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3-3.伝達事項の手紙(2)

 居間のマントルピースの上で鈍い艶を放つ、真鍮の置時計は夜の八時も半ばを回っている。

 夏の間ならまだ薄明かりの夜だった窓の外は、すっかり暗い青に沈み、室内はオイルランプと燭台(しょくだい)蝋燭(ろうそく)の光に照らされていた。


「食事は済ませていると思っていたけれど、就寝もできる状態になっていたとは」

「せっかくでしたので」


 貴石象嵌(きせきぞうがん)で可愛らしい鳥と花を描く小テーブルの席に座って、ハンナと夜番の使用人が用意してくれた軽い夕食を、王族らしい悠然とした所作で一人口に運ぶフリードリヒの言葉に、数歩離れた窓の枠に斜めに肩を預けてマーリカはそっけなく答えた。

 本当に、せっかくの定時退勤で誰に邪魔されることもない、一人ゆっくりと過ごせる夜だったのである。

 早々に夕食や入浴も済ませて、あとは眠くなったらベッドへ潜り込むだけな無精を自分に許したっていいではないか。そう思って過ごしていたら、いまのこの状況である。


「殿下がお食事されている間に、目を通します」


 封を切った、フリードリヒから渡された封筒を手に、マーリカは彼を向いて言った。

 クリーム色と真紅に染め分けられた、東方渡りの薄く暖かな毛織物で仕立てたガウンを羽織ってはいるものの、寝巻きにレースをあしらうコットンシルク薄地の室内着を重ね着した姿。

 日中、結い上げている黒髪も(ほど)いて、ゆるくひとつ編みにまとめている。

 こんな姿で、たとえ婚約者でも部屋に入れるものではないが、護衛や衛兵を翻弄し、本当に伝達事項を書いて持ってきたから突っぱねられない。


「しかし、特に侵入者はなかったようだね。私の気のせい(・・・・・・)でよかった」


 薄く切った肉と野菜を煮込んだスープに、細長いクレープ生地を入れた料理を平らげてひとりごちるフリードリヒに、いけしゃしゃあととマーリカは胸の内で呟く。

 彼に出入り禁止を言い渡した、マーリカの部屋を夜に堂々訪れておかしくない口実である。


(近衛騎士班長のクリスティアン子爵が非番でなければ、絶対こんなことにはならない)


 不審な気配は、確認したが特に問題はなかったようですとハンナの報告に、警戒は怠らぬよう伝えてマーリカは再び彼女を下がらせた。

 下がらせて正解で、人払いが必要な手紙の内容だ。

 フリードリヒの意のままになっているようで悔しいけれど。


「これは……たしかですか?」

「さあねえ、書いた通りなにもないから」


 三枚ある便箋(びんせん)のまだ一枚目だが、それだけで十分頭が痛い内容だ。

 国王ゲオルクが腰を痛めて身体万全でない中、武官組織を管轄する王太子のヴィルヘルムが北方の警戒で動けないと口にするはずである。


「仮にそうだとして、失敗した以上は大人しくするしかない。そう心配はないよ」

 

 バーデン家が不法に国外へ持ち出そうとしたものの取引先がルーシー大公国というのは、あくまでバーデン家当主の証言のみ。メルメーレ公国の第二公子の関与も推測の域を出ない。

 証拠はなに一つなく、仮にオトマルク側から問い合わせてもしらを切り通せる。

 動けば己の首を絞めるだけである。


「……食事は楽しく取りたいのだけれど?」


 煮詰めた赤ワインのソースに浸した、鮭の肝とほぐし身と玉葱のパイ包みへナイフを入れながら不満気にぼやいて、フリードリヒはカトラリーから手を離した。

 テーブルに使わず残っているグラスを座る者のいない席へと位置をずらし、細かな泡を含んだバラ色の酒を注ぎ入れて、食事に戻る。


(手紙より、自分の相手を優先しろと……)


 こうして伝達事項の手紙を手にやってきて、そのままマーリカの部屋に居座って食事している時点で面倒で、これ以上の面倒は勘弁してもらい。

 マーリカは二枚目の半分まで目を通した手紙を折りたたむと、室内ガウンのポケットに収めてフリードリヒの前に座った。

 

「本日の当番の護衛の方々が、明日、近衛騎士班長殿に叱られるだろうと思うと……申し訳なくて胸が痛みます」

「アンハルトの育成が甘いだけで、責は彼にあるよ」

「殿下に強く出られて、従わず(いさ)めるのは難しいかと」


 マーリカに向けて薄い笑みを浮かべたフリードリヒに、彼女は少々反省した。

 時に、無邪気な様子で酷薄にも見える面を出す彼であるが、それが向けられるのは交渉相手や厄介な相手だけと、何故思っていたのだろう。

 口に含めば、滑らかな泡が優雅な香りを広げる、見た目よりずっと奥深い味わいの酒のグラスを下ろして、マーリカはまさかこうなるなんてと呟いた。


「配慮しなかった私に非がありますね」

「自分で言っておいて、書いてくるとは思わなかった?」

「日頃の殿下の怠惰さを(かんが)みてないだろうと」


 うなずいたマーリカに、切り分けたパイ包みを飲み込んで、フリードリヒは喉を鳴らすように苦笑した。


「まあただ書けと言われたのなら、しないだろうけどね」


 複数のランプや蝋燭の灯りがフリードリヒの顔に、彼を見慣れているマーリカでも一瞬どきりとさせられる、昼にはない色香を加えている。

 淡い金髪は琥珀色の艶を帯びて、長いまつ毛や鼻梁の影が炎の光に照らされた象牙色の肌に一段濃く落ち、優し気なその顔立ちに精悍さを与えていた。


「続き、読んだら?」

 

 小皿に盛った、締めくくりの葡萄(ぶどう)の粒やいちじくに取りかかって促してきたフリードリヒに、相手をしろと座らせたくせに勝手なと思いながら、マーリカは室内ガウンから手紙を取り出して伝達事項の続きを読む。

 二枚目の最後まで目を通して彼女は顔を上げた。

 

「……殿下」

「ん?」

「これは、王太子殿下に上がっている報告ではないのですか?」

「二枚目の半分まではそうだよ……なに?」


 思わずじとっと彼の顔を(にら)んでしまったマーリカに、首を傾げたフリードリヒをそのまま眺めながら、いえと彼女は答えた。


「……たしかに妄想と言えばそれまでです」


 三枚目、これ以上まだなにが……と、正直うんざりした気分でマーリカが便箋に目を落とせば、たった二行で、しかもそれは二枚目までとはまるで違っていた。


「二枚目の半分以降については場所を変えよう」

「殿下」

「マーリカや、父上が手配した侍女の信頼を裏切るつもりはないよ」


 マーリカは手紙を再び折りたたんで、それを手に立ち上がった。

 何故か、「フリードリヒに甘すぎる」といった、腹立たしそうな調子の主任秘書官の苦言が脳裏を過ぎて、そうかもしれないとマーリカは思った。

 少なくとも今夜はそうだ。

 怒って彼を遮断したつもりが、容易く彼の意のままになっている。

 

(変なところで本気を出してくるのだから困る……)


 彼は、現場の文官達が“無能殿下”と揶揄(やゆ)するような無能ではない。むしろ己の興味関心を向けたことには、恐るべきその資質を見せつけ才気を発揮する。

 その興味関心の中に自惚(うぬぼ)れではなくマーリカが入っていると、思い知らされることがある度に彼女は迷いと困惑を覚える。

 彼を支える臣下の自分と、彼への思いを抱いて側にあろうとする自分のどちらで対応すべきかと。

 寝室へ入ってサイドテーブルに手紙を置いてランプをつけ、少しためらい、居間との境へ戻ってドアを閉める。

 ハンナか誰か、居間の灯りの始末やテーブルの上を片付けるだろう。


「……困ります」

「まあそう言わず、私の部屋で仕事するのとさして変わらない」

「どこがですか」


 こちらは、就寝できる状態に着替えているのである。

 それに、フリードリヒの部屋のような立派なソファもない。

 人の気も知らないで、振り返ればマーリカのベッドの足元に近い縁に暢気そうに腰掛けて天井を見上げているフリードリヒを彼女は苦々しく思う。


(とはいえそれも、離宮で療養中の時とどう違うと言われたら……過剰に意識する方がなんだか不埒に思えてしまう……)


 オイルランプひとつ灯しただけの寝室。

 若干いまさらと思わないでもないけれど、しかしやはりベッドの上に並んで座るのはどうかと思うと逡巡(しゅんじゅん)していたらガウンの袖を軽く引っ張られた。


「座ったら?」

「なにを我が物顔で……わたしの部屋でベッドなのですが?」

「だったら、遠慮はいらないでしょ」


 仕方なく、マーリカはフリードリヒから子供一人分ほどの間を空けて、枕元近くに腰掛ける。

 二人の間で暗黙の了解となっている距離である。

 どちらかが相手に向かって、少し体を傾ければ簡単に埋まってしまう距離だ。

 とはいえ、お互いそんな雰囲気ではない。

 正直、便箋(びんせん)二枚目半以降の伝達事項がそれどころではない。


「まだ文官の職務範囲でしか、マーリカは情報を教えてもらえないとしておくのが面倒が少ないだろうし……私もまったく下心抜きな訳でもないから、皆、誤魔化されると思う」


 後ろに両手をついて、胸を張って言われて、呆れ半分にマーリカはフリードリヒを横目に(にら)んだ。

 色々聞き捨てならない。特に“私もまったく下心抜きな訳でもない”のあたり。


「マーリカ、王子を(さげす)みの目で睨まないっ」

「取り決めも拡大解釈気味なこの頃ですから」

「そう? そうさせてるって思わない?」

「は?」

「まあいいよ……卑屈(ひくつ)で執念深い小国の第二公子殿にぴったりな、地道で、狡猾(こうかつ)な強者の気分を味わえる計画だからね」


  急に声も口調も低く重いものに落としたフリードリヒに、彼女は気を引き締めて体ごと彼の方を向いた。

 ヴィルヘルムにまるで子供の駄々のように、結婚の認めを早めることを要求した理由は単に縁談回避だけでもない。ただ確証のないことだから言及はしなかっただけである。


「アルヴァール連合王国の関与が本当にあるとお思いですか?」

「どうだろう……わかっているのは記したことだけ」


 なんとも言えないと、フリードリヒはマーリカの髪の編み目に曲げた指の背で触れる。

 二枚目の半分以降――数年前に公国で病死している第二公子の母親の姉が、アルヴァールの第一王女が嫁いだルーシー大公国の大公家に仕えていた経歴があると記されていた。

 それだけでは、関係があるとは言えない。

 むしろ、普通に考えて、まったく関係ない事柄だと思う。


「周辺すべてを調べさせてそこまででは……捕えた者達の妄言が、私の妄想にたまたま都合よく合致する……くらいしか言えないかな?」


 フリードリヒの妄想……けれどと、マーリカは握った手を口元に黙考する。

 孤高の大国は、大陸がどう揉めてもきっと中立の立場をとるだろう。 

 だが、オトマルク以外の大国には嫁した娘がいて、傍観者の立場で水面下で介入できる唯一の強国でもある。


(五大国中の三つ国に三方を囲まれたオトマルクは、大陸各国を巻き込んだ紛争を起こす場所として都合がいい)


 オトマルク以外の大国すべてと婚姻でつながるアルヴァールは、いずれの側が勝ってもなにかしら取り分を主張できると思うと、まったくの妄想でもないかもしれない……。


「マーリカ」


 はらりと編んだ髪がゆるんだことに、はっとマーリカは我に返った。 

 視界に腰まで届く黒髪の持ち上げられた一筋が、フリードリヒの指に絡んで彼の口元に触れている。


「なっ、フリードリヒ殿下っ!」

「伝えることは伝えた。あとは考えても仕方ないよ。たまには下ろせばいいのに……」

「仕事の、邪魔です……っ」


 持ち上げられた髪の一筋を取り返すように(つか)んで、マーリカはフリードリヒから顔を背けた。

 仕事でも、仕事でなくても。

 彼の、この切り替えの速さにいつも翻弄されてしまう。


「綺麗なのに。三枚目については?」

「そちらは……っ、王太子殿下のところで話していた件とは別です」


 取り返しても無駄だった。フリードリヒから顔を背ければ自然、彼に斜めに頭の後ろを見せる姿勢になる。

 ベッドの縁に浅く腰掛けていたマーリカと、長い(あし)膝裏(ひざうら)を縁の角に預けて寛いで座る彼との前後の位置の違いもあった。

 編んでいたのが中途半端に残って背に流れるマーリカの髪に、彼の手が入って、軽く表面を()き、両肩から背中へと寄せるように整えられる。


「あれも伝達事項だよ。書けといって字をほめるなんて、婉曲に恋文をねだられたのかと……違うだろうけれど」


 右肩の上から振ってきた囁き声に、マーリカはうつむき加減になった。

 あのやりとりの流れで、そんな受け取られかたが考えられるなんて、どうして思うだろう。


 ――私はね、私の安楽な隠居生活を阻む目は可能なら潰すと決めている。君がいないと私は色々と駄目だから、国の無事もマーリカももはや概ね等価だと覚えておいて。


 どういう口説き文句だと、三枚目の文章を脳裏に浮かべてマーリカはため息をついた。

 残念ながら「国も君も大事だ」なんて、能天気で大げさな睦言には読めない。

 マーリカがいないとやる気もなにもない、「国の無事もどうでもいい」から、ちょっとでも危惧することがあれば容赦しないからそのつもりで対応して、といった半ば脅しと業務指示である。


(王妃様と王太子妃のテレーズ様の両方から、“オトマルクの執着は重いから気をつけなさいね”と忠告されたけど、その忠告は婚約前に欲しかった……けれど二度心配させてもいるし)


「とても恋文と思えませんが……善処します」

「うん」


 ため息をついてしまうが、悪い気がしない自分もどうかしている。

 斜め後ろに体を傾ければ、マーリカの髪から前に回って、胴のあたりで組み合わされた一回り以上大きな手を見て彼女は思う。


「一つ、認識合わせをしたいのですが」

「なに?」

「“婚儀が終わるまでが婚前”で、よろしいですね」

「なに、その“帰宅するまでが演習”って騎士団総長みたいな理屈……」


 よろしいですね、と。

 マーリカがフリードリヒがぼやくのを無視して念押しすれば、室内着の襟元に吐息が触れて、彼女の首元に埋められた金髪の頭から承知するくぐもった声が聞こえた。


「よろしくないけど、譲歩する……」


 言葉の後に、寝巻きにガウンと室内着を羽織っているだけの、首から肩につながる素肌に柔らかで湿ったものが触れる。じくんと甘い違和感を覚えてマーリカは勢いよく身を(よじ)って振り返った。


「殿下っ……?!」

「取り決め違反じゃない」


 婚前の節度はハグとキスまでだからまあそうだ、でも。


(口付けられたというより、吸いつかれたような……? わたしの肩に頭をのせてたからだろうけれど、場所もなんだか……)


 なんとなく、拡大解釈な気がする。

 フリードリの唇が触れた場所をなんとなく手でさすりながら、マーリカは上目にフリードリヒを睨みつける。

 

「なに?」

「拡大解釈のような……」

「そう?」

「こういった格好でもありますので」

「離宮で療養中もだったじゃない。私の側でうたた寝してもいたし」


 あれは体調も本調子ではなかったし不可抗力だと言いたいが、前例ではある。

 深く考えないでおこうと、マーリカは一通り話は済んだかフリードリヒに確認を取る。


「済んだけど、それで追い出すの?」

「出入り禁止と言ったはずです。ありえないだろう万一への警戒と伝達事項の提出ということで通しただけで、禁止を解いたと言った覚えはありません」

 

 ひらりと室内着の裾を揺らして、マーリカはベッドから立ち上がった。フリードリヒの腕から簡単に抜け出せたから、彼もこれ以上は留まる気はないのだろう。

 マーリカを困惑させたり怒らせたりはするけれど、不快になるようなことはしない。

 節度については微妙だが、こういった引き際というかマナーの良さはある。


「そろそろ休みたいので、どうぞお帰りください」

「私を選んでくれたのに、半年近く経っても冷たい」

「婚約者の前に上官として、たまにはゆっくり心置きなく休ませてください」


 入ってきた寝室のドアを手で差し示してマーリカが促せば、大人しく従うように彼は立ち上がった。


「それを言われるとそうするしかない。おやすみ」


 ドアに手をかける前に、マーリカのこめかみに触れたかわからないような口付けを一つ落としてフリードリヒは部屋を出た。

 しんと静かになった部屋で、マーリカはサイドテーブルに置いた伝達事項の手紙のうち、最初の二枚だけを抜いて暖炉に近づく。

 暖炉の中で手紙に火をつけて燃やし、その灰も火かき棒を使って細かい粉にすると、来月には(たきぎ)が入るだろう場所へ(なら)した。

 これで文字跡どころか、手紙があったことすらわからない。

 三枚目は折りたたんで封筒に戻し、サイドテーブルの引き出しにしまう。

 文句は大概にしろといったものではあるものの、一応は婚約者にもらった恋文ではあった。

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