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Ⅱ.管理官ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼン(3)

 人払いされた大臣執務室といった時点で、用件は推して知るべしである。


「久しいな」

「内務大臣閣下におかれましては変わりなく」

「其方にかような呼ばれ方をするのは、なんとも……」

「かつてとは互いの立場に差があるゆえ、ご容赦を」


 他の用件で内務大臣より面会指示の書状など届くはずがない。

 ノルベルトは末端部署の監督職である。少人数の部下を持つただの中間管理職の身だ。

 それも失脚後も王宮に居座っている、訳ありの文官である。 


「昔は其方のが、多くの文官を引き連れ威風堂々と廊下を歩いていたものだったが……止そう。呼んだのは他でもない。其方の部下であるマーリカ嬢のことだ」


 ノルベルトは僅かに身構えた。目の前の男はかつて対立派閥にいた相手である。

 退官を目前に、責任追及をされて今度こそ王宮から追いやられるか、なんらかの罪に問われることはありえる。


「そう構えるな。其方の責任問題にする気はない。出来ぬというのがより正確なところだが」

「出来ぬ?」

「互いの立場に差があると言ったな。詳しい説明を其方にする必要はない。マーリカ嬢を現在空席である第二王子付筆頭秘書官の任につける」

「は?」

「フリードリヒ殿下の意向だ。人員に関し本辞令への異議申し立ては認められない」


 第二王子であるフリードリヒは、マーリカが暴力を振るった相手、いわば被害者である。

 その彼の意向で、末端現場からいきなり王族付へ異動などと。

 本当になにがどうなっているのかとノルベルトは絶句した。


(いや、実際にそのような運びとなっているのなら、もはや理由はどうでもいい)


「この件の処理に関してはご説明いただきたいですな。近衛が押し入り、本人からも仔細な報告を受けているゆえ」

「その本人は、拘束をされていないことについてなんと?」


 マーリカは取調官から解放されたと言っていた。

 それ以上は尋ねるなということだろうが、ノルベルトとて使える者を説明もなく無条件にはいどうぞと承服はしかねる。あの第二王子の意向というのなら余計に。


「にわかに信じがたい辞令ですから。内務大臣閣下や他の高官の方ならともかく、賞罰に関し厳格なフリードリヒ殿下の意向などと」

「言った通りだ、なにもない」

「隙間仕事を請け負う末端部署とはいえ、対応する者がなければ困る部局も多い。近衛が押し入った際に残っていた事務官に簡単な状況説明をしています。もちろん服務規程を破る事務官ではないが、廊下の突き当たりの部屋とはいえ、定刻を迎えた頃。出入りする近衛の姿を見た者もいたでしょう」


 わざわざ部署の不利益になりそうなことを喋るようなデニスではない。担当する業務上、武官が出入りすることは珍しくもないのでノルベルトの側はどうとでも誤魔化せる。

 だが第二王子執務室の側はどうだろう。

 最初にマーリカは隣室の秘書官詰所を訪ねている。いま筆頭秘書官は空席で、平の秘書官では話にならなかっただろう口論めいたことになったはずだ。

 それから第二王子執務室へ入っている。

 事は室内で完結させただろうが、それなりの騒ぎにはなったはずで隣室の者達も物々しさは感じたはずだ。


「辞令が表に出れば、面白半分にいい加減な憶測を話す者も出てくる」

「……そういえば。情報操作は其方の得意とするところであったな」


 僅かに目を細めた内務大臣に、一体いつの昔を言っているのかとノルベルトは苦笑に喉を鳴らした。

 これは相当、触れられたくないものがある。おそらくはこの男や他の高官達の側に。

 第二王子は王族として難はあるが姑息ではない。 

 その程度の難なら、いくら支援を受けていた家の者からの頼みとはいえ、ノルベルトも手を貸す事はなかっただろう。まだ幼い第二王子を廃嫡幽閉に追い込む工作になど。

 直接指示した証拠はつかませなかった。だから金で贖える罪で済んだが、地位や財力と同時に官吏としての気概も失った。

 ノルベルトとて若者らしく当時は思うところがあっての野心ではあったのだ。


「人の口から出る言葉は止められませんからな……心配したまでです。気晴らしでくだらぬ噂話に興じる末端の者は多い。立場の高さにそぐわぬ職務に従事する彼女に反感を持っている者も少なくない。なにか手違いがあったとか?」

「……マーリカ嬢は二十五連勤で疲弊し、心神耗弱(しんしんこうじゃく)状態にあったことが認められている」


 ノルベルトにじっと目を当てて、渋々といった調子で内務大臣は口を開いた。だが、手違いについてはあくまで触れないつもりのようだ。


「もちろん其方の監督責任もここで持ち出す気はない。人員不足による文官組織の一部の疲弊は深刻であるゆえ」

「責任を問えば、他の部局も同様に問わねばならなくなるでしょうからな」


 文官組織において、内務大臣管轄下が最も酷いだろうことは容易に想像がつく。

 単純に範囲とする部分が広く、部局の数が多い。


(手違いというのも、大方、あのおかしな配属がなされた原因といったところか。この男か、誰がやらかしたのか知らんが高官共が庇い合わなければ連帯責任になるのだろう)


 最初から彼女に見合う部署にいたなら、こんな事件が起きることはなかったのかもしれない。

 それも含めての、手違い。

 昔であれば、探り出して利用したかもしれないが、いまのノルベルトにはどうでもいい話だ。

 とりあえず、退官前にノルベルトに不都合なことにはならなさそうである。


(第二王子も知らないに違いない。陛下や宰相閣下にはどこまで伝えているのだか……)


「しかし、いくら心神耗弱(しんしんこうじゃく)状態であろうと、王族に手を出した事実に変わりない」

「フリードリヒ殿下本人が、あれは殿下への諫言(いさめごと)の範囲であると仰っている」

「平手が?」

「我らの世代であれば、戒めに鞭で手の甲を打つ程度は当たり前。それに比べれば……“人間叱られなくなったら終わり”と殿下のお言葉だ。彼女は直に進言する権限も認められている。最初に秘書官を通し、執務室への入室も手続きに則っている。なんの問題もない」


 つまり、危害を加えたのではない。

 フリードリヒへ進言を行う手続きに問題はなく、心神耗弱(しんしんこうじゃく)状態の中にあってもなお、強い忠義心により現場の官吏へ迷惑を及ぼす言動を諫めたまでのこと。

 それをフリードリヒ自身が認めているから罪にならないといった理屈だ。


「なるほど。裁くべき罪が存在しなければ、処罰などない」

「そういうことだ。着任は二十日後、現業務の引き継ぎなどあればそれまでに支障なく終えよ」


 どうやらあの令嬢は、官吏としての能力と気骨があるばかりでなく、運もあるようだ。

 お目付け役として、丁度いい者を見つけたといったところもあるかもしれない。

 強引な処理を考えるに、フリードリヒ殿下の意向に高官達が便乗した。

 第二王子付筆頭秘書官は、過去上級官吏が幾人もついては辞めている職である。

 空席となって三ヶ月経つが、後任が見つからずにいた。


(フリードリヒ殿下にこうも厳しく意見するなど、誰もできずにいたことではあるからな)


 ノルベルトは、内務大臣に一礼すると退室した。

 退官までの平穏が乱されることなく、マーリカの起こした事件がどう処理されるかはっきりした以上、ノルベルトにとってはもはや関心のない、終わったことである。

 だが、その足は彼の部署ではない方向へと進んでいた。

 王城の中央の棟と文官組織のある左翼棟の境にある、東庭に面した人の気のない廊下。

 人の命運や国の行末を司る三女神の壁画があるため、“女神の廊下(ギャラリー)”と呼ばれる場所。

 東庭から差し込む陽の光に照らされ、白大理石の廊下は白っぽい明るさで、ノルベルトは壁画の前に立って何故こんな場所に立ち寄ってしまったのかと自嘲する。


(あの王子が来るかどうかも、わからぬというのに……)


 あの、年端もいかぬ頃から大人の思考を理解し、小動物の遺骸を拾っては皮を剥いで肉を溶かしその骨を並べて楽しんでいた恐るべき子供。

 王宮内の勢力争いの一環ではあったものの、そんな王子であったから廃嫡幽閉などといった話も出た。

 いまでこそ天真爛漫で温厚、融通がきかないほど公正などと評価もされているが、あの性質は成長によって変わるようなものではない。

 他国の者から“オトマルクの腹黒王子”、“晩餐会に招かれればワインではなく条件を飲ませられる”などといった評判も、大きな功績も、周囲の者が疲弊し王宮を去ることもその性質による。

 なにをやっているのかと、軽く肩をすくめてノルベルトがきた通路を戻ろうと体の向きを変えれば、歩いてきた廊下の奥から彼に向かってくる人影が見えた。 


「……おや、先客とは珍しい」


 淡い色の美しい金髪に澄んだ空のような青い瞳は、王の直系である者が持つ色だ。

 すっと、ノルベルトは窓際まで下がって腰を落とし臣下の礼を取った。

 

「うーん、大臣……の中にはいないよねえ。けれど、どこかで見た顔だ。誰?」

「ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼンと申します。フリードリヒ殿下のような方にまさか……末端の一管理官に過ぎぬ身です」

「そう? 私が子供の頃に、ものすごく威張って廊下を歩いていた人に似ているような気がしたのだけど。でもそれなら末端ではないよねえ。まあいいや、管理官ってどこの?」


 第二王子は時折ここにやってくる。

 子供の頃も、どうやって子供部屋を抜け出してここまで捕まらずに来るのか時折見かけた。

 本当にやって来て、まさか話しかけてくるとは……どうしたものかとノルベルトは困惑したが、相手は王子だ問われたなら答えなければならない。


「内務大臣管轄の総務局管理調整部です」

「ああ、ならマーリカの上官だ!」


(マーリカの……? 随分と親しげな呼び方だが彼女と接点は例の事件しかないはず)


 着任時に彼女は官吏になるまで領地にいて、王城に入ったことがないと話していたはずだ。

 たとえ社交の季節に家族と共に王都に来ていたとしても、社交界に出ていないなら地方の弱小伯爵家の令嬢が王子と顔を合わせる機会などない。

 

(それよりも。儂から聞き出すまでもなく儂のことなどわかっているといった口ぶりだ。なにが“無能殿下”なのか。この相手のことなどすべて見透かしているような態度と考えがつかめぬ様が油断ならない……幼少の頃から)


「なに?」

「は、なにとは」

「物言いたげだから。ああ、もしかして私の頼みを大臣達がやってくれたのかな。なんとかするって言っていたから」


 くるりとノルベルトに背を向けて、フリードリヒは壁画へ向き直った。

 絵を眺めるように黙ってじっとしている。

 下がれとも言われておらず、なんとなく会話が中断したようになっておりこの場を去っていいものか迷う。

 そのまましばらく時間が過ぎて、さすがにもういいだろうといった頃合いを見て、ノルベルトはフリードリヒに一礼しその場を去ろうとした。見えなくても気配は察するだろう。

 なんとなくこの場所に足を向けてしまったが、実際に顔を合わせたところで、いまのノルベルトがなにか言えるような相手でもない。 


「調整官マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘンが欲しい」


 かつん、と。

 やけに大きく響くように聞こえた、一歩踏み出した自身の靴音に被さるように、静かな口調の声がノルベルトの耳を打ち、進行方向を向いたまま彼は目線だけを声の主へと送った。


「上官なら、伝えたほうがいいだろうからね」


 変わらず壁画を眺めているフリードリヒに、ノルベルトは息を一つ吐いて首だけを回した。

 末端の管理官風情で不敬な態度ではあるが、向こうが物申すのをよしとしてくれているのなら遠慮することはない。


「人員に関し異議申し立ては認められないと聞きましたが?」

「そう」

「認めないが、聞く耳は持つということでしょうか」

「調整は大臣達に任せてる。私は、私でなければ絶対に駄目な事以外はする気がないからね。私宛の文句があるというのなら聞くよ」


 それは私でないと駄目だろうからと言ったフリードリヒに、それではと言ってノルベルトは、片足を彼の方向へと動かして彼の方へと向き直った。


「あれはいい官吏になります、フリードリヒ殿下。取り上げるのは構いませんが、気まぐれで壊されては困る」

「私、そんなのしたことないよ」

「ご自覚がないだけでは?」

「それを言われると……反論できない。実際、周囲の者が何人か辞めている」


 やはり壁画の方を向いたまま、ふむと顎先を掴んでいるフリードリヒにノルベルトは少しばかり呆れた。

 怒るどころか、彼の言葉を認めて、なにやら思い返しているような様子で考えている。 


「うん。ええと、誰だっけ……上官殿、に言われて思い返してみたけれど」

「なにをですか」

「私が選んで辞めた者はいまのところいない」

「……左様ですか。彼女が第一号にならぬことを上官として祈るばかりですな」

「心配なら、そうならないよう約束する。どうやら円満な調整ではなさそうだ。なんなら補填くらいは考えるけど」 


 肩越しにノルベルトの方へ顔を向けてにっこりと笑んだフリードリヒに、補填は結構とノルベルトは答えた。 


「話してて思い出したけれど、やっぱり若い頃、偉そうに廊下歩いてた人だよね? あの頃はそのふさふさの顎髭はなかったけれど」

「失脚しまして、ご覧の通り、末端部署にいる老ぼれです」

「失脚したのに、その年まで残っていたとは忠義者だ」

「娘が登城する私の姿を誇っていたもので。いまは孫娘ですが。もう間もなくそれも終わる」 

「どうして?」

「社交界に出たら、若い娘はそれどころではなくなるでしょう」

「ああ、なるほど」


 フリードリヒが納得したように頷けば、二人が来た方向から複数の早足にこちらに向かってくる足音が聞こえて、静かで荘厳な雰囲気の廊下がにわかに騒がしくなる。

 見つかったと、フリードリヒが面倒そうに眉を顰める。

 赤髪の近衛騎士が部下らしき若い騎士を引き連れ、殿下っと、ノルベルトの側を通りすぎる。

 ノルベルトは再び軽く一礼するとフリードリヒに背を向けて、先に文官組織のある区画へ戻るため歩き出した。

 

「そうならぬよう、約束するか……随分と気に入られたものだ」


 しかし、これでノルベルトの懸念はすべてなくなった。

 あとは心置きなく、退官の日を迎えるのを待つばかりである。

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