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Ⅲ.近衛騎士アンハルト・フォン・クリスティアン(3)

 アンハルトの形式的な質問に、マーリカは澱みなく明確に答えた。


(そもそも、尋ねるまでもないのだがな)


 彼としては、すぐそばで彼女がフリードリヒへ物申す内容を聞いていたため、彼女の背後に陰謀の影がなければ動機もなにも特に聞くことはないのである。

 強いて言えば、アンハルト自身が少々気になった点くらいだ。

 手早くといっても、あまりに簡単に終わらせてしまっては、それはそれでマーリカが不審に思うに違いない。

 詮索するようで気が引けるものの、アンハルトは彼が気にかかる点を尋ねた。


「エスター=テッヘン伯爵令嬢は、なにか体術の心得でも?」

「え、いえ特には」

「本当に? 護身術のようなものも?」


 不意打ちとはいえ、フリードリヒと会話していたアンハルトは彼のすぐ側にいた。マーリカの接触を防げなかったことは、護衛の近衛騎士としては完全に彼の失態である。

 さらに取り押さえようとマーリカを掴んだ部下の手を、彼女は一度外している。

 思わずじっとアンハルトがマーリカを探るように見れば、彼女は顎先に軽く手を添えて少し考えるように俯くと、ああ……となにか思い至ったように呟いた。


「体術というほど大層なものではありませんが……子供の頃、親戚の子と一緒に簡単な護身術を少し教わったことがありました。ですが、その程度です」

「……なるほど」


(少し教わった程度では……人間とっさに体は動かないのだが……)


 自分より体格もよく力も強い相手に、普通は逃がれるのもままならない。

 まして自ら向かっていくなど、もっと難しい……子供の頃に護身術ということは誘拐対策だろうか。

 どう考えもても、あれは体で覚えこんだ動作だ。

 伯爵家のご令嬢がそんな訓練をさせられるほど物騒なのであれば、地方の治安維持の強化を騎士団総長である父親に伝えた方がいいかもしれない、などとアンハルトは考える。

 

「それにしても、貴女のような方なら官吏ではなく侍女や女官でもいいように思えるが。良縁を得る機会にもなる」

「武官には貴族女性もいらっしゃるとお聞きしますが?」

「ええ、武官の名門出の者が何人か。他には専門技能を持つ者もいるが特殊な例ではある。文官組織においてはそのような者は皆無のはず」


 王宮の文官組織はほぼ男性で占められる。平民雇用の枠で登用される、雑務や定型業務を担う下級事務官に女性がわずかにいるくらい。上級官吏の貴族女性はマーリカの他にいない。


「失礼ながら、貴女のようなご令嬢が父親の代わりに出仕を願い出て、王家の臣下の上級官吏の立場で文官組織にいるのは苦労が絶えないのでは?」

「父からも事前にそうなると言われました。ですがわたし自身にはなんの実績もないのに、諸先輩方に立場相応に扱えという方が無理な話ではないでしょうか」


 だから、不遇な環境に二年もいて訴えることもせず職務についていたというのだろうか。

 ただ人が良い……だけの令嬢では、二年保つとも思えない。

 まだ成人前だというのに、随分と覚悟と肝が据わっている。

 

(陛下や宰相閣下が審査し認めている時点で、それだけのものがあるのだろうが……こんなご令嬢が?)


 すでに既婚者で年代も違うためアンハルトは大して関心もなかったが、マーリカの二人の姉の評判なら耳にしたことがある。

 社交界でエスター=テッヘン家は、男女問わず美形の家系として有名だ。

 マーリカもいまは第二王子執務室でも大立ち回りもあって、結い上げた髪も衣服も令嬢として無惨な感じになってはいるが、だからといって彼女の涼やかな容貌は損なわれてはいない。


(背が高く華奢で男装のためか、遠目には美少年にも見えそうだが綺麗な令嬢であることは間違いない。こうして萎れているとまだ少女らしさが抜けきらない可憐さもある)


 とても意地の悪い環境で二年も激務に耐え、王族に手を上げて意見するほどの胆力がある令嬢には見えない。

 彼女の姉二人は、それぞれ公爵家と侯爵家の者に見初められて縁付いている。

 だが、エスター=テッヘン家が権力欲の薄い家であることは間違いなさそうで、どちらの相手も王宮とは距離を置く家だ。

 上の姉が嫁いだ侯爵家なら、アンハルトも侯爵家同士の付き合いがある。

 そういえば顔を出した夜会で、美しいだけでなく教養高く愉快なご夫人と聞かされた覚えがある。


(愉快というのがよくわからんが)


 なににせよ、マーリカがこれ以上、王家に害をなす行動をとるとは考えにくい。逃亡もないだろう。

 しかし、もう少し質問を続けるかと、アンハルトはマーリカにほとんど好奇心のままに問いかける。


「何故、伯爵家の者としての出仕を? ただ官吏というのなら登用試験を受けた方が悪目立ちしないで済んだでしょう」

「この国で女性が入れる高等教育機関は王立学園くらいです。入学し卒業できても、貴族女性が文官で登用されるのは不可能に近いと父が。その……使えるものは使い、身分相応の立場を望む気概もなく勤まる場所ではないと言われまして」

「そうですか」


(使えるものを使い望む気概があろうと、不可能に近いと思うが?)


 国王だけならまだいいが、宰相のメクレンブルク公までも彼女の審査に当たっている。五大公爵家筆頭の、腹黒の中の腹黒。悪い人ではないのだが、あの御仁がご令嬢だからと官吏としての審査を緩めるとは思えない。

 父親が彼と付き合いがあるから、絶対にないとわかる。


(文官の上級官吏の人物審査は心折られると聞くからな)


 念の為、エスター=テッヘン家の側もあらためて調べておくかと、アンハルトは胸の内でひとりごちた。

 彼が大陸中に家系を広げる、エスター=テッヘン家の親族を正確に把握し愕然とするのは七日後のことである。


「……言葉を選ばずに言えば、貴女へのやっかみや反感で風当たりはきついはず。辞めようとは?」

「思いません」


 人事院がどういう事情でありえない配属をしたのかは知らないが、これだけははっきりと言えるとアンハルトは胸の内で呟いた。

 この人は、エスター=テッヘン伯爵令嬢は、辞めさせれば組織にとって損失が大きい官吏である。

 とはいえ、アンハルトにはどうにもできない。

 彼にできることは、特殊事情ありの疑いとしてフリードリヒと文官組織上層に報告を上げることと、ひとまずいまは彼女を気遣うことだけである。


「今日はこちらで結構です。部下に送らせましょう。王都の屋敷はどちらに?」

「劇場通りの南角のあたりですが、王都の屋敷にわたしは住んでおらず官舎におりますので、それには及びません」

「屋敷でなく官舎? その……官舎とは、独身の文官用のあの官舎ですか? 西側左門の近くの」

「はい、そうです。それがなにか?」

「貴女の身分なら、王宮に部屋を借りられるでしょう」

「ああ。ええまあ、手続きすればそうでしょうけれど……それは、贅沢が過ぎますから」


 なにか言い淀むようなマーリカの様子に、これは踏み込んではいけないことだったかとアンハルトは内心慌てた。

 そもそも伯爵家の娘が、伯爵家の屋敷に住んでいないとはどういうことなのか。

 考えてみればマーリカは十八歳で官吏として王宮に出仕するまで、社交界に顔を出していない。

 普通は十五や六の年頃で、デビューするはずがしていないのである。


(まさか家では冷遇されて……)


「お恥ずかしい話ですが、資力に乏しい弱小伯爵家なものですから。それなのに……お人よしというか経済観念が薄いというか、屋敷を学生や芸術家を志す方などに無償提供しているもので」

「は?」 

「せめて食事代くらい、原価でいいので頂戴してもと思うのですけど」

「そういう問題か……あ、いやその、つまり、エスター=テッヘン家の王都屋敷は慈善施設と化しているから住めないと? 貴女の家が所有する屋敷であり、現在いる住人は伯爵家の善意で住まわせているだけであるのに?」

「ですが、わたしが住むから出ていけというのは横暴ですから。お詫びのお金などを渡して代わりの部屋を手配しても生活の手はかかります。学業や研鑽に専念できなくなってしまいます」


(いや、金だけで十分だろ。劇場通りなんて一等地の屋敷に食事付ってなんだその高級下宿。しかも無償。武官の官舎に住んでる者達が聞いたら暴動を起こすぞ)


 アンハルトは、取り調べの場でマーリカの見張り役として彼女の背後に立っている部下を見た。

 ものすごく困惑した表情を浮かべている。

 軽く振り返って、取り調べ内容を記録してくれている部下の顔も見たが同様だった。自分の考えや感覚がおかしいわけではないと、アンハルトは安心する。


「あ、そのっ、王宮のお部屋も検討はしたのですよ。最初はひとまず仮で官舎に落ち着いて……ですが、王宮のお部屋は素敵なだけに賃料も素敵で……正直、寝に帰るだけの部屋にとそのまま」


 そのまま自身は下級、中級官吏の独身寮にいるといったマーリカの説明にアンハルトは絶句した。

 こう言ってはなんだが、十分美人の内に入る伯爵令嬢が狼の巣で寝ているようなものである。危険だ。防犯防衛上それはおすすめできない。

 そう考えたのは彼だけでなく室内の全員がそうであったようで、心配そうに彼女を見ている。


「王城内とはいえ、日々多くの者の出入りがあります。くれぐれもご自分の部屋の戸締りはしっかりなさってください」

「はい」


 マーリカを官舎まで送らせた部下は彼女と別れたあと、つい気になって官舎の管理人に聞き込みを行なったらしい。

 彼女の部屋は、三階上の屋根裏の管理人夫婦が住まう隣室で、建物の端に位置する階段からすぐの個室とのことだった。二重鍵の付いた部屋であるらしい。

 伯爵令嬢が屋根裏にあたる階に住んでいるのもだが、安全を配慮して管理人が部屋を用意したそうである。

 また、見るからに高位貴族令嬢で凛々しいマーリカに尻込みして近づく者はいないらしく、そもそも彼女は誰よりも遅く戻り早く出る官吏であるため、官舎に住む他の者との接点もほどんどないといった報告であった。

 

(そこまでの報告はいらんが、まあ支障はなさそうでなによりだ)


 十以上歳が離れていることもあって、もはや娘を案じる父のような心境のアンハルトである。

 息子が二人いるが、娘でなくて本当によかった。

 人間の暗部を見る仕事であるだけに、娘が年頃に成長したらあれこれ心配でとても耐えられる気がしない。


(あとは、フリードリヒ殿下と周囲がどう判断するか)


 本人が取り調べに協力的で、周囲の者の証言も取りやすかったこともあり、マーリカの処遇を審議するに十分な報告書はすぐにまとまり、アンハルトはそれを法務大臣へ渡した。

 彼がフリードリヒを最もよく知り、親身な大臣であるからだ。また信頼できる。

 翌早朝、大臣連中によって密かに開かれた会議で彼女の処分は表向きしないと決まった。

 王族に危害を加えたことについては、フリードリヒ自身が臣下が彼を諫めたに過ぎないとしたため不問となった。

 実質的な内容はその通りで、フリードリヒに手を上げて説教したことについてマーリカは大いに反省を示していたため、彼女を取り調べたアンハルトも納得するところに落ち着いてほっとした。

 それよりも、フリードリヒの意向とマーリカを二年間放置していた高官達の後ろめたさが一致しての、人事の方が気がかりである。

 

(何故、あの出来事でそうなる……)


 第二王子執務室でいつもの窓辺に護衛として控え、アンハルトはフリードリヒを見てひっそりとため息を吐いた。

 約一ヶ月後――。

 文官組織で異例の人事が発表された。

 マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘン。

 正式名が長い彼女を、第二王子付筆頭秘書官に任命する人事であった。


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