客船に乗れば三、四日の内に着く。
「かつては果てしない世界も狭くなったものだ。通信など年々改良されているしね……そのうち手のひら程度の大きさになりそうだ」
「移動時間や情報伝達にかかる時間が短縮されただけで、国や土地が縮んだわけではありませんよ」
「そう? 人や物や情報が近くなれば似たようなものでは? 引きこもってはいられそうだが、色々なことから解放してもらえなくなりそうで、ぞっとしない」
欠伸を噛み殺しながら話すフリードリヒを、マーリカは内心首を傾げる思いで見つめる。
普段からなにを考えているのかよくわからないけれど、稀に考えそのものが理解できない時がある。
「いつもながら眠そうですね」
「……退屈だからねぇ」
「領地について説明でもしましょうか?」
「居眠りするに限るよ。眠っているうちに着く」
腕組みして目を閉じ、うつむいたフリードリヒの返事は怠惰な彼らしいが、今回はマーリカもうなずくしかない。
視察などの移動の際なら、資料など読ませようとするがそんな必要もない。
マーリカは休暇で、フリードリヒも国王である父親に頼まれての私的なお使いである。
領地検分の名目は一応あるとはいえ、マーリカの帰省に便乗してエスター=テッヘン家を祝いになんて遊びに出ているようなもの。彼も半ば休暇と言っても過言ではなかった。
(いま、どのあたりだろう……いつもの倍は言い過ぎだけれど、そう言いたいくらいの速さで進んではいる)
マーリカはフリードリヒから窓へと視線を戻す。
遠く木々が密集しているのが見える。
とはいえそれほど鬱蒼ともしていない。群れのように似たような木が並んでいて人の手も入っていそうだ。
切れ間から小さく荷馬車のような動く物が見える。
林道かなとマーリカが思った瞬間、意識するより先に鼓動が跳ねて、妙な緊張に首筋や指先が冷たくなった。
馬車酔いなど滅多にしないのに胸から胃にかけて締め付けられるような気分の悪さを覚えて、マーリカは胸元を手でさする。
不意に、車輪の端に小石でも当たったのだろう、ガタッと軽い音を立てて馬車がわずかに横揺れする。なにも支障はないのに思わずマーリカは座っている座面に胸をさすっていた手をついた。
横にうつむけた頭を、何故か上げることができない。
頭の奥がぐらぐらする。あの時、車輪が故障し繋がれた馬が暴れて馬車ごと揺さぶられた時のように……いまはもうなんでもなく、マーリカとフリードリヒを乗せた馬車は街道を滑らかに進んでいるというのに。
「もしかして酔った? 昨日から、私の隣に座ればいいのに進行方向に背を向けているからだよ」
気分の悪さで早まっていく脈を感じながら、鈍重な動きで姿勢を直そうとしたマーリカの耳を打った言葉に、彼女は首だけを動かし頭を持ち上げた。
真ん中に陣取っていたはずがいつの間に端に寄ったのか、座席の隙間を空けて「こちらにおいで」とフリードリヒが座ったまま手を軽く差し伸べる。
目に眩しいような白手袋をはめた手に、吸い寄せられるようにマーリカが座面についていない方の手を伸ばせば、思いの外、勢いよく引っ張られてフリードリヒの隣に彼女は収まった。
「一度、停めて外に出る?」
「……いえ、それには……およびません」
マーリカが息を吐きながら答えれば、そうと静かにフリードリヒは言って引き寄せた彼女から前を向いたけれど、手は握ったままでいる。
「あの殿下」
「違うよ」
「え?」
「君が事故に遭って救助されたのはこの辺りとは違う。馬車も馬も御者も護衛も違う……おまけに私が同乗しているからね、万一もない。ふむ、まあ違わない場所もそう遠くないか。折角だから、ちょっと寄り道してみる?」
「は……?」
にっこりと、肩が触れそうに近い位置から見下ろしてきたフリードリヒを呆けたようにマーリカは上目に見た。いつも通りの考えがあるのかないのかよくわからないような、気まぐれでしかないフリードリヒの表情だった。
「うん、見に行こう! エスター=テッヘン家を二度訪ねているのに、私も現場は立ち寄っていない」
「は……い……いいえ、どうして」
「私が見たいから」
マーリカは大きく息を吸って吐いた。
突拍子もないフリードリヒの提案のおかげで、気分の悪さはうっすらとした余韻の尾を残してはいるが、ほとんど消えかけている。
「少々遅くなった現場検証。マーリカも更なる危険な状況も潜り抜け、こうして無事に一緒にいるわけだし」
この人は、酷い目に遭った人への配慮であるとか、まだ記憶には残っているあまり思い出したくもない恐ろしさであるとか、そういったことを考えないのだろうか。
(そもそも、危険な状況というなら殿下の方がより……数人がかりで剣を向けられ、拳銃を発砲されてもいる)
呆れと怒りと諦めと心配のような感情が一緒くたになったマーリカの思いは、最終的にしかし自分もどういった状況だったのか少し確かめたいといった、好奇心のようなものにすり替わった。
マーリカが了承すれば、フリードリヒはすぐさま馬車の窓を何度か小突く。
護衛のために騎乗で伴走していたアンハルトの赤髪の頭が近づき、うなずいたのが窓へ身を乗り出すフリードリヒの体越しに見えた。
「そういえば、馬車酔いは少しはおさまった?」
「ええまあ」
(殿下の気まぐれのおかげで)
内心ぼやきつつ、けれどとマーリカは目線をスカートの上に落とした。
隣に座るよう促し、マーリカを引き寄せたフリードリヒの白手袋の手は彼女の手を握ったままでいる。
もしかして彼が自分の帰省に便乗したのは……ふと、そんな考えが浮かんでまさかとマーリカは打ち消す。
ずっと何事もなく平気で過ごしていた。マーリカ自身あんなふとした動揺で、気分が悪くなるなど思ってもいなかったのである。
(でも、たしかに殿下の言う通り。違う)
場所はともかく、馬車も馬も御者も護衛も違う。
なによりこのエスター=テッヘン家へと向かう一行の中で誰よりも守られるべき人が、マーリカの隣にいて手を握ってくれている。マーリカは彼の婚約者でもある。
(たしかにあの時とはまるで違うし、万一もない)
それに、更なる危険な状況も乗り越えて後遺症もなく、こうして無事にいる。
そう、違うのだ。
すとんとなにかが腑に落ちて。
うっすらとマーリカの内に残っていた、気分の悪さの余韻は完全におさまり消えてしまった。






