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Ⅱ.管理官ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼン(1)

 総務局管理調整部は、ここ王宮や王都で執り行われる公式行事の実施において関係各所の調整や連携支援といった、いわゆる隙間仕事に従事する部署である。

 その部署を監督する、管理官ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼンは、そろそろ定刻を迎える時分であるし帰るかと気怠そうに老体を動かした。

 古参の上級事務官の青年が、軽くこちらを見た視線には気がつかなかったことにする。


「……お帰りですか?」


 しかし珍しく声をかけてきた青年に、内心おやっと、ノルベルトは訝しんだ。

 たしかデニスという名のこの青年が、ノベルト相手になにか言うことは稀である。

 ノベルトとしてもわざわざ答えてやる義理もない。

 軽く、彼へと視線を向けてやれば、書類を作成する手を止めたまま気まずそうに彼は目をそらせた。


「いえ……調整官殿が、まだ戻ってきていないようなので……」


 そういえばそうであるなと、ノベルトは胸の内で呟いた。

 現在、実質一人しかいない実務担当の調整官は、職務に忠実かつ几帳面な官吏である。

 大抵、他部署との調整で席を外しているが、ノルベルトが定刻に帰る前に一度は部署に戻ってきて報告を行う。

 止めてもいないが、ノルベルトにとっては別にどうでもいいことである。

 青年も、そう思い至ったのだろう。

 平民でも貧民街の小僧から、王宮使用人としてはほぼ最高の地位である上級事務官に成り上がったこの青年は、だからこそノベルトと同様、己の利害に関わること以外には無関心だ。


「余計なことを言いました……引き留めてしまい失礼いたしました……」


 青年の言葉に、頷くこともせずノベルトは席を立った。

 ノベルトにとって、現在の地位や職務、まして部署の人員に対する思い入れなど皆無である。

 部局長へ渡す書類が期限通りに作成され、部署の仕事が滞りなく処理されている事実だけあればよい。

 彼の監督下にある者たちが、朝早く出ようが夜遅くまで残っていようが、疲弊して倒れようが、あるいは逃げ出そうが、彼にはまったく瑣末でどうでもよいことである。

 ただし、それは彼の孫娘が十五を迎える時に合わせて申し出た、退官までのあとわずかな間に火の粉が降りかかるようなことがなければの話だ。

 たとえば、ノベルトが青年の側を通り抜けようとした時、ノックも無しに部署の扉を開け、部隊名を告げながら武官二名が部屋に押し入ってくるといった、まったく歓迎しない事態が起きれば別である。


「管理官ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼン卿。二、三確認がありますのでご協力願います。少々お時間をいただいても?」


(近衛か……なぜ近衛が?)


 ノルベルトは眉一つ動かさずに、耳を打った部隊名とやってきた武官の制服を照合した。

 焦茶色の縁取りに金糸の装飾を施した臙脂(えんじ)色の騎士服は、たしかに近衛騎士のものである。

 だが、王族の警護を主要任務とする武官が訪ねてくる心当たりがノルベルトにはない。


「……相変わらず、無礼極まりないのが武官組織の流儀のようだ。随分と不躾な申し出ですな」

「申し訳ありません。火急を要する確認ですので」

「火急……?」


 武官が無遠慮に立ち入るとしたら、証拠隠滅をさせないための不意打ちの調査か、逃亡の恐れがある者の捕縛で、たしかに火急のことではあるだろう。

 こんなことは二十一年ぶりだ。

 その頃、ノルベルトは長官職についていた。上級官吏の中でも若手でその地位につく者は一握り。

 最も勢いのある文官と評されていたが、濃紺の制服を着た武官が複数やってきた日を境にすべてが変わった。

 いまノルベルトの前にいる武官は二名。不正の調査や捕物にしては少ない。

 そもそも、この部署で不正もなにもない。

 嫌味くらいは言うが、態度としては部署に相談にくる者を通す応接室のドアを掌で差し示し、ノルベルトは踵を返した。下手に拒否しても面倒なことになるだけである。

 応接室は管理官席の左手、部屋の隅にある。

 

「一体、なんの調査で」

「調整官のエスター=テッヘン伯爵令嬢はこちらの所属で間違いありませんね」

「そうですが」


 意外な名前が、近衛騎士の口から出てきた。

 ノルベルトは平然と肯定しながら頷き応接間のドアを開けて、彼等を通し、デニスに茶などは不要だと告げる。

 近衛騎士の二名はどちらも三十をいくらか過ぎた年頃だが、年嵩に見える側の一人がノルベルトを振り返った。


「そういった規則では」

「ええ。よくご存知で」

「どうぞ、おかけください」


 ノルベルトは近衛騎士達にそう言って、後ろ手にドアを閉めた。


 *****


「――つまり、うちの調整官が第二王子執務室に入り、フリードリヒ殿下の待機命令を無視して詰め寄り、さらに殿下に危害を加えたと」

「まとめてしまえば、その通りです」


 耳を疑うどころか、あの調整官の正気を疑う話であった。

 だが、この部署に配属されてから約二年の間の彼女の様子を見れば、理解できないこともない。


(年明け頃から、他の部局が振り回されぬよう、第二王子が絡む案件にそれとなく意識を向けているのは知っていたが……愚かなことをしたものだ)


 調整官マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘン。

 正式名がやたら長い、文官組織で初の貴族令嬢の上級官吏。

 エスター=テッヘン家といえば、オトマルク王国貴族で最古の伯爵家という歴史の重み一点だけで、過去に当主も王族に仕え、重臣に連なることを許される扱いの家である。

 しかし、お世辞にも力のある家とは言い難い。

 どこの派閥にも属さず、いまや王宮と疎遠になって久しい。領地も大きいとはいえず、資力も乏しい。

 美形の家系として社交界で有名なだけの、地方の弱小伯爵家。

 上二人の娘が公爵家や侯爵家に嫁いでいたはずだが、嫁いだ家も領地経営に重きを置き、権力の中枢とは距離を置いている。

 

「少なくとも、儂や部署の意向ではありません。彼女個人の判断と考えで起こしたことです」

「エスター=テッヘン伯爵令嬢は、その立場上、王族に直接進言できる権限を持っている。その……こちらの部署は第二王子殿下と……職務の性質上、利害関係にあると言える」

「それとなく誘導したとでも?」


 言葉を濁したなと、ノルベルトは僅かに苦笑した。

 第二王子フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。

 文官組織の長にして外交他様々な公務も担うが、武官組織を束ねる勤勉実直な王太子と比べて、あまりに公務へのやる気のなさと怠惰な姿勢が目立つ。

 気随気儘な言動で周囲を振り回すことから、現場の官吏達から“無能殿下”と呼ばれている王子である。

 組織の末端で直接の接点はないにせよ、これまで何度となく彼の気まぐれに思える言動によって行事や式典の段取りを変更され、迷惑をしていることは事実だ。

 その被害の大半は調整官が被っている。


「お疑いなら、儂と部下の間でいかに会話や接点がないか、外に一人残っている事務官に尋ねればいい」

「事務官?」

「彼女は一日の大半席を外している。その日の報告は聞くが、聞くだけで特に指示することもない」

「指示することもないは、いささか誇張に思える証言ですが?」

「貴官も言った通り、彼女は“王族に直接進言できる権限”すら持つ上級官吏。組織上の部下ではあるが、官吏の区分では彼女の方が上位に属する。相談もされていないのに指示できるとでも? 総務局長ならわかりませんが」 


 部下を切ったわけでも売り渡したわけでもなく、事実そうである。

 こんなに一点の曇りもなく、証言できるというのもノルベルトとしても珍しいことである。

 また、総務局全体を束ねる局長がそんな馬鹿な指示をするわけもない。

 文官組織が序列にうるさいことは重々承知しているようで、ノルベルトの返答に近衛騎士も一応の納得を見せた。

 同時に、彼女の境遇のおかしさも察したに違いない。


(そう、配属のされ方自体がおかしい)


 仮にも、王家に仕えし臣下の上級官吏である。こんな末端組織に配属される人材ではない。

 最初は思惑あってのことかとノルベルトも考えたが、単純に前例のない女性官吏を辞めさせる意図での配置のようである。

 国王と宰相が認めてもいる者に対しありえない。なにか情報の行き違いか手違いが生じているに違いない。

 だが、だからといって関係していそうな者に、ノルベルトが親切に忠告してやることはない。

 行き違いや手違いを起こした者が悪い。 

 

(しかし、この近衛の者ども……若干腑に落ちんな……)


 話を聞くに、彼女が拘束されてからほぼ時間をおかず、近衛騎士の側で所属照会をしてここにきている。

 本人を拘束していて……人員を余分にかけて調査に動くものだろうか。

 取り調べを行なってから、裏付けで確認に来るならともかく。


(とはいえ事は重大だ。王族へ危害を加えた現行犯……考え過ぎか)

 

「まだ、ご質問が?」

「いえ、ご協力感謝します。申し訳ありませんが、エスター=テッヘン伯爵令嬢は今日はこちらには戻らないことご了承ください。事と次第により今後も戻らない可能性もあります」

「そうでしょうな。彼女以外にも他部局兼任の調整官が三人いる。こちらは特に問題はない」


 必要なら、人事院を通じて呼び戻せば済む話である。

 どうせ兼任先でも大した仕事はしていない、そこまでの能力がある者達ではない。


(人員としては、彼女がいいがな) 


 胸の内でひとりごちて、ノルベルトは立ち上がった。


「なにかあればお知らせください」


 応接室のドアを開け、招き入れた時同様に、彼は近衛騎士達へ退室を促した。


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