3-1.王太子殿下の召喚命令(2)
王太子ヴィルヘルムの執務室のソファ席にフリードリヒと並んで座り、ヴィルヘルムと向き合っての談話である。
国王ゲオルクが腰を痛め、当面、ヴィルヘルムが国王代理として対応するにあたり、なにかしらの協力要請だろうとマーリカは予想するが、本題に入らず普通に午後のお茶の雰囲気になっている。
「このミートパイ美味しいねえ。武官組織の料理人もなかなか侮れない」
「武官の身体と士気に関わるからな、備蓄食糧はもちろん食堂運営にもそれなりに予算は割いている」
「うーん、これは盲点だ……今度視察したい」
「構わんぞ」
(王太子殿下、その視察はたぶん、王都流行誌の人気覆面案内人“美食王子”の視察ですっ)
それはそうと召喚命令を受けて、フリードリヒの午後の予定をすべて取り止めてよかった。
まるで歓待するような前置き、これは少々長くなりそうである。
(今頃、アルブレヒト殿下と詰所の秘書官達は、取り止めた公務の再調整で大変だろうけれど。社交期間も終わって落ついたし、賓客対応も外出も会食予定もない日だから大丈夫かな?)
ヴィルヘルムは厳しい見た目や態度から受ける印象と違い、話せば優しく、また家族愛あふれる人物である。アルブレヒトが教えてくれるところによると、特にフリードリヒを弟として大変可愛がっている。
幼少の頃、“恐るべき神童”と評されたフリードリヒの早熟さと異質さに理解を示し、王子として社会適応するよう道徳教育を施すと同時に、少しでも時間があれば彼を構い甘やかしていた人でもあるらしい。
「そういえば婚儀の支度は順調か? マーリカ嬢」
「はい、王太子妃のテレーズ様に色々と教わりながら、問題なく進め一段落つきました」
「ならよいが。マーリカ嬢は少々忙しさが過ぎると、テレーズが心配していた」
「私を差し置いて使いたがる者が多くて困っている……」
「殿下っ。社交期間も過ぎましたし、大丈夫です」
早いもので、文官となって五年目。
第二王子付となってからは、丸二年が過ぎる。
官吏として信頼され評価されつつあることは喜ばしい反面、王族付だから知っておいてほしい口実でなにかと声がかかる。
フリードリヒが高官達を牽制しているようなのだが、近頃は口実が「王族付だから」から「第二王子妃になられるから」に変化して、すべて退けるのは難しいようだ。
文官組織の人手不足は深刻なのである。
「婚儀の日取りも決まったことだしね。いい加減、控えてくれることを願うよ」
毎年、“第五の月”の頭に実施される王宮主催の夜会。
婚儀はその前日に行うと、先月決まった。
国内の貴族達が王都に集まる時期で、他国、とりわけ他の五大国で大きな行事がない日を考慮している。
二日前に公示も出たところだ。すでに国王の名で招待状も発送されているはずである。
「ふむ、ならばしばらく王城を離れてはどうか」
「ん?」
「その相談で呼んだ。春先の事件でしばらく動けなくなった。こう言ってはだが、余程の理由もなく代理を立られるものではないから思案していたところ……」
「父上を言い訳に使えるようになった」
「その通りだ」
ヴィルヘルムの言葉を途中で奪って、フリードリヒはあからさまに顔を顰めた。
どうやら彼はどのような要請か察したようだが、マーリカにはわからない。
フリードリヒの公務補佐官ではあるが、情報のすべてが無条件にマーリカに下りてくるわけではない。
王家のことならなおさらである。
マーリカは婚約者ではあるが、まだ王家の一員ではない。
「いい機会でもある、父上には春まで休養いただく」
「王の役目をまったく忘れて過ごす姿なんて、私も見たことがないからそれは構わないけれど……」
事情がわからない会話に口を挟めるわけもなく、いまのところマーリカはただ聞いているだけである。
だが、おそらく王太子夫妻で対応する予定の公務かなにかだろう。
まだ婚前で、婚約者が対応できる範囲は限られるけれど……と、マーリカは内心呟きながら二人を眺める。
「北方の警戒なら、兄上なしでも問題ないのでは?」
「万一ということもある」
「それはまた……」
ふぁっ……と、お茶に添えられた軽食を堪能しての気怠さからか、フリードリヒは欠伸を噛み殺した。
「万一を心配する……ものでも出てきたのかな……」
億劫そうに応じるフリードリヒに、平生から公務へのやる気のなさを公言してはばからないとはいえ、随分な態度だとマーリカは少しばかり眉を顰める。
「まあ、出てきたところで機密事項でしょうけれど」
もっともフリードリヒは、以前、国王ゲオルクに謁見の間に呼ばれ、ゲオルクが話し出す前に「お断りします」とにこやかに言い放ったこともある。
それと比べれば、まだましかもしれない。
(春先の事件、北方の警戒……か)
ヴィルヘルムとフリードリヒが口にした言葉。
やはりまだ尾を引いているのだと、マーリカは二人のどちらにともなく問いかけた。
「あの……春先の事件というのは、王立学園でのことでしょうか」
「そうだよ。視察先でマーリカも私も大変な目にあった。追い詰められたメルメーレ公国第一公子派閥の貴族達と王家の厄介な外戚だったバーデン家のために」
にっこりとマーリカに答えて、小さな白いメレンゲ菓子を口に放り込むとフリードリヒはお茶を飲んだ。
ヴィルヘルムもカップを口に運び、マーリカもなんとなく彼女のカップを持ち上げる。
(メルメーレ公国の第一公子派閥の貴族達が、バーデン家から支援を持ちかけられ、彼の家と確執ある第二王子のフリードリヒ殿下を害そうとした事件)
マーリカも人質として囚われ、頭を殴打され、打ち身やすり傷など怪我を負っている。
取り調べと調査で、第一公子派閥の貴族達の独断で行われた犯行とされ、捕えられた者達は公国に引き渡された。その後の共同調査や両国間の友好関係継続もすでに話はついている。
バーデン家は、北東の国境近くの領地に持っていた良質な鉄鋼資源の鉱脈の範囲と産出量の偽装が発覚し、不正に隠していた鉄鋼と大量の火薬材料を国外へ持ち出そうとしていた罪とあわせて裁かれた。
メルメーレ公国との繋がりは証拠不十分で謀反の罪には問えなかったが、当主とその親族の多くが処され、まだ存命中の先代王妃は王都郊外の修道院送り。
領内の鉱脈がある地は召し上げられ、王家の直轄領に加えられた。
「マーリカも知っている通り、それぞれ裁かれて後始末も済んで解決しているけれどね」
知っている通り、でもきっとマーリカが知らされていないこともある。
おそらくあの事件は、すべてが公表されているわけではない。
バーデン家が国外へ持ち出そうとしたものをどうするつもりだったのか、メルメーレ公国貴族達がどうして追い詰められてバーデン家と手を組んだのか、肝心なことがあやふやなままだ。
おそらくその二つが、北方を警戒する理由なのだろう。
「そのように公表してはいるが……」
「お待ちください、王太子殿下。そのお話、わたしは本当にお聞きしてよろしいのでしょうか」
「マーリカ嬢?」
「万一、認識の齟齬があってはと懸念しお尋ねします。北方の警戒についてわたしは初耳です」
マーリカは真っ直ぐにヴィルヘルムを見て、官吏としての口調でそう言った。
人払いをしていないのは、ヴィルヘルムの側近達にとってはすでに了解事項なのだろう。
しかし、だからマーリカも聞いて大丈夫というわけではない。
マーリカはまだ王家の一員ではなく、文官組織の官吏である。
ヴィルヘルムは知っていて構わない側とマーリカを認識しているかもしれないが、武官組織の機密であれば微妙なところだ。フリードリヒが知る必要はないと判断し、伝えられていない可能性もある。
「そうだね。マーリカはまだ私の婚約者に過ぎない、文官組織専任王族公務補佐官だ」
フリードリヒから援護が入り、やはり……とマーリカは胸の内で呟いた。
同時に、ヴィルヘルムが任せようとする公務にフリードリヒは関わりたくないと察する。
それが彼の怠惰さによるものか、考えあってのものかはわからない。
「兄上相手に言うまでもないことですが、情報統制するなら徹底しなければ意味がない。残念ながら婚姻前は王子妃候補はただの候補です。信用できるからと、知る必要もない情報を不用意に伝えるのは危険も伴う……」
「えっと、殿下……?」
フリードリヒに対する驚きと戸惑いが隠せず、マーリカは眉根を寄せて彼の横顔をじっと見つめた。
珍しく至極まともなことを言っている。
「ん? どうしたの、マーリカ」
「いえ。なんでもありません……」
いつもそうであればよいのに、とついマーリカは思ってしまった。
しかし言葉ほどには、フリードリヒの態度や表情はほめられるものでもない。
暢気そうな様子で、兄弟の気安さなのか、行儀悪くクッキーをお茶に浸しているのだから。
「だが、マーリカ嬢はもはや王子妃以上に……」
「兄上になかなか理解してもらえませんが」
ちゃぷちゃぷと遊ぶようにカップの中のお茶をクッキーで揺らしながら、王太子の言葉を途中で遮って話すのは、いくら第二王子でもさすがに不調法が過ぎる。
注意のためにフリードリヒの袖へとマーリカは指を伸ばしかけて、彼が引き上げたクッキーのふやけた部分がぼとりと一欠片カップの中に落ちるのを見て、何故かぎくりとして指を止めた。
「安楽な隠居のため、私はこれでも真剣に取り組んでいるのですよ。そのための国家安寧も含めてねって……あー、兄上のせいで浸し過ぎた……」
「それは、お前がちゃぷちゃぷやっていて……食べ物で遊ぶのは感心しないぞ」
「いい具合で引き上げれば、口の中で容易く崩れて美味しいというのに……兄上は常識的すぎる」
これはたぶん、怠惰と考えがあるの両方だ。
カップの中身を飲み干して「取り替えてくれる?」と、ヴィルヘルムの側近に声をかけ、ヴィルヘルムに呆れられているフリードリヒを眺めながら、マーリカは内心首を傾げた。
(関わりたくないにしても、おかしい……)
そもそも国王代理の権限で命じれば従わざるを得ない。そんなことは彼も承知している。
これは要請を回避しようとしているのではない。
(大体、文官組織の現場の官吏から“無能殿下”なんて揶揄されているけれど、興味関心を向けることには、恐るべき資質や才気と強運を発揮する人だ……だからこそ腹立つ)
それに怠惰でも考えがあるにしても、フリードリヒが公務にやる気がないことに変わりはない。
やる気がでないことに、いくらか楽しみでもつけようとしているような気がする。
「あの、恐れながら王太子殿下……」
「マーリカ、少し黙ってて」
やや遠慮がちにマーリカはヴィルヘルムに話しかけ――にこやかな言葉と共に、唇にフリードリヒの人差し指の先を押し当てられた。






