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3-2.どこかの由緒ある伯爵家とは違って(1)

 王太子執務室を退室してすぐ、マーリカはフリードリヒから半歩離れた。

 少し大人気ない態度な気もするが、気分の問題を抜きにしても文官の男装の姿で彼に寄り添って王宮の廊下を歩くつもりはない。

 フリードリヒは特に意に介す様子もなく、平然といつも通りに歩いている。

 マーリカもいつも通り、彼に従う補佐官の位置どりで歩く。

 フリードリヒが「事実上の結婚を早める」ことを要求したことと、口を挟まないようマーリカを黙らせたその手段に、まだ怒りがくすぶっている彼女ではある。

 しかし、二人して黙って廊下を歩いていても、別に気づまりではない。

 廊下を移動する際にいつも話しながら歩いているわけでもなく、フリードリヒは静かにしている時は静かである。


(なにか言い訳めいたことの一つや二つあるかと思ったら、それもなしか)


 王太子執務室にいる間、フリードリヒの護衛の近衛騎士達はヴィルヘルムの指示で室外に待機していたため、二人の間の出来事を知らない。

 だから二人が黙って歩いていることについて、疑問すら持っていない。

 第二王子付近衛騎士班長のアンハルトがいたなら、なにか察したかもしれないが、赤髪の美丈夫な彼は本日非番である。

 言いたいことは色々とあるものの、いまは業務中でマーリカはフリードリヒに仕える官吏だ。人が行き交う王宮の廊下で、私情半分に怒りの文句をぶつけるようなことは出来ない。

 武官組織と文官組織は、中央棟を間に置いて右翼と左翼の棟に分かれているため、結構な距離がある。

 歩いているうちにだんだんと冷静さが戻ってきて、いつしかマーリカはヴィルヘルムとフリードリヒの会話を頭の中で思い返していた。

 気を鎮めて二人の会話を考えると、いくつか引っかかる言葉がある。

 

(我ながら、利害関係などを考える文官の習性が染み付いている……)


 中央棟の吹き抜けになったホールを軽く見ろし、各部局への用で行き交う人々を眺め、文官組織のある左翼棟の廊下が見える頃には、なんとなくフリードリヒが出した条件の理由にもあたりがついた。

 酔狂ではないし、面倒を避けるためには必要で、マーリカへの配慮も含んでいる。

 

「君たち先に戻ってて」

 

 左翼棟に入ったところで、フリードリヒが軽く後ろを振り返って、二人引き連れていた護衛の近衛騎士に言った。

 そうして今度はマーリカへと視線を向ける。


「少し彼女と話してから戻る。この棟からは出ないしすぐ戻るから心配ないよ」

「しかし……」


 難色を示した護衛騎士の一人に、フリードリヒは「戻って」と繰り返す。

 特に威圧するでもなく、声を強めたわけでもないが、こういった時の彼はやはり王族らしく人に有無を言わせないところがある。

 護衛騎士達は廊下の先を歩いて離れていった。

 

「マーリカ」


 フリードリヒが歩き出した方向へ、マーリカも足を向ける。

 どこへ行くと言われずとも、向かう先ならわかっている。

 東庭に面した白っぽく広い廊下は、どういうわけかあまり人が通らない。

 今日もやはり、がらんとして人気(ひとけ)がまったくなかった。


「マーリカはあまりここが好きではないようだけれど、散歩するには明るくて庭も見えるしいい廊下だからね。午後の予定はなくなったことだし」

「わたしの業務はなくなってはおりませんが?」

「休憩とっていないよね。兄上のところでの補給時間を考慮してもあと半時間はある」


 一筋違いの大廊下は常に人が行き交い賑やかであるのに、ここはいつも静かだ。

 やはり、この妙に神々しいような白っぽい明るさと、どこか教会を思わせる静粛な雰囲気が人を寄り付かせないのだろうかとマーリカは廊下全体を眺める。

 円柱とアーチ天井が続き、女神の廊下(ギャラリー)と呼ばれる通り、大きく開いた窓と向かい合う壁面には三女神が描かれている。

 昼と夜と黄昏(たそがれ)、三女神は国の行末や人の一生を見守る女神であるという。


「人を壁際に追い込んで、なにが散歩です」


 壁画の部分にかかるところで壁際に自然に追い込まれていた。

 マーリカは背を壁につけて、フリードリは彼女と真正面に向き合い、両腕で囲うように左右の手を壁についている。


「さっきまで歩いていた、窓から庭を眺めるのにいい位置でもある」

「殿下で視界が遮られております。悪ふざけはよしてください」


 はあっと、マーリカはため息をついた。

 もう怒っていませんとは言えない。怒ってはいる。

 やれやれとフリードリヒは呟き、マーリカの左隣に彼女と同じように壁に背をあずけた。


「アルヴァール連合王国。北西の島国ながら異大陸に多く植民地を持ち、富と栄華を誇る、五大国でも一、二を争う強国」

「うん」

 

 東庭に面した窓から、黄色から朱色にその葉が染まり始めた木々が見える。

 朝晩も肌寒くなりつつある。すっかり秋も深まったなとマーリカは思う。 


「他国と距離を取り、栄光なる孤高の大国などと言われておりますが、その実、婚姻で各大国と繋がっています」


 女王陛下に子供は九人。その内、王女が五人。

 第一王女はルーシー大公国、第二王女と第三王女はラティウム帝国と帝国帝冠領、第四王女はフランカ共和国、それぞれ王族や有力貴族に嫁いでいる。


「まるでどこかの由緒ある古き伯爵家のようだねえ……」

「どこかの由緒ある古き伯爵家は、権力といまひとつ縁遠いですよ」

「いやいや、さすがは遥か昔、星の数ほどの冠を手に王となる者を指名していただけあって、そんなものは追わない品位と余裕を感じる」


 まぜっ返すフリードリヒに、マーリカは肩をすくめた。

 こんな場所で、壁画を背にして並んでなにを話しているのだろう。


「マティアス兄様ですね……とうに滅びたその血統を女系でかろうじて繋いでいたのがエスター=テッヘン家の祖といった、法螺話(ほらばなし)を殿下に話すなんて……」

法螺話(ほらばなし)?」

 

 マーリカはうなずいた。

 証拠もそれを伝えるものもなにもなく、人に話せば、相手に失笑される以外にない。

 親戚がやたら多い一族の、身内の冗談のような話だ。

 この話をマーリカからフリードリヒに話した覚えはない。

 彼に教えそうな人物の心当たりとして、マーリカの脳裏に真っ先に浮かんだのは彼女の従兄(いとこ)だった。

 高名な画家で弦楽の名手。

 メルメーレ公国の伯爵家嫡男だが、この国の王立科学芸術協会(アカデミー)招聘(しょうへい)を受けて春先からオトマルク王国にいる。

 当初は、王立科学芸術協会(アカデミー)併設の美術学校で、夏季の特別講座を受け持つだけだったはずが、この秋から正規の教授に就任した。


「権力など所詮(しょせん)(はかな)きもの、一族仲良く助け合い、平穏無事に生き残るが勝ちなんて子供向けの訓戒めいたオチも一応つきますが。そもそも本家にも分家にもそんな記録もなにも……」

「ふむ。たしかにそんな記録があれば、いまのようではないか」

「そういうことです」

「私は好きだけどね。可もなく不可もない無難な伯爵家……強国の王家などよりずっといい」

「それは、気楽だという一点だけでしょう。五大国の中でオトマルク王家だけ繋がりがありません。先ほどの王太子殿下との会話……」


 “他国の王族を斡旋されそうになった”と、フリードリヒは言っていた。

 王太子妃は五公爵家の出だが、五大国の中でも強国の王女との縁談を持ちかけられれば、王家と高官達は揺れたに違いない。


「たしか、第五王女はわたしと同い年で未婚です」

「マーリカは縁談がくると思う?」

「恐れながら、わたしは意見する立場ではないかと」

「婚約者なのに?」


 結い上げているが、左右に一筋残している髪にこめかみあたりで触れる指を感じながら、はいとマーリカは答える。

 求婚の際にフリードリヒはマーリカに選択肢を示してくれたけれど、本来、王家からの縁談など余程の理由がなければ断れないものである。

 破談になっても文句は言えない。こちらの落ち度でなければ相応の補償はするから忘れろとなるだろう。

 場合によっては国同士の関係にも影響する、王家の縁談に口など挟めない。 


「なら、ただの雑談で公務補佐官の私見を聞きたい」

「雑談であれば……王太子殿下の仰る通りかと」

「何故?」

「いまの段階で、利益がありません」


 過去に一度、婚約者がすでにいるヴィルヘルムに縁談を持ちかけて失敗している。

 また同じことをして破談になったら目も当てられない。

 それに婚儀の日取りも決まって、各国要人に招待状もすでに出してもいる。

 他国にもフリードリヒとマーリカの婚約は広く伝わっている段階で、縁談を持ちかけるのはあまりに良識がない。

 それに強国であるだけに他の五大国も警戒する……オトマルク王国は共和国・帝国・大公国に囲まれている新興の大国だ。他の大国を刺激し、関係がこじれる方が面倒である。

 

「利益ねえ」

「はい。ただ先方から縁談を持ちかけるのなら……ですが」

「他にもなにかある?」

「かなり最悪な方法を取る余地はあるかと。王太子殿下に“賭けてもいい”と仰ったのはそういうことでしょう……ご自分が先方の立場なら考える」


 他国要人も集まる祝典を理由に、自陣に招いて、そうあからさまに断れない場を設けて誘える好機といえば好機だ。 

 しかもフリードリヒは、美の女神に愛されたなどと評される容貌の持ち主である。

 短めに波打つ淡い金髪に空色の澄んだ眼差しが凛々しく誠実そうで、優しくどこか物憂げな風情でもあり、無駄に高貴に整った容姿をしている。

 婚約者がいながらでも、運命のロマンスでもなんでもいいが、人が興味を持つそれらしい話に向いてもいる。

 なにかしら仕掛けられたら、他国に滞在中でもあるし満足に手も打てない。

 

「そう。回避するには王子妃がいるでしょう?」

「言い方……」

「私も不意打ちだったのだよ、まさか父上が腰を痛めるなんて不測の事態だ」


 マーリカは、フリードリヒとは反対の方向へと顔を背けた。

 理由は理解しても、だからといって納得できるわけではないのである。

 

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