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挿話9.厄介な男

 近衛騎班長アンハルト・フォン・クリスティアンは、その日、いつも通りに第二王子にして文官組織の長であるフリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルクの護衛として、彼の執務室の窓辺に控えていた。

 近衛騎士は王族の護衛が主要任務、関連して王城内の警備を含みはするがそちらは衛兵部隊の所轄である。

 文官組織ほどの複雑さではないものの、武官組織も王国騎士団だけでなく様々な部局が存在する。

 近衛騎士隊は王国騎士団の配下にあり、その任務の質ゆえに武官組織や王国騎士団の中でもそこそこ良い貴族の家の者が多い。ちなみに最高指揮官は武官組織の長である王太子ヴィルヘルムが兼任で就いている。

 そのため騎士団総長の息子であるアンハルトが所属し、王族付の班長を任されていても不自然ではない。

 少年の頃、王太子ヴィルヘルムの側近の第一候補と目されていたことを除けばではあるが、忌憚なく言葉を交わす親友と呼べる間柄であるのは周知の事実なので、王太子も了承のことなのだろうと認識されている。

 アンハルトとしても余計な詮索はされず、好都合である。

 勤勉実直にして父親に負けない威厳ある王太子の、用心深さと兄バカぶりを知る者は少ない。

 

「はあ……暇だねえ。アルブレヒトもよくやってくれるけれど、やっぱりマーリカがいるといないとでは全然違うよねえ」


 いや、文官組織は絶対そんな暇じゃないだろと言いたいところを飲み込んで、アンハルトは黙って執務机でのんびりお茶を飲んでいるフリードリヒを見る。

 大方、マーリカことエスター=テッヘン公務補佐官が、フリードリヒでなければ絶対に駄目な仕事以外を仕分けし、フリードリヒの筆頭秘書官を中継ぎで兼任している第三王子のアルブレヒトとで手分けして処理しているに違いない。

 特に大きな案件もなく事件も起きていない平時であれば、フリードリヒが直接処理しなければならない仕事はそれほど多くない。同じ王族で決裁権を持つアルブレヒトが補佐についていれば、それも大半片付いてしまう。


「なに? アンハルト」

「エスター=テッヘン殿はどうしたのかと。朝から一度も姿を見せないのは珍しいので」

「今日は、母上の貸切でね」


 なるほど、それでかとアンハルトは納得した。

 おそらく文官組織の現場の官吏達に影響を及ぼさないよう、彼女が第三王子と協力して本日分の仕事になりそうなことは先回りして処理したのだろう。

 肩をすくめてアンハルトの疑問に答えたフリードリヒも、承知しているようだ。


「しかし暇すぎる……」


 暇なら、人に丸投げしている仕事を確認するなり、今後の彼が手がけることの下準備でもすれば、彼の婚約者でもあるエスター=テッヘン公務補佐官が本当に泣いて喜ぶのではないだろうかとアンハルトは思うが、それはしないフリードリヒであることもわかっている。

 子供の頃から付き合いのあるアンハルトの親友の弟は、かつて神童と呼ばれた頭脳と資質に恵まれながらも、まったくそれを役立てる気がない怠惰な人間である。

 もっといえばその怠惰さゆえに、真っ当な王子としてやっていけているかなり厄介な人物だ。

 フリードリヒは常人が持つ善悪の境のようなものがなく、情動的共感に乏しい。

 いわゆる人の気持ちがわからない。

 ただ恐るべき頭脳で人の心理を推察し、理解することはできる。

 善悪等しく躊躇いもないため、一歩間違えれば、人を操り恐ろしく冷血非道なこともする権力者になりかねない。


(近頃そうでもなくなってきたかと思ったが、メルメーレ公国やバーデン家の件でやはりそうでもなさそうだと認識をあらためた)


 フリードリヒの親である国王王妃夫妻と兄の王太子ヴィルヘルムは、フリードリヒを王子として社会適応させるため、とにかく愛情深く彼を構い、他の王子教育を蔑ろにして構わない勢いで道徳倫理を教育した。

 おかげで天真爛漫で人懐っこく、温厚公正な王子となっている。

 教育の力は偉大であるなとアンハルトは思う。

 フリードリヒ自身も己の危うさを自覚しており、「平穏で安穏な人生を満喫したいから」と注意していることもあるが、それも含めて。

 彼の怠惰の九割は生来の性質だが、一割はうっかり王族としてよろしくないことをしてはまずいから、人に任せられるものは任せるといった故意である。

 しかし、本人の意思とは関係なく、かつての恐るべき神童の片鱗は時折顔を出し、概ね王国の繁栄に寄与する功績に結びつく。

 また、人の思惑にも立場にも左右されない高潔にすら見える公正さは、彼の支持者を作る一方で敵も作りやすい。

 だからアンハルトはフリードリヒ付の護衛騎士となっている。

 彼の本当の主、王太子ヴィルヘルムに王族の中で最も内外から狙われている第二王子の護衛を命じられている。

 アンハルトの本当の肩書は諜報部隊第八局長――公安と対諜報を担当する武官組織の精鋭部隊を管理する、王太子ヴィルヘルムの秘匿された側近である。


(しかし、隠れた護衛だけ数えても陛下と私の本職の部下で常時四人。近衛として護衛する私と部下が昼夜交代で常時三人……ヴィリも兄バカが過ぎるというか過保護というか)


 もっとも隠密性の高い護衛の役目はほぼ監視で、非常事態の伝令と万一の危険の際に身を挺した守りに特化されているから、めったに表に出て動くことはない。

 

(それに陛下の手の者は、とうの昔にフリードリヒ殿下によって“調教済”。陛下への報告の一部は彼の判断で後回しにされている……私も護衛について数秒でヴィリの命だと見抜かれた)

 

 フリードリヒについてつらつらと考えていたアンハルトだったが、不意にフリードリヒが私信らしき手紙を読みながらトントンと人差し指で執務机を叩いたのに、はっと我にかえる。 

 内密の話がしたいから人払いしろといった指示である。

 アンハルトは共に護衛任務につく近衛の部下を理由をつけて部屋の外へと出すと、渋面も露わにフリードリヒを見た。アンハルトがヴィルヘルムの密命で付いていることは、一応、フリードリヒは知らないことになっている。


「そう便利に使われても困るのだが……フリードリヒ殿下」

「人間、暇だと、ろくなことをしないねえ」


 フリードリヒの言葉にアンハルトは思わず眉を顰めた。

 メルメーレ公国の動向やバーデン家の不祥事の調査もようやく落ち着いたというのに、またなにか面倒事だろうか。

 そもそもこの第二王子は一体どこでどう情報を拾ってくるのかさっぱりわからない。 

 

「それは誰のお話で?」

「ん、私」

「は?」


 頭の後ろで両腕を組んで、フリードリヒは椅子の背もたれに行儀悪く寄りかかってそう答えると、少し離れた場所に立って彼の返答に反応したアンハルトを仰ぎ見て目を細める。


「だから暇でつい……私と出会う以前のマーリカのことが気にかかったから」

「……調べたと」

「まあね」

「彼女が秘書官に着任した際に、身辺調書を読まれたのでは?」

「兄上はそういうのは絶対見せてくれない。それに私も知る範囲の内容だろうから読むまでもない」

「……そういえばエスター=テッヘン殿が、時々気味悪がって殿下に文句を言っているな」


 つい、長い付き合いの友人の弟に対する口調に戻って、アンハルトは呆れた。

 本当にこの厄介な王子に気に入られてしまった彼女が気の毒である。

 だが、あのひたむきな忠誠心と献身を向けられれば、心惹かれるのもわからないでもない。


「それにマーリカがどうだったなんてことはいいのだよ。出仕前はなんでもない伯爵令嬢だろうし。重要なのは出仕後の私が知らない間のマーリカを見ていた者だ」

「エスター=テッヘン殿が、本気で怖がって怒る類のやつだな……」

「最近、社交の場にも出るようになったから色々と話が出てきてね」


 実は、エスター=テッヘン家の三女マーリカは、出仕前の情報がとても少ない令嬢である。

 エスター=テッヘン家の教育で様々な国に遊学しているが、出入国の記録すらろくにない。

 おそらく親類側が、外交権限かなにかで迎えにきていたのだろう。

 地方の弱小伯爵家などとはとんでもないことで、たしかに権力の中枢から距離を置いてはいるものの、エスター=テッヘン家は王国建国のはるか昔から続く家である。

 大陸の大半の国にその家系を広げ、一族の持つ所領を集めれば影の大国といえる規模となり、その謎の影響力はごく一部の為政者達の間で超外交案件扱い(触れるな危険)とされているものだ。

 そんなエスター=テッヘン家で“本家の姫”と扱われていただけあって、彼女はいわゆる“深窓の令嬢”である。

 一族の者以外と交流もなく、デビューの歳に風邪をこじらせたらしいが社交界にも出ることもなく官吏になった。


「マーリカを官吏に登用するかの審査で、父上とメクレンブルク公から口頭試問を受ける面接を終えた後、気が抜けたのだろうね……廊下の床にへたり込み涙目になって震えていたらしい。十八歳の令嬢に圧迫面接ひどくない?」


(圧迫面接はひどいと思うが、そんな過去情報を調べるのもかなりひどい)

 

「どのようにそのような情報を拾うのだか」

「令嬢達の噂話は侮れないのだよ」


 枕にしていた腕を下ろし、読んでいた手紙をひらりとアンハルトに向けて掲げてフリードリヒは、例えばこの手紙の送り主のご令嬢曰く……とアンハルトに説明しだした。


「“友人のお兄様が衛兵で、王宮の廊下で見かけたあまりに儚げで可憐な令嬢に一目惚れしたものの、どなたかもわからずもう三年も縁談そっちのけで探していらっしゃいます。最近ふとお聞きしていた容姿がマーリカ様のような気がしてならなくなりまして……”って、問い合わせが十日程前に届いてね」


 情報の出所がわからないはずだと、彼は緩く首を左右に振った。

 フリードリヒの情報のいくつかは、こんななんでもない手紙や社交の場で挨拶がてら交わした会話などから推察したものなのだろう。そればかりでもなさそうでもあるが。


「それで出会った場所を確認したら、王の間の前だった。あの部屋に年若いご令嬢なんて近づくことすら出来ない。時期的にみてもマーリカだろうね」


 怒った時も涙目で震えるけれど可愛らしいから見たかった……などと悪趣味なことを言っているフリードリヒにごほんと咳払いしてアンハルトは彼を軽く諌めた。

 彼女の側はフリードリヒにだけは、絶対見られたくも知られたくもないと思うに違いない。


「それで私になにを? フリードリヒ殿下」

「問い合わせてきたご令嬢の恋心のためにも、きっちり諦めてもらわないとね。できれば記憶も消したいところだけれど……さすがにそれは無理だからねえ。罪もない衛兵を消すわけにもいかない」

「さらっと、恐ろしいことを言うな」

「それとなく伝えてあげてよ。衛兵ならアンハルトは仕事上近しいだろう」


 人払いまでして、ものすごくくだらない用件であった。

 真面目に面倒事を警戒したのが馬鹿みたいであると、アンハルトは肩を落としてため息を吐く。


「なにを頼まれると思ったの?」

「なにかの元凶を探れかと」

「そんな面倒なこと、マーリカが関係なければ頼むわけがない」


 エスター=テッヘン殿が絡んだら頼むのか……と、アンハルトは胸の内でひとりごちる。

 初めは気に入りの官吏程度かと思っていたが、よくよく考えると着任当初から彼女の知らないところでフリードリヒはあれこれと手を回している。

 王宮の暗い部分に彼女が近づきそうになった時、高官連中が度を越して彼女を使おうとした時など。

 目を付けた時から大した溺愛ぶりであったのだなと、気づかせなかったことも含めてアンハルトは驚く。


「……愛しているのだな」


 感慨深いと思わずそう言ったアンハルトだったが、フリードリヒが日常的に浮かべる微笑みの表情を見てすぐさま愚かなことを言ったと彼は思った。

 そうかもしれないが、そうではないかもしれない。

 正直、アンハルトはマーリカが心配であった、フリードリヒの溺愛は彼の性質同様危ういものを感じる。

 そう思っていた、が。

 見慣れた微笑むような表情が、きょとんとなにかに少し驚いた子供のようなものに変化して、軽く拳に握った右手を顎にそえてうーんと小さく唸ってフリードリヒが俯いた。


「どうだろうねえ。こう……マーリカでないとと思うようなのが、アンハルトが言うところのそれにあたるか、比較するものもないからわからないねえ」


 本当にわからないといった様子で、眉を顰めて考え込む姿を見せるフリードリヒにアンハルトは呆気に取られた。

 比較するものといった発想が、いかにもフリードリヒらしいがそんなものはないことをアンハルトは知っている。


「私だって誰だって替えはきくのだから、そんなことは実際ないとも思うのだけれど……」

「……」

「けれど、私が王子としてよろしくなくなるのを、私よりも早く気がつき刺し違えても、私を正しく王子でいさせてくれるのはマーリカくらいだろうね。それも込みで彼女は側にいてくれる」


 うん、とフリードリヒは一人納得するように頷くと、アンハルトへ目を向けた。


「アンハルトが知ることをなにも知らないのに、私の前に突然現れた時から一貫して、王子の私(・・・・)ではなく、王子である()に仕えてくれるマーリカがいなくなったら、もう私は色々と駄目になるのは間違いないだろうね」


 はあああもうっと、突然フリードリヒは頓狂な声を発すると背をそらして腕を伸ばし、やはり暇だと人間ろくなことはしないとぼやいた。


「アンハルトに話すようなことでもないことを話した……兄上に報告なしだから、絶対面倒なことになる」


 もちろん報告にいれるつもりはアンハルトにはなかった。

 また少し驚いてもいた。

 他者には入り込めない信頼関係のようなものがあるとは思っていたが、彼女はフリードリヒの本質を知る前から察していて、そんな彼女がいなければやっていくのはもう無理であるといった思いがけないフリードリヒの告白だった。

 

(それを、一般的には……いや、私が決めつけることではないか)

 

 それよりも、彼女の護衛を増やすべきだろうかとアンハルトは考える。

 もうすでに王家が彼女付きに手配した侍女は全員腕利きであるし、第二王子妃候補となったいまでは王城内では当然のごとく警護対象である。どの廊下を一人で歩こうが彼女の身辺は安全だ。

 フリードリヒの近くにいて隠れた護衛ももはや不要と外したが、王立学園でのこともある。

 やはり一人はつけておいた方がいいのかもしれない。


「マーリカに監視は無しだよ、アンハルト。馬車の事故の時は助かったけれど、この先、私の目の届かない範囲に出す気はない」

「それは……エスター=テッヘン殿もさすがに逃げ出したくなると思うが?」

「マーリカにはもちろん言ってあるし、承知している」

 

 それは絶対に、フリードリヒの認識と齟齬があるとアンハルトは思った。

 ちょっと執着が重い男の口説き文句くらいにしか思っていないだろうが、フリードリヒは本気である。

 本当に……厄介な男に気に入られてエスター=テッヘン殿も大変だなとアンハルトは心から彼女に同情した。


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