Ⅰ.事務官デニス・ベック(2)
夕方になってようやく戻ってきた新任調整官が険しく眉間に皺を寄せているのを見て、デニスは各所から回収した書類を確認しながら、声をかけることもなく内心呆れていた。
(またどっかの部局の間で板挟みか? ご苦労なことだ)
せっかく綺麗な顔した高位貴族令嬢なのだから、にっこり笑って甘えるなり見返りちらつかせるなりしたら、そこまで面倒なことにならないだろうに。
(ま、そしたら、永遠に下に見られるだろうけど)
文官組織の官吏は男性で占められる。
初の女性の上級官吏だから、「やっぱり女は」となるに決まっている。
無愛想でも見返りは提示できることを考えると、それはしないで面倒を選んでいるようだ。
またあくまで新任の調整官として関係各所と話し、権力を振りかざすことはしないらしい。それはそれで、馬鹿にされているようで苛々させられるといった声を聞く。
どう出ようが、気に食わない人間には気に食わないのである。よくあることだ。
(お嬢様にしてはわかっているが……)
上手く立ち回る術を持たないのは、それはそれで無策の愚か者である。
マーリカという名の新任調整官が配属されて早くも三ヶ月が過ぎるが、デニスが知るかぎり彼女の味方になりそうな官吏はいまのところいない。
聞こえてくるのは、彼女に対する反感と悪口ばかりだ。
まずなにより先に聞こえるのが『可愛げがない』。
次いで、『愛想がなくて小賢しい』、さらに『小娘が偉そうに』と。
他はもう数限りない文句であるが、まとめると『女のくせに生意気で腹立つ』に尽きる。
デニスも、彼女を助けていないだろうなと何度も確認され、書記官の自分の仕事以外で関わる気はないと答えている。迷惑な話である。
(なまじ顔が綺麗で塩対応だから余計にって感じだな。『若い女』ってところでしか攻撃できない奴等も情けないけど)
『わかってない』『できない』『使えない』といった類の言葉はほとんど聞こえてこない。
さすがに要職につける資格を持つ上級官吏だけあって、新人調整官殿は大層できる人のようである。
(実際、予想を裏切ってよくやれてるよ。引き継ぎだって皆無なのに)
配属初日に彼女が上官である管理官から受けた説明は、「各種行事や催事の情報を関係各所に連絡し、要請や必要に応じて連携支援をする。以上」である。
業務についての具体的な説明にもなっていない。
翌日からは完全放置。一応兼任なはずの調整官の三人は一度も顔を見せていない。
デニスも、他の調整官はどうやって仕事をしていたのか尋ねられたが、関わらないと決めていたため「さあ、書記官ですから」の一言で済ませた。
なにか言われるかと思ったが、「そうですか」の一言で少し考える様子を見せて部署の部屋から出ていった。
あまりの仕打ちに泣きたくなったかと思ったら、小一時間ほどして台車に大量の綴じた書類をのせて戻ってきた。
なんだと思わず尋ねれば、文官組織の記録保管庫から昨年一昨年の記録を借りてきたそうで、その日は一日中、過去の書類を読み耽っていた。
(辞めるってなるどころか、こっちに仕事押し付けることもなく淡々とやってんだよなあ……たしかに“可愛い気”はない)
デニスは再びちらりとマーリカを見た。
彼女は管理官席の正面に、机を四つ並べた島の片隅を使っていてデニスに背を見せる位置にいる。
多少様子を眺めていても気づかれる心配はないだろうが、気にしてくれていると誤解され頼られても困る。
三人いた管理官は、彼の予想通りにこちらの部署に一切顔を見せなくなったが、いまも兼任扱いではあるので席だけは残されている。
そのことについて彼女はどう思っているのだろうか。
不平不満や愚痴もこぼすことはないためわからない。
(初日に借りてきた昨年一昨年の記録見ながらやってるようだけど)
黒髪を地味に固くまとめ、姿勢良く座る姿は文官というよりは騎士のような凛々しさがある。
すっかり見慣れてしまったが、着任初日から彼女は貴族令嬢が着ているようなドレスではなく男装で現れたのには驚いた。控えめな色味の、刺繍もない上着を羽織った文官の服装。
さすがに高位貴族らしく絹ではあるが、王家に仕えし臣下の上級官吏にしては随分と地味である。
(黒髪黒目だからか、最近じゃ“鉄の女”なんて言う奴もいるし)
静かで、無駄のない動作で仕事をし、表情は常に冷静沈着といった考えが読み取れない無表情でにこりともしない。
声は王宮内で見かける令嬢と比べやや低く、落ち着き払った調子で話す。
細身で男性同等に背が高く、顔はデニスが見たことがないような美人だが、あまり女性と意識させない。
歳は十八らしいが少女といった感じでもなく、貴族女性というよりは顔が綺麗な貴族令息の少年といった雰囲気だ。
そんな彼女は机に結構な厚みで積まれた書類を手に取って目を通している。
(配属三日目に出た会議で揉めた時も、その場にいた知り合いの下級事務官の話じゃ怯みもしなかったらしいし)
王家所有の小宮殿を使い、国内の有識者を集めて行う教育振興会議の警備と使用区画のことで揉めたらしい。
元々予定していた部屋でなく、非公開の部屋を使いたいといった、第二王子付秘書官からの要望あっての会議。
口論をはじめた、警備担当の衛兵部隊班長と小宮殿を管理する宮内局の監督職にマーリカは挟まれた。
口論の内容自体は、普段封鎖している場所を開放するしないといったことで実にくだらない。
宮内局は、整備局と財務局と合わせて既得権益の面で力が強い、文官組織内の三大厄介部局の一つだ。
手続きが煩雑な仕事が多い部署なのもあるが、面子や縄張り意識が強く、他部局のためになにかするのを嫌がる。
一方、武官組織にとって最優先されるべきは、王族や会議の参加者の身の安全だから、そんなこと知るかではあるだろう。
粛々と準備をしていたら、突然部屋を変更しろと言ってきた王族に対する鬱憤もあって、双方から完全に八つ当たりで怒鳴られたあげく、双方をとりなそうとして宮内局の監督職に突き飛ばされて会議室の机ごと床に転倒したらしい。
(普通、お嬢様なら怖がって泣くか、無礼って目茶苦茶に怒るかのどちらかだよな)
いかに横柄な宮内局の監督職でも、女性相手にそれも自分より階級が上の官吏にやってしまったと思う。
他の者も同様。しんと静まり返った室内で、マーリカは無表情に黙って立ち上がり揉めていた二人を見て言った。
『折り合いはつきそうでしょうか』
知人の下級事務官曰く――会議室に吹雪の幻影が見えて、会議の参加者全員が凍えたような顔をしていたらしい。
それくらい冷ややかな声音と、およそ自分の倍はある年齢の男二人を睥睨するような眼差しだったそうで。
黙ったまま固まっている二人に、彼女はなにか提案をし、その方向で調整すると話はまとまったらしい。
宮内局の文官は、会議後、あの小娘に嵌められたと息巻いていたそうである。
(……怖っ。鉄って呼びたくもなるな)
妙に神経が太いというか、肝が据わっているというか、王家の重臣たる者はやはり強靭な精神の持ち主なのだろうかと、デニスはその時思ったが、三ヶ月彼女の様子を見ていて間違いだと気がついた。
(単に職務意識が恐ろしく高くて有能なだけの、ただの不器用――)
どうも動揺が顔に出ず、デニスが王宮内で見かける令嬢のように無意味ににこにこしているのが苦手だというだけなのだが、その真面目で揺るぎない佇まいと整った容姿で誤解を大量発生させている。
「顔が怖いですよ、調整官殿」
「え、あっ……申し訳ありません」
ぼそりとデニスが呟けば、書類を確認する手をとめてマーリカは何故か恐縮する。
平民……それも貧民上がりの事務官なんて、彼女のような身分の人間にとっては虫けらのような者に対し。
(別に謝るところじゃないけど……)
仕事に関しては、長年勤めているデニスから見ても、とくに取りこぼしはない。
基本的に行事ごとは例年時期が決まっている。
時期をずらした視察なども確認していて、しなくていいのにデニスに情報共有してくれていた。
「いきなりこんな部署に配属させて、人事院もなに考えているのでしょうね」
「単独で多くのことを判断できる裁量があるからでしょう。文官組織の人手不足はとても深刻なようですから」
「裁量だけあっても仕方がないのでは」
「そうですね……」
(そうだよ。だからさっさと人事院に別の部署へって訴えた方がいいって)
お互い仕事の手は休めない会話で、つい、促すような言葉をデニスはマーリカに投げかけてしまう。
文官組織の官吏は男が占めているとか、貴族女性では初の上級官吏であるとか、そんなことは下っ端の人間にとってはどうでもいい。
(もっと上の、いい立場でそれ以下全体を楽にしてくれって。それができる身分なんだから)
無用の仕事は頼まず、定刻を過ぎればそれとなく気遣う声までかけてくれる。
そんな官吏は、これまでデニスの周囲にはいなかった。






