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Ⅲ.近衛騎士アンハルト・フォン・クリスティアン(1)

 これは、どう処理すべきか――と、床に(ひざまず)かせた相手を見下ろして、第二王子付近衛騎士班長のアンハルト・フォン・クリスティアンは思った。

 彼と彼の部下により左右の腕を拘束されている人物は、男二人がかりで制圧するにはあまりに細く非力である。

 一人で押さえつけることも余裕で出来るが、しかし相手の関節に多少厳しい痛みを与えることになるだろう。

 非力だが、抵抗する動きに体術の心得があるのは明らかで、ただ押さえつけただけでは絶対にすり抜けられる。

 アンハルトとしては、王族に危害を加えた暴漢を、逃すわけにはいかないのである。

 第二王子執務室に正規の手順で入室し、そのまま待つよう言った第二王子の命を破って、彼に迫り、壁際に追い詰めて胸ぐらを掴んで、頬を平手で往復で二度三度と打った。

 しかしその暴漢は、国王陛下が王家に仕えし臣下と認めた上級官吏で、しかも女性。服装こそ男性の文官の衣服だが、黒髪黒目の高位貴族令嬢。

 現在、文官組織においてそんな人物はただ一人である。

 

(エスター=テッヘン伯爵家のマーリカ嬢。地方の伯爵家では令嬢に体術も教育するのか?)


 たしかに地方には治安部隊の目が行き届かない場所もあるが、そのような地にエスター=テッヘン領が含まれていた記憶はない。

 もっといえば、あまりに凡庸な田舎領地で注意を向ける必要が著しく低い。

 荒んでもなく栄えてもなく、大きくも小さくもない領だ。領民の結束は地方領地にありがちで密接だが、街道には一応接していて排他的というわけでもない。ものすごく王都から離れている訳でもない。

 温泉地はあるものの、高級保養地となるほどの規模でもなく、これといった特産品もない。

 

(ここまでこれと特徴もない場所も珍しいというのが、特色といえば特色か?)


 王族付とはいえ、一介の近衛騎士の頭にそんな地方の詳細が入っているのは、それがアンハルトの本業の内であるからだ。

 彼は侯爵家の嫡男で父親は騎士団総長を務めている。

 王族の警護にそれなりの釣り合いを考慮して、文官組織の長である第二王子フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルクの護衛を任せられていると思われているが、事実は少し異なる。

 フリードリヒの護衛も任せられているが、単に守るだけの役目ではない。

 アンハルトは、武官組織を管轄する王太子ヴィルヘルムの秘匿された側近である。

 彼の本業は、公安と対諜報を担当する諜報部隊第八局長。

 文官組織の長だけでなく、主に外交公務で目立つ功績を上げるフリードリヒの身を案じたヴィルヘルムの命で、表向き第二王子付近衛騎士班長の任についている。

 

(これは本業の事案かもしれんな……中立を貫き、王宮と距離をとっている弱小伯爵家が、大それた思惑で娘を送り込んだとも思えないが。それにマーリカ嬢の登用は異例中の異例。悪目立ちする上に、陛下も認めている)


 しかしそれを見越しての裏があるとしたら? 

 そもそもどうして彼女のような上級官吏が、フリードリヒの視察のルート変更の要望に対して直接物申しにきたのかも不可解である。そんな現場のことを理由にやってくるなど、取ってつけたような口実にしか思えない。

 無知な令嬢を取り込んで、誰かが裏で何事か企んでいるのか。

 公務へのやる気のなさを公言する怠惰さと気随気儘な言動で周囲を振り回し、現場の官吏に“無能殿下”などと呼ばれているのとは異なる意味で、フリードリヒを“無能”と内心快く思わない者達もいる。

 実質側近な大臣連中他、年齢や階級問わず能力のある者を重用し、賞罰に関しては相手がどんな立場の何者でも、公正に評価し厳正に処分するフリードリヒは人の忠誠心も憎悪も煽る。


(異様な引きの強さと強運のために、無事で済んでいるが。私が彼と知り合って約二十年の間で一部外交がらみの事案もあるとはいえ、十回以上は暗殺やら廃嫡やらの企てが周囲で起きている)


 特に成人前の間はひどかった。この国の成人年齢は二十一歳。

 フリードリヒは十八歳から公務についているが、それ以前から成り行きでなにかと王宮を揺るがす物事に関係することが多かった。

 概ね国益に寄与することになり、だからこそフリードリヒと直接関わることのない貴族で彼を高く評価する者は意外と多い。

 そんなこともあって、通常なら落ち度として陥れることができそうな言動も多いフリードリヒであるのに、まるで強固な要塞のように崩せない。彼を邪魔に思う者達にはさぞ苦々しいことだろう。

 十歳年上の兄であるヴィルヘルムが、彼の身を案じるのは無理もない。

 アンハルトも友人の弟である彼に対し、個人的には警戒半分気掛かり半分な思いでいた。


(さて、そろそろ落ち着いてきたか?)


 ぜえはあ……と、肩で息をしているマーリカの様子と拘束している腕の抗うような力が抜けたのを見て、アンハルトは部下に目配せし、彼女に声を掛ける。


「お立ちください。エスター=テッヘン伯爵令嬢。ご自分がなにをなさったのか理解されているのならですが」

「……はい」


 フリードリヒに詰め寄っていた勢いは見る影もなく、しおらしい返事をしてマーリカが立ち上がろうとしたのを見てアンハルトは部下に頷き、部下が押さえていた側の拘束を解かせた。

 それにしても、姿格好こそ文官であるが、姿勢のよさと凛とした佇まいはまるで女性騎士である。

 拘束を緩められて立ち上がっても、マーリカの眼差しはフリードリヒにずっと向けられている。

 彼女から引き離し、床に座り込んでいた状態から、いまは別の部下によって介抱され執務机の椅子に座るフリードリヒは張られた頬に手を当てて、ぼんやりとただこちらを眺めている。

 常日頃からなにを考えているのかよくわからない王子であるが、彼の頬を張り説教したマーリカに対してなにを思いどんなことを考えているのか、まったく読み取れない。

 ただ長い付き合いではあるので、特に彼女を厳しく罰しようといった怒りなどはなさそうなのはなんとなくわかる。

 

(エスター=テッヘン伯爵令嬢の行為はともかく、言い分だけは正論ではあったからな。背後や事実関係を(つまび)らかにした上で処分を決めるといったところか。王族に危害を加えている以上、幽閉塔での禁固は免れぬだろうが)


 部下による拘束を解いたが、マーリカに特に妙な動きをする気配はない。

 むしろ自身の犯したことを受け止めているような様子である。

 この様子なら大丈夫だろうと、アンハルト自身もマーリカの上腕を掴む手を離すことはしないがそれだけに止めた。


「フリードリヒ殿下」


 マーリカを別室に連れて行き取り調べを行うべく、アンハルトがフリードリヒに声を掛ければ、彼は気怠そうな様子で「任せる」の一言に済ませた。

 いつものことである。

 フリードリヒは基本的に、彼以外の他の者では許されない事の処理以外は、すべてしかるべき者へ任せる……いや、丸投げする。

 およそ義務とか役目だとかいったことを必要最小限しかやらないことにかけては、もう幼少期から徹底していて、ここまでくると感心するほどの怠惰さである。


(正直、任される側はたまったものではないがな)


 丸投げの仕方は本当にひどいが、一任することを選択したのは自分であるからと、結果如何に関わらず責任逃れはしない点だけは評価できる。

 大臣の多くが実質彼の側近の働きをしているのも、おそらくはそれがあるからだろう。


「この場は貴殿に任せる。私は、エスター=テッヘン伯爵令嬢を別室へ連れていく」


 マーリカを共に拘束した部下にフリードリヒの警護は任せ、アンハルトは彼女を連れて第二王子執務室を出た。


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