2-12.最悪な状況になっている(2)
頭が……疼くように痛いとマーリカは真っ暗な意識の中で呟いた。
それに体の節々がぎしぎしと固く、縛られたように動けない。
「うっ……」
倒れた時に切ったのか口の中が錆びた味で気持ちが悪いと、呻きながらマーリカは目を覚ました。
目を覚まして――意識を失ったままでいた方がよかったかもしれないと後悔した。
薄暗い、石造りの部屋にいる。狭くはないが広いともいえない場所である。
それから、どう考えてもマーリカを助けてくれるとは思えない、顔半分を布で隠した男が……数えて五人。
おまけに椅子の背もたれに背と手首を固定されている。
左右の足は、椅子の脚を添木にするようにして縛られていた。
(口は塞がれてはいないけれど……)
どれほど時間が経ったのかはわからない。
だが、意識を失う直前に鐘の音が聞こえた気がする。
だとしたらおそらくまだここは学園の中のはずだ。学生にも教員にも学園祭に招かれた招待客と思えない男数人が、閉門後に学園の外へ意識のないマーリカを運びだすのは難しい。あまりに目立つ。
(口を塞がれていないということは、叫んでも外にはわからない? 人が周囲にいないような建物かもしくは地下……?)
幸い、マーリカが目を覚ましたと気がついていない。
目だけを動かし、彼女は必死に状況の把握に努める。
岩を積んで漆喰で塗り固めたような壁。窓が見当たらないところを見ると地下が濃厚そうだと考えて、マーリカはさらに絶望的な気分になった。
こんな場所、気づいてくれる人がいるとは思えない。
(ヨハン殿下は上手く逃げられただろうか)
少なくとも大時計塔にこれほどの人はいなかった。
周囲にヨハンの姿はない。別室に捕まっている可能性もあるけれど、縛られたマーリカ一人に五人も見張りをつけるとは思えない。
(おそらくここが彼等の根城で、だとしたら逃げられた……?)
マーリカは少しばかりほっとする。
ヨハンが逃げることができたのなら、近衛騎士や衛兵が動いている可能性が高い。
ひとまず心配は彼等がマーリカを見つけてくれるまで、無事でいられるかに絞られる。
「目が覚めたようだな」
いつまで無事でいられるかは……わからないけれど。
背後から聞こえた声に六人目がいたと思いつつ、心の中でマーリカは考える。
「さっきは随分と勇ましかったが叫んでも無駄だ、外には聞こえない」
「あ、貴方は?……ここは、どこでしょうか」
(えっと、たしか……こういった場合、むやみ騒ぎ立てたり取り乱したりするのは厳禁)
誘拐時は大人しく、状況を把握し、適度に従順に、相手を刺激しない程度対話を試みる。
相手に自分を人間であることを忘れさせないこと。
年一回、親族持ち回りで一季節、親族の子供が集まって一緒に過ごして学ぶエスター・テッヘン家の勉強会。
そこで教えられるのは、各親族が住んでいる国の歴史や礼儀作法だけではない。
誘拐時の心得や、森や山で遭難した際の対処術、簡単な護身術なども子供達同士が組みになって演習込みで教わる。一応、貴族の家の子が多く、そうではない家でも子供を狙う事件はどの国でも起きてはいるから、必要な知識なのだとは思う。
(まさか、実際にそれを役に立てる機会が巡ってくるとは思わなかったけれど……)
巡ってきてほしくはない実践機会だ。
それにこういった場合、女性はより恐ろしい危機を想定される。
男装していても、すでにこの人々の仲間の一人にマーリカが女性だということはばれている。
(そもそも、わたしを狙ってきたの……二度目でもあるし)
ヨハンと話していた男の顔をマーリカは思い出した。
あの馬車の事故の時に、馬を替えた時にその世話をしてくれた男だ。
マーリカを狙った犯人は捕まったと聞いているから捕まったのは御者なのだろう。馬車の駅にいた者は事故現場から場所も離れているし、言い逃れもできる。
(でもだとしたらおかしい)
実行犯は公国貴族に雇われた悪人だったはずだ。
男が襲いかかってくる直前に、ヨハンはたしかにバーデン家の使者と言った。
(わたしとなんの接点もない。三年前から謹慎中だったのなら、わたしのことは知っていても顔まで知っているとは思えない)
「答えると思うか?」
「わっ……わたしが意識を失う前っ、本当は第二王子だったはずと……あれはっ、どういうことですか?」
背後からの声、まさにマーリカに襲いかかっていた男の声だ。
低くざらっとした声で、高圧的な話し方ではあるけれど荒んではいない。
公爵家の者とヨハンが思っていたくらいなら、貴族かそれなりに教育を受けた者であるはずだ。
一体なにが目的なのだろう。とりあえず目が覚めたマーリカを甚振って楽しむつもりではなさそうなのは幸いだ。そのつもりならとっくに殴られるか蹴られるかしているだろうし、もっと最悪な状態になっているだろう。
「……気丈なことだな。普通の令嬢なら、泣くか喚くか、震えて声も出せないところだ」
若干の呆れを滲ませて、背後の男が喋った。
「まあ、身を挺して王子を逃すくらいであるしな」
「わたしはっ、王家に仕えしエスター=テッヘン家の者です。ヨハン殿下をお守りするのは臣下として当然のこと。貴方もそうなのでは?」
「む?」
「メルメーレ公国の方ですよね? なぜ王国の公爵家の者としてヨハン殿下に接触したのですか? なんのためにわたしを……、っ」
「うるさいっ!」
椅子の背もたれを蹴り倒されてマーリカは石の床に横倒しになる。
左耳と頬を強か打ち、口の中を少し噛んでしまって彼女は顔を顰めた。
かつん、と足音が至近距離で聞こえ、「おい、起こせ」と背後にいた男が言い、一番近い位置にいた別の男がやってきて二人がかりでマーリカを元の体勢に戻す。
倒しておいて、また起こしてくれるとは親切である。
(あ、いや、また蹴り倒して楽しむというのなら勘弁してほしいっ)
「お前は餌だ。第二王子を呼び出す。あの王子でそうするはずが第二王子の側付きのお前が来たからな」
それから、マーリカが呆れるほど聞いてもいないことまで男は喋ってくれた。
彼等は公国を追われた第一公子派の公国貴族であるらしい。
国境で接しているバーデン家が彼等を庇護し、離宮に軟禁状態の第一公子を救い出すための工作活動の資金援助をするかわりに第二王子フリードリヒ・フォン・オトマルクを害する依頼を受けたらしい。
彼等にとっても、鉄道利権に関する条約締結や第二公子を後継者に決定づけた憎い隣国の王子であるから、抵抗はなかったらしく果たして両者の利害は一致して手を結んだ。
「そんな時に、わざわざ第二王子の方から都合よく出向いてくる情報が入ってきた」
ここまで聞いてマーリカは、目が覚めた時とはまったく種類の違う絶望的な気分になっていた。
(都合が良すぎる――!)
柄が悪いのかいいのかわからない男達のいる部屋を、虚な半眼でマーリカは眺める。
手首を背もたれに固定されていなかったら、間違いなく頭を抱えているところだ。
(殿下が突然王立学園の視察を言い出したのはわたしの事故の後。わたしの実家でクラウス兄様達と出会って、公国と非公式の会談をした後……)
それ以上、考えたくない。
けれど考えてしまう。
ここ何ヶ月かの間のフリードリヒの言動を。
公国との人事交流制度関係の書類の処理をやたらぐずぐすと渋り、やる気がでないとぼやき、マーリカにバーデン家の話をし、さらにはクラウスとマティアスの二人を王立学園の視察に同行させた。
(これは……)
フリードリヒは愚かではない。むしろ怠惰極まりないことや、振り回される側の気持ちや都合を考えることや、調整に必要な時間の概念が根底から欠けているのが本当に惜しまれるほど優秀で、特に彼自身が気を向けたことにはマーリカも驚くような才気を発揮する。
(運の良さや引きの強さだけより、もっと最悪な……わかってやっているやつ!)
それをこんな序列三位の公爵家と隣国のお家騒動まで巻き込んでやられたら……その後処理は尋常じゃなく大変なことになる。文官組織はもちろん、今回は武官ももしかすると宰相他重鎮も巻き込む大事になるかもしれない。
そうなった時、フリードリヒ自身も問題になるが、側に付いているマーリカも責任を問われることになる。
「あの……すみません……」
「なんだ」
「いまの進捗状況は……教えていただけないでしょうか」
「は?」
「いまの進捗です! フリードリヒ殿下をもう呼びだしているのですか?!」
「え、いや……まだ……どこにもいなくて……」
「おいっ!」
マーリカの剣幕に気圧されたように彼女を起こすのに手を貸した男が首を横に振って答え、彼女の背後にいる男が咎めた。どこにもいないといった言葉を聞いて、マーリカの中で不安がどんどん増していく。
マーリカの経験上、フリードリヒがふらふら姿をくらましてろくなことがない。
いつのまにか“美食王子”なんてふざけた名前で王都流行誌に下町美味探求の連載枠を持つに至るなどその最たるものであるし、夏の夜会を抜け出して王都の下町のカフェにまさかの正装姿で単身寛いでいたこともある。
(暗殺されたいのかと怒ったら、危機的状況になれば助けてくれるよく調教された護衛がいるから大丈夫なんて、妄言のような言い逃れをするし)
本当にそんな護衛がいるのなら、とっくに王太子のヴィルヘルムはフリードリヒの行動を把握しているはずで王宮の逃走ルートも封鎖されるはずである。
子供だってもう少しましな嘘を吐くと、小一時間ほど説教することになった。
「……悪いことは言いません、わたしを解放してください」
「なにをふざけたことを」
「ふざけるなんてとんでもない。わたしはむしろ貴方達の味方です。利害の上では。そもそも尋ねもしないことをべらべらと喋って。こういうことはわたしが目を覚ます前に手配し終えるものです。それもできないで……」
「なにを意味のわからないことを――!」
再び椅子ごと蹴り倒される。
今度は右側で、さっきより勢いが強い。
「ぐっ……」
胸をしたたかに打って、けほっとマーリカが咳をすれば、結い上げた髪を掴まれて首を軽く持ち上げられる。
今度は起こしてはもらえなさそうと思いながら、マーリカはそれでも彼女の髪を掴んでいる、彼女の背後にいた男への説得を試みる。
「殿下が来ていない、いまなら……まだ穏便に処理する余地がっ」
ごっと、右のこめかみが石の床とぶつかった音がして、マーリカは視界に飛んだ火花に目をつぶった。
頭がぐらぐらする。
これはちょっとまずいかもしれないと思いながら、なおもマーリカは続けた。
「あ……なた達は、フリードリヒ殿下を甘く見過ぎて……あの人は……」
言い終える前に、右耳をつけている石の床から伝わってきた音にマーリカは深く嘆息した。
遠く上から下へ降りて近づいてくる足音。
遅かった。
学園は広く、しかもここは地下だと聞いた。
一体、どうして見つけたのだろう。
(本当に、無駄に引きが強い――)
頭の奥を揺さぶられているような眩暈がする。
油断すればまた気を失ってしまいそうだけれど、絶対にそれは駄目だとマーリカは顔を顰めながら目を細める。
何故なら霞がかかったような視界に、薄暗い部屋の中でも目立つ淡い金髪の色が見えるから。
「うーん、七人とは困った。差し入れの数が足りない」
百歩譲って、見つけてくれるのはいいとして。
どうして一人でのこのことやって来るのか、より最悪な状況になるだけである。
「……殿下」
マーリカは心底から彼を殴りたかった。






