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3−4.エスター=テッヘン家の祝い事(1)

 夜空はまだ白み始めたばかり、朝靄(あさもや)漂う早朝。

 王城の敷地に出てすぐ、まったく予期していなかった光景にマーリカは茫然と旅装姿で立ち尽くした。

 

(一体、どういうこと……?)


 ぶるるっ、と複数の馬が鼻息を漏らす声や足踏みに土を擦る音、彼等の合間で動く焦茶色の近衛騎士の制服を着た者達が、少なくとも八人はいる。それに近衛騎士を指示しているのが――。


「何故、クリスティアン子爵が?」


 赤髪の美丈夫は間違いなく、第二王子付近衛騎士班長殿である。

 なにより、王家のものではないが公用車を示す紋章入りの、車体の木目も艶やかで美しい六頭立ての馬車(キャリッジ)は手配を頼んだマーリカが考えていたものとは明らかに違う。

 何故かもう一台小ぶりの馬車の荷台に荷を固定している王宮使用人の姿も見えるが、これまた明らかにマーリカの荷物量ではない。

 そもそも休暇を取って帰省するだけなのだからさほど荷物はない。馬車だって小さい方で十分こと足りる。

 

「マーリカ様、出発の準備が整いました」


 すっと、隙のない身のこなしで彼女の前に知らせにきたハンナに、マーリカは額を押さえて説明してもらえますかと尋ねた。


「どうしてただ帰省するだけで、このような大仰なことになっているのでしょう?」

「大仰? フリードリヒ殿下もご一緒されるとお聞きしております。むしろお忍びとはいえ幾分慎し過ぎるかと」

「は!?」

「それでなくても王子妃候補でいらっしゃいますから……マーリカ様?」


(聞いてない、聞いてない、聞いてないっ――!)


 暗褐色(あんかっしょく)裾広(すそひろ)がりなコートと、重ね着した深緑に朽葉色(くちばいろ)のフリルをあしらう絹ビロードのツーピースドレスの裾を(ひるがえ)し、つかつかと、マーリカからすれば忍ぶ気があるのかと思える立派な馬車に早足に進み寄って、カーテンの隙間から見えた人影に彼女はやや勢いをつけて車体のドアを開けた。


「殿下っ!!」

「やあ、おはようマーリカ。早朝から元気だね。私はまだ眠い……」

「……どういうことです」

「どういうこととは? もう朝は冷えるね、冬も近い。とりあえず乗ったら? 布に包んだ温石を入れさせたからいくらかましだよ」

 

 馬車の床の隅に小さな枕のような毛織物の袋が置いてある。中に温めた石が入っているのだろう。

 王太子の召喚命令(よびだし)から早くも一ヶ月近くが過ぎて、第十の月である。七日ごとの安息日も二度過ぎている。

 王都の木々は紅葉した葉を散らして地面をも彩り、晩秋の趣だ。

 吹く風ももう冷たく感じられるようになってきた。


「マーリカ様、わたくしは後ろの馬車で参ります。足元が冷えないようそちらをお使いください」


 マーリカが馬車に乗り込んですぐ、同行予定だったハンナがそう言いにきて座席の足元に置いてあった綿を入れてキルティングした淡い緑の絹のブーツを指し示す。


「ありがとう」


 長距離の乗合馬車にある石炭の暖房をつけたいところだけれど、宮内局の調達部が通気パイプの見た目が駄目だと言って……などと話しているフリードリヒの正面にマーリカは静かに座った。

 足元が冷えないよう靴の上から履くブーツにつま先を差し入れながら、まったく王子の癖にどうしてそう市井のことに妙に詳しいのだとマーリカは胸の内でぼやく。

 フリードリヒは金モール刺繍が控えめに入った艶やかな黒の外套を羽織り、やはり暗い色の狩猟用コートのような上着を着ていた。襟元からわずかにのぞくシャツの白さが際立っている。


「ご説明いただけますか、フリードリヒ殿下」

「説明もなにもアルブレヒトから聞いてない? 二ヶ月前から決まっていたけど」

「アルブレヒト殿下から……?」


 第三王子のアルブレヒトは、マーリカ以外にフリードリヒに意見できる者は弟の自分しかいないと、彼女が解任された後、一向に成り手が見つからない第二王子付筆頭秘書官を中継ぎで引き受けてくれている。

 文官組織専任王族公務補佐官のマーリカは彼とフリードリヒの予定を共有している。

 フリードリヒの予定を第一に管理するのは秘書官である。

 公務補佐官のマーリカはその遂行を補佐する役目なため、通常の予定は決まった段階でアルブレヒトか彼の部下の主任秘書官から彼女の元に届く。


(わたしの休暇中の殿下の予定は……たしか……)


「十日ほど北部伯爵領の実検……」

「そう、北部のエスター=テッヘン伯爵領」

「わたしの実家は北部でも中央の境あたりですが?」

「北部で登録されてる」

「そうですが……領地検分なんて、なにか不審な点でも?」

「温泉地活用の地域復興成功事例、それと治水事業。あの辺りでは比較的大きめの事業が動いている。まあ父上に頼まれての口実だけど……」

「陛下?」

「君の弟の誕生祝いを届けろと。ほら、君のお父上は王宮と疎遠にしてるから、娘の婚約者なら門前払いはないだろうと」


 昔、父親が王宮に仕えていたことは知っている。

 元々は国王ゲオルクの学友候補で王宮に招かれ、まだ少年の頃から宮仕えの身となったと。

 なんでも当時は人質の意味もあったそうで、王国成立前から続く伯爵家ということで対象になってしまったらしい。早くから仕えていたので、もういいだろうとマーリカが生まれた頃に引退して以来、王宮とは疎遠になっている。社交期間も王都へ出ようともしない。


「王家の使者を門前払いなど……それにお気遣いいただくだけでも恐縮なのに、殿下直々になんて」

「普通に面会申し込んだら丁重に断られてね」

「えっ」

「王家を煩わせるわけにはいかないって。マーリカがそのうち帰省する、受ける役はマーリカに託すと……けれど、父上もそんな雑なことはできないと言って。親世代は面倒くさいよねえ」


 この夏に、エスター=テッヘン家に男児が生まれた。

 すでに親族が集まる祝いも命名式も終えている。

 マーリカの実家、エスター=テッヘン家は親族も含め異様に仲が良い一族である。

 その本家に子供、それも男児の誕生など姉となる者として祝いの場など外せないのだが、社交期間でそれも豊穣祭準備に入ってもいる時期のことで、マーリカはとても王都を離れられなかった。

 仕方なく祝いの品や手紙だけ送って、繁忙期が過ぎて、王領管理組織の立ち上げも一段落つく頃を見計らい、マーリカは帰省のための休暇を申請していた。

 同時期にそんなやりとりが王家とマーリカの実家の間で行われていたとは。


「だから、建前上、王家(こちら)の都合で伯爵領へ立ち入る理由を作ったというわけ。王子が直にすることじゃないから、出かけるのはこうしてお忍びだけどね」

「それは、父が意固地なために申し訳ありません。言ってくださればわたしから父に……」

「元々、マーリカに託せと言っている人に? 祝いで父娘が揉めては本末転倒だ」

「……そうですね」

「丁度よかったのだけどね。例の件について、話も通しておかなければだから……」


 コンコンと、窓を叩く音がしてフリードリヒが音がした方のカーテンを開ければ、騎乗した近衛騎士班長がうかがうような表情でいた。

 出発してもよいかといったことだろう、フリードリヒがうなずけば手を挙げて合図し、馬車が動き出す。お忍びなので、正門ではなく官舎に近い通用門からの出発だった。


(地方行政府の視察に向かう、高官補佐級の上級官吏を乗せた公用車といったところか)


 さすがは王族のお忍び用。マーリカが使う馬車とは乗り心地が段違いに違う。

 走りの軽さもある。これはいつもより早く着きそうだ。

 エスター=テッヘン領は街道沿いではあるが、鉄道路線から遠く移動手段が馬車になるため、王都から三、四日かかる。


「それより、マーリカ」

「はい」

「君さ、護衛の数とハンナの同行の他は、昨年の冬に帰省した時とほぼ同じような手配していたようだけど、王子妃候補だから」

「ですが、候補は候補です」

「権限と待遇は別!」


 珍しく叱るような口調に驚いて瞠目(どうもく)したマーリカに、まったく……とフリードリヒは息をついて、肘掛けに肘を立てて頬杖をついた。


(わきま)えすぎてて、欲がないのも困る。マーリカを冷遇してると取られかねない」

「考え及ばず、申し訳ありません」


 たしかにフリードリヒの言葉には一理ある。

 実家はともかく、王宮の貴族達はなにを思うかわからない。

 

(公務については相変わらず怠惰ではあるけれど、近頃、まともで戸惑う……いやそれはあまりに失礼か。まあ殿下は元々わたしでなくても立場や実力相応に人を扱う方だけれど)


 しかし、フリードリヒも同行となると、たしかにハンナの言う通りお忍びでも少々慎しいかもしれない。護衛の数も最低限といったところだ。

 

「人選は問題ないよ。それにほぼ街道を行くし、目的地は君の実家だし」


 朝があまり強くないから眠いのだろう。フリードリヒは緩慢な調子でそう言って欠伸した。

 やがてうとうとと舟を漕ぎ出す。

 風邪を引いてはいけないので、備えてあったブランケットを彼にかけてマーリカは座り直した。

 

(家に帰る馬車に殿下が乗っているなんて、なんだか妙な気分。そういえば彼はわたしの家を二度訪ねてもいる)


 彼がマーリカの実家を訪ねるのはこれでもう三度目なのである。

 しかもこれまでの二度はマーリカはいない。

 それもまた、考えると妙である。


(お父様や家の者達となにを話していたんだろ)


 そういったことも聞けるだろうか、そんなことを思いながらマーリカはうたた寝するフリードリヒを見守るように彼を眺めていた。 

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