2-14.後始末をしても仕事だけが増えていく(2)
オトマルク王国、王都リントン。
復活祭期間も終わり、きらめくような若葉が木々に茂る初夏である。
季節が移り変わっていくのは早い。
「もう無理……本当っに無理……」
第三王子執務室の隅に設置されている大机に突っ伏してマーリカは呟いた。
中継ぎのフリードリヒ付筆頭秘書官を引き受け、公務も連携して対応している第三王子のアルブレヒトは同い年で同じ仕事の苦楽を共有する者同士。
いまやすっかり、互いに愚痴を言い合っては、励まし労い合う同志である。
「まさか王立学園の視察がこんな大変なことになるなんて、災難だったね」
はい、と。
小皿に乗せた若葉色のクッキーを差し出してきたアルブレヒトに「ありがとうございます」と言って、マーリカは皿の上の一枚をとってかじった。
さくさくのクッキーは小麦の風味とバターの旨み、そしてちょっぴりほろ苦さを持った爽やかな甘みが美味しい。
色も形も初夏の若葉を思わせる焼菓子である。
「なんでしょうかこれ。美味しいですね」
色味も珍しいけれど、ほんのちょっぴりのほろ苦さが癖になる味だ。
「お茶なんだって。東方の島国の、お茶の葉を粉にしたものを混ぜたらしいよ。今年はこれが来るって“美食王子”が」
「“美食王子”……」
アルブレヒトの一言に、持ち上がりかけていたマーリカの気分は一気に急降下する。
まさにその“美食王子”こと第二王子のフリードリヒのために、三晩も小会議室に泊まり込みで顛末書を作成し、ここ一ヶ月余りの安息日はすべて潰れたのである。
その間、法務局や武官組織へ何度も足を運んでは証言をし、宰相メクレンブルク公の召喚命令に応じ、高官会議での今後対応の協議、関係各所への説明等で目まぐるしいことこの上ない忙しさだった。
第一王女のシャルロッテから誘われるお茶会の時間が、唯一の誰にも邪魔されない強制力を持つ休憩時間であり癒し……といった日々であったのだから。
「でもよかったねヨハン、お咎めなしになって。危うく外患誘致の罪になるところマーリカの証言で無罪ってなったんでしょう?」
「ヨハン殿下は誤った情報を渡されていただけで直接的にはなにも関係していませんから。その情報だって鵜呑みにはされていませんでしたし、どちらかといえば被害者です」
「まあ一方で、バーデン家は今度こそ終わりだね。お祖母様も離宮から王都郊外の修道院に移るらしいよ。お姫様待遇ではあるらしいけど」
「それでも七十を過ぎた方には厳しいかもしれませんね」
マーリカを襲った公国貴族の男にフリードリヒが言ったように、彼等とバーデン家の関係を立証するには、バーデン家に利用された形となった公国貴族やマーリカやヨハンの証言だけでは確たる証拠がなく難しかった。
当然、バーデン家は関係を否定し、バーデン家の名を使った陰謀を主張した、が。
「一学生の研究が不正の決め手になるなんてねえ。鉄鋼の産出量を誤魔化して、大公国との境に運び出していたなんて」
王立学園での視察の際、フリードリヒが地質学研究の学生から買い上げた研究成果は、バーデン家の所領にある鉄鋼の鉱脈範囲自体を不正に誤魔化していたこと、周辺の水質や地質の変化を及ぼす影響が申告されていた産出量や廃棄物処理ではとても追いつかないことなどを示すものであった。
産出量を誤魔化し国境へ持ち出されていたものの目的は、現在調査中である。
調査の過程で、大量の火薬材料が分散して保管されていたことなども明らかになり、後から後から要調査な事案が出てくるため武官組織は近年ない大騒ぎとなっているらしい。
「大兄上がげっそりしちゃってるらしいよ」
「お気の毒に」
マーリカやヨハンを襲った第一公子一派の公国貴族達は、フリードリヒから受けた傷の治療を受けた上で取り調べとなった。
この件については、フリードリヒの立場や一歩間違えればオトマルク王国自体の信用も危うくなるところだった。
大国の第二王子が小国の貴族複数名を傷つけ重症を負わせた一方、当の王子は無傷。
第四王子を謀ろうとし、第二王子の忠臣を人質に拐かしたとはいえ、過剰防衛や大国側の一方的な報復行為だったのではと、当事国間だけでなく国際的にも物議を醸し出す大問題になりかねないところ、フリードリヒが地下室に乗り込む前に公国の外交権付き特使が捕縛もしくは保護を正式に要請していた。
特使はもちろんマーリカの再従兄弟のクラウスのことである。
クラウスが直接要請したのは近衛騎士班長のアンハルトだったのだが、彼の機転によりその判断は第四王子のヨハンへと委ねられ、実質的に決定を下したのはヨハンでひいては王族判断と見做され事実認定された。
認定されたのは、直接本件とは関係がない女子学生二名の証言が決め手となった。
たまたま生徒会役員の役目でその場に居合わせた王立学園の学生は、要請がされたその時間まで正確に証言し、フリードリヒの行動は公国の要請範囲内のものと処理された。
(本当に、運が良すぎる……)
シャク、と二枚目のクッキーをかじりながらマーリカは胸の内で呟く。
フリードリヒ自身も他国の貴族を倒したことをまずいと認識していたのだから、クラウスからの要請については完全に彼の運の良さである。
取り調べや裏付け調査で事実が整理され、フリードリヒが本当に単身で人質を取り銃を持った複数名を相手にしていたことや彼に倒された者達の容体が公表されて以降、この件で疑義を唱える声はなくなった。
むしろ、卑劣な複数の凶悪犯に対し一人で立ち向かい、四肢の機能に障害は多少残るが誰も致命傷を負っていない点で、勇敢かつ最大限人道に配慮した対処と賞賛の声まで上がり始めている。
バーデン家も流石にこうなっては王家を非難できない、というより最早非難できる資格は鉄鋼の件で失っている。
公国貴族達は取り調べも終えて、怪我の回復を待って早晩、公国へ移送され裁かれることになっていた。
(でも殿下一人ではなく近衛騎士や衛兵が複数で争っていたら、大変なことになっていたかもしれない)
しかし、結果的に賞賛の声が上がっているだけで、王子が一人でふらふらとあの場へやってくるなんて軽率極まりない行動であることは間違いない。
二枚目のクッキーを食べ終えて、マーリカはため息を吐いた。
「フリードリヒ殿下は、今回どこまで考えてやっていたのでしょうか……」
「さあねえ。兄上には有り得ない運と引きの強さもあるから」
本当にそこである。
そうなるように考えて動いていたのか、成り行きまかせで生じる不都合を打ち消すほどの強運と引きの強さなのかがわからないのがフリードリヒである。
それに、マーリカはちょっと引っかかっていることがあった。
――君もマーリカと同じなのだろう?
銃を向けた公国貴族への、フリードリヒの言葉。
マーリカもあの公国貴族には酷い目に遭わされたものの、そうせざるを得ない、なにか追い詰められた感じを受けた。彼の主君は強硬派でいまは離宮に軟禁状態だという第一公子である。
バーデン家と手を組み、フリードリヒの命まで狙うことを、どうしてしなければならなかったのだろう。
勢力は衰え、離宮に軟禁とはいえ身体は保証されている。
派閥の活動費用を多少支援してもらうのと引き換えに、下手したら王国と戦争になりかねないようなことをするなんてマーリカには理解不能だ。それはもう強硬派というより狂信めいた危険な一派である。
公国内では一応不穏分子扱いらしいけれど、しかしそれはあくまで次期君主争いの派閥抗争においてであるから少し話が違う気がする。クラウスが特使としてオトマルク王国に来ていたのは、国外へ出た彼等の調査する密命のためでもあったらしいが、なんとなく腑に落ちない。
バーデン家も、いくら確執があるからといって王族を、他国の貴族のそんな過激派と手を結んでまで、害そうとするだろうか。考え出すとなにからなにまで理解不能でなんとも言えない薄気味悪さを覚える。
(考えても仕方ない。この件はもうわたしの手からも離れたのだから)
ふるふると、マーリカはもやもやと不穏の気配をまとって浮かんでくる疑問を頭から振り払うように首を振った。
「マーリカ?」
「あ、いえ……その、ようやく視察の後処理が一段落したと思ったらもう王宮夜会の時期だなんて」
初夏を迎え本格的な社交の季節到来である。
ここから豊穣祭まで怒涛の繁忙期だ。
いやもう繁忙期とはなんなのだろう。常に繁忙な気がしているマーリカである。
「王宮夜会か……今年は騒ぎになるだろうねえ、バーデン家の領地取り上げの発表があるから」
正確な鉄鋼の鉱脈を含む地はすべて王家が取り上げ、王領として管理することになった。
加えてあの一帯の王領の管理組織が編成されることにもなり、管理官の一人には例の地質学研究の学生の名も挙がっている。すでに打診の知らせは受けていることだろう。卒業後の進路は安泰である。
「なんだか気が抜けてしまっているのに」
「やめてよ、王宮も王都もここからが本番なんだから。燃え尽きないでっ」
「フリードリヒ殿下ではないですけれど、安楽な隠居もちょっといいかもしれません」
「大変だ! マーリカが兄上に毒されている……!」
失礼なとは思ったけれど、多少はそうなのかもしれない。
フリードリヒはいま不在だ。十日後に戻ってくる。
だから、アルブレヒトの執務室でマーリカも彼ものんびりと雑談休憩をとる時間があるのだった。
「殿下がいないと平和で。ここ最近の忙しさもあって、少々放心気味になっているだけです」
「ああ、それはちょっとわかるけれど」
「それにしても、上官としてまたわたしの実家に謝罪に行くなんて……そんな必要ないのに」
「まあ、婚約者だし。マーリカのお父上は兄上にとっては義父になるわけだからさ」
これも王立学園で起きた事件の後処理の一環であることを知るアルブレヒトが、誤魔化したなどと思っていないマーリカは、実家の者達が余計なことを言わないか少しばかり心配しながら三枚目のクッキーを摘む。
「たしかにこれは、甘いばかりでもない風味で流行りそうですね」
久しぶりの平和な休憩時間をマーリカが満喫する一方で、彼女がそれ以上の疑問を持たなかったことでアルブレヒトはほっと胸を撫で下ろしていた。
フリードリヒは、人事交流制度の期間を終えて帰国したクラウスとエスター=テッヘン家で落合い、クラウスに密命を与えた公国の第二公子と非公式会談予定である。
マーリカには言わなくていいよと、口調こそいつもの軽いものであったけれど、ばれたら後が怖そうだと思った危機回避能力の高いアルブレヒトなのだった。
活動報告に次は最終回と書きましたが、少し長いので分割したため次回に続きます。
次回が最終回となります。






