Ⅰ.事務官デニス・ベック(1)
人事院もえげつないことをする。
王宮で働く上級事務官のデニス・ベックは、彼が所属する部署に通達された人員整理の説明を聞いてそう思った。
管理官殿の昼寝のいびき以外の声を聞いたのも久しぶりであるな、とも。
「迷惑な……」
同時に、小さく口の中で呟いていた。
舌打ちしなかったことを褒めてもらいたいくらいである。
何故ならただでさえ人手不足の部署であるのに、三人いる中級官吏の調整官が全員、他部局兼任になったのだから。
しかも、兼任の部局優先らしい。もうこの部署には顔も見せないに違いない。
替わりに新たな人員が一名配属されるが――。
「ど新人の、お嬢様って……」
雲の上にいる偉いお方の肝入りで、伯爵家のご令嬢が上級官吏に登用された噂は耳にしていた。
それもただの上級官吏ではない。「王家に仕えし臣下」がその前に添えられる。
中級官吏以下を束ねる監督職どころか、重臣として長官級以上の国の要職につく資格を持つ官吏。高位貴族でも名門と呼ばれる家か、余程の功績をあげた家の当主やそれに準ずる者でなければ認められないと聞く。
(無関係だと思っていたのに)
デニスの部署は、そんな華々しい人材がやって来る所ではない。
文官組織の中でも劣悪多忙な激務部署である上に、管理官は失脚して長官職から転落した訳ありである。
しかし、謁見の間で国王陛下による任命が実施されているから、そのご令嬢に難があるとは考えにくい。
(まっ、十八やそこらのお嬢様が自分より階級上で出世も約束されているなんて、どう考えても大半の官吏は面白くはないよな)
いくら上級官吏が大きな裁量を持っていて、大変な狭き門を通り登用される優秀な人材だったとしても。
勤続数年以上の中級官吏三人と、新任の上級官吏が一名では、さすがに等価にはならない。
(これはあれだ……完全にそのお嬢様を辞めさせるための人事院の企みだ)
こんなわかりやすい人事異動と配置、誰もそのお嬢様を助けるなと言っているようなものである。
デニスにとっては迷惑すぎる。
必要最低限の働きしかせず、仕事をデニスに押し付けるしか能がない官吏であってもいないよりはマシだ。
「では、よろしく頼む――」
誰がこようが、この部署がどうなろうが無関心そうな様子で言って、管理官は彼の席に着いた。
デニスのいる部署は、内務大臣管轄の総務局管理調整部――ここ王宮や王都で執り行われる公式行事の実施において関係各所の調整や連携支援を行う部署である。
調整官は、各種行事が円滑に行われるよう関係各所へ準備に関する事項や要望を連絡して、了承の言質を取り、どのような行事がいつどこでどのように実施されるか情報を管理するのが仕事だ。
(無理だろ。新人じゃあ、どう考えても)
ただただ情報伝達をし、各所に無理難題への対応を依頼するだけで、自分達は準備になにか手を動かすわけでもない。どの部署からももれなく疎まれ、利害が相反する部署の間で板挟みになる損な役回りの仕事である。
おまけに関わるのは部下を持つ監督職以上の官吏で、下っ端相手とも言えない。
(それも三人がかりでやっていたのを一人……相当だな)
同じ部署で働く書記官といえど、なるべく関わらないでおこうとデニスは心に決める。
うっかり手助けしていると付き合いのある官吏に思われたら、こちらの立場が危うくなる。
官吏だけじゃなく、他の書記官や雑務を請け負う者達だって油断ならない。
薪運びの貧民の小僧から、上級書記官に成り上がったデニスを、内心妬む者がいるのは百も承知だ。
上級事務官といっても、所詮は官吏ではない王宮職員にすぎない。
デニスはまだ二十歳の青年だが、五歳の頃から王城に出入りし働いている。官吏の揉め事に巻き込まれて仕事をクビになり、とばっちりで理不尽に減俸や降格させられた者を何人も見てきた。
トカゲの尻尾切りで本当に処分された者も稀にいる。
書記官として働いているのは五年程だが、そこらの中堅官吏などより文官組織の現場について精通している自負がある。多くの部署で彼と付き合い、彼に借りがある官吏や職員もいる。
(ったく、ここにきて。ようやくつかんだ人生安泰、邪魔されるのはごめんだ)
デニスは王宮内配達で届いた書類の仕分けに戻った。
退屈そうに頬杖をついて、彼の認めを必要とする書面をめくっては署名を入れる仕事を始めた管理官を横目に、お貴族様は幽閉や処刑さえされなきゃ、住むところや食うに困ることないんだからうらやましい限りだと思う。
(失脚して、家ごと落ちぶれたって言っても、平民から見ればいい暮らしで、官吏として王宮に残れてんなら退官後も恩給が貰えるんだから……)
王宮職員と官吏は明確に区別されている。
王宮職員はたびたび出る求人に申込み、初等学校で習う程度の読み書き計算ができて、人物に問題なしとされれば採用される。仕事の秘密を守り、王宮の規則に従う服務規定はあるものの大した制限はない。
休めばその日の給金はなく、雇用は一年ごとに区切られ継続できるかは評価次第。
一方、官吏は王家への忠誠義務と王権の代行者として職務義務を負う。
立場や役職によって色々と制約や制限がある反面、高給と手厚い保障や階級に応じた特権もあり身分も守られる。
同じ場所に働いていてもまったく別物だ。
平民が官吏になることは難しい。官吏は上級・中級・下級の各等級ごとに、必要となる修学歴や技能などの条件が決められていて、登用試験に合格し人物審査を通過しなければなれないため、ほぼ貴族か裕福な家の者に限られる。
(平民が働かずに、何年も学校通って勉強だけできるかっての……全員通わされる初等学校ですら仕事しながらのやつが多いのに)
何事もなく二年後の退官を待つばかりの管理官を、再びデニスはちらりと見た。
本当にきちんと書類を読んでいるのかはわからないが、一応最低限の仕事はする。
書類は書記官であるデニスが作成したか、あるいは他部署から回収されたのを彼が不備はないか見ているものだからおそらく心配はない。
間違いがあれば冗談では済まないから誰のせいか追求され、デニスの立場や待遇が危うくなりかねない。
どんなにくだらない、ふざけるなと思っても、引き受けた仕事で手を抜いたことはない。
だからこそ彼はいまの職にありついているのだから。
(とにかくそのお嬢様がどんなに困ろうが、必要以上に関わらない)
おそらく人事院からの通達を説明した管理官も、同様のことを考えているはずである。
こうして歓迎されざる新入りの上級官吏、マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘンなる、正式名がやたら長い貴族女性を受け入れることになったのである。






