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挿話12.回廊にて

 王立科学芸術協会(アカデミー)には、美術学校が併設されている。

 王家も所有の美術品をいくらか資料として寄贈している。そのようなつながりもあって、年一度開催される美術展の審査にフリードリヒも名を連ねている。

 公務に対するやる気のなさと、現場を振り回す気儘さで“無能殿下”と官吏達に揶揄されている文官組織の長。

 第二王子フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルクは、審美眼と鑑定眼に優れていると一部で評されている。

 様々な貴族令嬢達と交流を持ち、王都の流行を作り出したことも一度や二度ではない。


「楽しみに類することはそこそこ熱心だからね、兄上って」

「はあ……昼餐会に私の挨拶なんていらなくない? 美しいもの美味しいものは好きだけど、仕事と混ぜるのよくない」

「そう言わずに、協会との関係や美術展の権威付けも一応あるからさ」

「受賞の式典への出席で十分でしょ。マーリカいないし帰りたい」

「兄上〜、勘弁してよ。それにマーリカは兄上との婚礼支度の相談で、義姉上(あねうえ)が呼んだ商会の人達と忙しいの!」


 筆頭秘書官として連れ立って、美術展の絵が展示されている協会の建物と美術学校を繋ぎ、その庭を眺められるように巡らされている回廊を歩きながら、アルブレヒトはため息を吐く。

 他の関係者はとっくに会場に集まっていることだろう。

 時間に遅れてはいないが、控え室でだらだらと過ごした上、折角だから展示されている絵も見ながら行こうと、通常通る廊下を外れて大回りしている。


「アルブレヒトでもよくない? 第三王子だし」

「審査に入ってるの兄上でしょう。今日の僕は、あくまで秘書官の立場だから」


 この兄に公務や諸々の仕事を漏れなくさせているのだからマーリカを尊敬すると、アルブレヒトは自分と同い年の王族の公務補佐官でフリードリヒの婚約者のことを考える。


「私、昨年以来、ここの偉い人たちから煙たがられているみたいなのだよねえ……」

「誰に相談も根回しもなく、抜き打ち摘発なんてするからでしょう」


 昨年の夏、王宮の官吏と協会が雇用している事務官が結託し、王家の小品がいくつか不正に横流しされていたことが発覚した。珍しくフリードリヒが直接摘発に動いた件だった。

 王立科学芸術協会アカデミーは、王の名の下に設立されている王立の組織ではあるものの、様々な知識や技術を王家の勝手都合で専有しないよう、学術的な権威による独自の権限を与えられていて王子といえどもそれを蔑ろにすることはできない。昨年の不正は王宮の文官も関わっていたから、表向き問題になっていないだけだ。


「おかげで刺激しないよう、護衛もアンハルトだけになって」 

「そう言われてもねえ、大祖母様の気に入りの小品が散逸しても困る……ん?」

「ん?」


 不意に目線を廊下の少し遠くへ移して止めたフリードリヒに、彼との会話に少し呆れながら並んで歩いていたアルブレヒトはなんだろうと、その視線の先を追った。

 回廊の庭に面する側とは反対側の壁にかけられた、なかなか大作の絵であった。

 弦楽器と弓を持ち、長い茶色の髪と衣装を風になびかせ、厚い雲海に覆われた岩山に降り立つ乙女の後ろ姿が描かれている。

 絵の額に『雲海の聖山に降り立つ技芸の女神』と刻まれた小さなプレートが嵌め込まれていた。


「へえ、これはまた」

「兄上?」

「正面から描いてない分、好奇心を掻き立てるねえ。肖像画で有名なマティアス・フォン・クラッセン卿が描いた乙女は誰かと」

「マティアス・フォン……ああ、王立科学芸術協会アカデミーが招聘したっていうマーリカの親戚の……」

「それを抜きにしても、雲海に垣間見える岩肌の壮大な自然の風景に向き合い、顔を見せずなびく髪や服が半ば雲に紛れて消え入りそうにも見える女神の後姿だけなんて、なかなか大胆な」


 絵の正面に立って歩みを完全に止めたフリードリヒに、アルブレヒトもつられたように足を止めて絵を見上げる。

 正直、芸術方面は教養範囲で、実務面に長ける王子であるアルブレヒトにはよくわからない。


「それでいて王立科学芸術協会アカデミーが弾かない、見る者を圧倒させる荘厳さと内省的な趣。さすがに各国の宮廷からお呼びがかかるだけはある……クラッセン教授(・・)

 

 くるりと振り返ったフリードリヒに、アルブレヒトも首を回せば、亜麻色の波打つ髪を後ろで一束にした三十絡みの中性的な容貌の男が立っていた。

 深く澄んだ緑色の瞳の、男であるのに美人といった形容の方が合いそうな容貌が、どことなくアルブレヒトと共にフリードリヒに日頃振り回されている文官令嬢の姿と重なる。


「フリードリヒ殿下からお褒めいただけるとは」


 復活祭期間、アルブレヒトはフリードリヒから視察や式典などの公務を半分を引き受けていたため、色々と話を聞いてはいるけれど、実際に見かけたのはこれで二度目。

 一度目は、公国の官吏や特使を受け入れた際の夜会の場である。

 たしか従兄(いとこ)だと聞いているが、親戚だけあって似ている。目元のあたりなど特に。

 ただマーリカより、なんだかちゃらちゃらとくだけた感じの男だとアルブレヒトは思った。 

 目に染みる鮮やかさの青い上着は袖に腕を通さずに肩に羽織り、襟周りをひらひらしたフリルで飾る絹のシャツに派手な色のクラバットを緩く結んでいる。


「アンハルトも連れているのに、メルメーレの貴族がよく私とアルブレヒトの背後に立てるよね」

「王立学園の一件では調査に協力。それにクリスティアン卿をはじめ、フリードリヒ殿下付きの騎士の方々とはすっかり顔見知り。警戒対象からは外してくださっているはずでは?」

「まあね」


 マティアスの側だけでなく、フリードリヒの側も随分と気安い様子であるのは、王立学園の視察に同行した公国貴族であるからだろうか。それともマーリカの親族だからか……親族の方はむしろ警戒しそうだけどと、フリードリヒのマーリカへの執着心を知るアルブレヒトは考えて、あまり口を挟まない方が良さそうだと判断した。

 厄介事とは適度に距離を取って回避する能力が高いのは、アルブレヒトの長所の一つである。


「加えて私の身元は王立科学芸術協会アカデミーはもちろん、国王陛下にもお認めの証書もいただいている。殿下も行く先々で近づく貴族を排除しているわけではないでしょう?」

「そういえば……夏期の特別講座だけじゃなく、秋から正式に一員だって?」

「なかなかに良い条件を提示いただいたもので」

「それだけ?」

「もちろん。あまりのんびりされていると昼餐会に遅れるのでは? それではまた後ほど、フリードリヒ殿下」


 公国式なのか、マティアスは見慣れない型の礼を見せて飄々とした足取りでフリードリヒとアルブレヒトから離れ、回廊の途中で庭を横切りどこかへ行ってしまった。

 それを目でずっと追ってアルブレヒトは、彼も昼餐会に出る人なのにねえと肩をすくめたフリードリヒに話しかける。


「なんだか掴みどころのない人だね」

「目下、エスター=テッヘン家の後継第一候補で連絡役。あとは自称マーリカの師?」

「なに、それ……?」

「食えない人だけどね。マーリカを一族外に出したくないようだし」

「……大丈夫なの、兄上」

「なにが?」

  

 なにがって……どう考えも厄介そうじゃないとアルブレヒトの胸の内の呟きが聞こえたように、なんの問題もないとフリードリヒは笑んだ。


「マーリカの父親も認めている以上、外野がどうこうできるものではないよ」


 懐が深いのか、あまりなにも考えていないのか、兄フリードリヒのこういった鷹揚なところはアルブレヒトにはいまだによくわからない。


「それにマーリカのこと色々と教えてもくれる。結構親切な御仁だよ」

「兄上がいいならいいけど……」

「気乗りはしないけど行こうか、持てる技術を駆使して食事はいいからねえ、王立科学芸術協会アカデミーは」


 すたすたと再び回廊を歩き出したフリードリヒの背を早足で追って。

 無事結婚まで辿り着いてよね、本当に……と、アルブレヒトは小さくひとりごちるのであった。


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