3-2.どこかの由緒ある伯爵家とは違って(2)
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「……あの場である必要ありますか」
ぽつりとマーリカは口にした。
必要にしても、あの場で、すぐさま、あんなやり方で。
条件としてヴィルヘルムにつきつけることなのかといった、胸の内であった。
「一旦、相談してからでも……人を黙らせてしかもあんな……ただの破廉恥事案ですっ」
それに、まだ腑に落ちない点もある。
けれど機密を含むからここで尋ねても無駄だろう。人気はないとはいえ、王城の廊下だ。
マーリカは先に一歩足を踏み出して、フリードリヒに背を向けた。
「相談って、合意するとわかっているのに? あの場ですかさず差し込むのが一番面倒もなく早い」
「なんでも許すと思わないでください」
「私はマーリカがいいけれど、マーリカはそうでもない?」
数歩進んで、くるりとマーリカは踵を返した。
まだフリードリヒは壁にもたれたままでいる。
「もっと言えば、どうしたら一日も早く婚儀へ進められるかと、私は常々考えてもいる――って、急に王子を殴らない!」
フリードリヒが話す間で、ずんずんとまた彼のところへ戻ってマーリカは、振り上げた拳を彼の肩口にぶつけようとして、寸前で一回り以上大きな手の平に手首から受け止められた。
「わたしだって、気持ちとか納得とか羞恥心とか……殿下はわたしを怒らせる天才ですかっ」
「それほどでも……っ、マーリカ廊下で暴れないっ」
フリードリヒに捕まえられている手をそのまま再度振り上げようとして、真横へ腕を伸ばされそうになったり、斜めへ受け流されたりしながら、マーリカは少しばかり語気を強める。
声を張り上げて文句を言いたいところだけれど、一筋向こうは大廊下で大声ははばかられる。
「本当っ、腹立つ……!」
「それに弁え過ぎてて、公私の線引ききっちりだから少しは……いまだに諦めの悪いのがいるし」
「は? 公私をわけるのは当たり前です」
フリードリヒの手を振り払うように、勢いよく拳を握った腕を落として、拳を振り下ろすはずだった彼の肩にマーリカは額をつけた。
そのまま、少しばかり彼に体重を傾ける。
背中に回ったフリードリヒの両腕が、マーリカの腰のあたりで軽く交差する。
そのことを感じながら、彼女はそっとため息をついた。
そうでもないはずがない。
腕の中で伝わってくる微かな温かみに、がらんとした廊下の空気が少し肌寒かったことにマーリカは気がつく。
彼は冗談とも本気ともつかない調子で、「マーリカでないと色々駄目」などと言うけれど、マーリカだって彼がよくて、彼でなければ駄目と思うことが増えてその度合いは深くなりつつある。
そのことを知っているくせに。
「マーリカ?」
「休憩中です……まだ五分ほどあるはずです」
「触れていい?」
黙らせるのじゃなく、と寄せてきたフリードリヒの頭を見上げて。
マーリカは彼の顎先に、彼女の額を軽く打ちつけることで答えた。
怒っているのだ。色々と。
「マーリカさ……不満があるなら言葉にして欲しいのだけれど」
「そうしたいですが、情報統制なのでは?」
フリードリヒのぼやきに、囁き声でマーリカは返した。
傍目にはなにかで揉めて落ち着いた痴話喧嘩に見えるだろう。そうでもあるしそれだけでもない。人気はないが用心するにこしたことはない。
二度も狙われるような目にあえば少しは気を付けるようになる。
「あー、うん……まあ、それはたしかに。じゃあ続きは……」
「不測の事態も想定し、書類もアルブレヒト殿下にお願いしました。フリードリヒ殿下に付き合うことなく、本日わたしは定時退勤予定です」
今日は仕事を含むからと、彼の私室まで付き合うつもりはない。
愛想の欠片もなくマーリカがそう言えば、「……ごめんっ、謝るからっ」と謝罪してきたが、毎度毎度「責任ある言動を」とこちらも繰り返してきている。
「王子が簡単に謝罪なさらないでください。色々蓄積して怒っています。わたしの部屋も当分出入り禁止です。伝達事項は書面にて明朝までにご提出をお願いします」
「……役人対応すぎる」
「官吏ですので。たまには殿下も書類の一枚二枚、書いてみればいいんです」
美しい字なのですから、とマーリカは両手でフリードリヒの金の飾り紐のついた白い上着の胸元を軽く押して、彼から身を離した。
「休憩は終わりです」
「早いね」
第二王子執務室に戻ったマーリカは、ヴィルヘルムの召喚命令によって後回しになった報告を行う。
王領管理組織発足のための編成検討事務局の会議、その後の宰相メクレンブルク公との議論についての内容である。
王領管理は宰相管轄の案件だが、宰相要望で事務局の末席に入れられてしまっている。
マーリカの他は宰相管轄の部局と文官組織の局長級の官吏ばかりで、雑用係兼フリードリヒへの報告係である。
「予定通り、年内には管理組織として立ち上がり機能する見込みです。文官組織からの出向人員の決定権ですが、出向ですから大臣権限内で人事院は介入させないのが無難かと」
「中堅十数名程度なら、どちらでもいいようなものだけどね」
「文官組織で一番貴重な層です。宰相閣下に引き抜かれてはたまりません」
「わかった。立ち上がり以降、マーリカの貸し出しは一切無しと合わせて、宰相に釘は刺しておく」
「ありがとうございます」
フリードリヒに一通りの報告を済ませて、次にマーリカは廊下の向かい側にある第三王子執務室へ足を運んだ。
第三王子のアルブレヒトにフリードリヒの午後の予定の取り止めた対応について感謝を述べて、状況を確認する。
また国王の容態や当面の対応など、ヴィルヘルムからの呼び出しの内容を可能な範囲で共有した。
年明け翌月に王太子夫妻の代理で、アルヴァール連合王国の式典予定が入るだろう旨も伝える。
「大兄上の呼び出しって、父上……腰かあ……」
「ええ。陛下に関しては、明日にも通達があると思います。アルヴァール連合王国の件は、陛下と相談の上になるようです」
フリードリヒが提示した条件については、少し迷って今日のところは伏せることにした。
いまの段階では彼がそんなことを言い出したというだけで、いたずらに混乱させてもいけない。
「繁忙期でないのが幸いだよ。今日はもうこっちで全部片付けるから、マーリカたまには早上がりでもしたら?」
「アルブレヒト殿下にお仕えしたい……」
「泣かないで、あとそれ兄上の前で絶対言わないでね」
同い年で同じ仕事の苦楽を共有してもおり、いまやすっかり同志で友人である。
アルブレヒトの気遣いに、王太子執務室でのこともあってマーリカは口元に片手を当てて涙しそうになったが、何故か真顔で彼から「書類ならいくらでも回してもらっていいから」と言われて首を傾げた。
さすがにそんなことはしない。
彼とてフリードリヒからいくらか公務を引き継ぎ、また中継ぎの第二王子付筆頭秘書官として忙しい身である。
もはや一年近くで中継ぎといえなくなりつつあるけれど。
文官組織の人手不足は深刻なのである。
「早上がりは無理でも、今日は定刻で上がりなよ」
「そのつもりです」
その後、再び第二王子執務室に戻って、マーリカは自分の席で書類仕事を黙々と片付けて予定通りに定刻で仕事を終えた。定時退勤である。
さすがに今日は、フリードリヒも仕事の邪魔はしてこなかった。






